【一三八《価値観の相違》】:二

 最寄り駅から徒歩で一〇分くらい歩いたところにあるスーパーマーケットにたどり着くと、俺は店内に入って近くに居た中年の女性従業員に話し掛ける。


「あの、本日アルバイトの面接を受けに来た多野凡人と言います」

「アルバイトの面接? じゃあ店長ですね。付いてきてください」


 朗らかな笑顔を浮かべる優しそうな女性従業員は、俺にそう言って歩き出す。

 女性従業員の後ろをついて行きながら、店内を見渡して様子を見てみる。

 広さは俺が地元でよく行っていたスーパーマーケットより広い。それに、内装は落ち着いているが高級感がある。


 精肉コーナーを横目に見ながら、壁にあった両開きのスイングドアを抜けてバックヤードに入る。すると、バックヤードにあった事務室に通された。


「店長。アルバイト面接の方が来てます」

「ありがとうございます。では、そこに座って下さい」

「失礼します」


 俺はそう言って、店長と呼ばれた小太りの中年男性の正面にあったパイプ椅子に腰掛ける。


「君、名前は?」

「多野凡人です」

「歳は?」

「一八です」

「週何回入れる?」

「大学生なので、平日に週三か四くらいでお願いしたいと思っています」

「分かった。じゃあ明日から来て」

「は、はあ」


 履歴書を持ってきていたが、それは全く求められず、簡単な質問をされて話が終わってしまった。

そんなに簡単に人を採用して良いのかと不安に思うが、ネットでグロッサリーの品出しについて調べた時に、そんなに小難しい仕事内容ではないことが分かっていた。だから、募集要項にそぐわない人でない限り誰でも良いのかもしれない。


 面接を終えた俺はスーパーマーケットを出て、スマートフォンで凛恋に電話を掛ける。


『もしもーし』

「凛恋、今面接が終わった。明日から来てくれって」

『ほんとに!? やったじゃん! おめでとう凡人!』

「ありがとう。でも、名前と歳と、それから週何回入れるかしか聞かれなかったんだよな」

「でもバイトが決まったのは変わらないじゃん! お祝いに今日はいつも以上に張り切って夕飯作るね!」

「良いよ、バイトが決まったくらいで張り切らなくても」


 結構緊張して行った割には、バイトの採用のされ方は拍子抜けだった。だから、凛恋が喜んでくれるのは嬉しいが、そこまで祝福してもらえるようなことじゃないと思う。


 とりあえず、採用はされても仕事を覚えて、出来るだけ早く一人立ち出来るようにならなければいけない。そんなに意気込むほど仕事量があるわけではないが、使えないと言われたくはないし、早く一人で仕事が出来るようになった方が俺も気楽だ。


『凡人、私この後、美鈴達と会う約束があるからちょっと出てくるね』

「ああ、気を付けて行ってこいよ」

『うん。じゃあね』

「ああ」


 凛恋と電話を切ってポケットにスマートフォンを戻そうとすると、スマートフォンに電話が掛かってきた。画面にはステラの名前が表示されていた。


「もしも――」

『凡人、会いたい』

「どうした? 何かあったのか?」

『凡人が居ない』

「そりゃ大学に進学して引っ越したからな」

『こっちから通えば良かった』

「無茶言うなよ、新幹線で二時間以上掛かるんだぞ」


 電話の向こうから聞こえるステラの声に、俺は口を緩めながら答える。相変わらず、ステラはマイペースだ。そのステラのマイペースさに俺はホッとして心が温かくなる。


『凡人と話したかった。凡人が居ないととても寂しい』

「ありがとうステラ。また、ゴールデンウィークにはそっちに戻るから、その時に会おうな」

『まだ一ヶ月以上も先』

「仕方がないだろ? ゴールデンウィークみたいな連休じゃないと帰る時間が無いんだから」

『…………待ってる』

「ありがとう」

『凡人の声が聞けて良かった。じゃあ』

「ああ、また――……もう切れてる」


 切れた電話を見ながら、俺は苦笑いを浮かべる。

 全く……自分の要件が終わったらすぐに切りやがって。でも、そう思っても嫌な気持ちにはならなかった。

 ステラのマイペースさに慣れたと言うのもあるが、ステラに全く悪気がないのが分かるからだ。きっと、電話を切ったのも寂しさが解消されて満足したからだ。その後があっさりしているのもステラらしい。


「おお! 多野ー」


 今度こそスマートフォンをポケットに仕舞うと、正面の離れた場所で手を振っている飾磨が居た。しかし、そこに居たのは飾磨だけではない。知らない女性が隣に立っている。

 飾磨はその女性に手を振った後、一人で俺の方に駆け寄って来た。


「なんだよ」

「友達が声掛けて来てるのになんだよとはなんだ!」


 相変わらずうるさい飾磨は、俺の周囲を見てニヤッと笑う。


「さては多野、暇だなー?」

「今から家に帰るところだ」

「なんだよ。それって暇ってことじゃないか!」

「はぁ~……男の俺よりさっきの女の人と遊んでれば良かったんじゃないか?」

「ああ、あの人はこの後予定があるから」

「そうか。あの人ってことは彼女ではないんだな」

「違う違う」


 手を横に振って否定する飾磨は、俺の肩に手を回してニヤッと笑う。


「さーて多野。どっか遊びに行こーぜ」

「なんでそうなるんだよ」

「俺も多野も暇なら、普通遊びに行くだろ?」


 何が"普通"なのかは分からないが、飾磨は俺の腕を引っ張って歩き出す。しかし、俺はふと飾磨の頭を見て不思議に思う。雨も振っていないのに、飾磨の髪が湿っているように見えたからだ。それに、ほのかに飾磨の体から石けんの香りがする。


「飾磨。シャワー浴びてきたのか?」

「んあ? ああ、ホテル行ったからな」


 俺はそう言ったのを聞いて、腕を振って飾磨の手を振り解く。すると、飾磨は少し驚いた表情をした飾磨を睨み返した。

 飾磨は俺の顔を見詰めて、ニヤッと笑う。


「あー、多野って真面目だもんなー。そりゃあ怒るか」


 飾磨は相変わらずお気楽そうな笑顔を浮かべて言う。しかし、俺はお気楽には考えられなかった。


 飾磨はさっきの女性は彼女ではないと言っていた。でも、その女性とホテルに行ったと言っている。そのホテルと言うのが、普通のビジネスホテルではなく、ラブホテルを指しているのは明らかだ。そして、男女がラブホテルに入ればすることは一つに決まっている。それを、飾磨は付き合ってもいない女性としたのだ。


「別に無理矢理やったわけじゃないって。さっきの人と軽く喫茶店で話して、そしたらホテル行く? って話になっただけ。もっと言えば、誘ってきたのは向こうからだったんだぞ?」

「帰る」

「ちょちょちょっ、待てって。なんで多野が怒るんだよ。言っとくけど、俺は美鈴ちゃんにも飛鳥ちゃんにも手を出してないぞ。もちろん、凛恋ちゃ――」

「そんなの当然に決まってるだろッ! 凛恋に手を出したら許さないッ!」


 俺を引き留めていた飾磨に怒鳴り返すと、飾磨は両手で耳を押さえて顔をしかめる。そして、ゆっくり耳から手を離すと両腕を組んだ。


「そんなに怒るなって。俺はフリーの子にしか興味がないって言っただろ? それに、俺は男はどうでも良いけど女の子は大切にする男だ。無理矢理エッチなんかしないし、誘っても断られたらそれ以上は誘わない。ちゃんと節度を守って――」

「付き合ってもない人とエッチするやつが節度を守ってるわけないだろ」

「あー、まあ色んな子とエッチしたいって思うから、そうなると節操無しって言われても仕方ないかもなー。でも、相手の子もエッチしたいって言ってエッチするなら、別に悪いことじゃないだろ? さっきの人、大学二年の人だし」


 互いに同意の上で、一八歳未満でなければ問題ない。確かに法律や条例に違反しているかどうかでは、違反ではないから問題はない。でも、話は道徳的な話だ。


「別に多野に迷惑掛けてるわけじゃないんだから良いだろ?」

「あのなあ、飾磨がやってることは――」

「それに、自分の価値観を押し付けるのは良くないぞ」


 飾磨の言葉に、俺は言葉を止められる。そして、飾磨はニコッと笑って俺の肩に手を置いた。


「多野の考えは良いと思うぞ。好きな人と、付き合ってる相手だけとエッチする。そんな考えの多野だから、凛恋ちゃんは多野のことが好きになったんだろうな。凛恋ちゃんも多野と同じでめちゃくちゃ真面目そうだったし。でも、俺みたいにそうじゃないやつも居るんだ。誘われればエッチするしエッチを誘う人も居る。俺以外にもそういう人は居るんだ。それで、凛恋ちゃんや多野自身に迷惑を掛けて来たら、容赦なくブチ切れろよ。多野にはその権利がある。でも、何の迷惑も掛けてないやつに、自分の考えを押し付ける権利は、多野には無いぜ」


 ニッと笑って軽くウインクした飾磨は、俺の腕を改めて引っ張って歩き出す。


「この先にお洒落な喫茶店があって、そこのアップルパイが美味しいんだよ。教えてやるから、今度凛恋ちゃんを連れて行けよ」


 飾磨はそう言って、さっきと変わらず明るい様子で歩き出す。俺の方は、飾磨の背中を見て小さく息を吐いた。


 飾磨の話は全く間違っていない。

 相手が一八歳未満だと、地方の青少年健全育成条例に反するから罰せられる。だが、お互いに一八歳以上で、互いに同意の上で金銭のやり取りがなければ、飾磨が何人の人とエッチしたとしても罰せられる法律はない。そして、法律に違反していないのなら、個人の自由の範ちゅうにある。


 もちろん、だからと言って正しいこととは言えないが、それは俺がそういうことを良くないと思うからの話だ。互いに同意しているのなら、俺はそれを飾磨達に止めさせる権限はない。


 俺はそう自分の中で結論を出す。しかし、やっぱり完全に納得は出来なかった。




 家に帰って来て、凛恋の夕飯作りを手伝った俺は、凛恋と一緒に並んで夕食を食べる。

 今日のメニューは、凛恋の特製ハンバーグだ。


「はい、凡人あーん」

「あーん」


 凛恋が自分の箸で一口サイズに切ったハンバーグを俺に差し出す。それを俺が口を開けて食べると、凛恋が俺の顔を覗き込んで首を絞める傾げる。


「美味しい?」

「めちゃくちゃ美味しい」

「やった! 凡人もあーんしてー」


 凛恋が口を広げて待つのを見て、俺も凛恋と同じようにハンバーグを一口サイズに切って凛恋の口へ運ぶ。


「あーん! んー! 美味しい!」

「凛恋が作ったんだから美味しくないわけないんだけどな」

「もー、凡人ったらー。ありがとっ!」


 凛恋がピッタリ体を寄り添わせながら微笑む。


 昼間、飾磨と会ったことは凛恋には話していない。それは飾磨と会った時のことを思い出すからだ。今でも飾磨の考え方には完全に納得出来ないが、もう納得出来るか出来ないかを考えても仕方がない。

 凛恋の美味しいハンバーグに意識を戻していると、凛恋が俺の横顔をチラリと見る。


「凡人、私ね、サークルに入った」

「えっ? サークル?」


 凛恋の言葉に戸惑って箸を止める。

 凛恋は俺と同じでサークルには入らないと言っていた。それなのに、どうしてサークルに入ったのだろう。


「美鈴がね。一緒にテニスやろうって言っててね。今日、飛鳥も一緒に体験でやって来たの。それで、三人で入ろうってことになって。メンバーも女子しか居ないし」

「良いんじゃないか。凛恋がやりたかったなら」


 別に入るつもりが無いと言ったら、絶対にサークルに入ってはいけないわけじゃない。凛恋が友達と一緒に入りたいと思ったのなら、否定する理由なんて一つもないと思った。


「それでね。活動日が毎週の土曜なの。時間は午前だったり午後だったりするらしいんだけど」

「えっ……そ、そっか。そりゃあ、みんなで集まるなら休みの土曜が良いよな。日曜だと次の日が平日だから、運動した疲れが残ると辛いし」


 思わず、声を落としてしまいすぐに明るい声に変える。でも、凛恋が少し悲しい表情をした。


「やっぱり……」

「辞めるなよ。一度入るって言ったんだから、それで急に辞めるなんて言ったらサークルの主催者も困るだろ」


 凛恋が俺の表情を見て、俺の気持ちを察したのは分かる。でも、それで凛恋にサークルを辞めさせるわけにはいかなかった。


 俺は、土曜日がサークルで潰れると、凛恋との時間が減ると思った。大学終わりの平日ならともかく、休日は一緒に居たいと思った。だから、俺はバイトも平日のみにした。でもそれは、俺が勝手に思っていたことだ。それに、凛恋の友達関係の支障になるようなことをしたくはない。


 凛恋は俺に瀬尾さんと稲築さんを紹介してくれた。その紹介してくれるほど仲良くなった友達二人がテニスサークルに入るのに、凛恋だけ入らないというのは話が合わなくなってしまう。


 凛恋自身が嫌々入るわけではないのだから、彼氏の俺はちゃんと応援してやらなきゃいけない。


 ただ……休日が潰れるサークルに、俺に何も言わずに入ったのか。そう思ってしまった。もちろん、そんなことで俺に許可を取る必要は全くない。思ってしまったことは全て、俺のわがままだ。


「ごめんね。美鈴も飛鳥もあの場で決めてたから」

「俺の方こそごめん。凛恋がやりたいんだから頑張れよ! サークルに入ったら友達が増えるだろうし」

「うん。凡人、ありがとう」


 凛恋が俺の手を握って微笑んでくれる。でも、その笑顔は無理に微笑んだ笑顔で、俺は凛恋に無理して笑わせてしまった。

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