【一五六《懇願》】:二

「さーて、俺も夕飯の準備するかな」

「「「何それっ!」」」


 振り返った凛恋達が、俺がビニール袋から取り出した物を見て目を見開く。それはバーベキュー用の肉の盛り合わせだった。


「キャンプには肉が必要だろ?」

「ちょっと、いつそんなの買ったの?」

「みんなが水鉄砲を見に行ってる時に」


 駆け寄って来た凛恋に答えると、立ち上がった露木先生が真面目な顔をして俺を見た。


「多野くん」

「はい?」

「多野くんも二〇歳になったら分かると思うけど、お肉とお酒ってよく合うの。しかもこんな空気の良いところで、バーベキューをしながら飲むお酒は――」

「もちろんみんなで食べますよ。そのために多めに買って来ましたし」


 袋から肉の盛り合わせのパックを三つ出すと、露木先生が凛恋に視線を向けた。


「八戸さん! 多野くん気が利くね!」


 そう言われた凛恋は苦笑いを浮かべながら、俺をジッと見る。


「あとで割り勘ね。私達に黙って買ったってことは、お肉代は凡人が出したんだろうし」

「分かった。その代わり。バーベキュー用具のレンタル代は俺が出す」

「仕方ないわね。まあ、凡人が勝手に食べたいって言い出したんだし」


 クスッと笑った凛恋は俺に近付いて来て耳元で囁く。


「ありがとう」


 そう言って凛恋が調理に戻ると、露木先生が俺の腕を掴んで歩き出す。


「ほら多野くん! バーベキュー用具借りに行くよ!」

「露木先生! ちょっと待ってくださいって」


 俺の腕を引っ張ってズンズン歩いて行く露木先生に、俺は慌てて言いながらついて行った。

 結局、バーベキュー用具のレンタル代は俺は出させてもらえず、頑なに自分が出すと言い張った露木先生が出してしまった。しかし、調理を凛恋達に任せていて何もしていなかったから、露木先生としてもそのまま何もしないわけにはいかなかったのかもしれない。


 食事は、カレーと肉だけバーベキューというボリュームたっぷりのメニューだったが、昼間の運動のお陰かみんなお腹が減っていて、ペロリと平らげてしまった。そして、片付けを終えてバンガローに戻ると、瀬名が持って来ていたトランプでゲームをすることになった。しかし、これがまた大変だった。


「また凡人くんの一抜け!?」

「相変わらず凡人くんはゲーム強いね」


 丁度ババ抜きをしている時に、最初に上がった俺に萌夏さんと希さんの視線が向く。すると、正面から、あひる座りをした露木先生が俺を見て両頬を膨らませながら睨む。


「絶対に多野くんはイカサマしてるよ!」

「酷い決め付けだ……」

「だって! ずーっと多野くんが一位ばっかり! たまには負けなさい!」

「それはそれでイカサマなんじゃ?」

「イカサマじゃありません! 接待です!」


 完全に酔っている露木先生に指をさされ、俺は露木先生に苦笑いを返すしかない。


「露木先生の番ですよ」

「はーい!」


 里奈さんに言われた露木先生は、ご機嫌なご様子でカードを引く。そして、ペアが揃ったのか手札から二枚中央に捨てた。


「二位は私が取るよー」


 テンションの高い露木先生を見ていると、隣から凛恋に肩を突かれる。


「露木先生が楽しそうで良かった」

「まあ、あれだけはっちゃけてくれると、俺達としては嬉しいよな」


 一位抜けをした俺は、みんなが楽しそうにババ抜きを楽しんでいるのを眺める。すると、露木先生が里奈さんの肩に頭を置いてクークーと寝息を立て始めた。


「露木先生、一抜けだな」

「「「プッ!」」」


 真っ先に寝た露木先生を見ながら言うと、みんなが口を押さえて笑う。


「みんなは遊んでてくれ。俺が上に運んでくる」


 一位抜けして暇な俺は、眠ってしまった露木先生を背負って二階に上がる。

 二階は女性陣の寝る場所になっていて、そのうちの奥の布団に露木先生を寝かせて体に薄手の毛布を掛ける。

 俺が露木先生を寝かせて下に戻ってくると、ババ抜きの決着がついたようで、みんながトランプを集めていた。その中で、瀬名が大きなあくびをする。


「そろそろトランプはお開きにしようか」

「だ、大丈夫!」


 瀬名のあくびを見た里奈さんが言うと、顔を赤くした瀬名が慌てた様子で首を振る。しかし、里奈さんがその瀬名にニヤッと笑った。


「今からは上でガールズトークの時間なの。瀬名は栄次くんと凡人くんと下ネタトークしてなよ」

「里奈さん、男が下ネタばかり話してると思ったら大間違いだぞ?」


 俺がニヤニヤ笑う里奈さんに言うと、視線をジーッと俺に向ける。その里奈さんの目からそれとなく俺は視線を逸した。


「はい! 凡人くんを里奈が論破したところで女子は上ねー」


 萌夏さんがニヤニヤ笑いながらそう言って女性陣を連れて上がって行く。静かになった一階で、栄次に優しく肩に手を置かれた。


「カズも男だから仕方ないよな」

「追い打ちをかけるな」


 栄次にそう返しながら、俺はテーブルを片付けて布団を敷く。栄次も瀬名も布団を敷くと、栄次がペットボトルのお茶を飲みながら俺を見た。


「どうした栄次」

「いや、まさかカズの運転する車に乗る日が来るなんて思ってなかったから、感慨深いなって思って」

「栄次は俺の保護者か」


 布団にうつ伏せで寝ながら不満を返すと、隣から穏やかな寝息が聞こえる。その寝息の主に視線を向けると、栄次が笑った。


「瀬名もはしゃいでたからな」

「そうとうはしゃいで動き回ってたし、疲れて当たり前だろうな」


 眠った瀬名から視線を外すと、布団に寝転んだ栄次が天井を見上げながら言う。


「カズ、ありがとな。高三の時、別れようとした俺達を止めてくれて。本当に、希と別れなくて良かった。俺が一人で頑張れてるのも、希が居てくれるからだから」

「そうか」


 俺も天井を見上げながら、栄次に答える。すると、栄次が小さく笑う声が聞こえた。


「カズって、本当に褒められたり感謝されたりするのが苦手だよな」

「俺は二人が別れない切っ掛けを作っただけだ。結局別れなかったのは、栄次と希さんの判断だろ」

「その切っ掛けを作ってくれたのが重要なんだよ。その切っ掛けがなかったら、俺達は別れてた」


 栄次はそう言いながら、目の上に腕を置いて、ほんの少しだけ声を震わせた。


「あの時、希と別れて、希が別の男と付き合ったらって考えると辛い」

「考える必要はないだろ。希さんの彼氏は栄次で、栄次の彼女は希さん。その事実だけで十分だ」

「そうだな。それに……本当にカズと凛恋さんが別れなくて良かった」

「一度、別れたけどな」

「お互いのことをずっと好きなままだったんだ。言葉は関係ない」


 栄次は言葉は関係ないと言った。でも、言葉はかなり重要だ。

 人は告白という言葉で気持ちを伝え合って恋人になる。そして、別れるという言葉で恋人じゃなくなる。


 気持ちでは想い合っていても、形としては一度別れたのだ。でも、俺はそれを無駄な、ただ辛く悲しいだけの出来事だとは思わない。


 凛恋と別れていた間、俺は自分という人間の愚かさを再認識したし、俺という愚かな人間には凛恋が必要不可欠だということも分かった。

 それに、俺はどうあっても凛恋を好きなんだと思い知った。


「俺達も色々あったな」

「そうだな。これからも色々あると思う」

「ああ。でも、どうせなら良いことが色々あってほしい」


 栄次はそう言って、それっきり喋らなくなった。その沈黙をしばらく感じた俺は、ゆっくりと目を閉じた。




 肩を叩かれて揺すられる。その感覚を抱いて、俺はゆっくり目を開いた。すると、俺を上から見下ろしている凛恋と目が合った。部屋は照明が消えて薄暗いが、目の前に見える凛恋の頬がほんのり赤くなっているのが見える。


「……凛恋? どうか、したのか?」

「凡人ごめん……あのね……」


 寝ぼけ眼で凛恋を見ながら体を起こすと、凛恋が体を縮こませて腿をスリスリと擦り合わせモジモジしている。それを見て察した。


「トイレ行きたくなってきたな~。凛恋も一緒に行くか?」


 俺がそう尋ねると、赤ら顔の凛恋はパアっと明るい表情になって頷く。


「うん!」


 バンガローからトイレは少し離れている。そして、夜のキャンプ場は明かりも少なく一人で歩くのは怖い。だから、トイレに行こうと思って誰かと一緒に行きたくなる気持ちは分かる。


 俺はトイレを済ませて、凛恋が女性用トイレから出て来るのを待つ。すると、トイレから凛恋が出て来て、手を洗って少し湿り気の残った手で俺の手を握った。


「凡人、ちょっとお散歩しよ」

「ああ」


 凛恋と手を繋いで、薄暗いキャンプ場を歩き始める。


「凡人、すぐ気付いたね」

「あんなに恥ずかしそうにモジモジしてたら分かる」

「運転して疲れてるのに起こすのは悪いかなって思ったんだけど……」

「遠慮されて漏らされた方が困る」

「さ、流石にそんなことになる前には行くしっ!」


 真っ赤な顔で俺を睨む凛恋は、俺に腕を絡めて身を寄せる。


「一瞬で気付いた凡人を見て、また惚れ直しちゃった」

「トイレで惚れ直されるとは複雑だな」

「違うわよ。凡人の気遣いと思いやりに惚れ直したの」

「それなら、嬉しいな」


 散歩している途中、凛恋が振り返って俺にキスをする。しかし、そのキスは一瞬で終わってしまった。俺は、体を離してキスを止めた凛恋の腰に手を回して引き寄せる。すると、凛恋が嬉しそうに微笑んだ。

 俺は凛恋に誘導された、仕組まれた罠に掛かってキスをする。そのキスに凛恋も目を閉じて応えてくれる。


 薄暗く人けのないキャンプ場で、俺と凛恋はしばらくずっと唇を重ね続けた。でもどんなに長く続けても足りない気がした。

 凛恋とバンガローに戻って来て、俺は再び布団に入って目を閉じる。そして、薄っすらと意識が遠退き始めた時だった。


 また肩を叩かれる感覚を抱く。しかし、凛恋よりも弱かった。

 まだ完全に眠ったわけではなかった俺は再び目を開いて上を見ると、視界の端に今にも火が出そうなほど顔を真っ赤にした萌夏さんが見えた。


「萌夏さん、ど――」


 何かあったのか尋ねようとした時、俺は萌夏さんの様子を見て言葉を止める。

 体を縮こませて腿をスリスリと擦り合わせ、視線はチラチラと躊躇いがちに俺を見て、手は腿の上でモジモジと互いの指をいじり合っている。なるほど、凛恋と同じか。


「萌夏さん、丁度良かった。トイレに行くのが怖くてさ。悪いけどついて来てくれないか?」

「えっ!? ……うん、いいよ」


 萌夏さんは俺の言葉を聞いて驚き、俯いて小さく笑いながら言う。どうやら、萌夏さんにもすぐに俺が気を遣ったことがバレてしまったらしい。

 萌夏さんと一緒に二度目のトイレに行き、男性用トイレから出ると、萌夏さんが両手を後ろに組んで待っていた。


「凡人くん、ありがとう」

「お礼を言うのは俺の方だ。女の子にトイレについて来てもらったんだから」

「もう良いって。ありがとう」


 クスクス笑う萌夏さんにそう言われ、俺も笑顔を返す。


「本当にごめん! 暗いしちょっと遠いから流石に一人で行くのは怖くて!」

「謝らなくて良いよ。その気持ちは分かる。俺だって怖いし」

「どうしようって思ったら、凡人くんの顔が浮かんで。凡人くんなら優しいし頼りになるから」

「頼りになるか?」

「なるなる。それに、一番頼みやすいし」


 ニコッと笑った萌夏さんは、俺の隣で空を見上げた。そして、さっきの明るい声から少しだけ元気のない声になった。


「専門学校ね。結構厳しくて」

「大丈夫か?」

「うん。夢のためだしね。頑張れると思う」

「頑張り過ぎるのは良くないぞ」

「ありがとう。でも、今よりもっと頑張らないと夢には近付けない。周りが私以上に頑張ってるから、私はそれ以上頑張る」


 真っ直ぐ空に見上げた萌夏さんの瞳は一切揺らめかない。その眼差しには、萌夏さんの意志の強さが見えた。


「それにさ、私の夢ちょっと大きくしちゃったから」

「大きく?」

「そう。前までは、実家の喫茶店でケーキを出すことだったけど、今は自分のケーキ屋さんを持ちたいって思うようになったの」

「そっか。萌夏さんのケーキならきっと上手く行く」

「それでね、店を持てたら、凡人くんと凛恋にお客さん第一号になってもらうの」

「頼まれなくても真っ先に行く」

「ありがとう。これで、もっともっと頑張れそう」


 後ろに組んだ手を解いて、萌夏さんは自分の胸に手を置いてギュッと握りしめる。


「でも、凡人くんの言うこともちゃんと聞く。無理はしない。だから、またキツくなった時は話、聞いてくれる?」

「いくらでも聞く。親友のためならいつでも」

「ありがとう。また、その時は元気貰うね」

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