【九三《頑張りの源》】:一

【頑張りの源】


 憂鬱だ。


 朝っぱらから雲一つない晴天で、何で寄りにもよって今日が晴天なんだと不満を吐きたくなる。せっかく吊した、逆さのてるてる坊主が全く意味をなしていない。


「やっぱり、黒い布を用意すれば良かったか……」


 雨を降らせるおまじないの『てるてる坊主を逆さに吊す』だが、これは黒い布で作らなければいけないという補足がある。しかし、黒い布なんて早々家に置いてあるものじゃない。

 だから、俺はティッシュペーパーで普通にてるてる坊主を作って、それを逆さに吊すことしかやっていない。だから、雨が降らなかったのだ。

 きっと、前の日の天気予報で降水確率が〇パーセントだったとかは関係ない。


「そろそろ行かないとなー」


 現実を逃避し続けても、晴天という残酷な現実は変わらない。俺は、いつもとは違い、運動着姿でスポーツバッグを肩に掛けて部屋を出る。


「いってきまーす」

「行ってらっしゃい」

「行ってこい」


 婆ちゃんと爺ちゃんに一声掛けた後、俺はまた空を見上げてため息を吐く。

 今日は刻雨高校の体育大会。いわゆる、運動会だ。

 運動会で喜ぶのは小学校低学年まで、という持論がある俺は、運動会なんて不必要だと思う。

 暑いし疲れるし面倒くさいし疲れるし、疲労が溜まるし、くたびれるし、疲弊するし、気力を失う。

 そんな運動会をやって何の意味があるんだ。


 家を出て、重い足を動かしてトボトボと歩き、俺は八戸家に着く。すると、玄関先でキョロキョロしている凛恋と目が合った。俺と目が合った凛恋は、俺の方を見て呆れた顔をしていた。


「来るのがいつもより遅いと思ったら、やっぱりやる気失って歩くの遅くなってたのね」

「おはよう、凛恋」

「おはよう、ダーリン!」


 凛恋がからかうようにダーリンと口にする。あれ? なんだか、さっきまで重かった体が急に軽くなった気がする。


「荷物取ってくるから待ってて」

「ああ、急がなくていいぞ」


 凛恋が家の中に戻って行くのを見て、空を見上げる。照り付ける太陽の光が目に染みて痛い。


「凡人! おまたせ!」


 家から出て来た凛恋が、早速俺の腕を抱く。


「凡人、残念だったねー。雨降らなくて」


 凛恋がクスクス笑いながら言う。昨日、俺がてるてる坊主を作って逆さに吊すのを見ていたから、それを思い出して笑っているのだろう。


「凡人が真剣な顔して、てるてる坊主を作ってるの可愛かったなー」

「だって、体育大会はダルいだろ……」

「私も運動苦手だけど、出ないといけない競技だけ出れば、あとは話してるだけで良いじゃん」


 凛恋の言う通り、出ろと言われている競技以外の時間はだらけていても問題ない。

 他競技に出ている人の応援もあるが、その辺は”体育大会やる気勢”に任せた方が良い。

 そのことに対して、並々ならぬ意欲を持って取り組む人を、俺のようなやる気のない人間はやる気勢と呼ぶ。


 やる気勢の人は凄いと思う。

 俺が神頼みしてまで中止にしたいことに積極的に取り組むのだ。そのやる気を俺にも分けてほしい。

 やる気を分けてもらって、やる気が持てれば、俺も多少は前向きに挑めるのかもしれない。しかし、現実にやる気を分け合うことなんて出来るわけもなく、俺のような非やる気勢は淡々とこなして時が過ぎるのを待つしかない。


「男子の競技はやる気勢が多いからな……」

「男子って、小学生の頃から運動会大好きよね」

「凛恋、運動好きの比率が男子の方が多いだけだぞ」

「そーね、運動嫌いで雨を降らせようとしちゃう男の子も居るもんねー」


 凛恋にまたからかわれ、俺は少し不満げに唇を尖らせる。たとえ子供じみていたとしても、嫌いなものは嫌いなのだから仕方がない。


「でも、私は凡人が運動苦手で良かったなー」

「そうか?」

「そうよ。だって、格好良くて身長高くて頭良くて、その上運動まで出来たら、学校中ライバルだらけになるし」

「俺は凛恋と付き合い始め――いや、付き合う前からライバル多かったぞ」


 出会った頃の凛恋は、派手な見た目で明るく社交的な性格と見た目の可愛さに加え、家事が得意という家庭的なギャップからモテていた。


 凛恋はモテて当然。その凛恋は俺と付き合った後もその人気は衰えず、男性が苦手になって男性と会話する機会が極端に減った今でも、学校の男子人気は高い。それに…………。

 俺は、チラリと凛恋の格好を見てため息を吐く。


 刻雨高校の学校指定の運動着は、俺が刻季高校で使っていたものよりおしゃれではある。しかし、少しおしゃれであっても運動着というのは変わらない。


 上着は白シャツにスポーツ用品メーカーのロゴが入り、短パンも両側面に帯状のラインが入って、そのラインの中には同じメーカーのロゴマークが並んであしらわれている。


 本来はシャツと短パン以外に、長袖長ズボンのジャージがある。でも、いくら夏休みを過ぎたと言っても、まだ残暑が厳しく長袖長ズボンで出歩くのは暑い。

 それに、今から運動をさせられて体が熱くなると言うのだ、ジャージを着るわけがない。

 当然、俺だってシャツと短パンだけしか着ていない。


 無理な厚着は脱水症状の原因にもなる。だから、凛恋の体のことを第一に考えれば、このままの格好が良い。

 それは分かっているし、ジャージを着ると凛恋が言い出したら俺は止めるだろう。

 でも……シャツと短パンだけだと、色々と気が気じゃ無い。


 シャツ一枚越しに凛恋の胸の膨らみは見えているし、短パンは丈が膝上まであると言っても凛恋の綺麗な足をさらけ出している。

 それに、少し動いて短パンの裾が捲れれば、凛恋の太腿が見えてしまう。

 こんな色々と男子の精神安定に危険をもたらす凛恋を、ただでも血気盛んな思春期男子達が運動をして、更に興奮した中に居させるなんて危険過ぎる。


「凛恋! 凡人くん! おはよう!」

「希! おはよう!」


 俺が考え事をしているあいだに、いつも希さんと合流する地点に辿り着く。

 希さんもシャツと短パン姿で、肩にスポーツバッグを掛けている。


「希さん、おはよう」


 挨拶をして、いつも通り希さんが凛恋の隣に並んで歩き出す。

 周囲には同じように刻雨高校の運動着を着ている生徒がちらほら見え、みんな楽しそうに話をしている。

 格好はいつも通りじゃないし、心なしか、みんなの表情がいつもより明るく見える。

 やはり、今日は通常授業じゃないというのが影響しているのだろうか?


 三人で刻雨高校の校門を抜けると、真っ直ぐ校内のグラウンドに歩いて行く。

 刻雨高校のグラウンドには、白いテントが何張りも並んでいる。

 昨日の放課後、男子総出で準備したテントだ。

 今も体育教師に駆り出された運動部の連中が、開始前最後の準備をしている。


「か、凡人、助けてぇー!」

「ん?」


 助けを求められ、助けを求めた声の方を見ると、一人の生徒が走ってくるのが見えた。

 白いブラウスに胸元には青いリボン、そして赤チェックのスカート。合い服だからブレザーは着ていないが、運動着の生徒が多い中、何故か制服姿だ。


「ちょっ! ちょっと凡人から離れてッ!」


 走ってきた制服姿の生徒が俺の胴に飛び込んで抱き付いてくる。

 それを見た凛恋が悲鳴にも似た声を上げた。


「八戸さん、僕だよ!」

「あんたなんか知らないわよッ! とにかく凡人から離れてッ!」

「ヒィッ!」


 俺に抱き付いた生徒は、ものすごい形相で怒る凛恋にビビって俺の背中に隠れる。

 その生徒を見て、俺は小さくため息を吐いた。


「小鳥に女装癖があったとは知らなかった」

「えっ!?」


 俺の言葉を聞いた凛恋が驚いてまた声を上げる。

 俺に抱き付いてきたのは、女子生徒ではなく“女子制服を着た小鳥”だ。

 なぜ、小鳥が女子の制服を着ているのか分からないが、正直、女装した男に抱き付かれるのは気持ち悪い。


「違うよっ! 応援で必要だからって言われて……」

「応援?」

「応援団で学ランを着るでしょ? それで、男子は女子の制服だって言われて……」

「ああ、小鳥は応援団をやるんだったな」


 何を隠そう、小鳥は体育大会やる気勢の一人で、俺が絶対に拒否したくなる応援団の一員になっている。

 その応援団で必要らしいが、応援団なら全員学ランで良いような気もする。


「嫌だったら着なければ良いだろ?」

「だ、だって……みんなが着るのに僕だけ着ないなんて出来ないし……」


 小鳥が振り返った先には、学ランを着ている女子と、小鳥と同じように女子用制服を着ている男子が居る。そして、俺はさり気なく視線を逸らす。

 普通の男子がすね毛の処理なんてしているわけもなく…………地獄絵図だった。


「凛恋?」

「やっぱり小鳥くんでもダメッ!」


 凛恋は俺の腕を勢い良く引っ張って、その勢いで俺は小鳥から開放される。しかし、代わりに俺は凛恋に抱きつかれた。


「凛恋、小鳥くんには嫉妬する必要ないんじゃない?」


 希さんがそう冷静な意見を出す。しかし、凛恋は冷静さの感じられない表情で声を荒らげる。


「だって! 女装した小鳥くん、結構可愛いから――」

「ちょっと待て凛恋。俺を見た目が可愛ければ男でも好きになる男だと思ってるのか?」

「でも、見た目チョー可愛いし! 一瞬、本当に女子かと思ったし! 凡人を呼び捨てにしてたし!」

「俺を呼び捨てにする女子は凛恋だけだって」

「もちろんよ! どこの誰かも分からない女に、私の凡人を呼び捨てにさせるわけないじゃん!」


 色々とパニックに陥っているのか、凛恋は真っ赤な顔をして怒っている。


「ほらー! 瀬名ちゃん! 応援団集合だよー」


 学ランを着た女子が手を振って小鳥を呼んでいる。ちゃん付けにされている辺り、存分に女装をからかわれているらしい。

 小鳥は中性的な顔だし細身だから、応援団で地獄絵図を作っている女装男子達に比べればマシだ。だが、完璧な可愛らしさのある彼女が居る俺からすれば、小鳥はただの女装してる男子でしかない。


「凛恋、そろそろ離れてくれ」

「ご、ごめん!」


 いくら付き合っていると言っても、周囲に人が居るところで抱き合うのは恥ずかしい。

 三人で自分達の組が集まるテントの近くに歩いて行く。


 俺達のクラスは白組に所属している。赤と白と比べると、赤はやる気が燃えているというイメージがあるから、俺は白で合っているのかもしれない。

 それは、冷静沈着という意味であって、あまり外に出ないから、日焼けをしていなくて肌が白いという意味では決してない。


 とりあえず、やる気勢の運動部男子達の集会場から離れた場所に座り込む。

 凛恋は希さんと一緒に女子の一団に溶け込み、会話に花を咲かせている。


 テントの影に陣取ってみるが、あまり涼しいとは言えない。

 日なたに立っているよりかはマシという程度で、ムッとした風が体を撫でる。


 ふと視線を向けると、赤組のテントで凛恋の友達の平田佳奈子(ひらたかなこ)さんと入江裕也(いりえゆうや)が親しそうに話しているのが見える。


 平田さんは初対面の時に俺をボンジン呼ばわりした人で、入江は凛恋が昔好きだったイケメン男子。

 どっちも俺が顔と名前が一致出来る希少な人間のうちの二人だが、その二人が仲良かったなんて知らなかった。

 まあ、どっちとも空気が読めないだけで、絶対的に悪だと言えない人間ではある。だから、似た者同士なのかもしれない。


 その二人から視線を離すと、俺の方に真っ直ぐ視線を向けてくる男子の姿が見えた。

 その男子は俺に真っ直ぐ睨みを利かせている。


「…………まだ諦めてないのか」


 石川敦(いしかわあつし)。こいつは去年の文化祭の準備で刻雨に来た時、俺に凛恋の彼氏に相応しくないと言ったやつだ。

 その後は、まああいつのことが嫌いになることばかりだ。


 睨みを利かせているということは、俺のことが気に入らないということ。

 石川が俺のことで何か考えることと言えば凛恋のことしかない。

 まだ、石川は凛恋のことが好きなのだ。しかし、その点に関して心配するのは、石川が狂った思考に陥って凛恋に危害を加えないかだけだ。


 凛恋は男性が苦手になってから、石川に腕を掴まれて怖い思いをさせられたことがある。

 それが原因で、凛恋は他の男性よりも強い恐怖心を石川に対して持っている。

 それに以前から石川に対して嫌悪感も持っていた。だから、凛恋が石川のことを好きになることはない。


 俺だってあいつのことは好きになれない。いや、嫌いだ。


 人を好きになることは自由だ。しかし、あいつのは凛恋に対する執着心が強過ぎる。

 そういうやつは、凛恋を傷付けた男のようにストーカーになる。そんな危険のあるやつを、どうやっても、一途だなんて思えない。


「凡人、どうしたの?」


 座っている俺の前にしゃがんだ凛恋が、そう疑問の声を出しながら赤組のテントの方を見る。すると、赤組のテントを見ている凛恋の視線が鋭くなった。


「んっ――ッ!?」


 テント下で待機する生徒でごった返すグラウンドで、凛恋は俺の唇にキスをする。そして、視線を赤組のテントに向けた。


「ほんっと気持ち悪い。凡人のことを睨むとか何様よ。ホント、あいつ大っ嫌い」


 フンッとそっぽを向いた凛恋は、俺の手を握ってニコッと笑う。


「凡人の手を握ると安心する。本当はギュッてされた方が安心するけど、流石に周りが見てるから」

「周りが見てる前でキスした人がそれを言うと――」

「チューは一瞬だったから良いのよ。ほら、開会式が始まるみたいよ」


 凛恋に手を引っ張られて立ち上がると、開会式のために整列を始める他の生徒に混じって、凛恋と一緒に生徒達の集団に混ざっていった。

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