【一四六《再熱》】:二

 次の日の昼。俺は空から照り付ける太陽を睨み付けて、手に持ったラケットで顔を隠してみる。しかし、格子状に張られたガットでは日よけの効果はほとんどない。

 仕方なく、うちわ代わりに振ってみるが、微妙な風が吹くだけだった。


「凡人、ラケットじゃ日よけにもうちわにもならないわよ」


 クスクス笑う凛恋が左隣に座ると、右隣には小さく息を吐いた希さんが座る。


「疲れたぁ~……」


 希さんはラケットを膝の上に置いて、ベンチに座ってため息を吐く。


「凛恋、希さん、水分補給」

「ありがとー凡人」

「凡人くん、ありがとう」


 二人にペットボトルのスポーツドリンクを差し出して俺は正面を見る。

 正面にあるコートでは、瀬尾さんと稲築さんがラリーをしていた。

 不慣れな稲築さんに合わせているのか、瀬尾さんはゆったりとした動きで軽くボールを打っている。


 俺もラケットを持たされて最初の方にやらされたが、体力が保たずに早々に断念した。高三の夏に行ったキャンプの時ほどではないが、照り付ける太陽はそれだけでも体力を奪うのに、その太陽の下で運動をすれば、なおさら疲れるに決まっている。


「危な――」

「ぐふぁ!」


 男の人の叫び声が聞こえたと思ったら、俺は額に衝撃を受けて、頭を後ろに反らされる。


「凡人!?」「凡人くん!?」


 両隣から凛恋と希さんの驚いた声が聞こえると、人が走って来る足音が聞こえた。


「ごめんなさい!」


 目の前には男女数人が立っていて、そのうちの一人が俺に頭を下げた。


「打ち損じたボールがこっちに飛んでいってしまって」


 オロオロと焦った様子で謝る男性が、俺ではなく凛恋の方を見て目を見開く。


「君……八戸凛恋さん?」

「えっ? あっ、はい」

「俺、刻雨高校だったんですよ! 丁度、八戸さんが一年生の頃に三年だったんです! 西和也(にしかずや)って言います!」

「えっあっ……」


 凛恋は俺の袖を掴んで困ったように声を出す。

 話し掛けてきた西さんは、かなり興奮した様子で話している。それは、高校の後輩を見付けたからなのは分かるが、凛恋にとっては恐怖でしかない。


「西さん、すみません。凛恋は男性が苦手で」

「えっ? 凛恋……君、八戸さんの?」

「はい。彼氏の多野凡人です」


 立ち上がって頭を下げると、西さんの後ろに居た別の男性が腕を組んで西さんの肩に手を置いて地面に向かって押し下げ、西さんと一緒に俺に頭を下げた。


「俺の友達がすみませんでした」

「い、いえ」

「それで、君達は西の後輩?」

「俺は直接面識はないですけど……」


 西さんの友達に尋ねられ、答えながら凛恋と希さんを見る。すると、二人共、俺に首を振った。どうやら二人共、西さんのことは知らないらしい。


「いや、俺が一方的に知ってるだけだから、八戸さん達は俺のことは知らないよ」


 西さんは友達にそう言って笑顔を浮かべた。


「凛恋、この人達は?」


 テニスをしていた瀬尾さんが稲築さんを連れて戻って来て、西さん達を見て首を傾げた。


「西さんの打ち損じたボールが凡人に当たって、それを謝りに来てくれたの」

「お友達にご迷惑をお掛けしてすみませんでした」


 西さんは瀬尾さんと稲築さんに頭を下げる。すると、さっきの西さんの友達が瀬尾と稲築さんを見てニコニコっと明るい笑顔を浮かべる。


「せっかくだから一緒にやろうぜ! 中武(なかたけ)、西の後輩君の手当ては頼んだ」

「分かった。はーい、お姉さんに見せてみて」


 プラスティックケースの救急箱を持って来た女性が俺の前に座り、手を俺の額に伸ばそうとする。すると、凛恋が立ち上がってその女性に声を掛けた。


「あ、あの! 道具だけ貸してください! 手当ては、私がやります」

「じゃあよろしくね」


 凛恋に声を掛けられた女性はニコッと笑って、笑顔のまま凛恋に救急箱を差し出す。


「私は中武万里(なかたけまんり)。西が迷惑掛けてごめんね」

「いえ、大丈夫です」


 凛恋が救急箱から消毒液でボールを受けた場所を消毒して絆創膏を貼ってくれた。


「ありがとう凛恋」

「ううん。救急箱、ありがとうございました」


 凛恋が救急箱を返すと、中武さんは振り返って、テニスをしている瀬尾さん達を見る。ただ、俺達の方で混ざっているのは瀬尾さんだけだ。


「あのお調子者は百田武(ももたたけし)。悪いやつではないから、警戒しないでやって」

「はあ」

「それにしても、西のボールを受けるなんて災難ね。そもそも明後日の方向に飛ばす西も西なんだけど……」

「あの、中武さん達はどこかのサークルなんですか?」


 希さんが尋ねると、中武さんは明るい笑顔を浮かべて頷く。


「そう。私達は平成文化大学の硬式テニスサークル。まあ、少人数で気軽にテニスして、その後飲みに行く会。みたいなもの。君達は?」

「私達は大学のサークルではなくて、友達同士で来てたんです」

「そうなんだ」


 そう言った中武さんは、テニスコートを見て笑いながら声を上げる。


「百田! 情けないわねー! 女の子に随分やられてるじゃない!」

「うるさい! 瀬尾ちゃんが上手いんだよ! おわっ!」


 百田さんが不格好なフォームでボールを打ち返すのを見て、脇で見ていたみんなは小さく笑った。




 テニスが終わった後、俺達はなぜか西さん達と一緒に焼き肉屋に来ていた。


「未成年が居るんだから、今日は酒禁止!」

「「「りょうかーい」」」

「中武、そりゃな――」

「百田は飲み物無しね」

「よーし。俺は健全にオレンジジュースでも飲もうかなー」


 中武さんに口答えしようとした百田さんは、中武さんに睨まれて身を縮まらせる。


「西がボール当てたお詫びに食べて食べて」

「いただきます」


 連れてきてくれた焼き肉屋は庶民的な雰囲気で、値段も安い店だった。だが、当然遠慮しなかったわけではない。しかし、主に瀬尾さんが百田さんと打ち解けてしまい、ほとんど瀬尾さんの意向で連れて来られたに近い。


「でも、塔成大と旺峰大なんてびっくりしたわ」

「そんな驚かれるようなことじゃ……」

「赤城さんは旺峰大の法学部でしょ? 驚かれるし誇って良いわよ。あっちのバカに爪の垢を煎じて……それはセクハラになるか」

「中武、肉の追加を――」

「自分で頼め」

「すみませーん。カルビ二人前追加でー」


 どうやら、西さんのサークルを仕切っているのは中武さんのようで、百田さんは一切中武さんに勝てていない。でも、みんな仲が良さそうに見える。


「で? 西はなんで八戸さんは分かったのに赤城さんと多野くんは分からなかったのよ」

「俺は一年の終わりに編入したんで、西さんとは入れ替わりに近いので、面識は無くて当然だと思います」

「そうなんだ。でも、赤城さんは一年の頃から居たんでしょ?」


 俺の補足を聞いてから中武さんが改めて尋ねると、西さんは苦笑いを浮かべる。


「赤城希さんって名前を聞いたらすぐ思い出したよ。一年にとんでもなく頭が良い子が入ったって話題になってたから」

「で? 八戸さんはなんで一発で分かったのよ」

「それは……」

「なるほどね。高校の頃、好きだったんだー」


 口籠もった西さんを見た中武さんのからかうような言葉を西さんへ向ける。それに、西さんはビクッと体を跳ね上げて俯いた。


「図星? あーでも残念だったわねー。八戸さんは多野くんの彼女よー」

「昔の話だよ」

「あっ、認めた認めた! 西の恋バナとか珍しいじゃんよー。ほれほれ、話してみー」


 酒を飲んでいないのに悪ノリしている中武さんは、西さんの隣に行って話を掘り下げようとする。藪蛇(やぶへび)になる予感しかしない。


「入学した頃に見掛けて可愛いなって思ったんだよ。今とは随分イメージが違ったけど」

「ほうほう。それで、ヘタレの西は何も出来なかったと」

「うるさい」


 西さんはムッとしながら箸で鉄板の上に載った肉を取る。

 俺はその西さんと中武さんを見ながら、隣に座る凛恋の手を引っ張って握る。すると、凛恋がニコッと笑って俺の手を握り返した。


「瀬尾ちゃん、今度またテニスやろうぜ」

「良いですよー」


 瀬尾さんと百田さんは楽しそうに話しているが、瀬尾さんの隣に座る稲築さんからは不機嫌なオーラを感じる。

 ただまあ、不機嫌でもついて来ていることを考えれば、それなりに社交性はあるのだろう。


「じゃあ、次は八戸さんと多野くんの恋バナねー。ズバリ、二人の出会いは?」

「高一の時に他校の男子とカラオケに行って。その時に、私が凡人に一目惚れしました」

「一目惚れ? 良いわねー。多野くん凄く優しそうだしねー」


 凛恋が少し頬を赤くしながら言うと、中武さんが微笑ましそうに笑う。


「優しいし気が遣えて頼りになる最高の彼氏です」

「おー。西じゃ勝ち目ないわねー。西って優しさは人並みにあるけど気が遣えないし全然男として頼りないし」

「うるさい」


 また中武さんに絡まれる西さんは、ため息を吐きながら飲み物を飲む。

 俺はそんな会話を聞き終えて、鉄板の上から焼けた肉を箸で取って、タレに漬けて口へ運ぶ。


 正直、来なければ良かったと思う。それは、西さんが凛恋を好きだったと聞いたからだ。いや……多分、西さんは凛恋がまだ好きだ。いや、それも違う。


 西さんは、また凛恋を好きになった。


 確たる証拠があるわけじゃない。ただ、勘としか言いようがない。でも、きっとそうだ。

 高校の頃に好きだった人と偶然の再会。それで冷めた恋の熱が上がっても仕方がない。


「瀬尾ちゃん、連絡先教えてよ。次の時、誘いたいからさー」

「良いですよ」


 西さんは、連絡先を交換する百田さんと瀬尾さんを見る。そして、さり気なくポケットからスマートフォンを取り出し、凛恋の方を見た。


「ッ!?」


 凛恋の方を見ようとした西さんは、俺と目が合って慌ててスマートフォンをポケットに仕舞う。やっぱり、完全に黒だ。


「凡人、大丈夫だって。私、凡人以外の人に連絡先なんて教える気ないから」


 隣から凛恋が小声で話す。


「凛恋のことは信じてる」


 凛恋の手を握り返しながら答える。でも、それでもやっぱり、来なければ良かったと思った。




 焼き肉屋で解散して、希さんを送ってから、俺と凛恋は箕蔓駅にたどり着く。そして、家に行こうと歩き出した凛恋の手を引っ張って別の方向へ歩き出す。


「凡人?」

「凛恋、ホテル行こう」

「うん」


 凛恋は小さくはにかんでから頷く。そして、さり気なく俺の腕を抱いた。

 凛恋と初めて入ったラブホテルと同じラブホテルに入る。でも今回は、部屋を一番高い部屋にした。


 部屋に入ってドアが閉まり、電子ロックが掛かるのを確認すると、俺は凛恋の体を後ろから抱き締めた。


「西さんに嫉妬してるの?」

「してる」

「私は凡人のなんだから、心配しなくても良いのに」


 凛恋が俺の手に自分の手を重ねながら、優しい声を掛けてくれる。

 俺がゆっくりと手を解くと、凛恋が振り返って俺の手を引っ張りベッドの上に押し倒す。


「凛恋?」

「焼き肉食べながら、ちょっとイライラしてたの」

「イライラ?」

「ご飯を奢ってもらったのはありがたかったけど、予定が狂ったし」

「予定?」


 俺は凛恋に覆い被されたまま首を傾げる。特にテニスの後に予定なんてなかったはずだ。


「早めに帰って、晩御飯食べたら、すぐに凡人とラブラブしようと思ってたの」


 凛恋は俺のシャツをまくり上げて脱がすと、上から覆い被さってキスをする。


「中武さんのおっぱい見てた?」

「見てない」

「結構大きかったのよ? 凡人、おっぱい触るの好きじゃん。だから見てたと思ってた」

「失礼だな。俺は誰の胸でもいいわけじゃないぞ。凛恋の胸じゃな……いと……」


 俺の腰に乗って馬乗りになっている凛恋は、着ていたシャツを脱ぎ捨てて、下に着ていたキャミソールも脱ぐ。そして、上半身は水色のブラだけになる。


「それと、私の大切な凡人に怪我させた人なんかに絶対になびかないから!」


 上半身ブラ一枚の凛恋は、俺に右手の人さし指でビシッと指さす。そして、ゆっくり体を倒して俺の体を優しく抱き締めた。


「だから、私が凡人を癒やしてあげる」


 そう言って、凛恋は上からゆっくりと唇を重ねる。


「キャッ!」


 キスが一段落すると、俺は凛恋をベッドの中央に引っ張り込んで、今度は俺が上から覆い被さる。


「凛恋……」

「凡人……」

「脱がすの早くないか?」


 俺は視線を下げて、俺のジーンズのボタンを外した凛恋に言う。すると、凛恋は唇を尖らせる。


「凡人の意地悪」

「意地悪はしてないだろ?」

「だって、今焦らしたし」


 不満げに言った凛恋は俺のジーンズをゆっくりと下ろしながら、ニコッと笑った。


「意地悪な凡人には罰として、ペケ一つ……やっぱ三つ!」

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