【一三七《序開き》】:一

【序開き】


 入学式よりも前に大学へ向かわなければいけない用事がある。

 それはオリエンテーションと呼ばれるもので、大学での授業の受け方を具体的に新入生へ教えることが主な目的になる。

 ただ、それだけではなく、新入生同士の交流やサークル等の勧誘もあるらしい。


 俺はサークルなんて入る気はないから全て断れば良い。だがしかし、新入生同士の交流が面倒くさい。


 主な目的である授業の受け方等の説明会は昼前には終わり、その後から大学の食堂で新入生の交流会とやらが開かれるらしい。それも、説明会から全員で食堂に移動するらしく、つまりは強制参加ということになる。


 今後の大学生活を考えれば、友達は居た方が良いだろう。しかし、居た方が良いと思って出来るものではない。特に俺みたいなコミュニケーション能力皆無の人間なら尚更だ。


 小学生の頃は栄次が居たし、高校では栄次に再会して凛恋と付き合って爆発的に友達が増えた。だが、中学の頃は友達なんて呼べる存在は一人も居なかった。それを考えて思う。


 中学の時はどうやって生きてたっけ?


 思い返そうとしても物凄く印象が薄過ぎて、余計なことを喋らないようにしていたことくらいしか思い出せない。

 高校で友達の大切さは学んだが、友達の作り方は結局分からないままだった。友達が勝手に増えていったというのは違うのかもしれないが、気が付いたら友達になれるくらい仲の良い人が出来ていて、友達になったというのが正しい。だが、その仲良くなるために何をしたのかは全く分からない。


 結局、交流会でどう立ち回るか分からないまま、俺は塔成大学の正門前に立ち、小さくため息を吐く。だが、ため息を吐いて立ち止まっていても始まらない。俺はそう思って正門の中に足を踏み入れた。


 周囲には俺と同じ新入生なのか、沢山の人達が大学の校舎に向かって歩いて行く。

 流れに乗って校舎の入り口に行くと、親切に『新入生オリエンテーション会場はこちら』という看板が立てられ、その看板の矢印の向きに校舎内を進む。


 通路を歩き、オリエンテーションの会場になっている大講義室前に辿り着き、開きっぱなしになった出入り口から中に入る。

 後ろに行くにつれて座席の位置が高くなる階段教室の講義室。そのいかにも大学の講義室という風景を見ると、今更ながら大学に進学したという感覚が湧く。


 大講義室の中に入ってすぐに脇へ逸れて、他の人の邪魔にならないようにしながら講義室内を見渡す。


 後ろの席に座る人と前の席に座る人という二分化された人の配置を見て、俺は無難に真ん中辺りの席に向かって歩く。

 俺は、周囲に誰も居ない席へ座ってすぐにスマートフォンを取り出して見る。そのスマートフォンに一通のメールが来ていた。


『友達いっぱい作って来てね!』


 そのカラフルでハートマークが満載の凛恋のメールを見て、俺は苦笑いを浮かべて呟く。


「無茶言うなよ」


 凛恋は今日、希さんと遊びに行くと言っていた。凛恋の通うことになる成華女子と希さんの通うことになる旺峰のオリエンテーションはまだ行われていない。二校とも、塔成より後になる。

 俺も、大学のオリエンテーションがなければ、今日は凛恋と希さんと一緒に遊べていたのに……。


 凛恋ならすぐに友達が出来そうだが、希さんも俺とは違った意味で友達を作るのが大変そうだ。


 希さんの場合は単に恥ずかしがりなだけで、別に雰囲気が話し掛けづらいわけではない。それに希さんは、話し掛けられれば緊張は伝わるものの、同時に優しさと丁寧さもしっかり相手に伝わるタイプの人だ。だから、希さんは話し掛けられさえすれば友達が出来る人になる。しかし、俺はどうやら話し掛けづらい雰囲気の人間らしい。

 それは、高校時代に萌夏さんや里奈さんに仲良くなる前の印象として言われたことがあるから確かだ。

 自分では分からないが、二人が言うのなら俺は話し掛けづらい雰囲気をしているのだろう。


 俺が話し掛けづらい雰囲気をしているのは、小中の頃から陰口悪口を叩かれる経験があって、人を寄せ付けないようにしていたからだと思う。

 高校では凛恋達のお陰で友達が増えたが、九年間続いた人を寄せ付けない経験が消えてなくなるわけじゃない。


 俺が話し掛けづらい雰囲気なら俺から他人に話し掛ければ良いのだろうが、そんな簡単に話し掛けられていたら友達作りについて考える必要もない。そもそも、俺は人と話をするのが一番苦手なのだ。見知らぬ人に気軽に話し掛けるなんて無理に決まっている。


「あの、ここ良いですか?」

「えっ? はいどう――鷹島さん?」


 急に声を掛けられ慌てて返事をしながら顔を向けると、手で口を隠してクスクス笑う鷹島さんの顔が見えた。どうやら、俺だと分かっていながら、俺をからかうために初対面風に話し掛けてきたらしい。


「酷いな。普通に声を掛けてくれれば良いのに、初対面の人に話し掛けるみたいに話し掛けないでくれよ」

「ごめんなさい。少しいたずらしてみたくなって」


 俺の隣に座った鷹島さんは、講義室の中を見渡した後に俺に視線を戻してまたクスッと笑う。


「みんなが前後に別れてる中、真ん中に一人で座ってるから目立っててすぐに分かった」

「俺は目立つつもりはなかったんだけど」

「でも、多野くんを見付けられて良かった。やっぱり周りは知らない人ばかりだし」

「鷹島さんならすぐに友達くらい出来るだろ」

「あら? その言い方だと、多野くんは友達が出来ないみたいな言い方ね」

「まあ、俺はそういうの苦手だからな~」

「多野くんだって普通に話せば友達が出来ると思うわよ?」

「普通に、ね……」

「多野くんは、どこかのサークルに入るか決まった?」


 鷹島さんへ渋い顔を返すと、鷹島さんが首を傾げて俺へ尋ねる。それに、俺は首を振った。


「いや、俺はサークルには入らないかな」


 大学と言えばサークル活動も有名だが、俺はサークルに入るつもりはない。

 サークル活動に充てられる時間をバイトや凛恋との時間に使った方が良い。それに凛恋もサークルに入るつもりはないと言っていた。


「そう」

「鷹島さんは何か入るの?」

「私はマスコミ系のサークルに入ろうと思ってる」

「将来の夢は報道記者だったっけ?」

「そう。だから、将来やりたいことに近いことが出来るサークルに入りたいと思ってる」


 もう既に将来の夢が決まっている鷹島さんは、大学でやりたいことも決まっている。それに比べて俺は、とりあえず大学に入っただけで将来の夢なんて決まっていない。


「多野」

「んあ? えっ……」


 今度は名字を誰かに呼ばれ、条件反射でその声の主に顔を向ける。そして俺は体が固まった。


「本蔵さん……なんでここに……」


 俺は、俺の隣に静かに座った本蔵さんに尋ねる。すると、本蔵さんは真っ直ぐ俺を見て口を開く。


「私もここの新入生だから」


 そりゃそうだ。今この場所は塔成大学の新入生向けのオリエンテーションが開かれる会場だ。だから、ここに居るのはみんな塔成大学の新入生に決まっている。でも、本蔵さんが塔成大学を受けていて、しかも合格していたなんて知らなかった。


 本蔵さんとは、刻雨高校の学校改善マネージャーだった長久保が作った特別旺峰進学学科で同じクラスだった。でも、俺は本蔵さんと本蔵さんの進路について話をしたことがない。だから、勝手に俺は本蔵さんは旺峰を志望しているのだと思っていた。だが、本蔵さんも俺と同じ塔成大志望だったらしい。


「本蔵さんも塔成志望だったんだ」

「大学なんてどこでも良かった。でも、多野が塔成に行くって言ってたから塔成にした」


 淡々とした口調で言われて、俺は戸惑って返す言葉が出ない。


「多野くん、知り合い?」

「あ、ああ。彼女は本蔵佳純(もとくらかすみ)さん、刻雨の同級生だったんだ。塔成を受けてたなんて知らなかったけど」


 本蔵さんとは反対側に座る鷹島さんに尋ねられ、俺は戸惑いながらも鷹島さんに本蔵さんを紹介する。


「私は鷹島由衣(たかしまゆい)。多野くんとは刻季時代に同じクラスだったの。よろしくね、本蔵さん」

「よろしく」


 俺の目の前で握手をする二人の手を見ながら、俺は背中と額に変な汗を掻いた。

 もし、凛恋に本蔵さんが塔成大に進学していたなんて話をしたら、絶対に気にするに決まっている。でも、本蔵さんが塔成大に進学してきていたことを話さないわけにはいかない。

 少し人が増えて騒がしくなった講義室の中で、俺はどうやって凛恋に説明しようか悩んだ。




 オリエンテーションが終わり、新入生の交流会が始まる前にあった小休憩の時間にトイレへ駆け込む。そして、俺は個室の中でスマートフォンを取り出して電話を掛けた。


『もしもーし! オリエンテーションは終わったの?』

「オリエンテーションは終わった。今は、新入生交流会前の休憩中だ」


 電話の向こうに居る凛恋へ今の状況を説明し、俺は続けて言葉を重ねた。


「凛恋。本蔵さんが塔成に入ってた」

『…………はあっ!? それどういうことよッ!』


 キンキンと耳鳴りがするくらい大きな声で凛恋が怒鳴り、俺は思わずスマートフォンを耳から離す。予想通りの反応だった。


「俺も知らなかったんだよ。別にやましいことはないけど、凛恋には言っておいた方が良いかと思っ――」

『当たり前よ! やましいことなんてあって堪るかってのッ!』


 また凛恋が怒鳴り声を上げて、俺は少しスマートフォンの通話音量を落として小声で話し掛ける。


「とにかく、何もないから安心してくれ。この後の交流会も無難に過ごすつもりだし」

『希、本蔵が塔成に入ったって。ほんっとあり得ない! あいつ絶対に凡人目的で塔成に入ったに決まってる!』


 凛恋はどうやら一緒に居る希さんに話し掛けているらしく、俺の話なんて聞いてはいない。

 かなり怒っている凛恋の様子を考えると、本蔵さんのことを言わない方が良かったかもしれない。しかし、俺からではない別のどこかで塔成に本蔵さんが入ってることを凛恋が知るより、俺の口から先に言っておいた方が良い気がした。


『凡人! とにかく交流会が終わったらすぐに合流だからね!』

「分かった。凛恋、ちょっと希さんに替わってくれ」

『分かった。希、凡人が替わってって』


 若干……いや、大分ご立腹の凛恋が電話口で言うと、希さんの声が聞こえた。


『もしもし凡人くん?』

「希さんごめん。この後、凛恋の愚痴が出ると思うけど」

『大丈夫。凡人くんより私の方がそれは慣れてるから。それより、本蔵さんのこと気を付けてね。変な誤解を生まないように』

「ああ。ありがとう。俺が行くまで凛恋を頼む」


 それで電話を切って、俺は個室の壁に背中をもたれ掛からせて大きくため息を吐く。

 まだ入学式さえ終わってないのに、大学生活の前途多難さが心に重く伸し掛かる。


 スマートフォンを仕舞いトイレから出て、交流会の会場になる食堂へ向かう。

 食堂の入り口の扉を押し開けると、既に交流会を主催している先輩学生が何やら有り難いお言葉を話していた。

 俺は出来るだけ目立たないように部屋の端に立つと、隣へ本蔵さんが立つ。


「本蔵さん、塔成に受かったなら教えてくれても良かったのに」

「多野をビックリさせたかった」

「まあ、ビックリはしたけど……。俺が居るから塔成に決めたって言うのは冗談?」

「違う。本当に多野が居たから塔成に入った」

「……入学した後だと後の祭りだけど、そういう理由で大学を決めて良かったのか?」

「文学部ならどこでも良かったから」

「どこでも良くて、塔成か……」


 刻雨時代に特別旺峰進学科で同じクラスだったから、本蔵さんが頭が良いのは知っている。だから、塔成を受けて合格する学力があるのは分かっていた。

 それにしても、どこでも良いで塔成に合格出来る学力があるのは凄い。


 自分で言うのはなんだが、俺は塔成に受かるために少なからず努力をして来た。それで合格出来たのだ。

 塔成は希さんの通う旺峰よりはレベルは低いが、決して簡単に受かる大学ではない。受験生でも上位の学力がなければ結構厳しい大学だ。ほとんどの新入生が、塔成に受かるために俺と同じようにかなり努力をしたはずだ。


 ただ、本蔵さんが何の努力もせずに受かったとは思わない。俺と同じくらいは勉強をしたに決まっている。だが、その理由が俺が居るからというのが複雑な気分だ。


 多分、本蔵さんに対して好意がない人なら、大学まで追い掛けてくるなんて怖いと思うのかもしれない。だから、本蔵さんに好意がない俺も、本蔵さんの行動を怖いと感じるべきなんだと思う。でも、俺は単純に不思議に思った。


 本蔵さんが人並み以上の努力をする理由に俺がなっているのは何故なんだろうと。


 努力をすることはかなり苦しくて労力を必要とすることだ。

 大学受験は、受験生の大半が血反吐を吐くくらいの努力をしている。でも、そこまでする価値が俺にはあるのだろうかと思った。しかし、それを本蔵さんには聞きづらかった。


 単純に、なんでそこまで俺のことを思ってくれているのか、と聞くのが気恥ずかしいのもあるが、そういうことは聞いてはいけないことだと思った。

 それは、本蔵さんの気持ちについて聞くことが、本蔵さんに対して失礼なことだと思ったからだった。

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