【一三八《価値観の相違》】:一
【価値観の相違】
大学の入学式は、当然のことながら大したイベントでもなかった。偉い人達の話を黙って座って聞く、やることは小中高と全く変わらない。
凛恋や希さんの大学でも入学式が終わり、みんな大学生活が始まった。
いつも俺は、講義が終わったら凛恋の講義が終わるまで食堂で時間を潰す。その時間は主に大学から出たレポートをやるのだが、今日は大学の食堂でコーヒーを飲みながら、真正面で俺に両手を合わせて拝む飾磨を見ていた。
「多野の彼女、紹介してよー」
講義終わりに、飾磨から「頼みがある」と言われ、俺はその頼みとやらを一応聞いてやることにした。しかし、その頼みを聞いてもすぐに答えは出る。
「ダメだ」
「なんで!」
「俺の彼女は男の人が苦手なんだ」
「大丈夫だって! 俺は女の子と仲良くなることだけには自信があるから!」
「まあ、それは否定はしないが……」
確かに飾磨が言う通り、飾磨は女性と仲良くなるのだけは上手い。今日だって同じ講義を受けていた女子学生のほとんどと気軽に話していた。相手の女子学生も嫌がっている様子はなかったし、仲良くなるのは上手いのだろう。しかし、凛恋の場合は、上手い下手の問題ではない。
「ちょっと、高校の頃に嫌なことがあったんだ。それから、男が苦手になった。だから、変に怖がらせたくない」
「…………そっかぁー。なら、仕方ないな」
「理由は聞かないのか?」
案外あっさり引き下がった飾磨に聞き返す。すると飾磨はニヤッと笑って俺にコーヒーの入った紙コップを持ち上げながら言った。
「俺は男に優しくないが、女の子には優しい生き物だからな。女の子のトラウマを掘り返すことはしないんだ」
「……そこは男にも優しくしろよ」
「何言ってんだよ。男に優しくしても、全然良いことないだろ? 多野は男のおっぱい揉みたいのかよ」
「そんなわけあるか。それに、今のを聞いたらいよいよもって彼女は紹介出来ないな」
交流会の時から思っていたが、飾磨は下心全開だ。見方によれば男として潔いとも言えるが、そんな下心全開の飾磨を凛恋に会わせるわけにはいかない。
「大丈夫だってー。俺、フリーの子にしか興味ないし。彼氏持ちとなんかあってトラブルになったらめんどくさいし」
「全く安心出来ない答えだな」
「ちぇー、多野の彼女から女の子の知り合い増やそうと思ったのにぃ~……」
「結局それか」
空になった紙コップをテーブルの上に置いた飾磨は、テーブルに突っ伏して声を漏らす。
テーブルに突っ伏す飾磨の後頭部を眺めていると、スマートフォンが震えて凛恋から電話が掛かってきた。
「もしもし凛恋?」
『凡人? もう講義終わった?』
「ああ。今は講義終わって同じ学部のやつと食堂に居る」
『凡人、友達出来たんだ』
電話の向こうから凛恋の嬉しそうな声が聞こえる。しかし、俺は友達というキーワードを聞いて、突っ伏す飾磨の後頭部を改めて見た。
「いや、ただの知り合いだ」
『そうなの?』
凛恋の不思議そうな声が聞こえた直後、目の前に突っ伏していた飾磨がむくりと起き上がり、テーブルに両手を突いて立ち上がる。
「酷いぞ多野! 俺達は女の子とご飯食べに行こうって約束した仲じゃないか! それをただの知り合いなんて!」
『凡人? 女の子とご飯ってどういうこと?』
飾磨の声をスマートフォンのマイクが拾ってしまい、それを聞いたら凛恋の冷ややかな声が聞こえる。
「交流会の時に、鷹島さん達と同じ学部の人達でいつか交流会しようって話になっただけだ」
目の前の飾磨に睨み返すと、軽く頬を膨らませた飾磨は手早く自分のスマートフォンを操作して俺に見せる。画面には『リコちゃんのお友達を紹介してくれたら許してやろう』と書いてある。この野郎、勝手に凛恋のことをちゃん付けで呼びやがって。
『ふーん。あっ、それでさ。この後時間ある?』
「まあ、後は帰るだけだからな」
『あのさ、大学の友達が彼氏紹介してって言うのよ』
その凛恋の言葉を聞いて、凛恋にはちゃんと友達と言える人が出来たのを嬉しく思った。
「友達に紹介? 良いけ――」
「俺も行きたい!」
「凛恋、ちょっとそのまま待っててくれ」
『う、うん』
話の途中で割って入ってきた飾磨に視線を向け、俺は一度凛恋に断りを入れてからスマートフォンのマイクを手で覆い隠して飾磨に睨みを返した。
「彼女との電話中にうるさいな。それに、勝手に俺の彼女をちゃん付けにするな」
「マブダチをただの知り合い呼ばわりした罰だ! 凛恋ちゃんのお友達を紹介して下さいお願いします。紹介してくれないと寂しくて死んでしまいます」
テーブルに両手を突いて頭を下げる飾磨を見て、俺は呆れたため息を吐く。なんだ、この女性に対して貪欲な生物は……。
「うちの一年に知り合いが居るんだから寂しくないだろ」
「たーのーむよー。たーのーくーんー」
テーブル越しに両手を俺の肩に載せて揺する飾磨。本当に面倒くさいくらいうざったい。でも、何故か分からないが無視しようとは思えない。飾磨は不思議と憎めないやつなのだ。
「ごめん凛恋。今から行くから」
またスマートフォンを耳に付けてそう答えると、凛恋から意外な言葉が返ってきた。
『凡人、その人連れてきて良いよ』
「え? 飾磨を?」
『うん。凡人が気軽に話してるみたいだから、悪い人じゃなさそうだし』
凛恋がそう言うのを聞いて、俺は目の前で俺を潤んだ瞳で見ている飾磨に目を向ける。
確かに悪い人には見えない。が、体から滲み出るチャラいオーラがある。こいつを、大切な凛恋の友達に会わせて良いのか不安が残る。いや……何より、こいつを凛恋に会わせて、凛恋に良いことがあるのだろうか?
「凛恋。飾磨は見た目からしてチャラいし、性格も軽くて下心全開のやつだ。凛恋の友達に会わせるのは――」
「なんてこと言うんだ! あの! 多野のマブダチ、飾磨駿介は品行方正清廉潔白の真面目な塔成大学文学部一年です! 安心して凛恋ちゃんのお友達に紹か――」
「だから、俺の彼女を勝手にちゃん付けするな」
勝手に凛恋に向かって話し掛けた飾磨の言葉を遮ると、スマートフォンから凛恋のクスクスと笑う声が聞こえる。
『友達も良いよって言ってるから』
「まあ、凛恋が良いなら……」
「よっしゃ!」
俺がそう言うのを聞くと、目の前では両手を突き上げて歓喜する飾磨の姿が見える。俺は連れて行くべきではないと思うが、凛恋が連れてきてと言うなら仕方がない。
「じゃあ、俺達が成華女子に迎えに行くから、凛恋達は校門前で待っててくれ」
『ありがとう。じゃあ、待ってるね』
凛恋との電話を切ると、飾磨は電話を切った俺の両手を握って固い握手をする。
「多野、俺はお前という友達を持って良かった。成華女子の女の子とお近付きになれるなんて! いやー俺はツイてる!」
「俺の彼女に変な目を向けてみろ。ただじゃ置かないからな」
「さっきも言っただろ? 俺はフリーの女の子にしか興味ないって。さあさあ、凛恋ちゃん達を待たせちゃ悪い! さっさと行こうぜー」
椅子から立ち上がった飾磨は、空になった俺の紙コップを回収してゴミ箱に捨てると、俺に手を挙げて手招きをする。
飾磨と一緒に塔成を出て成華女子まで行き、凛恋達と合流すると、飾磨の「俺が良い店を知ってるから案内するよ!」と言う言葉に従って成華女子に近い落ち着いた雰囲気の喫茶店に入った。その喫茶店は凛恋達にも評判は良く、俺達は向かい合って座席に座った。
「じゃあ、お互いに自己紹介しよう! 俺は塔成大学文学部一年、飾磨駿介です! よろしく! はい次は多野!」
「飾磨と同じ文学部一年の多野凡人です。よろしくお願いします」
場を仕切り始めた飾磨に従って自己紹介をすると、目の前に座っている凛恋達三人に視線を向ける。
「私は八戸凛恋です。成華女子大学、生活科学部です」
「よろしく凛恋ちゃん!」
相変わらず軽々しく凛恋をちゃん付けする飾磨に視線を向けるが、ニコニコと愛想の良い笑顔を浮かべる飾磨の横顔が見えただけだった。
「私は瀬尾美鈴(せおみすず)。凛恋と同じ生活科学部。趣味は硬式テニス。よろしくね」
「美鈴ちゃん、よろしくー!」
茶髪のロングヘアをした瀬尾さんは、飾磨ほど軽々しくはないが、フランクな笑顔を浮かべて自己紹介をする。そして、俺は最後に残ったもう一人の友達に視線を向けた。
「稲築飛鳥(いなつきあすか)です。二人と同じ生活科学部です。よろしくお願いします」
「飛鳥ちゃんよろしくー!」
少し恥ずかしがりやなのか、瀬尾さんよりは大人しい挨拶をした稲築さんに、飾磨は相変わらずの脳天気な声を返す。
「多野くんって身長高いよね? いくつあるの?」
「一八七ありますよ」
「凄っ! あっ、敬語とか使わなくて良いからね。気楽に話して」
「ありがとう」
瀬尾さんは自己紹介の時にフランクさを感じたが、今の会話で優しい人だというのも分かった。やっぱり、凛恋は良い友達を作る才能があるみたいだ。
「多野ー、こんな可愛い彼女をどうやって騙したんだよ」
「騙したって人聞きが悪いな」
横から肘打ちをする飾磨に視線を向けると、前から凛恋の明るい声が聞こえた。
「凡人には私が一目惚れしたんです」
「「ほぉー、その辺詳しく教えてよ」」
飾磨と瀬尾さんが示し合わせたように同じ言葉を発する。それに、凛恋ははにかんで答えた。
「高一の時に他校の男子とカラオケに行って、その男子の中に凡人が居たの。凄く気が利いて優しくて、見た目も凄くタイプで、気が付いたら好きになってた」
凛恋の言葉を聞いた瀬尾さんは、ニヤッと笑って凛恋の腕を指先で突く。
「もー、惚気けちゃって羨ましいわねー」
「多野もこんな可愛い子に一目惚れされるとか羨ましい過ぎる! そうだ! 連絡先交換しようよ! 今度みんなで遊びに行こう!」
「良いよ」
「あっ、でも凛恋ちゃんの連絡先は聞かないようにしないと! 隣に、こわーい彼氏が居るからさー」
飾磨がスマートフォンを取り出しながら言った言葉に、凛恋と瀬尾さんはクスクスと笑って顔を見合わせ俺を見た。
喫茶店では互いの大学の話や趣味の話と言った無難な話を、主に飾磨が広げ、女子陣では瀬尾さんが中心に話していた。そこそこ盛り上がった方だと思う。
「凛恋、じゃあまた学校でねー」
「うん! 美鈴も飛鳥もまたね」
凛恋が瀬尾さんと稲築さんに別れを告げているのを見ていると、俺は隣に居た飾磨に肩を組まれる。
「多野、この恩は何かしらの形で返すぜ。ありがとな。じゃあ俺も行くわ」
「ああ、また大学で」
俺から離れた飾磨は、スマートフォンを手に持って歩き出す
「さて、この後はどの子と遊ぼうかな~」
そんなことを呟きながら歩いて行く飾磨の後ろ姿を見ていると、凛恋が俺の手を握って腕を抱く。
「飾磨くん、悪い人ではなさそうだったね」
「悪いやつではないかもしれないけど、相当軽いぞあいつ。交流会でも色んな女子に話し掛けてたからなー」
俺がそう凛恋に告げ口すると、凛恋がクスッと笑う。
「美鈴がね。飾磨くんは見るからに女好きだけど、女をたらせてるかどうかは分からない。なんか、女に振り回されてそう。って言ってた」
「でも、飾磨なら喜んで振り回されそうだな、女の人だったら」
瀬尾さんの分析が正しいかどうかは分からないが、飾磨なら女性関連のことならほとんどのことを楽しめてしまいそうな気がする。
「さ、私達も帰ろっか」
「そうだな」
「帰りに買い物して帰ろ。今日の夕飯はお魚にしようかなー」
俺は手を引いて歩き出す凛恋に引っ張られながら、駅に向かって歩いて行った。
休日、俺は塔成大学の最寄り駅ではない駅で電車を降りた。それは、今からアルバイトの面接があるからだ。
アルバイトを始める時は履歴書を書いて、アルバイト募集を出している場所に電話をして面接をしてもらわなければならない。
履歴書は中学の時に高校へ提出した履歴書を書いたことがあるから特に苦労はしなかった。だが、問題は面接だ。
俺が面接を受けようとしているのは、大学から家の丁度中間くらいにあるスーパーマーケットの、グロッサリーという部門のバイトだ。
グロッサリーは食料品、生活雑貨、日用品を総称した言葉らしく、スーパーマーケットでは肉、野菜、魚のような生鮮食品以外を指す言葉らしい。
グロッサリー部門のバイトでは、商品の品出しがメインになる。というか、商品の品出ししか仕事内容に書いていなかった。
品出しの仕事はレジ打ちに比べてお客さんと接する機会は少ない。だから、コミュニケーション能力が皆無な俺でも何とか出来ると思った。ただ、今回のバイトは少しだけ俺のチャレンジでもある。
スーパーマーケットのグロッサリー部門はお客さんと接する機会が少ないらしいが、全く接しないわけではない。少しくらいお客さんと接する機会がある。だから、それで少しずつコミュニケーションを取ることに慣れていけるはずだ。
凛恋に出会うまでの俺なら、コミュニケーション能力なんて必要ないと考えられていた。でも、凛恋と出会って、そこから友達が出来た今の俺なら、最低限のコミュニケーション能力の必要性は分かる。
給料を貰いながら人に慣れることが出来るスーパーマーケットのアルバイトは、俺に合っていると思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます