【一四一《好きにさせた責任》】:二

 朝から街を歩き回って、夕飯は露木先生が奢ってくれて、その夕飯が終わった流れで、俺達はカラオケに来た。

 明け方までのフリータイムで入り、出だしはみんなハイテンションで歌い始めた。そして、今は日をまたいだ二時。ハイテンションで盛り上がっていた女子陣のほとんどがソファーの上でスヤスヤと眠っていた。


「凡人くんは目が強いね」

「いや、俺はあまり歌ってないからだと思う」


 凛恋、希さん、萌夏さん、里奈さん、露木先生が寝てしまい、俺の近くでは栄次と瀬名まで寝てしまっている。そして、向かい側では俺以外に唯一起きている理緒さんがみんなを見てクスクスと笑っていた。


「みんな最初から飛ばしてたから、疲れても仕方ないよね」

「理緒さんもそこそこ歌ってたのに、全然疲れてないな」

「私は慣れちゃったかな。大学でしょっちゅう、朝までカラオケに行ってるから」

「理緒さんって歌うの好きだったっけ?」

「ううん。大学の友達の付き合い。他の大学の男の子と合コンだーってしょっちゅう連れて行かれるの」

「そっか。良い人は見付かった?」


 俺が何気なくそう尋ねると、理緒さんは乾いた笑いを浮かべて首を振る。


「ううん。告白されても全部断ってる」

「そうか」

「みーんな、結局目的が同じで、見え見えだから」


 理緒さんが遊びに行く男達がどんな人達かは分からないが、理緒さんくらい可愛い人が居たら目を付けられるのは当然だろう。その中に、邪な考えを持った男が一人や二人居ても当然なのかもしれない。


「そう言えば本蔵さん、塔成まで追い掛けてきたんだって?」


 ジュースを一口飲んだ理緒さんにその話題を振られる。俺はその話題に苦笑いを浮かべた。


「結構困った。凛恋が変に意識しちゃって」

「意識しない方が無理だと思うよ。高校時代に自分の彼氏を好きだった女子が、大学まで彼氏を追い掛けて来るんだもん。普通は怖いって思うと思うよ?」

「それなんだけど、俺は怖いとかよりも、どうしてそこまでして俺なんだろうって思うんだよなー」


 俺は、氷が溶けてだいぶ薄くなったアイスコーヒーをストローで掻き混ぜながらぼやく。


「それくらい。凡人くんが魅力的ってことだよ。私も、凡人くんのことは忘れられないと思うし」


 その理緒さんの言葉を聞いて、男からの告白を断るのは俺のせいか聞こうとした。でもすぐに止める。そんなこと聞くべきじゃない。


 仮に理緒さんが、まだ俺のことを好きで居てくれて、それで男からの告白を断り続けているとしても、俺にはどうすることも出来ない。凛恋が居る以上、俺は理緒さんの気持ちには応えない。だから、聞いても無闇に理緒さんを傷付けるだけだ。


「こうして改めて凡人くんを見ると、やっぱり他の人って全然男として魅力がないって思う。凡人くんはやっぱり――ううん、改めて思わなくても凄く見た目も内面も格好良いから」

「ごめん」


 理緒さんの言葉に、俺はただそうやって謝ることしか出来ない。


「ううん。私が勝手に好きで居続けてるだけだから。それは、萌夏も同じみたいだよ?」

「…………」


 俺は理緒さんと一緒に、ソファーの上で寝ている萌夏さんへ視線を向ける。


「私、よく萌夏と電話するの。お互いに、凡人くんに告白して玉砕した同士だし」


 萌夏さんを見ながら、理緒さんはクスッと小さく笑う。その笑顔に寂しさや辛さは見えなかった。


「萌夏も向こうで、同じ専門学校の男の子に告白されたんだって。でも"好きな人が居るから"って言って断ってるらしい」


 そう言った理緒さんは、俺を見てニコッと微笑む。


「私、意地悪だからちょっと凡人くんに意地悪したくなっちゃう。ごめんね」

「結構、ジワジワと精神的に来る意地悪だな」

「凡人くんは何にも悪くないんだけどね。でも、私はちょっと思っちゃうな。こんなに人を好きにさせたんだから、ちょっとはその責任を持ってほしいなーって」


 悪戯っぽくニヤニヤ笑う理緒さんはそう言う。


 人を好きにさせた責任なんて聞いたことはない。でも、それはもしかしたら本当に存在するものなのかもしれない。


「でも、本当に凡人くんは何も悪くないんだよ。結局、私がわがままなだけ。好きな人に振り向いてもらえないから、せめて私が好きだって思い続けてることくらいは、凡人くんの心の中に刻み付けたいって身勝手なことを思っちゃうだけ。そうしないと悔しいじゃない? 目の前で凛恋とラブラブな姿を見せられたら」


 俺はそれに何も答えられず、薄くなったコーヒーをストローで飲む。すると、すぐに中身が無くなってストローが音を立てる。


「理緒さん、飲み物入れて来る」

「ありがとう。アイスティーをお願い」

「分かった」


 俺は理緒さんの分のコップと自分の分のコップを持って部屋を出る。

 カラオケ店の廊下にあるドリンクサーバーから、理緒さんのコップを一度ゆすいでからアイスティーを入れる。その間に、俺は自分のコップにアイスコーヒーを入れる。


 コップをアイスコーヒーが満たすのを見ながら、俺は理緒さんが言った『人を好きにさせた責任』について考えていた。


 たとえば、既婚者が不倫目的で相手に気を持たせるような発言や行動をしていたら、その人には好きにさせた責任というものがあるのかもしれない。

 だって、絶対に相手の気持ちに応えられないと分かっていながら、相手が自分を好きになるようなことをしたのだ。だったら、その人は不誠実だし、責任はあると思う。


 ただ、俺はそんな人とは違う。


 まず、俺は気を持たせようなんて思ったことはない。それに、告白されればちゃんと断っている。

 自分自身を品行方正清廉潔白なんて言い切れないが、少なくとも俺が最初に考えた『好きにさせた責任がある人』ではないと思う。

 だが、だからと言って俺が全く悪くないのか。そう自分で自分に問い掛けても答えは出ない。


 無理矢理答えを出すなら『俺に責任がある』ということだ。

 それは、もし俺が俺自身には責任がないという答えを出すと、別の答えが同時に出てしまうからだ。


『責任があるのは、俺を好きになった理緒さんと萌夏さん』


 それは、理緒さんと萌夏さんを悪く言うような答えだ。そんな答えなんて出すくらいなら、自分に責任があった方がずっと楽だ。

 でも、自分に責任があると答えを出したら、また別の問題が出てくる。


 どうやったらその責任を取れるのか。


 その問題が出てきても、俺にはその問題を解決出来る答えはない。だから、ずっと答えを探して悩み続けるか、答えを出さずに問題から目を背け続けるしかない。

 だけど、目を背けるのはあまりにも不誠実なのではないかと思う。自分のことを好きになってくれた二人に、とても失礼なことをしているのではないかと思う。そう思うと、やっぱり俺にはずっと悩み続けるしかないのだと思う。


 ただ、悩み続けることが責任を取ることになるのかも分からない。

 結局、悩み続けるだけでは問題は解決せず、理緒さんも萌夏さんもすっきり出来ないままで居ることになる。


 いや、本当は分かっている。俺には何も出来ないのだ。


 俺には、二人が踏み出せるのを待つことしか出来ない。

 二人が俺のことを忘れて、新しく好きな人を作るまで待つことしか出来ないのだと分かっている。でも……"友達から忘れられるのを待つ"という言葉は、凄く胸に突き刺さった。


 友達に忘れられるのを待つなんて考えると、すぐに友達に忘れられるなんて嫌だと思ってしまう。

 俺にとって理緒さんも萌夏さんも大切な友達だ。凄く大切で、一生大切にして行きたい友達でもある。

 そんな大切な友達から忘れられるのを待つなんて、俺には耐えられる気がしない。


 俺はそこで思考を無理矢理途切れさせて、二つのコップを手でそれぞれ持って部屋まで戻る。


「凡人くん」

「理緒さん?」

「トレイ忘れてたから。コップ二つ持ってたらドアを開け辛いでしょ?」

「あっ……」


 廊下の途中で、部屋から出てきた理緒さんにそう言われ、俺は間抜けな声を出した。確かに、両手が塞がっていたらドアを開け辛い。


「俺も徹夜慣れしてないからボーッとしてた」


 笑っている理緒さんを見て気恥ずかしくなった俺はそう答える。すると、笑っていた理緒さんは、笑みを消して、表情を歪ませて憂いを帯びた表情に変える。そして、ゆっくりと背伸びをした。


 カラオケ店の廊下の真ん中。そこで、俺は右手にアイスコーヒーの入ったコップを、左手にアイスティーの入ったコップを持ちながら固まる。


 両手の塞がった俺は、俺の両肩に手を載せてつま先立ちする理緒さんに何もすることが出来なかった。

 理緒さんは、俺の目の前に顔を近付けて、鼻がぶつかるスレスレの距離で俺の顔を見ている。その理緒さんの目は穏やかに揺らめいていた。


 ただ顔を近付けた理緒さんは、つま先立ちを止めて俺の左手からコップを取って俺に背を向ける。


「私、どうしても凡人くん以外の人を好きになれない。やっぱり、凡人くんの上には何も重ねたくないんだ。優しくて真面目で格好良い凡人くんの上に他の誰も重ねたくない。たとえ、凄く真剣に私のことを好きになってくれる人だとしても、絶対に私はその人を真剣に好きになんてなれないしね」


 理緒さんはそう言って数歩歩き出すと、俺の方を振り返ってクスッと笑う。


「ダメだよ凡人くん。そういう隙だらけな顔をしてると、本蔵さんに付け込まれちゃうよ?」

「隙だらけって言われても……」


 俺は自分が隙を作っている気はない。それに、隙だらけの顔がどういう顔かさえも俺は分からない。


「去年の夏にも、恋は思案の外って言うから気を付けてねって言ったでしょ?」

「ああ」

「恋した女の子は怖いよ。特に手段を選ばない子だったらもっと大変。そう言う意味では、大学まで追い掛けちゃう本蔵さんは気を付けた方が良いと思う。何を考えてるかは分からないけど、少なくとも大学まで追い掛けるくらい凡人くんのことを好きだってことは分かるから」

「気を付けては居――」

「今、私がキスしようとしたら抵抗出来た?」

「そ、それは……」

「凡人くんは真面目だし女の武器使われても結構耐えられると思う。実際、私の武器は全然通用しなかったしね。でも、そういう目に遭わないように気を付けた方が良いのは間違いないよ。凡人くんは真面目だから、他の女の子とキスしたなんて、たとえそれが相手から無理矢理されたことでも、凛恋に申し訳ないって悩んじゃうから」


 理緒さんは優しく笑った後、悪戯っぽく口を歪ませて笑う。


「もし、その隙をわざと作ってるなら、相当な女たらしだね」

「作ってないって」

「じゃあ、ちゃんと気を付けてね」

「ありがとう」


 俺はそう言った理緒さんと一緒に部屋に戻る。すると、目を覚ましていた凛恋が俺を見てうるうるとした目を向ける。


「凡人、どこ行ってたのよ」

「コーヒー入れに」

「急に居なくなったらビックリするじゃん」

「凛恋が寝てる間に行っただけだろ」

「次から起こして」

「何で飲み物を入れに行くために寝てる凛恋を起こす必要があるんだよ」


 意味があるのかないのか分からない会話をしてから凛恋の隣に座ると、寝惚け眼の凛恋が腕を抱いてしがみつく。それを見ていた理緒さんがクスクスと笑った。


「理緒、笑わないでよ」

「ごめん。でも、その凛恋を見てたら大丈夫かなって思って」

「えっ? 何が?」


 理緒さんの言葉に、凛恋が目を丸くして首を傾げる。しかし、理緒さんはそれには答えず、クスクス笑いながらアイスティーに口を付けた。

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