【一五五《リフレイン》】:二

 カーナビって便利だな。俺は運転をしながら、つくづくそう思った。


 俺は全く道に詳しくない。でも、カーナビで目的地まで案内してもらえば、言ったことない場所にも簡単にたどり着くことが出来る。


「海~っ!」


 駐車場に車を停めて下りると、凛恋が俺の手を握って道の駅の海側へ走る。すると、木製の柵に手を突いた凛恋が満面の笑みで、柵の向こう側を眺めた。

 夏の日差しに照らされた広い海。光を反射させてキラキラと光る海面は、穏やかな波を立てていた。そして、砂浜は海水浴場になっていて沢山の海水浴客が楽しそうに海水浴を楽しんでいる様子が小さく見える。


「今日は泳げないぞ?」

「分かってるわよ。海水浴はみんなで行く予定だから」


 凛恋が俺を見てニッコリ笑って言う。海水浴の予定なんて今初めて聞いた。


「海水浴は出来ないけど、散歩は出来るでしょ! 行こ!」


 凛恋は俺の手を引っ張って、道の駅から伸びた遊歩道を歩き始める。


「また、みんなでキャンプ行きたいな~」

「まあ、大学生になった今なら保護者の同伴は必要ないし、前よりは行きやすいかもな」

「だよねだよね! でも、せっかくだから露木先生も一緒に行きたい!」

「露木先生は夏休み中も仕事はあるけど、前もって聞けば何とかなるだろ」

「じゃあ、またみんなで計画立てないと!」


 楽しそうに話す凛恋は、遊歩道の途中にあった四阿(あずまや)のベンチに座って、俺も凛恋の隣に座る。そして、凛恋は俺にもたれ掛かるように身を寄せた。


「はぁ~落ち着く~。……そういえば美鈴、百田さんと付き合い始めたって」

「そうか」

「でね、ちょっとこれから一緒に遊べなくなるって」

「まあ、彼氏が出来たら前よりは――」

「違う違う。美鈴は遠回しに言ってるのよ、私と距離取るって」

「えっ?」


 凛恋の何気ない言葉に、俺は驚いて聞き返す。しかし、凛恋は平然としていた。


「百田さんと西さん、私達と揉めたじゃん。んで、百田さんに言われたんじゃないの? 私達と関わるなとか何とか」

「そんな理由で?」

「そんな理由で友達切る子は居るのよ? 特に、彼氏出来た途端に豹変する子は多いの」


 彼女の友達が、彼女にとって悪影響なら口を出す気持ちは分かる。でも、今回の場合は百田さんの私怨にしか思えない。


 百田さんの友達の西さんは凛恋のことが好きだった。そして、その好きな気持ちから、男が怖い上に俺という彼氏が居る凛恋を俺から奪おうとした。その西さんの身勝手な行動に、百田さんは協力していた。そのことで、俺は西さんと百田さんと揉めたし、凛恋も二人に不満を吐き出した。


 百田さんが俺や凛恋に対して良くない感情を抱くのには理由がある。しかし、それは百田さんが自分の彼女になった瀬尾さんの友人関係を強制出来るような理由にはならない。


「でもまあ、距離取るって言われて私が思っただけだから分からないわよ? もしかしたら、美鈴の方から百田さんに嫌われないようにって思ったかもしれないし」

「それにしても……」

「まあ、ショックじゃないと言えば嘘になっちゃうけど、希や萌夏達に言われたわけじゃないからさ、大して凹まなかった」


 ペロッと舌を出した凛恋は、俺の腕に手を絡めてしがみつく。

 希さんや萌夏さん達は、俺にとっても大切な友達だが、凛恋にとっても大切な友達だ。高校からずっと仲が良いし、一緒に楽しいことも辛いことも沢山経験してきた。だから、大学で出会ったばかりの瀬尾さんよりも固い絆があるし信頼も強い。


 そういう意味で、裏切られたのが関係の薄い瀬尾さんで幸いだった。そういう言葉が出るのは分かる。でも、それと同時に、その言葉が凛恋がショックを自分の中で割り切ろうとして出した虚栄だというのも分かった。


 関係が薄い濃いは関係なしに、友達から切り捨てられてショックを受けないほど、凛恋の心はすさんでいない。凛恋は純粋で優しい心を持っている。


「でも、誰かに話してスカってしたかったから。ありがとう、凡人」

「良いよ。凛恋が考え込んでる方が問題だ」


 俺も凛恋の体に体重を傾けて寄り掛かる。すると、下から強い潮風が吹き上げてきた。


「キャッ!」


 その凛恋の黄色い悲鳴とほぼ同時に、俺はとっさに凛恋のスカートを押さえる。


「危なかった」

「あ、ありがとう……凡人」


 凛恋が真っ赤な顔で俺を見る。何とか、凛恋のパンツが晒されるのは阻止出来た。


「でも、真っ先にスカートを押さえるのって、ちょっとエロい」

「俺にとっては重要なんだ」

「私のパンツが?」

「当たり前だろ。俺以外に見せてたまるか」


 俺が真剣に言うと、凛恋がクスクス笑いながら口を手で隠す。そして、ゆっくり俺の唇にキスをした。


「私を守ってくれた凡人にご褒美」




 俺達はその後、道の駅の遊歩道を散策し、道の駅の中にある物産館をブラブラと見て回った。そして、俺は凛恋のご希望に添って海辺のレストランに寄ってご飯を食べた。それからは、海沿いの道をただ真っ直ぐ走っている。でも、海を横目に見ながら走るのは気持ちが良い。


「凡人、次の目的地入れたから」

「凛恋はカーナビを使いこなしてるな」


 助手席からカーナビを操作した凛恋の言葉を聞いて、俺は口を歪めて笑う。次の目的地がどこかは分からないが、今日は凛恋の行きたいところに連れて行くと決めている。だから、凛恋が行きたい場所なら、俺がそれがどこかを知らなくても問題ない。


「凡人がどんどん頼りになる彼氏になって困っちゃうな」

「どういう理由だよ、それ」

「だってさー。格好良いし優しいし、気が遣えるし、みんなと私を守ってくれる上に車まで格好良く運転出来るようになって。これ以上惚れさせられたら、私の心が保たないし」

「初心者マークが付いてるけどな」

「そんなの関係ないって言ってるでしょ? これは前よりも気合い入れないと、もっと敵が増える」

「敵って誰のことだよ」

「一番は本蔵。他にも、まだ私が知らないだけで、凡人のことを好きになってる人が居るかも知れないし、凡人のことを良いな~って思ってる人が居るかも知れない」


 俺はそれを聞いて、フロントガラスに映る俺に向かって肩をすくめる。


「そんな人居ないって」


 俺がフロントガラスに映る凛恋に言うが、凛恋はムッとした表情のまま両腕を組んだ。


「とにかく私は、なんとしても私に凡人を惚れさせておく必要があるの」

「なんとしなくても、俺は凛恋に惚れてるって。これ以上、どう凛恋を好きになれって言うんだよ」


 さっきの凛恋の言葉と同じだが、これ以上惚れさせられたら俺の精神が保たない。

 俺はふと凛恋が設定したカーナビ目的地をチラッと見て目を見開く。そして、慌ててフロントガラスの先に延びる道路を睨んだ。だが、またそっとカーナビに視線を向ける。


 見間違いではない。カーナビの目的地の語尾に『ホテル』という三文字がある。今日は泊まり掛けの予定ではないから、つまりはそういうことだ。


「バーカ。今更じゃん」


 隣から凛恋がクスクス笑いながらからかう声が聞こえる。


「別に何も思ってないぞ。デートに来たらラブホ行くのも当然だしな!」

「それはちょっと変態過ぎでしょ」

「酷い……」

「でも、私は凡人のそういうところも好き」


 クスッと笑った凛恋の声を聞きながら、俺は少しアクセルペダルを深く踏む。制限速度は守る。でも、制限速度のギリギリをついて一秒でも早く車を走らせたかった。

 凛恋が目的地に設定したラブホテルにたどり着くと、俺は敷地内に入って吹き流しの様なヒラヒラカーテンが下がった車庫の中に入る。


「なんかいつも行くところと雰囲気違うね」

「いつも行くところはビルタイプのところだからな。こういうのはモーテルタイプとか戸建てタイプって言うらしい」

「へぇ~凡人ってラブホに詳しいんだぁ~すごーい」


 ガレージの中に車を停めると、助手席から凛恋がニタニタ笑いながら言う。


「初めて行った後に調べたんだよ。次はもっとスマートにエスコートしたいと思って」

「そっかぁ~。凡人のエッチ~」

「ほら、入るぞ」


 完全にからかいモードに入った凛恋に言うと、凛恋がニタニタとした笑顔を浮かべて返事をする。


「はーい」


 車から下りてガレージの中にあるドアから中に入る。すると、凛恋が俺の手を握って頬にキスをする。


「凡人、今日はありがとね」

「どういたしまして」

「またドライブしようね」

「もちろん」

「今度は優愛も乗せてあげてもいいかなぁ~。出てくる前、結構羨ましそうだったし」


 歩き出してベッドに座った凛恋が、部屋の中を見渡しながら言う。


「運転するのは俺なんだぞ?」

「私の凡人とドライブするには私の許可が必要なの。あと、私の同伴は必須」


 ビシッと俺を指さした凛恋は、ピョンッとベッドから飛び上がりながら立ち俺に正面から抱き付く。


「シャワー浴びよっか」

「ああ」


 俺は頬を赤くしながら首を傾げる凛恋を抱き返して、優しく唇を重ねた。




 凛恋を抱きしめながら、俺は必死になっていた。必死に、凛恋が自分の側にずっと居てくれるように願った。

 当たり前のことは、当たり前だと思った瞬間に日常になる。日常になったことは日常であることが当然になって、段々と特別感が薄れていく。


 凛恋を好きになった時、俺はこんなにも凛恋を近くで感じられるなんて思っていなかった。こんなにも、凛恋が側に居ることが当然だと思えるようになれるとは思っていなかった。


 だからこそ、忘れちゃいけない。凛恋が側に居てくれることを、凛恋が俺を好きで居てくれることを。


「凛恋、ありがとう。俺の側に居てくれて、俺を好きになってくれて、俺のことを好きで居続けてくれて」

「急にどうしたの?」


 薄っすらと顔を朱色に染めた凛恋が微笑みながら聞き返す。俺はその凛恋の頭を撫でながら抱き寄せた。


「凛恋が側に居てくれることも、俺を好きになってくれたことも、好きで居続けてくれることも、全部感謝したかった。俺は凛恋のお陰でずっと幸せに生きられてる。そういう幸せをくれることに、感謝を忘れちゃいけないと思って」

「感謝されても困るわよ。だって……私はただ、世界一好きな人を好きで居るだけだもん。その好きな気持ちは凡人のためじゃない。全部、私のために好きなの」


 凛恋が俺を引き寄せて、力いっぱい抱きしめて、俺とキスをする。

 凛恋以外の女性を知っているわけじゃない。でも、それでも俺は凛恋が最高で最上で、最適だと思う。何もかもが『凛恋と』ということだけで一番幸せになるし、一番心地良い。

 凛恋はどうなのだろうか? 凛恋も俺と同じだったら良いな。俺はそう思う。


「凡人……」

「凛恋?」

「ずっと一緒だからね。ずっと一緒に居る。ずっとずっとずっと……私は凡人の彼女」

「それは困る。俺は、凛恋にお嫁さんになってほしいんだぞ?」

「プッ……それってちょっと狙い過ぎ」


 凛恋が下からクスクス笑いながら言う。でも、俺はそれを見て嫌な気持ちにならなかった。俺の背中に回された凛恋の手から、俺を手繰り寄せる凛恋の気持ちが分かったから。




 すっかり日は沈み、俺は凛恋の家に向かって車を走らせながら、フロントガラスに映る凛恋をチラリと見る。

 フロントガラスに映る凛恋は、穏やかな表情で眠っていた。


「そんな可愛い顔で寝ちゃって。男に見られたらどうするんだよ」


 無防備な凛恋に声を掛けるが、気持ち良さそうに眠っている凛恋から返事はない。

 今日のドライブデートを凛恋は楽しんでくれたようだった。それを思って、俺は安心する。


 内笠の事件に巻き込まれて、警察に保護された俺は、すぐに凛恋と連絡が取れなかった。そして、やっと凛恋と連絡が取れた時、凛恋は電話口で大泣きしていた。やっぱり、凛恋を泣かせてしまったということは、精神的に重く突き刺さることだった。

 もちろん、他のみんなにも心配を掛けた。たとえそれが、避けようがなかったことだとしても、鋭く俺の心に突き刺さる。


 凛恋は俺がした電話で、ずっと俺に言い続けた。

 生きてて良かったと。


 駅のホームに誘導された時、もし向かいのホームに凛恋達が居たら、俺はどうしていただろうと考えた。

 凛恋達を盾にされて、俺は内笠の指示に従って命を懸けていたのか。


 俺の命と凛恋達の命。それは、本来価値は比べられるようなものじゃない。でも、どちらかしか選べないとなったら、俺だったら凛恋達の命を選ぶ。

 単純に命の数ではないし命の価値でもない。ただ単に、目の前で自分の大切な人達を失うくらいなら……そう思うからだ。


 内笠は本当に卑劣なやつだと思う。女性を物として扱うし、人の晒さなくても良い秘密を自分の欲望のためだけに晒す。そして、必ず選べない選択肢を突き付ける。いや……選ばないと分かって居ながら選ばせようとする。


 萌夏さんは怖くて動けなかったと言っていた。俺はそれを絶対に正解だと思っている。たとえ萌夏さんが内笠の言うことを聞いたとしても、内笠は約束は守らなかった。


 内笠は結局自分の思い通りに何でも動かそうとする。

 内笠にとって萌夏さんを自分の思い通りにするために、俺の存在が邪魔で、俺を排除するのは内笠がやろうとしていることの一つだ。だから、萌夏さんが内笠の言うとおりに動いたとしても、絶対に内笠は俺を駅のホームに誘導した。

 だから、恐怖で動かなかった萌夏さんは正解だったし、恐怖で動けなくて良かった。

 だけど、凛恋はどうしただろうか? そう問い掛けて俺は心臓がひねり潰されるような辛さを感じる。


 分かる……分かってしまう……。


 凛恋なら、迷わず内笠の言う通りに行動してしまうと。凛恋は、俺のためなら恐怖も捻じ曲げてしまう。それは、そうしてくれると感謝出来ることじゃない。そうしてしまうと不安になることだ。


「う~ん……ああっ! 最悪……」

「おはよう凛恋。もう日が沈んでるけどな」


 ビクッと体を跳ねさせながら起きた凛恋に、俺は悲しい思考を止めてもらう。そして、凛恋に微笑みながら声を掛けた。


「もぉ~なんで寝ちゃうのよぉ~、私……。凡人との初ドライブデートだったのに……」

「朝からずっとテンションが高かったからじゃないか? それで疲れたんだろ?」

「疲れたのは、凡人のせいだと思うけど?」


 横から凛恋のジトっとした視線を感じるが、俺はそれにあえてフロントガラス越しに凛恋の顔を見なかった。でも、そうやって凛恋がからかってくれることで、俺の心の中からは辛さが消え去っていた。


「楽しい時間ってあっという間」

「そうだな」

「明日は凡人の家に行くから。モナカとも遊びたいし」

「分かった。モナカも凛恋が来てくれると喜ぶ」


 少し混んだ幹線道路を走りながら、俺は凛恋の顔をフロントガラス越しに見る。その楽しそうな顔を見て安心し、俺の心は、優しく温かな気持ちで埋め尽くされた。

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