【一五五《リフレイン》】:一
【リフレイン】
俺は凛恋に約束した。免許を取ったら、真っ先に凛恋を助手席に乗せてドライブすると。
街のレンタカー屋に行って、普通車を二四時間で借りた。レンタカーを借りる時に、凛恋と一緒に行かなかったのは、凛恋を単純に驚かせたかったからだ。
俺は凛恋の家の前に駐車禁止の標識が無いのを確認し、車を停めてサイドブレーキペダルを踏む。まだ、免許を取って間もないからか、運転は問題なさそうだ。
「…………凡人?」
家の前で待っていた凛恋が、車から下りた俺を見てポカーンとした表情をする。
「約束しただろ? ドライブデー――」
「凡人っ! 大好きっ!」
飛び付いてきた凛恋は、俺を力一杯抱き締める。その凛恋の背中を擦りながら、俺は凛恋が喜んでいる姿を見て微笑む。
「ありがとう。レンタカーだけどな」
「レンタカーとか関係ないし! 車から下りてきた凡人、チョー格好良かった!」
「凡人さんが車で来たっ!」
キラキラとした目で俺を見る凛恋の顔を見ていると、家から出て来た優愛ちゃんの声が聞こえた。
「優愛ちゃんおはよう」
「おはよう凡人さん! この車は?」
「レンタカー屋で――」
「優愛は絶対に付いて来ちゃダメだからね! この車は、凡人が私とドライブデートするために借りて来てくれたんだから!」
優愛ちゃんの両肩を掴んで前後に揺すりながら言う凛恋に、優愛ちゃんは凛恋に苦笑いを向ける。
「流石にそこまで図々しくないし」
優愛ちゃんがそう言うと、凛恋は走って家の中に駆け戻って行く。家の中からは「ママ~! 凡人が私のためにレンタカー借りて来てくれた!」という凛恋の大きな声が聞こえた。
「凡人さん。この前は大変でしたね」
「優愛ちゃんにも心配掛けてごめん」
「いえ、凡人さんは何も悪くないから謝らないで下さい。でも、心配はしましたよ、とっても」
優愛ちゃんはニコッと笑って俺の腕にしがみつく。
「今度は私も乗せてくださいね」
「分かった。今度は優愛ちゃんも一緒に行こう」
「あぁーッ! 優愛ッ! 凡人から離れなさいっ!」
戻って来た凛恋が優愛ちゃんを俺から引き離して優愛ちゃんを睨む。
「おはよう、凡人くん」
「お母さん、おはようございます」
優愛ちゃんに説教をしている凛恋から目を離し、家から出てきたお母さんと挨拶をする。
「ありがとう。凛恋のためにレンタカーを用意してくれて」
「いえ、凛恋と約束してたので。免許を取って最初に乗せるのは、凛恋とドライブデートする時って」
「凛恋も喜んでる。今日も、凛恋のことよろしくね」
「はい。あの……初心者の俺に凛恋を預けるのは不安かもし――」
「凡人くん以外に凛恋を任せられる男性は居ないわよ」
俺の言葉を遮ったお母さんが、優しい笑顔で言ってくれる。
免許を取ったと言っても、俺は運転歴が一ヶ月もない。そんな俺の運転に大事な娘である凛恋を預けるのは、きっとお母さんは不安でしかないと思った。でも、お母さんは笑顔で認めてくれた。
俺が助手席に回ってドアを開けると、凛恋が真っ赤な顔をして俺を見る。
「凛恋、乗ってくれ」
「は、はい!」
なんだか緊張した様子の凛恋がそっと中に乗り込むのを見ると、俺はドアを閉めて運転席に回った。
「気を付けてね」
「気を付けて!」
「行ってきます」
お母さんと優愛ちゃんに返事をして運転席のドアを開けて運転席に乗り込むと、隣に座っている凛恋が両手を膝の上に置いて真っ赤な顔をしガチガチに固まっていた。
「凛恋、ごめん。初心者の運転だと怖いよな」
「ちちち、違うの! もう色々凡人が格好良すぎるから、少し頭がパニックで!」
凛恋は両手を振って俺を見る。そして、真っ赤な顔のまま満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう!」
「どういたしまして。でも、まだ出発してないんだぞ。どこか行きたいところは――」
「海!」
「了解」
凛恋のリクエストに応えて、カーナビを海端の道の駅に設定して車を走らせる。すると、横からシャッター音が聞こえた。
「運転する凡人、チョー格好良い」
「ありがとう」
流石によそ見をすることは出来ないから、視線を前に向けたままお礼を言った。
「それにしてもチョービックリした! 家の前で凡人を待ってたら、車が停まって凡人が出て来て頭が真っ白になったし!」
「凛恋を驚かせたかったんだ」
「チョー驚いた。でも、めちゃくちゃ嬉しい!」
「凛恋が喜んでくれて良かった」
凛恋の嬉しそうな声を聞きながら、俺はカーナビに従って幹線道路に出る。
隣に自動車学校の教官が乗らずに公道を走るのは初めてで、自動車学校で運転していた時よりも遥かにハンドルを握る手に力が籠もった。
「もー幸せ過ぎ。凡人とドライブデートなんて」
「俺も凛恋と二人きりでドライブ出来るなんて嬉しい」
フロントガラスの端に反射して映る凛恋は、助手席に座りながら車の中をキョロキョロと見ている。なんだか、その姿が初めて車に乗った子供のようで面白可愛い。
「凛恋はお父さんの車に昔から乗ってるんだから、今更珍しくないだろ?」
「だって……凡人とドライブデートだって思ったら緊張しちゃって……あっ!」
突然大きな声を上げた凛恋は、助手席から俺に顔を向ける。シートベルトは付けているが動きが激しくて危なっかしい。
「凛恋、あまり暴れるなよ。危ないぞ」
「ご、ごめん。ってそうじゃなくて! なんでドライブデートって言ってくれなかったのよ!」
「いや、言ったらサプライズにならないだろ?」
「そ、そうだけど、ドライブデートしてくれるなら、お弁当作ったのに」
「あー、凛恋の手作り弁当は魅力的だけど、今回はどっか店で食べるしかないなぁ~」
サプライズで凛恋の喜ぶ顔が見られて良かったと思っていたが、凛恋の手作り弁当を逃したと知って若干の残念さを感じる。
凛恋の喜びようは凄かった。だから、俺が想定していたサプライズは成功だった。でも、逃した魚は大きかった……。
「次はチョー気合い入れてお弁当作るから!」
「ありがとう。楽しみにしてる」
次の弁当を作ってもらえるようなデートの計画はまだないが、弁当を作ってもらえるようなデートの計画を立てれば問題ない。ただ、またレンタカーを借りるのは経済的に厳しい。夏休み明けには、新しいアルバイトを見付けないといけない。
「でも、こんな大きな車じゃなくて良かったのに。高かったんじゃない?」
「安くはなかったけど、初めてのドライブデートだからな」
本来なら軽自動車でも良いところだったが、流石に初めてのドライブデートということもあって普通車を借りた。凛恋が車の大きさで喜びが増減するような子ではないのは分かっている。普通車を借りたのは、俺が凛恋のために普通車を借りたという自己満足をみたしたかっただけだ。
「もー、そういうところを気にしてくれるのは嬉しいけど、無理しないでよ? 私は凡人とドライブデート出来たらそれで良いんだから。車の大きい小さいは関係ない。でも、嬉しい。そうやって凡人が気にしてくれると、私のこと大切に思ってくれてるって分かるから。だけど、次からは無理無しね!」
「分かった」
凛恋の優しさに嬉しくなりつい顔が緩んでしまって、俺はフロントガラスに薄っすら映る俺のだらしない顔を見て顔をしかめた。すると、フロントガラスに映る俺も顔をしかめる。
走っている幹線道路は、よく道路脇の歩道を歩いた道だ。でも、車に乗ると全く違う道路に見える。
「萌夏がね、凡人に頼ってごめんって言ってた」
「そう、か」
俺はその凛恋の言葉を聞いて身構える。
秘密にするみたいな話をしたが、萌夏さんの性格上、それは無理だったらしい。それで、凛恋にあの時のことを話したのだろう。でも、凛恋は怒っている様子はなかった。
「別に謝らなくて良いのにって言ったんだけど、萌夏、なんて言ったと思う?」
「ん?」
「もし凛恋の彼氏じゃなかったらチューして押し倒してたって」
丁度信号待ちで停止している時だったから良かったものの、凛恋の言葉に俺は体を跳ね上げる。
「ペケ、一つね。今、萌夏とチューして押し倒されるとこまで想像してたでしょ」
「してないって」
想像はしてない。ただ、言葉にドキッとしてしまっただけだ。
「萌夏、やっぱり二年前のこと気にしてるみたい」
「ああ。萌夏さんの家に行った時も怖がってた」
内笠が萌夏さんの心に付けた傷は簡単には癒えない。いや……もしかしたら、その傷跡を消すことはもう出来ないのかもしれない。
「内笠のこともそう。でも、萌夏が気にしてるのは、私に凡人を好きになったことを黙ってたこと。別にそんなのもう気にしなくて良いのに」
凛恋に視線を向けると、唇を尖らせて腿の上に置いた両手をギュッと握りしめていた。
「友達の彼氏のことを好きになるのって苦しいと思う。彼女が居る人を好きになるより、ずっとずっと辛いと思う。だから……思うの。自分がその人のことを好きで居続ければ居続けるほど、友達のことを裏切り続けてるんじゃないかって思うんじゃないかって。でもさ、仕方ないじゃん。本当の、本気の恋って、好きになる相手って選べないのよ」
「好きになる相手を選べない……あっ……」
俺は凛恋の言葉を聞いて、思い当たることがあった。
凛恋を好きになった時の自分だ。
俺は好きになる人は選べると思っていた。でも、凛恋の言う通りだ。恋は、好かれる人を選べないし、好きになる人も選べない。
俺は凛恋を好きになろうと思って好きになったわけじゃない。気が付いたら凛恋のことを気にしていて、気が付いたら凛恋を目で追っていて、気が付いたら……凛恋のことを好きになっていた。
「私もそう。凡人に恋しようって思って恋したわけじゃない。気が付いたら好きだった。本気で、凡人のことを好きになってた。そういう気持ちはさ、友達の彼氏だからとかで消せないじゃん。それで、本気で奪っちゃおうとか別れさせようとかするのは間違ってる。でも、萌夏は違うじゃん。萌夏は……辛い気持ちに一人で頑張ってた。一人でなんとかしようって頑張ってた。それをさ……ぶち壊したのが内笠で、それは萌夏は何にも悪くない」
「ああ……萌夏さんは何も悪くない」
凛恋の言うことは正しい。気持ちに留めておくだけなら、何を思っても良い。
石川が保存していたという凛恋の画像も自作小説も許せない。でもあの自作小説の方は、石川にとって不幸だったとも思う。
石川はあの自作小説を、個人の趣味として書いていた。誰かに見せるわけでもなく、自分だけで楽しむために書いていた。それは、心の中の思考と同じだと思う。でも、それは内笠の手によって俺に知られた。
その内容を内笠から聞かせられた時、俺は単純に気味の悪さを感じた。だから、知らなければどうも思わなかったことが、知った瞬間に許せなくなった。知った瞬間にはらわたが煮えくり返る思いがした。でもそれは、俺が石川の自作小説を知ったからだ。知らなければ、俺は何も思わなかった。それに多分、石川の方も内笠にバラされなければ、俺に自作小説のことを言うことはなかったはずだ。
「だから、思ったこと全部打ち明けて謝ってたら切りないって言ったの。心の中で思うだけなら、凡人と付き合って良いし、エッチしても良いよって言った。ただし、私には言わないでって言った……」
凛恋は助手席から俺の腿に手を置いて優しく撫でる。
「やっぱり、いくら萌夏が私の親友でも、凡人が私以外の誰かと付き合ってエッチするとか考えただけで嫌だもん。絶対、凡人にそんなことしてほしくない」
「俺は凛恋以外と付き合わない。俺が好きなのは凛恋だけだ」
「うん。その凡人の言葉で安心出来る。ありがと」
俺の腿から手を離した凛恋は、助手席で軽く背伸びをして小さく鼻歌を歌い始める。俺はその心地良い凛恋の鼻歌を聞きながら、優しくアクセルペダルを踏み込む。
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