【九〇《個人の管理》】:二

『どうぞ』


 短い返事をしたその声は若い男性の声だった。

 萌夏さんはドアノブに手を掛けてドアを開き、別荘の中に足を踏み入れて行く。俺はその萌夏さんと一緒に別荘の中に入った。


 玄関を抜けた先は、大理石をふんだんに使われた吹き抜けになっていた。天井が高いからか、後ろでドアが閉じた音が高く響く。


「待ってたよ」

「……久しぶり、内笠(うちかさ)くん」


 正面にある、大理石作りの螺旋階段を下りてきた若い男。シルク製なのか光沢のあるパジャマを着ていて、身長は高くないが色白で細身のその男が萌夏さんに笑顔を向ける。そして、その男を内笠くんと呼んだ萌夏さんは、細く弱々しい声で久しぶりと言った。

 二人は、面識のある間柄のようだ。


「そうだね。もうすぐ一年になるかな」

「凡人くんは帰らせて。関係ないでしょ」

「彼は自分から付いてきたんだろう? それに……本当に無関係かな?」


 そう言って微笑む内笠の表情は冷たかった。朗らかではない、冷たい笑顔。

 その笑顔を向けられた萌夏さんは唇を噛んで視線を逸らした。


「お前は誰だ」

「ああ、初めましてだったね。僕は内笠京(うちかさけい)。元刻雨高校の生徒だ」

「元?」

「そう、丁度去年の今頃かな。僕は刻雨高校を自主退学したんだ。ちなみに、今も現役で高校に通っていたとしたら君と同じ二年だよ」


 元刻雨高校の生徒で俺達と同い年。

 だったら、萌夏さんと面識があることには納得出来る。でも、問題はその学校を辞めた内笠が何故、萌夏さんをここに連れてきたかだ。


「さあ、上がって、お茶を出すから。スリッパは脇にあるやつを適当に使って」


 内笠のその言葉に、萌夏さんは黙って靴を脱いで上がる。

 俺も、萌夏さんの後から別荘の中に上がった。


 内笠は一階の奥にある木製の扉を開き、俺と萌夏さんを中へ入れる。

 通された部屋は、いかにも高そうなロイヤル調の家具で統一されていて、ローテーブルの上に用意されたティーセットも細かな装飾が施されている高級そうな物だった。


「どうぞ」


 内笠にソファーを勧められ、俺は萌夏さんと並んで座る。内笠は、ローテーブルを挟んだ向かい側のソファーに座った。


「君のことはよく知ってるよ。多野凡人くん」

「俺はお前のことは何も知らないがな」


 ここまで連れて来られた経緯と内笠の雰囲気から、どうしても友好的な相手には見えない。

 内笠は穏やかな口調で話してくるが、俺は警戒心を込めて言葉を返す。


「小学校から刻季高校一年に至るまで同級生から酷いいじめを受けてきた。小学校時代に親しかった友人は喜川栄次くんただ一人。その喜川くんと高校になって再会し、喜川くんに連れられて行った刻雨高校女子生徒とのカラオケで、今の彼女、八戸凛恋さんと出会った」

「凛恋に手を出したら許さない」

「そんなつもりはないよ。確かに八戸さんも、喜川くんの彼女の赤城さんも可愛い人だ。でも、僕の好みじゃないしね」


 内笠が自主退学したのが今の時期に近いなら、俺と栄次がそれぞれ、凛恋と希さんと付き合っていることを知っていてもおかしくはない。でも、こうもペラペラとプライベートのことを面識のない他人から口にされるのは薄気味悪い。


「高校一年の秋、一〇数年音信不通だった母親が、組織的な架空請求詐欺を行っていたとして逮捕された。そして、その精神的ショックから数ヶ月失声症を患う」

「何でも知ってるんだな」

「ありがとう。情報を集めるのは得意なんだ」


 皮肉を言ってやったが、さっきと同じ冷たい笑顔を返される。

 内笠はテーブルに置いた高級そうなティーカップに紅茶を注ぎ、俺と萌夏さん、そして自分の前に置く。

 俺と萌夏さんは手を付けなかったが、内笠は自分のカップを手で持って口を付ける。


「君の人生は波瀾万丈だ。でも、その波瀾万丈の人生で君自身は何も悪くない。全て、君以外の人間が悪い。その状況は、凄く僕と似ていてね。君のことを知って凄く親近感が湧いたよ」

「俺はこんな金持ちじゃないぞ」

「違うよ。君も僕も、周りのせいで人生を台無しにされたってことだよ」


 クスクスと笑いながら内笠は首を振る。その笑顔は冷たい笑顔じゃない、本当に愉快そうに笑っている笑顔だった。人生を台無しにされたと口にしているのに。

 内笠が表情に出す感情と話の内容がかみ合わず、背中に冷たい恐怖を感じる。

 感情表現がおかしく見え、まるで感情を持っていなくて感情の表し方が分からないように見える。


「僕もね。物心付いた頃には、もういじめを受けていたよ。でも、君と違って両親が居なかったからじゃない。家が裕福だったからさ」


 ニコッと笑った内笠は、ソファーの背もたれにもたれ掛かり小さく息を吐く。


「別に僕が悪いわけじゃなかったんだけどね。それに、僕の両親が悪かったわけじゃない。父親はそれなりの苦労をして会社を大きくしたし、母親はその父親と結婚して僕を産んだだけだ。そして、僕はその両親の子供として生まれてきただけ。それでも、いじめはなくならなかったな~。学校に行くたびに金持ちだから新しいのが買えるだろうと言われて、私物は全部汚されたり川に捨てられたりした」


 内笠の口調が軽過ぎて事実とはにわかに信じられない。だが、いじめを受けていたとしたら、それを苦に自主退学してもおかしくはない。

 俺だって、同じような原因で転学している。


「でもね、正直滑稽だったよ。僕の家が裕福だって理由でいじめてくるってことは、自分達が貧乏だって僕に言ってくるってことだからね。金を出せって言われたら、言われた額の倍を渡してやったよ。それで、自分達は僕に勝っていると思って意気揚々と帰って行く。その後ろ姿を見るのは面白かったな。だって、そいつらが親に内緒で高価な物を買ったり飲み食いしたりするためには、僕が施しを与えてやらないとダメなんだからさ。僕に生かされているとも知らずに、粋がっている姿は本当に面白かった」

「趣味の良い遊びとは言えないな」

「遊びにもならなかったよ? ただの退屈凌ぎかな?」


 思考が屈折しているとしか思えなかった。

 実際、他人の考えなんて他人が理解出来るわけがないのだが、それを踏まえて考えても内笠の思考は異常だとしか思えなかった。しかし、内笠のいじめへの対処が相手を見下すことにあるとすれば、俺と似ている思考ではある。

 俺の方は、全く親近感を覚えないが。


 しかし、内笠の話が事実だとすると、疑問が浮かぶ。それは、何故内笠が自主退学をしたのかだ。

 金を渡して相手を見下すことで、いじめに対処し精神の平静を保っていたとしたら、いじめを苦にして自主退学することは考えられない。

 他に、何か自主退学する理由があったのだ。


「君は、人をどう思う?」

「人を?」

「そう、君にとって人は……ああ、もっと具体的にすれば君以外の人、いわゆる他人はどう思う?」

「他人には興味が無いな」

「でも、八戸さんのことは大切にするし、喜川くんも赤城さんのことも大切にしているだろう? それに、危険に遭う可能性があるのに切山さんと一緒にここへ付いてきた。興味が無いのに、なんでそこまでするんだい?」

「凛恋は大切な彼女だ。それに、栄次も希さんも、萌夏さんだって俺の大切な親友だ。親友が危険な場所に行くかもしれないのに放っておく訳ないだろ」

「プッ! 親友か」


 俺の言葉に内笠は吹き出す。そして、手の甲で口元を拭って俺に真っ直ぐ冷たい目を向けた。


「残念だ。君は僕と同じ考えの人間だと思ったんだけど。他人をクソだと思ってる人間だとね」

「他人はクソだと思ってるぞ。でも、彼女と親友は他人じゃない」

「面白いことを言うね。恋人だろうが親友だろうが、自分以外は全部他人だよ。家族だって他人だ。君は頭は良いのに国語は分からないのかい? 一度、他人という言葉を国語辞典で調べ直した方が良い」

「内笠、お前こそ辞典を見直した方が良いな。他人は自分以外に“関係のない第三者”を表すって意味もある。そういう意味で、凛恋も栄次も希さんも、それに萌夏さんも俺にとって他人じゃない」

「本当にガッカリだ」


 大きく息を吐いて肩を落とした内笠は、ティーカップをソーサーの上に置いて立ち上がる。


「付いてきてくれないか? 君達に見せたいものがあるんだ」


 俺と萌夏さんは、部屋を出て行く内笠の後を追って部屋を出る。

 内笠は玄関前に戻り、螺旋階段を上って二階へ上がる。そして、二階の細い廊下の突き当たりにあったドアを開いた。


「……これは」


 部屋の中は、一階のロイヤル調の部屋と打って変わって、全て真っ黒に統一されている。モノクロではない、床から天井、壁、置かれている家具、布団、全てが真っ黒だった。

 その真っ黒の部屋にたった一つだけ、天井から明るく青白いLEDライトが部屋を照らしている。

 部屋の奥には、黒いデスクの上に横長の曲面モニターが三つ並べられていた。


「多野くんは頭が良いけど、ディストピアって言葉は知ってる?」

「理想郷を意味するユートピアに反する社会を意味する言葉だ。SF小説とかで良くある設定だな」

「そう、やっぱり頭は良いね。それだけに、もったいないね」


 パソコンの電源を入れた内笠は、ニコッと笑った。


「そのディストピアが、ここに連れて来られた理由と関係あるのか?」

「あるよ。萌夏はベッドに座って」

「……分かった」


 内笠にそう指示された萌夏さんは、部屋の壁際に置かれた黒いベッドの上に座る。俺はその内笠の言葉と、萌夏さんの行動に目を見開いて驚く。


 ついさっき、内笠は萌夏さんを『切山さん』と呼んでいた。でも、今は『萌夏』と呼び捨てにした。

 それはまるで“萌夏さんに命令するような口調”だった。そして、萌夏さんは拒否することなくそれに従った。

 それを見て、俺はすぐに内笠の『ディストピア』という言葉が何を指しているのか分かった。


 ディストピアはユートピアに反する社会のことだが、ディストピアには特徴がある。


 表向きでは平等で争いのない秩序のある良い社会。でも、実際は、政府や秘密結社のような機関が人々を徹底的に管理して、人としての尊厳や権利を持てていない人が縛られた社会になっている。

 そのディストピアを描く小説や映画では、『人工知能』を使って人々を管理するというディストピアがある。

 就職先、進学先を人工知能が決め、結婚相手さえも人工知能がDNAの相性等を理由に決めるものがある。だが、内笠のはそんな高度なディストピア、管理社会ではない。


「裏サイトとあの盗撮サイトを作ったのはお前か」

「ああ、もう分かっちゃったの? 頭が良過ぎるのはつまらないね」

「萌夏さんを脅して何をするつもりだ!」


 内笠は、裏サイトと盗撮サイトの製作者。そして、その両サイトの書き込みの内容や誰がどのような書き込みをしたか知っている人物。

 だから、その知り得た情報を使って萌夏さんを脅してここまで連れてきた。

 もしかしたら、俺達をここに連れて来たのも、同じように情報を使って脅された人達かも知れない。


「僕はね、一年の頃に好きな女の子が居たんだ。明るくて笑った顔は可愛かった。クソみたいな他人には興味なかったけど、その子には興味があった」


 俺に背を向けてパソコンを操作しながら、内笠はリモコンを使って、ベッドの反対側にあったホームシアターシステムのスクリーンを天井から下ろす。

 そのスクリーンにはパソコンの画面が表示された。


「その子は家が喫茶店をしていてね。僕が紅茶を飲み始めたのはその子の影響なんだ」


 内笠は立ち上がって、黒で統一された本格的なオーディオ機器を操作して、部屋にピアノの音色が奏でるクラシックを流す。


「僕は彼女に告白した。でも、彼氏が居るからごめんなさいと言って振られてしまったよ」

「振られたからって、脅して自分の思い通りにしようって言うのか」

 内笠が告白して振られた、家が喫茶店をしている女の子。それは、萌夏さんで間違いない。

「まさか、もしその気だったら、振られた時にそうしてるよ」

「じゃあなんで今更」

「それは、その子が嘘吐きだからさ」

「嘘吐き?」

「だってそうだろう? 彼氏が居るから付き合えないって言ったのに、何で彼氏と別れても僕に告白しないどころか連絡一つ寄越さないんだい?」


 俺は内笠の言葉にゾッとした。いったい、どういう人生を歩んで来たら、これほどまでに自分中心で、自分の都合の良い解釈が出来るのだろう。


「内笠のことは好きじゃなかったんだ。だから告白して来なかったし、連絡も寄越さなかった」


 俺は当たり前のことを話す。誰でも思い当たる、当然の思考結果を。しかし、内笠は鼻で笑った。


「ハッ、だから嘘吐きなんだよ。好きじゃないなら、好きじゃないから付き合えないと断ればよかったんだ」

「相手を傷付けないためにハッキリ言わ――」

「相手を傷付けないために? 違うだろう? 相手を傷付けたという負い目を自分が背負いたくなかったから嘘を吐いたんだ」


 俺の言葉を遮るように内笠は言い、スクリーンにパソコンのウィンドウ画面を表示させる。そして、その画面には、メールの文面があった。


『聞いてよ里奈。さっき根暗に告られた。マジサイアク』


 その文面には絵文字が使われていて、女の子の文であるのが分かる。そして受信者の欄には溝辺里奈と書かれていて、送信者の欄には切山萌夏と書かれていた。


「これで分かっただろう。嘘吐きだって」

「デジタルデータなんていくらでも――」

「そのメールは本物。私が、内笠くんに告白された後に、里奈に送ったメール」


 ベッドに座った萌夏さんがそう言うと、内笠は俺の方を見て肩をすくめ「ほら、言った通りだろう?」と言いたげな目を向ける。


「私は…………内笠くんのことが好きじゃなかった。やっぱり、雰囲気が暗かったし、それに怖かったから……」


 もし、内笠の言動や思考が刻雨高校在学時代から変わっていないとしたら、確かに怖さを感じる。今の俺だって気味が悪いと思う。

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