【九四《ご褒美》】:一

【ご褒美】


 体育大会の翌日は振り替え休日で、平日にも関わらず朝寝坊が出来ると思っていた。しかし、俺は凛恋の要請でいつもと同じ時間に凛恋の家に向かった。

 いつも通りの時間に八戸家に到着し、いつも通りにインターホンを押すと、中から凛恋が出て来た。


「凡人! おはようっ!」

「イデッ!」


 満面の笑みで飛び出して来た凛恋が、俺の体に飛び込んでくる。

 俺はその凛恋を両手を広げて受け止めようとした。しかし、何とか受け止められたものの、全身の筋肉が軋んで痛む。


「か、凡人!? もしかして……」

「…………昨日頑張り過ぎて、筋肉痛がきた」


 何とか凛恋を支えながら言うと凛恋がジーッと俺の顔を見た後、ツンと俺の太腿をつつく。


「イダッ!」


 筋肉痛になった太腿を刺激された俺が悲鳴を上げると、凛恋が俺にキラキラとした目を向ける。


「かっ、可愛いっ!」

「イダダッ! 凛恋、痛いって」


 悪戯心に火が付いた凛恋に体を弄られ、俺は痛みに悲鳴を上げる。


「ご、ごめん! 痛がる凡人も可愛いって思って、つい」


 照れた笑いを見せられると許さない訳にはいかない。

 凛恋は俺の体から離れて、体の後ろで両手を組んでニコッと笑い、可愛らしく首を傾げながら俺を見上げた。


「もう準備出来てるから、行こっか」

「行く?」


 廊下に置いてあったバッグを持った凛恋が、俺の腕を抱いてそう言う。

 俺はてっきり、凛恋の家でまったり過ごすのかと思ったが、今日は出掛けるらしい。


「さっ、行こー」

「あっ、ああ」


 凛恋に引っ張られて歩き出す俺は、凛恋の横顔を見詰める。


「そういえば、昨日凡人が夢に出てきたよ」

「俺が?」

「うん。凡人格好良かったよ! 剣と盾を持ってて、私を大きくて黒いドラゴンから守ってくれたの」


 だいぶファンタジックな夢だったようで、凛恋はニコニコと嬉しそうに話す。


「私は王国のお姫様で、凡人がドラゴンを倒したから、国王役のパパが私と凡人の結婚を認めてくれて、大きな屋敷で幸せに暮らすところで目が覚めた」


 どうやら凛恋のお父さんも国王として出てきたようだ。凛恋がお姫様だったのなら、配役としては当然だ。


「でも、やっぱり現実の凡人の方が格好良い」

「ありがとう、凛恋。凛恋もいつも変わらずめちゃくちゃ可愛い」

「凡人、ありがと!」


 ムギュっと腕を抱き締める凛恋が可愛くはにかむ。

 今日は凛恋のファッションがパンツスタイルで、ミニスカートの時のように他の男にパンツや太腿を見られる心配がないという安心感があっていい。

 だが、凛恋のミニスカート姿も大好きだから、ミニスカートは部屋でまったりする時に穿いてもらおう。


「凛恋、今日はどこに行くんだ?」

「ん~? ひみつ~」


 凛恋がニコニコしているということは、行ってからのお楽しみということだろう。


「そういえば、昨日の昼休みに希を訪ねてきた男子、やっぱり希が好きみたいね。手紙に連絡先が書いてあったらしいわ」

「手紙の内容を聞いても良かったのか?」


 凛恋がそう話を切り出すが、俺はそれを聞いて少し罪悪感を抱いた。

 詳細な内容を聞いたわけではないが、ラブレターの内容を、渡された本人ではない俺が少しでも知ってしまったことに申し訳なく思う。

 きっと、一年男子も俺なんかに、ラブレターに自分の連絡先を書いて渡したなんて知られたくなかっただろう。


「希が困って相談してきたのよ。どう断れば良いかって」

「あ~、まあ、連絡先が書いてあった手紙じゃ断るにしても呼び出して断るしかないしな。そういうのは希さんの性格じゃ出来ないだろうし」


 希さんには栄次という彼氏が居るから、端っから断るつもりでいたのだろう。だが、連絡先が書いてあったからと言って、そこに連絡して断るわけにもいかない。

 連絡するということは、一年男子に連絡先を教えるということになってしまう。


 あの一年男子がどういう性格か分からないが、誰にでも連絡先を教えるというのは危険でしかない。

 特に、希さんと一年男子のように面識がほとんどない相手にいきなり連絡先を教えるのは、希さんも躊躇われるはずだ。

 まあ、栄次が居るから面識があったとしても、希さんは断ったと思うが。


 希さんは大人しく優しい性格だ。そんな希さんが、わざわざ一年男子を呼び出して断るということを出来るとは思えない。

 そもそも、それが出来る人の方が稀だ。

 それで、どうすれば良いか分からず、凛恋に相談したということだろう。

 凛恋はモテる。だから、今回のように相手の好意を断ることにもなれているはずだ。


「それで、何もしなければ良いんじゃない? ってアドバイスしたの」

「まあ、無視する形になるから希さんとしては心苦しいかもしれないけど、それがベストだろうな」


 もし自分が、女子から連絡先の書かれた手紙を貰って、呼び出して断ることがし辛いと考えたら。何もしないしか思い浮かばない。

 本当なら、直接断った方が良いのかも知れない。でも、凛恋の言葉から察するに、多分明確に『好きです』なんて言葉は手紙に書かれていなかったのだろう。


 誰の目から見てもラブレターだと思える手紙でも、明確に好意を示す言葉がなければ、好意を断るということはし辛い。

 手紙を渡した男子は、希さんから連絡が来るか来ないかとやきもきすることにはなるが、こちらからコンタクトを取らずに拒否の意思を示すにはそれしかないと思う。


「希も他に方法ないかなって言ってたんだけど、その方が希に対する危険もないし」


 希さんに対する危険もない。その凛恋の言葉を聞いて、俺は凛恋の体を引き寄せる。

 男に対して危機感を最初に抱くのは、凛恋が男に対して恐怖心を持っているからだ。男は乱暴な生き物だと凛恋の心に刻み込まれているからこその考え方だ。


 もちろん、男に対してというか、他人に対して警戒心を持つことは悪いことではない。むしろ、俺は警戒心を持つことは良いことだと思う。でも、それで凛恋が怖がるのは辛い。

 男に対しての恐怖心を抱かせてしまったのは、俺が凛恋を守れなかったからだ。


「里奈は羨ましいって言ってたけど、私は全然嬉しくない。全く話したことない人から手紙とか怖いし……だから、ずっと凡人の隣でくっ付いてる! だって、凡人が居れば私のこと絶対に守ってくれるし!」


 ニーッと笑って俺の腕に頬を当てる凛恋がそう言う。


「当たり前だ。凛恋のことは絶対に何があっても俺が守る」

「ありがとー凡人! そんな優しい凡人のために、今日はいっぱいおもてなしするね!」


 横から見上げる凛恋の『おもてなし』という言葉に、大きく膨らんだ期待を更に膨らませ、俺は凛恋の隣を歩き続けた。




 目の前にある建物を見て、俺は首を傾げる。


「ここは……」

「見ての通り、スパ!」


 凛恋が連れて来てくれたのは、おしゃれな赤レンガタイルの壁が印象的な大きな建物。

 この辺りに数年前に出来たスパ。小難しい言葉で言えば、大規模公衆浴場。

 詰まるところ、風呂屋だ。


「凡人が体育大会で疲れてると思ったから、ここで一緒に疲れを取ろうと思って」

「ありがとう凛恋。でも、結局別々に入ることになるよな~」

「ここのお風呂は全部レンタル水着で入るお風呂で混浴なのよ。だから、二人でゆっくり出来るの」

「そうなのか」


 水着で入る混浴。それなら、別々に入るわけではないから、デートにはうってつけだろう。


「さ、入ろ!」


 凛恋に手を引かれて正面入り口から建物の中に入る。

 受付カウンターまで歩いて行くと、二人でそれぞれ入浴料を支払って、自分の水着選びに入る。


 流石に、水着を選ぶところと着替えるところは男女別で、俺は適当にサイズだけを見てすぐに選ぶ。

 男の水着なんてあれこれ悩んだって、結局大して変わらない。


 水着を選び着替えを済ませた俺は、貴重品と着替えをロッカーに仕舞って、体を洗った後に浴場スペースの入り口に入る。


「広っ!」


 旅館の大浴場や銭湯とは比べものにならない広い空間を前に、俺は高い天井を見上げながら声を漏らす。

 外観を見た時に大きな建物だとは思ったが、ここまで広いとは思わなかった。


 視界の中にはいくつもの広い湯船が見え、その湯船を満たしているお湯から湯気が立ち上るが、空調設備があるのか浴場スペースに湯気は立ち込めておらず、湯船から立ち上る湯気はすぐに消えていく。


「隙ありっ!」

「フギャッ!」


 後ろから脇腹を突かれて声を上げ振り返ると、白地に赤の花柄をしたビキニ姿の凛恋が立っていた。

 俺はそれを見てとっさに周囲を見渡すが、俺達の他に入浴客は見当たらない。


「誰も居ない?」

「誰も居ないってわけじゃないと思うけど、今日は平日だから人が少ないのかも」


 今日が振り替え休日ということを忘れていた。世間的に平日なのだから、客足が少なくても当然だろう。


「さっそくあそこに入ろう!」


 手を引っ張って歩き出す凛恋に連れられて、近くにあった湯船に入る。

 この湯船は普通のお風呂のようで、俺は湯船の中に肩まで浸かって息を吐く。

 なんか入浴剤とか特殊な設備とかは付いていないが、広いしゆったりと足を伸ばせて入れて、体から昨日の疲れがじんわり染み出ていく。


「あぁ~極楽、極楽」

「気持ち良いね~」


 隣で浸かる凛恋が俺の手を握り、腕を抱くために身を寄せてくる。

 湯船の中で、凛恋の肌触りが良く張りのある肌が触れ、体の温度が少し上がる。


「こんな時に話すことじゃないんだけどね」


 そう切り出した凛恋の言葉と雰囲気で、その話が良くないことだというのは分かる。でも凛恋がそれでも話すというのだから、俺は聞く義務がある。


「萌夏……友達辞めるって言い出したの」

「はあ!? なんでだよっ! ――ッ!? ……もしかして、あのことが原因か?」

「うん……」


 凛恋は俯きながらそう答えた。あのこと、というのは、当然内笠の件だ。


「友達の彼氏を好きになるって、よくあることじゃないと思うけど、全くないことじゃないと私は思う。むしろ、凡人が誰かから好かれるのは当然だとも思う。それに、萌夏は明るくて優しくて良い子で、そんな萌夏が凡人を好きになったって聞いて、そうだよね、凡人なら仕方ないよねって思う私も居たの。もちろん、ビックリはしたけど」

「…………俺が、悪かったんだ。俺がいつも通りに出来なかったから――」

「凡人のせいじゃない。それに、これは萌夏のせいでもない。悪いのは全部、萌夏のことを傷付けたやつよ」


 俺の手を握る凛恋の手に力が入る。


「萌夏は、ちゃんと自分で考えて、気持ちを伝えずに心に仕舞うって決めてそうしてた。萌夏がそう望んでしてたことを、萌夏を傷付けたやつが勝手に凡人にバラした。それだけじゃんってしたかった。でも…………」

「分かってる。あの時、萌夏さんに凛恋が俺に秘密にしてたことを話したのも、萌夏さんの罪悪感を軽くするためだったことくらい」

「…………でも、そんな簡単にはいかなかった」

「…………女子にとっては、堪えられないだろうな」

「うん……。でも、止めたから。絶対に友達辞めるなんて許さないって、止めた」

「ありがとう、凛恋。俺も、萌夏さんと友達を辞めたくない」


 辞めたくないと言うものの、具体的にどうすれば良いのか分からない。


「気持ちは分かるの。好きな人に知られたくないこと知られて、どう接すれば良いか分からなくて。それで、辛い思いするならいっそ、友達辞めた方が楽かもって考えちゃう気持ちは。でも、私達の友情は、気持ち悪い勘違い男のせいで壊れる程脆くない」

「そうだよな。でも、どうすれば、良いんだろう」

「うん……希とも話して考えてる」

「俺も、萌夏さんに気を遣わないように心掛ける。やっぱり、俺が気を遣ってるせいで萌夏さんが接しにくくなってるのは確かだし」

「ありがとう、凡人」

「俺と凛恋の大切な友達のことだ。凛恋がお礼を言うことじゃないだろ?」

「……うん! 凡人にちゃんと話して良かった」


 誰も周りに居ないからか、凛恋が俺の頬に軽くキスをして腕を強く抱きしめる。


「はぁ~、凡人と一緒にお風呂入ると落ち着くのよね~」

「うちに爺ちゃんと婆ちゃんが居ない時は入ってるだろ?」

「そうだけど、チョー久しぶりじゃん」

「まあ、そう言われるとそうだな。また爺ちゃんと婆ちゃんが居ない時に泊まりに来いよ」

「凡人のお爺ちゃんとお婆ちゃんには申し訳ないけど、私も凡人と二人きりが良い」


 少し申し訳なさそうな表情で笑って、手でお湯をすくって自分の体に掛ける。今度は、爺ちゃんと婆ちゃんが温泉に行く情報を早めに収集しなければならない。

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