【九八《休まらない時》】:一

【休まらない時】


 凛恋を無事に送り届けた後、ポケットに仕舞った俺のスマートフォンが震える。


「鷹島さん?」


 スマートフォンの画面に、鷹島さんの名前が表示されている。連絡を取るのは夏休み以来で、鷹島さんの方から連絡が来るのは珍しい。


「もしもし?」

『多野くん、久しぶり』

「ああ、夏休み以来だな」

『…………大丈夫?』

「大丈夫だ」


 鷹島さんは恐る恐る俺の様子を探っている。

 その声の調子から、鷹島さんが刻雨高校の保護者が俺の退学を求めていることを知ったんだろうと分かった。


『私に何か出来ることがあったら何でも言って』

「ありがとう。でも、俺も保護者と学校が結論を出すまで、どうすればいいか分からないんだ」

『そう……でも、本当に何でも言って。友達の力になりたいから』

「ありがとう鷹島さん。鷹島さんの力が必要になったら必ず助けてもらうから」

『…………絶対に、無理をしないようにして』

「ああ。……じゃあ、また」


 鷹島さんとの電話を終えて、鷹島さんの心遣いが嬉しいと思うと同時に、もう刻季にまで広まったのかと思った。

 それはマスコミが動いているのだから当然なのだが、かなり早い気がした。


 ほぼ確実に自主退学を促されることになるだろう。そこからひっくり返すには、どうすれば良いのだろう。


 俺本人ではなく、顔の広い筑摩さんが動いても生徒の三割しか賛同者は得られなかった。ということは、保護者の主張そのものをひっくり返す必要がある。

 退学要求の根拠になっている主張が間違っているとか、見当違いだと証明することがそうだ。しかし、それは難しい。


 俺の母親が犯罪者で、俺が犯罪者の息子だというのは変わらない。たとえ、顔も名前も知らないような母親で、母親らしいことを何もされていなかったとしても、事実は変わらないのだ。


 保護者達は、俺が犯罪者の息子だから、自分達の子供と一緒の空間に居させたくないのだ。

 それをひっくり返すということは、俺が犯罪者の息子ではないと証明しなくてはいけない。でも、そんなこと出来るわけない。

 …………どう足掻いたって、俺は犯罪者の息子だ。


 そんな状況でも、諦めるわけにはいかない。凛恋とずっと一緒に居るために、退学するわけにはいかないからだ。でも、俺には退学要求をひっくり返す手立てがない。


 俺が犯罪者の息子でないと言えないなら、俺が犯罪者の息子でも無害だと言えばいい。でも、言ったって信じるわけがないのは明白だ。


 俺は犯罪者の息子で、他の生徒に害がある。

 そう保護者の間で結論が出ている。一度出た結論を覆すのはかなり難しい。


 単純に賛同者の割合で言えば、退学要求をしている保護者は九割で、俺の味方をしてくれているのは生徒が三割。

 それに、生徒の保護者と生徒本人達の立場を比べれば、保護者の方が強いに決まっている。

 生徒を通わせているのは保護者で、私立である刻雨高校に授業料を払っているのは生徒ではなく保護者なのだから。だから、単純な割合でも学校に対する立場でも、俺の賛同者の方が不利だ。


「ただいま」

「凡人、おかえり。大丈夫だった?」


 家に帰り着き、玄関を開けて中に入ると、婆ちゃんが心配するように声を出す。


「特に、学校から連絡あったかもしれないけど、自宅謹慎になった」

「そう……」


 婆ちゃんが視線を落として、小さく呟く。しかし、俺は声を出して玄関に上がる。


「婆ちゃん、腹減った。昼飯何かある?」

「お昼は炊き込みご飯と肉じゃががあるから、少し待ってて?」

「ありがとう。婆ちゃん」


 婆ちゃんが台所に歩いて行くのを見送って、廊下を歩いて居間に入る。


「凡人」

「ただいま、爺ちゃん」


 座卓を挟んで爺ちゃんの向かい側に座ると、爺ちゃんが険しい顔をして俺を見る。


「凡人、何かあったらすぐに言いなさい」

「分かった。でも、今のところは何もない」


 保護者が俺の退学を学校側に要求した。今はただそれだけだ。何か嫌がらせを受けたわけでもない。だから、爺ちゃんに言うようなことはない。


「刻季で同じようなことがあったんだ。転学する前から覚悟はしてた」


 嘘は言っていない。覚悟はしていた。ただ、その覚悟が薄れて消え掛けていただけだ。


「いただきます」


 婆ちゃんが炊き込みご飯と肉じゃがを持って来てくれて、俺はさっそく炊き込みご飯をかっ込む。

 食欲は普通。凛恋と、俺のために抗議してくれる希さん達のおかげで、気持ちが落ち着くことが出来た。


 とりあえず、今は俺に出来ることはない。学校側が退学要求を拒否して俺の謹慎を解けば何もする必要はない。

 俺が何かをするのは、学校側が俺に自主退学を促して来た時だ。

 まあ、自宅謹慎を解かずに自主退学をさせようとしてくるかもしれないが。


「家に来てたマスコミはなんで来てたんだ?」

「ガヤガヤ騒いでただけだ」

「嘘だろ」

「…………凡人が関わった事件の話だ」

「事件の話?」


 爺ちゃんの言葉に首を傾げる。その俺に、爺ちゃんは落ち着いた声を発する。


「凛恋さんのストーカー事件二件。切山さんと露木先生の脅迫事件。そして、つい先日の女子更衣室侵入事件だ」


 爺ちゃんの言葉に、俺は肉じゃがに伸ばした箸を止める。


「刑事事件に四件関わっていることがマスコミの目に付いたようだ」

「まあ、普通に生きてたら刑事事件四件に関わるなんてないからな」


 全部、俺が起こした事件ではない。でも、マスコミとしてそれは関係ない。

 母親が犯罪者の高校生が、刑事事件に四件も関わっている。それが重要なのだ。

 それで、記事のネタにするつもりなのだろう。


「みんなは大丈夫かな……」

「絶対に安全とは言えないが、今の世論の盛り上がり方だと、凛恋さん達に取材をするのはマスコミにとっては逆効果だ。今は、加害者家族の凡人についてだからな。被害者側を下手に突けば問題になる。世論は被害者側に優しいからな。それに今は、凡人の話題を報道した方が注目を集める」


 爺ちゃんの言葉は、何も世論を皮肉ったわけではない。事実、世論は被害者側に優しい。

 世論は勧善懲悪を好む。そして、世論から見れば被害者は善で加害者は悪だ。

 その悪には、加害者家族も含まれる。もちろん、全ての人がそういう考え方というわけではない。世の中の考え方で最も多い考え方を切り出したらそうなるのだ。

 それを考えれば、事件の被害者側である凛恋達が、何か被害に遭うこともないという爺ちゃんの話も現実味がある。

 ただ、それで安心出来るわけがないのが現実だ。


 俺も安心した時に現実が押し寄せてきた。

 その安心のせいで、周りは俺に巻き込まれ、俺は少なからずダメージを負った。だから、安心し切るのは良くない。

 それでも……確実に、何か凛恋達に被害が起きるわけじゃないだけでも、気持ちが軽くなった。


「凡人、お前は何も悪くない」

「ありがとう。爺ちゃん」


 昼飯を食べ終え、俺は食器を片付けた後に台所から廊下に向かって歩く。

 謹慎中の授業内容は、希さんか凛恋にノートを見せてもらって補填するしかない。

 あとは問題なのが、授業への出席日数だ。謹慎中は出席日数がカウントされない。

 そうなると謹慎中に行われた各教科の授業を欠課することになり、各教科の単位が足らなくなる。単位が足りなければ来年度の進級にも響いてくる。


「欠課が増えると……受験に響くだろうな……」


 受験の際に学校側から受験校に出される調査書には、謹慎処分の有無は書かれない。でも、欠席日数は書かれる。

 たとえそれが、単位を落とすギリギリ手前だったとしても、欠席日数の量は目に付いてしまうはずだ。


 俺は何も悪いことはしていない。でも、言い渡されたのは謹慎処分。その理不尽さには思うところがあるが、いくら俺が声を荒らげたって変わらない。

 生徒の三割が賛同してくれても変わらないのだから、たった一人では何も出来なくて当然だ。


 廊下を歩いて自分の部屋へ足を進めていると、家のインターホンが鳴る。丁度玄関に向かおうとしていた俺は、そのまま玄関を開けて来客に対応しようとした。そして、玄関が開いた先に居る人を見て固まる。

 視線の先には、体の横にキャリーバッグを置いた凛恋の姿があった。


「家出してきた」


 その凛恋の言葉に驚いて、俺は「どうしてここに」という言葉さえも出なかった。




 居間にあぐらを掻いて座る俺は座卓の横から、斜め前に正座して座る凛恋のお母さんに視線を向ける。そして、座卓を挟んでお母さんの向かい側には、爺ちゃんと婆ちゃんが並んで座っている。


「娘がご迷惑をお掛けして申し訳ありません」


 お母さんが爺ちゃんと婆ちゃんに深々と頭を下げて、視線を俺の隣に居る凛恋に向ける。

 お母さんのキッと睨み付けるような視線を受けた凛恋は、俺の腕を掴んで俺に身を寄せる。


「凛恋、帰るわよ」

「嫌……」

「凛恋?」


 お母さんの口調は落ち着いている。しかし、お母さんの言葉を拒否する凛恋に、抑えた声の中に怒りを込める。でも、凛恋は首を振ってお母さんに視線を向けた。


「凡人の側に居たいの! 私が辛い時、凡人は私の側に居てくれたっ! 凡人は私のことを守ってくれたっ! だから……だから、今度は私が守る番なのっ!」

「凛恋さん、うちに居れば、良からぬ輩が来るかもしれない。そういう場所に、凛恋さんを預かれないよ」


 爺ちゃんが凛恋を落ち着いた声で諭す。

 今、多野家は世間の色んな人から目を向けられている。その目の大半は好意的な目ではない。

 俺や爺ちゃん、婆ちゃんにはそれを向けられる理由がある。

 その理由に正当性があるかどうかは、悪意的な目を向けてくる人達には関係ない。


 だけど、凛恋は全く関係ないのだ。凛恋が誰かから悪意を向けられる理由もないし、凛恋が誰かから悪意を向けられる場に身を置く必要もない。


 凛恋は優しい。だから、俺達多野家に向けられた悪意を目にしたら、酷く傷付いてしまう。

 それが分かっているから、爺ちゃんは凛恋を拒んだのだ。


「凡人はっ! 凡人は私だけじゃなくて、私達家族を守ってくれました! それに……私が凡人の側に居たいんですっ! 凡人は……凡人は、放っておいたら全部一人で抱え込んじゃうからっ……辛いこと、苦しいこと、悲しいこと寂しいこと……全部……全部凡人は自分だけで我慢しちゃうんですッ! そんなこと、凡人にさせたくないんですッ!」

「凛恋さん……」

「凛恋……」


 爺ちゃんは唇を噛み、お母さんは視線を座卓の上に落として、それぞれ凛恋の名前を口にする。

 居間の雰囲気は重たい。その重たい雰囲気の中で、落ち着いた穏やかな声が響いた。

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