【一五四《負の終止符》】:一

【負の終止符】


 俺は目を開いて周囲を見る。すると、知らない顔の男達が、鉄板の床の上に椅子とテーブルを置いて、沢山の紙幣を数えていた。


「京、本当に金はいらねえのか?」

「いりませんよ。その代わり、お願いしますよ?」

「まあ待てって。今は警察がうろちょろしてる」


 テーブルを囲んで笑いながら話す男達の中に、内笠が居た。

 テーブルに座っている内笠達以外にも、壁際でタバコを吸っていたり飲み物を飲んでいたりする男達も居る。視界に見えるだけで一〇人居る。

 俺は自分の状況を見るために視線を落として顔をしかめる。


 足はガムテープでグルグル巻きにされているように見えるが、足に感じる感覚から、ガムテープの下にはロープが巻かれているのが分かる。そして、椅子に座らされている俺は、体を椅子の背もたれにロープと鎖で巻き付けられている。それに、口には猿ぐつわというか……SMプレイで使うようなボールギャグを付けられている。随分、丁寧に拘束をしてくれたらしい。


「にしても、あいつただのガキだろ。あそこまでする必要あったのか?」

「油断すると何をするか分からないんですよ。念には念を入れておかないと」


 そう言った内笠は俺の方に近寄って来る。それを見上げると内笠はニヤッと笑った。


「久しぶり、多野凡人くん」


 口を塞がれているから言葉を返すことが出来ず、俺は目を細めて不快感を伝える。すると、内笠はスマートフォンで俺の顔を撮影してニヤニヤ笑い、そのスマートフォンの画面を俺に向けた。画面には、拘束されながら不愉快そうな視線を向ける俺の顔が写っている。


「これ、八戸さんに送ったら喜ぶんじゃないかな?」

「京。見てみろ、ニュースになってるぞ」


 テーブルの上にあるノートパソコンを指さしながら、椅子に座っている男が楽しそうに内笠に言う。それを聞いて、内笠は俺に背中を向けて男達のところに戻って行った。


『つい先ほど、複数のATMから現金が抜き取られる事件が発生しました。現在警察は、現金を奪った犯人達を追っています』


 インターネットの生放送ニュースか何かなのか、女性の落ち着いた声が聞こえる。

 ATMからの現金窃盗。そして、テーブルの上で広げられる大量の紙幣。つまりは、内笠達が窃盗犯なのだろう。


「京の言われた通りにやったら楽勝だったな」

「やっぱり、頭が良いやつが居ると仕事が捗る。本当に良いのか? 三〇〇〇万あるんだぜ?」

「お金には興味ありませんから」

「興味あるのは女だけってか?」


 下品に笑う男達から視線を外し、周囲の様子を見てみる。

 俺が今居るのは、室内であるのは確かだ。しかし、外から光が入って来る窓のようなものはない。天井に吊された白熱電球から光は出ているが、室内全体を照らすには光量が足りていない。それに、部屋は広くないし細長い長方形になっている。しかも、床も壁も天井も鉄板製だ。


 多分、俺は内笠に頭を殴られて気絶させられたところを、男達に車に乗せられてここに連れて来られた。内笠一人じゃ俺を運べるわけがないから間違いないだろう。

 窃盗犯なのに金をいらないと言い、興味があるのは女という話。多分、内笠はこの男達の窃盗を手伝う代わりに、何かを要求した。それが、女性絡みということだ。


「で? そいつはどうする気だ?」

「個人的に恨みがあるので、その恨みを晴らさせてもらいますよ」


 男達のところから離れ、また俺のところに来た内笠は、俺の口からボールギャグを外す。


「さて、何か言いたいことは?」

「特にないな」

「多野くん、自分の立場が分かってる?」

「さっぱり分からないな。教えてくれるか?」

「僕に負けて捕まった立場だよ」

「何か勝負をしてた覚えはな――ガハッ!」


 椅子に縛り付けられたまま、俺は内笠に腹を踏みつけられる。腹に圧迫感と鈍い痛みが走るが、両手の自由が利かないから腹を擦ることも出来ない。


「残念ながら、陸橋の上で警察に囲まれたのは石川くんだよ。石川くんには、僕の代わりに捕まってもらったんだ。今頃、警察で厳しい取り調べを受けてるところかな?」

「石川は嫌いだが、お前みたいなやつに目を付けられて同情するな」

「石川くんのパソコンはセキュリティが甘くてね。しかもカメラ付きのノートパソコンを開きっぱなし。夜な夜な、八戸さんのことを思ってスッキリしてるのもバッチリ写ってた」


 俺が内笠を睨み返すと、内笠はニンマリと笑って満足そうな表情をしている。


「やっぱり、多野くんをからかうには八戸さんだよね。余裕なんて全然感じられないくらい感情的になって面白いよ」

「俺を拉致してどうする気だ。警察から逃げるのに邪魔なだけだろ」

「多野くんは分かってないね。警察は確かに犯人を追ってる。でも、追ってるのは僕達じゃない」


 俺の前に椅子を持って来た内笠は、俺の目の前に座って足にタブレットを置く。


「多野くんのお陰で、前科者の知り合いが沢山出来たよ。その中で使えないやつらを見繕って身代わりにさせたんだ。まあ、あいつらは自分達が騙されたなんて思ってないだろうけどね。一人四、五万は手に入れられただろうし」

「前よりも悪人度がレベルアップしてるな」

「だから、警察は身代わりの方を追っていて、僕達は追われていない」

「でも、俺が帰らなかったら警察が動くぞ」

「無理じゃないかな。警察が僕達にたどり着く頃には、日本に居ないし」


 海外逃亡とはスケールの大きな話になってきた。まるで、映画やドラマの話みたいだ。


「日本の警察を甘く見ない方がいいぞ」


 随分余裕そうな内笠にそう言うと、内笠はニヤッと笑って椅子から立ち上がり、俺の耳にヘッドホンを掛けた。そして、俺から離れて部屋を出て行く。

 内笠が部屋を出てしばらくしてから、耳に掛けられたヘッドホンから電話の呼び出し音が聞こえる。


『もしもし、凡人!? 今どこに居るの?』

『凛恋、心配しないで』

「凛恋ッ! くっそッ! 内笠ァッ!」


 ヘッドホンから聞こえるのは、凛恋の声と不自然な俺の声。俺の声の方は、内笠が発しているものだ。俺は、凛恋と内笠の電話の音声を聞かされている。

『あなた、内笠でしょ! 凡人を返して!』

『凛恋、凡人は俺だよ』

『ふざけないで!』


 不自然な声だからすぐに偽物だとバレる。いや、内笠は偽物だとバレても良いのだ。凛恋に、俺が今内笠の手の中にあると思わせれば良い。


『今から出て来れる? 俺に会いたくない?』

「ダメだッ! 内笠に従うなッ!」


 俺は内笠が出て行ったドアに向かって叫ぶ。声が届くとは思えないが、それでも叫ばずにはいられなかった。

 俺はヘッドホンから会話を聞いて驚いたが、ため息を吐きながら安心する。狙われていると分かってるのだから、警察が凛恋達を放っておくわけがない。だから、警察が付いてくれているに決まっている。


『無駄よ。警察が絶対にあんたを捕まえる』

『じゃあ、俺は死ぬしかないな。俺は凛恋達を呼び出す餌でしかないんだから、使えないなら処分されるしかない』

『ちょっと待って! 凡人の声を聞かせて!』

『俺の声は聞こえてるだろ? 愛してるよ、凛恋』

『凡人の声を使ってるだけでしょ! 凡人に何かあったら――』


 そこで電話が切れた。俺の電話から電話したなら、GPSで位置が分かるはずだ。ただ、GPSを使って俺の行動を監視していた内笠が、同じ手で尻尾を掴ませるとも思えない。だから、GPSから俺にたどり着けるのは難しいのかも知れない。


 戻って来た内笠は、俺の目の前にひび割れたスマートフォンを落とす。そのスマートフォンは、俺のスマートフォンだった。


「発信元を偽装することくらい簡単だよ。だから、多分今頃GPSが反応しなくて警察も困ってるんじゃないかな?」

「コンピューターってそういうことも出来るのか」


 やっぱり、内笠もそこまで馬鹿じゃなかったらしい。ということは、もうしばらく俺はこのままらしい。


「まさか、メールで通報されるとは思わなかったよ。でも、石川くんを使っておいて良かった」

「なんで俺が石川と仲が悪いって知ってる?」

「修学旅行で多野くんが石川くんに突き落とされたことはニュースになったからね。そこから、石川くんを特定した。それで、色々と石川くんが知られたくないことを調べて、それをネタに管理したんだ」

「また管理か。二年前から変わってないな。管理が好きなら、マンションの管理人にでも――」


 内笠は、俺の頬を平手打ちして見下ろす。それを見返すために俺は顔を上げる。


「良いのか? 八戸さんが傷付くことになるぞ?」

「させない。それに、警察が居る以上、お前じゃどうやっても無理だ。凛恋に指一本触れられない」


 それに内笠は歯を食いしばって俺を睨み返す。言い返すことが出来ないところを見ると、警察を出し抜く手は考えていなかったらしい。


「本当は、もう多野くんはこの世に居なかったのにね」

「勝手に人を殺さないでくれるか?」

「あの駅のホームで、多野くんは萌夏と真弥達の目の前で身を投げるはずだったんだ。それが、多野くんが余計なことをするから予定が狂った」

「それで、俺を拉致して萌夏さん達を呼び出そうとしたけど、警察が居て呼び出せない。でも、その警察を出し抜く方法は思い付いていない。だから、身動き取れない俺を踏み付けたり平手打ちしたりしてストレス解消か」

「すぐに別の方法を考えるさ」


 俺の言葉に余裕を見せるためか、内笠は笑顔を浮かべて答える。しかし、俺はその内笠の行動が虚栄だと分かる。

 一〇数人で警察とやり合うなんて無駄だ。ズルズルと時間が経つに連れて、内笠達の不利はどんどん加速していく。逃げるんだったらすぐに逃げた方がまだ逃げられる可能性が高かった。そもそも、俺なんかを拉致してる暇さえもなかったのだ。だから、俺を拉致してこの場に留まっていることは、明らかに内笠達の悪手だ。


 俺は前に座る内笠から目を離して、改めて自分の状況を見る。だが、何度見ても丁寧に拘束されている自分しか見えない。

 これが刑事ドラマや探偵小説の主人公なら、自力で拘束を抜け出すことが出来るのだろう。しかし、残念ながら俺はただの大学生だ。


「京」

「なん――」


 笑顔で振り返った内笠は、体の動きを止めて固まる。


「何の真似ですか?」


 内笠は仲間の男からナイフを向けられている。そのナイフを向けた男に内笠が尋ねる。


「死にたくなかったら大人しくしてろよ。おい、こいつを縛り上げろ」


 ナイフを持った男がそう指示すると、男の仲間達が内笠を椅子の上にロープで拘束する。ただ、俺のように厳重さはない。


「話が違うぞ! 協力してやったら僕の言うことを聞くはずだろ!」

「あんまり社会を舐めるなよ、坊主。最初っからお前なんて信じてなかった。俺達をクズだって馬鹿にしてんのは知ってたんだ。だから、お前のここだけ使わせてもらった」


 男は自分の頭を指さしながら内笠に言う。

 突然、内笠達の仲間割れが始まった。いや、男の口振りからすると、内笠は仲間だとも思われていなかったらしい。


「あの、俺は帰してくれませんか?」


 俺と同じように椅子に縛り上げられる内笠から、リーダー格の男に視線を向けて俺はそう尋ねてみる。しかし、男は内笠に向けたのと同じ冷たい目を俺に向けた。


「俺らの顔を見てるお前をこのまま帰すわけがないだろ」


 当然の言葉を返されて、俺は小さくため息を吐いて床を見る。俺の方は、顔を見たくて見たわけじゃない。勝手に連れて来られて見せられたのだ。それなのに、顔を見たから帰せないとは理不尽な話だ。


「準備してすぐに出るぞ」

「「「分かった」」」


 内笠以外の全員が返事をして、金以外の物を置いてそのまま出て行く。それを見送った俺は、目の前で拘束されている内笠を見た。内笠は、悔しさを滲ませた表情で床を睨み付けていた。

 外から遠い音で車が急発進する音が聞こえる。男達が乗った車が走り去った音だろう。


「内笠、ここはどこだ?」


 残された俺は、俺と一緒に置き去りにされた内笠に尋ねる。すると、内笠は俺には視線を向けず、床に視線を落としたまま口を開いた。


「廃コンテナの中だ」


 それを聞いて、窓がなく長方形の鉄板で出来た部屋という不自然な空間に納得した。しかし、コンテナの中だと分かったら、早く出なくてはいけない。


 夏場のコンテナ内の温度は七〇度から八〇度になると言われている。それは晴天の日に直射日光を当てられたコンテナ内の温度だが、多少条件が良かったとしても昼間になったら、中の温度が人が生きられる温度ではなくなるのは変わらない。今が何時かは分からないが、中の温度が上がる前に外へ出ないとまずい。


「何をする気だ」

「ここから出るに決まってるだろ。日が昇って温度が高くなったら死ぬ」

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