【一四六《再熱》】:一
【再熱】
お菓子の品出しを終えてバックヤードに戻り、俺はダンボールを外に捨てに行く。
『多野』
「はい? 何かありましたか?」
一人一人与えられたインカムに接続したイヤホンから、店長の声が聞こえる。
正直、店長からの指示が良いことだったためしがない。でも、返事をしなければチクチククドクド言われるのは分かりきっている。
『レジ部門に休みが出た。レジに入れ』
その店長の指示に俺は一瞬躊躇ったが、俺は声色に感情が出ないように気を付けながら返事をする。
「……一度もレジに入ったことがないので、どなたかに教えてもらわないと――」
『うだうだ言わずに入らんかッ!』
思わず耳に付けたイヤホンを外して顔をしかめる。他の人に聞こえないからと言って、全く横暴な話だ。希さんにはいつもニコニコ話してるくせに。
レジのやり方なんて全く知らないのだから、誰かに教えてもらわなければ分かるはずがない。
その状況でうだうだ言わずに入れとは、あまりにもおかしな言葉過ぎて何を考えているのか想像する気さえも起きない。
仕方なく、俺はインカムをレジ部門のチャンネルに切り替える。
「グロッサリーの多野凡人です。店長からの指示でレジの応援に行きます。どなたかレジ打ちを教えて下さる方はいらっしゃいますか?」
『ありがとう多野くん、三番に来て』
「はい。今すぐ行きます」
俺はレジ部門からの返事を聞いて、グロッサリーのチャンネルに切り替えて話す。
「店長指示でレジ打ち応援に行きます。お菓子とジュースの品出しは終わりました」
『『『了解』』』
グロッサリー部門の人達の声が聞こえて、俺は指示を受けた三番レジまで走らないように早歩きで向かう。
本当は、採用の時にレジ打ちは仕事内容に入っていなかったのだが、それを店長に行ったところでうだうだ文句を言われるだけだ。
レジ部門の人達にはお菓子を貰うこともあるし、いつもお世話になっている恩返しが出来る良い機会だ。俺はそう思って、店長に対する不満を心の中から追い出した。
「よろしくお願いします」
「ありがとう、多野くん」
三番レジに居たパートさんに、レジ打ちの基本的なやり方を教えてもらう。すると、パートさんは慌てた様子で空いている別のレジに入って行った。
もう、一人でやらされるのかと思うが、人が足りないのだから当たり前ではある。
「いらっしゃいませ」
丁度、夕方ということもあって買い物客が多い。この時間帯に休みが出るのは痛い。しかし、まあ仕方ないとも言える。
レジ部門は主婦の人が多い。そして、当然子供が居る人ばかりだ。それこそ、前に緊急で休まなければいけなくなった保谷(ほや)さんみたいに、子供関連で突発的な休みの必要性が出てくる。
本当なら休みが出ない方が良いのだが、やむにやまれぬ事情というのもある。まだ、連絡があるだけマシだ。
「失礼ですが、紙おむつは大人用でお間違いなかったでしょうか?」
「えっ? 大人用? あっ! すみません間違いです!」
赤ちゃん用カートで入って来た女性がカウンターに置いた商品を見て尋ねると、慌てた様子でカートを押して戻っていく。
「いらっしゃいませ」
赤ちゃん連れの女性が戻って行き、次の男性に変わるとニッコリと微笑む。
「気が利くね」
「お節介かと思ったのですが、もし間違えていたらお客様が困ってしまうと思いまして」
商品をレジに通しながら笑顔で話すと、男性はニコッと笑う。
俺はその後も、教えられた通りにレジをこなす。女性のお客さんに毎回「背が高いね」と言われるのには困ったが、後は特に特殊な処理が必要なこともなかったから、大きなトラブルもなかった。
ただ、気になることと言えば、俺の正面にあるレジに大行列が出来ていることだ。ただ、そこのお客さんのさばきが遅いわけじゃない。
「ありがとうございました。いらっしゃいませ」
大行列を作っているレジで、会計を終えたお客さんを見送った希さんが次のお客さんを出迎える。
希さんのレジに並んでいるのは、制服を着た男子高校生や背広を着た会社帰りの男性。それから、しわくちゃの顔で笑顔を浮かべている老年男性。つまりは……男ばかりだ。
いや、仕方ないとは思うんだ。男の俺よりも女の子の希さんに会計をしてもらった方が気持ちが良いに決まっている。だが、それにしても希さんに殺到し過ぎだ。
「多野くん、赤城さんを手伝ってあげて」
「小竹さん、品出しは?」
「落ち着いたから大丈夫」
「分かりました」
俺は駆け付けてくれた小竹さんと入れ替わり、希さんのレジに入る。
「希さん、手伝う」
「凡人くん、ありがとう」
流石に自分のところに大行列が出来て焦っているのか、希さんは慌てた様子で俺に頭を下げる。
「希さん、キャッシーをお願い。俺はチェッカーをやるから」
「うん!」
俺は希さんの返事を聞いて、並んでるお客さんの商品のバーコードを読み取らせる。
キャッシーはお客さんとお金の受け渡しをする人で、チェッカーは商品のバーコードをレジの機械に読み取らせる人のことを指す。本来なら、一人でどっちもやるのだが、二人で入る時はそれぞれ役割分担をすることになる。
レジ歴なんて数分だからどっちが大変かは分からないが、男性のお客さん達も、男の俺にお釣りを手渡されるよりも、女の子の希さんに手渡される方が嬉しいだろう。
希さんのレジに並ぶ男性のお客さん達は、主婦ばかりの女性のお客さんよりも買う商品の数が少ない。だから、人数の割には、一人に掛かる時間は短い。
二人で分担してやってひたすら流し続け、気が付けばレジに並んでいたお客さんが一人も居なくなった。
「はぁ~凡人くんありがとう」
「大丈夫大丈夫」
希さんに声を掛けると、希さんは疲れの見える笑顔を浮かべる。俺が応援に入るまで一人でさばいていたのだから疲れて当然だ。
「多野くん、赤城さん。二人共上がりの時間でしょ? お客さんも落ち着いたし大丈夫だよ。お疲れ様」
「はい! お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
社員さんに言われて希さんと一緒にレジを離れてバックヤードに入ると、背広の男性とすれ違った。
「えっ!?」
すれ違った男性の顔を見て俺は驚く。さっき、俺がレジをやっていた時に、赤ちゃん連れの女性の後ろに並んでいた男性客だったのだ。
「初めまして。この店舗を担当してる上東(うえひがし)と言います」
「初めまして。グロッサリー部門でアルバイトをしている多野凡人です」
差し出された名刺を受け取ると、そこには『エリアマネージャー』という肩書きが書いてあった。
「レジ専門じゃないんだね。今後とも頑張ってくれると助かります」
「は、はい」
「君は赤城希さんだね。良い笑顔で接客をしてくれてありがとうございます。今後とも頑張って下さい」
「は、はい」
希さんの名札を見た上東さんがそう言って、バックヤードを出て行く。
「エリアマネージャーだったのか……」
初めてレジをやった日にエリアマネージャーが来るなんて、運が良いのか悪いのか分からない。
俺は希さんと一緒に事務所に入ると、ノートパソコンとにらめっこしている店長が振り返る。そして、俺ではなく希さんに笑顔を向けた。
「赤城さん、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
俺は軽く頭を下げながら、タイムカードを押してロッカーを開けて荷物を取り、スーパーのロゴが入ったエプロンを仕舞う。
「凡人くん、置いていくなんて酷いよ」
店長が出て行った後、隣に並んだ希さんが俺に目を細める。
「俺が居たら店長の機嫌が悪くなるぞ? そうなると余計早く帰られなくなる。それで? 何か言われた?」
「エリアマネージャーさんが褒めてたって。それで、頑張ってくれてるからご飯をご馳走するって」
「で? 行くの?」
「行かないよ。もう何度も断ってるんだけどなぁ~……」
希さんが大きなため息を吐きながら、辟易とした表情をする。
「アルバイト変えた方が良いんじゃないか? 希さん、シフト入る度に言われてるんだろ?」
店長は、完全に希さんにターゲットを向けたようで、プライベートでの繋がりを持とうとしている。
俺も店長が希さんに関わらないように止めたいが、希さんは覚えが早くて俺は遅かったみたいな話を延々と聞かされて、余計早く帰られなくなる。だから、店長に誘われた場合は希さんにきっぱり断ってもらうしかない。
「でも、店長以外はみんな良い人だから」
希さんが小さくはにかむ。まあ、希さんの言う通り、店長以外は本当に良い人達ばかりなのだ。逆に、これだけ良い人が集まっている中に、なんで店長のような人が居るのか分からない。
「今日もお世話になります」
「いや、ご飯作るのは希さんと凛恋だからな。俺は座って待ってるだけだし」
わざとらしく俺に頭を下げた希さんに、俺は笑顔で首を振りながら言う。今日は、希さんがうちで夕飯を食べる日だ。
「でも、凛恋とラブラブする時間無くなっちゃうでしょ?」
「いつもラブラブしてるから、多少削れても大丈夫だ」
「羨ましい」
栄次と遠距離恋愛中の希さんとそういう冗談を言うのを、俺は最初は躊躇っていた。でも、希さんから積極的に振ってくるから、俺もそれに応える。
きっと、希さんの気にするなというアピールなのだろう。
「はぁ~……明日憂鬱だな~」
「希さんは俺よりも得意だろ? 無難にやるのは」
希さんの大きなため息を聞きながら、俺は笑顔を浮かべる。
明日は、瀬尾さんと稲築さんと一緒にテニスをする日だ。それに、当然凛恋の親友である希さんはお呼ばれしている。そして、邪魔だと知りながら俺もついて行く。
凛恋達だけでテニスをさせるのは不安だ。だから、俺は見ているだけだがついて行くことにした。主催の瀬尾さんも、良くないテニスサークルに巻き込まれた件があるからか、俺の参加を許可してくれた。
稲築さんの方は来てもいいと思っているか分からないが。
「凛恋から聞いたけど、稲築さんは小中高が女子校だったんだって。だから、男子が苦手みたい」
「だろうな。俺に向ける目は怖いし」
「でも、私に向ける目も怖いよ?」
「希さん、見た目も中身も無害なんだけどな」
「私も、害を与えてるつもりはないんだけど……」
希さんが大きなため息を吐く。
俺は、凛恋の大学の友達である稲築飛鳥さんに嫌われている。直接、嫌いだと言われたわけではないが、態度から俺に対する嫌悪をひしひしと感じるのだ。
ただ、それは希さんも同じらしい。
男が苦手なら、男の俺を嫌うのは理解出来る。しかし、希さんも同じというのが理解出来ない。
「凡人くんの言う通り無難にやる」
「まあ、それが良いだろうな」
希さんの方は仲良くなりたいのかは分からないが、稲築さんの方がシャットアウトしているならどうしようもない。
二人でスーパーを出ると、希さんがスマートフォンを取り出して電話を掛け始める。
「凛恋ー? 今終わったよー。うん、凡人くんに替わるね。はい、凡人くん」
「ありがとう」
希さんからスマートフォンを受け取って耳を傾けると、凛恋が「チュッ」とスマートフォンの向こう側で唇を鳴らす音が聞こえる。
『お疲れ様。希と一緒だとおかえりなさいのチュー出来ないから今しとくね』
「ありがとう」
『明日はテニスだから、エネルギーを付けるために、今日はお肉です!』
「やったー! 何肉?」
『ハンバーグだから、合い挽き肉』
「ハンバーグかー。楽しみだなぁー」
『待ってるから、早く帰って来てね』
「はーい」
電話を切って希さんに返すと、希さんはニコッと笑ってスマートフォンを仕舞う。
「さて、凛恋も待ってるし早く帰ろうか」
「そうだね。凛恋のご飯美味しいから、私も楽しみ」
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