【一三二《卒業に負けない》】:二

 式が終わって、なんやかんやあって、露木先生が教室で大号泣してみんなで慰めて、そして気が付いたら、いつの間にか卒業祝いのパーティーの時間になっていた。


 大きなパーティー会場を貸し切り、ビュッフェ形式でなんだかんだと色んな料理が出てくる。

 そして、パーティー会場のステージの方では、お調子者達がカラオケを使って場を盛り上げている。

 何だか、卒業パーティーというよりも宴会みたいだ。


「理緒が泣き出したからみんな釣られて泣いちゃったわよねー」

「そうそう。泣く気はなかったんだけどさー」

「わ、私も泣きたくて泣いたわけじゃないんだけど……」


 萌夏さんと里奈さんにからかわれる理緒さんは、ジッと俺の方を見る。


「ステージの上から見えてたけど、泣いてないの凡人くんだけだったよ」

「ああ、やっぱり?」

「在校生の子達でも沢山泣いてたのに」


 目を細めていた理緒さんがクスッと笑う。


「凡人くんは、卒業式の直前に天気に文句付ける余裕があったしねー」

「そうなんだ」


 萌夏さんがニヤニヤ笑いながら言う言葉を聞いて、希さんが口を手で隠しながら肩を震わせて笑う。


「多野くん、ちょっと良い?」

「はぇ?」


 散々な言われようを黙って聞きながら一口ハンバーグを頬張っていると、後ろから露木先生に肩を叩かれる。


「呼び出しー?」

「凡人くんだけ泣かなかったから、大号泣した露木先生からのお説教だねー」


 里奈さんと萌夏さんが相変わらずの連携でからかう。すると、露木先生がニコニコっと笑って萌夏さん達を見る。


「もうその話は忘れて。みんな、ちょっと多野くんを借りていくね」

「「「はーい」」」


 みんなの返事を聞きながら立ち上がると、露木先生はパーティー会場の出入り口へ歩いて行く。

 パーティー会場から出ると、ドアの向こう側からくぐもったカラオケの音が聞こえる。

 そのドアから視線を露木先生に向けると、露木先生は更に会場から離れて歩いて行く。


「露木先生、どこまで行くんですか?」

「もう少し静かなところかな」


 そう言う露木先生は、ついには建物の外に出てしまう。そして、敷地内にある中庭にたどり着き、ほのかにライトアップされたベンチに露木先生が腰掛ける。


「隣に座って」

「失礼します」


 露木先生に促されてベンチに座り、真正面に見える綺麗に手入れをされた花壇を眺めた。


「私が初めて多野くんを見たのはコンビニ」

「えっ? コンビニ、ですか?」


 唐突に話し出した露木先生の言葉に、俺は首を傾げる。

 俺が露木先生に初めて会ったのは、刻雨高校の編入試験であった面接の時のはずだ。


「日頃は全く行かないところのコンビニに入って、お昼ご飯を買おうと思ってお弁当コーナーを見てたら、怖い男の人が店員さんにいちゃもん付けてて。情けないけど、私は怖くて棚の陰に隠れてたの」


 それを聞いて、俺はハッとした。それは多分、栞姉ちゃんと初めて会った時と同じ時のことだ。

 いちゃもんを付けられていた店員さんというのも栞姉ちゃんで間違いないと思う。


「お客様は神様だ、客商売を舐めてるのかって理不尽なことを言ってて、商品をタダにしろって店員さんに要求してて、間違ってるって思った。でも、やっぱり怖くて注意出来なかった。店員さんが土下座しろって言われて困っているのも見えてるのに、足がすくんで動けなかった」


 露木先生は俯いて申し訳なさそうな声を出す。でも、強面の男が怒鳴り声を上げているのは誰が見ても怖いし関わりたくない。

 それが露木先生が高校教師だからと言っても、怖いものは怖いに決まっている。

 誰も、露木先生のことを悪いなんて責められはしない。


「そしたらね、その時に入ってきた男の人が、店員さんに言ったの。こんな人間に頭を下げる必要は無いですよって……プッ!」


 そう言った瞬間、露木先生は吹き出して笑う。


「私、心の中で火に油を注いじゃダメー! って叫んだの。当然、怒ってた男の人はもっと怒って、その入ってきた男の人に突っ掛かって。私は警察に電話しようとスマホを手に持ってた。そしたらね、入ってきた男の人が、店員さんが居なかったら黙って商品を持っていく気だったのか、店員さんが居て商品が買えて良かったですね、店員さんに感謝しましょうってお説教してて。通報することも忘れて、それをボーッと見てた。それが多野くんを初めて見た時。まあ、その男の人が多野くんだって知ったのは面接の時だったけど。私と同い年くらいの男の人だと思ってたから、高校生だって知ってビックリした」


 そう言った露木先生は笑いながら、俺の頭を優しく拳で小突く。


「あんな危ないことしちゃダメだよ。多野くんには今更なお説教だけど」

「すみません」

「でも、そういう優しいところが多野くんの良いところでもあるからね」


 ベンチに座ったまま、露木先生は目の前に広がる花壇を見て小さく呟く。

 その話を境に、露木先生は言葉を発することなく、ただベンチに座り続ける。


 呼び出された理由は、初めて会った時のことを話したかっただけなのだろうか? でも、だとしたら、わざわざ外に出る必要もないと思う。

 あの場で、パーティー会場の中で普通に話せば良かったはずだ。


「…………多野くん」

「はい」

「卒業しないで……」

「えっ……」


 露木先生の言葉に俺は戸惑って、そして、泣いている露木先生を見て言葉を失う。


「卒業しないで……多野くんと、多野くん達と毎日笑って学校で話したい……」

「露木、先生……」


 露木先生は何度も何度も手の甲で目を拭って首を横に振る。


「みんなが居なくなっちゃうのが寂しい……。みんなと毎日気軽に会えなくなるなんて……辛いよ……」


 露木先生は当然分かってる。なんの意味もないわがままだと。

 それを言ったからと言って、俺達が卒業しなくなるわけではないことくらい分かっている。

 露木先生はしっかりした大人だ。でもその大人が、それでも口に出して敢えて言うほど、俺達が卒業することを寂しく思ってくれている。


「卒業しない、はあり得ないですけど、俺は刻雨に居る時が一番居心地が良かったし楽しかったから、このままみんな同じのまま大学に行きたいって思いますよ。みんな同じ大学に通えば良いのにって」

「その大学に行きたい……多野くん達と一緒なら絶対に楽しいもん」


 俺も露木先生も分かっている。語ることしか出来ないことだと。想像でしかあり得ないことだと。

 それでも敢えて口にする。


「大学の講義終わりに喫茶店にみんなで集まって、その後はゲームセンターに行ったり、カラオケに行ったり。二〇歳になったら、みんなでお酒飲んで騒ぐの」

「良いですね」

「連休には多野くんに免許取ってもらって、みんなでレンタカーに乗って旅行に行くの」

「良いですけど、それって俺がずっと運転することになるんじゃ」

「そーだよ? 私達は車の中でお菓子食べながらワイワイ話しとくから」

「酷いなー」


 俺が眉をひそめながら言うと、露木先生はクスッと笑う。でも、すぐにまた顔を歪めて泣き出してしまう。


「……露木先生、こっちに帰って来たら、ちゃんと会って下さいよ」

「うん。絶対にみんなのために予定空ける。学校も休むから」

「いやいや、仕事はしてくださいよ」


 俺が笑っていると、露木先生が目を擦って小さく息を吐く。


「ごめんね。変なことに付き合わせちゃって」

「いや、みんな一緒が良いのは俺も本当のことなんで」

「多野くん達と一緒の二年間、本当に――」

「その言い方はダメですよ。まだまだこれから付き合いがあるんですから」

「ごめん。そうだね」


 俺が眉をひそめて言うと、露木先生がクスクス笑いながら言う。すると、露木先生の前に横から突然凛恋が現れて立った。そして、ベンチに座る露木先生に抱き付く。


「露木先生……私も、露木先生と離れ離れになるの嫌です! 毎日、露木先生と昼休みにご飯食べたい!」


 凛恋は涙声で必死に露木先生にしがみ付く。


「八戸さん……」

「私も! 私も露木先生と会えなくなるの寂しいです!」

「赤城さん……」


 今度は希さんが泣いて露木先生に抱き付く。


「「「露木先生……」」」


 後から、萌夏さん、里奈さん、理緒さんも露木先生に抱き付いて泣き出す。そして、露木先生はみんなを抱き返しながらまた涙を流していた。

 俺はみんなに席を譲るように立ち上がる。そして、ベンチの後ろ側に回って背もたれに座ると、目を手の腹で押さえた。


「くっ……」


 喉に力を入れて息を止めて、溢れ出しそうなものを抑える。

 抑えて堪えて、俺は必死に息を潜めた。


 やっと今、俺の中で実感が押し寄せてきた。

 もう今日で俺は高校生じゃなくなったのだと、露木先生が担任のクラスの生徒ではなくなったのだと、友達と同じ学校の生徒じゃなくなったのだと。


 押し寄せてから、もっと色んなことをすれば良かったと思う。

 もっと早くみんなと仲良くなっていればと思う。

 それに……卒業をしたせいで、俺達はみんなで予定を合わせないといけなくなった。


 今まではただ学校に行くだけで良かった。

 学校に行きさえすれば、露木先生だけじゃなくてみんなと会えた。


 これからは気軽にみんなにおはようも言えなくなる。

 露木先生の声で出席も取ってもらえなくなる。みんなで学校で輪を作って、しょうもない話も出来なくなる。


 離れるのは距離だけだ。友達じゃなくなるわけじゃない。

 露木先生とも距離が離れたからと言って、見ず知らずの人になるわけじゃない。

 でも……そのただの距離が何もかもをやり辛くする、出来なくする。


「凡人」

「……せ、な」

「泣きなよ。全然恥ずかしくないよ」


 目の前に立っていた瀬名がハンカチを差し出してくれる。でも、俺は手の甲で目を擦ってそっぽを向く。


「泣いてな――」


 俺がそっぽを向いた先で、目を真っ赤にした露木先生が見え、両頬を摘まれて横へ引っ張られる。


「そういうところは可愛くないよ」

「凡人って人前で弱いところ見せたがらないよね」


 腕を組む凛恋が目を真っ赤にした顔でニヤッと笑う。


「またこのバカップルは人前でいちゃついちゃって。私も瀬名といちゃつこ! ねー瀬名ー?」

「り、里奈!」


 目を真っ赤にした里奈さんが瀬名に抱き付き、抱き付かれた瀬名は真っ赤にした顔と目で里奈さんを見る。


「あーあー、二組ともお熱いことで」

「羨ましいね」


 目を真っ赤にしながら辟易した顔をする萌夏さん。それに理緒さんも目を真っ赤にしながらクスクス笑っていた。


「さあ、みんな戻ろう。露木先生も」


 目を真っ赤にした希さんが微笑んで手招きをする。


「さっ、凡人行くよ」


 凛恋に引っ張られながら俺は、みんなと一緒にパーティー会場に戻る。

 卒業は嫌なやつだ。

 卒業することを強いて、みんなを必然的にバラバラにして、約束がなければ気軽に会えなくする。

 そうやって俺達の関わりを薄くして、俺達を疎遠にしようとする。


 そんなものに、絶対に負けるものか。

 そんな人を引き裂こうとする卒業に負けてたまるか。


 俺達はずっと友達だ。卒業が俺達を引き離そうとしても、絶対に俺達は卒業なんかに負けない。

 ずっとずっと、一生卒業に抗い続ける。

 ずっとずっと、一生友達で居ることで。

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