【八二《伝統と仕来り》】:一

【伝統と仕来り】


 警察署に行くと生活安全課に案内され、少年係の警察官が俺の事情聴取を行うことになった。


「ご足労ありがとうございます」

「いえ、あの……八戸凛恋さんのストーカー被害と八戸さんの家族への暴行罪というのは?」


 取調室の椅子に座って、すぐに俺は目の前に座る男性警察官に尋ねる。

 すると、警察官は困った顔をして口を開いた。


「今日の昼頃、多野凡人さんが八戸凛恋さんに付き纏っている上に、八戸さんのご家族全員にマインドコントロール、いわゆる催眠術を掛けているという相談がありました」

「ストーカー? マインドコントロール?」


 警察官の口から飛び出す単語に戸惑う。

 俺は凛恋がまたストーカーに遭って、それで暴れたストーカーが凛恋達家族に暴行したと思い、焦って警察署に来た。

 警察署に来る途中、何度も凛恋に電話したけど繋がらなかった。だから、本当に血の気が引いていた。でも、凛恋や凛恋の家族が何か被害にあったわけじゃない。

 ただ、俺が凛恋達に被害を与えたと誰かが警察に相談した。


「あの……その相談した人というのは?」

「申し訳ありません。お答え出来ません」


 その警察官の対応は当然だった。もし俺が本物の犯罪者だったら、犯罪者に相談してきた相手の個人情報を晒すなんて危険過ぎる。


「今回任意出頭をお願いしたのは、多野さんから直接お話を聞きたかったからです。それに、被害に遭われたとされている八戸凛恋さんと八戸洋二さんにも事情をお伺いしています」

「あの! 凛恋は男の人が苦手で! 出来れば女性の方に――」

「大丈夫ですよ。八戸洋二さんからも同じことをお伺いして、八戸凛恋さんの事情聴取は女性が行っています」

「そうですか」


 凛恋が怪我をしたり怖い思いをしたりしていないことを知ってホッと安心したが、釈然としないことが残る。

 それは、俺が凛恋達を傷付けたと相談した人が誰なのか。それと、何故そんな相談をしたかだ。


 まず凛恋は絶対にあり得ないし、お父さんとお母さんも絶対にない。でもそうなると、俺と凛恋達家族に共通して関係した人が思い付かない。


「多野さん、まだいくつかお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「は、はい」


 俺は警察官の声で思考から現実に引き戻され、とりあえず頭の中で考えていたことを置いておいて、警察官の質問に答えた。




 時間としては二時間も経たずに俺の事情聴取は終わった。聞かれたことと言えば凛恋との関係やここ最近の行動くらい。

 凛恋とはちゃんと凛恋の両親も承知の上で付き合っていると言った。

 ここ最近の行動については、ありのままに日常の生活について話しただけだ。


 警察の方も、どうやら俺を犯人だと思っていたわけではなく、本当にただ事情を聞きたかっただけのようだった。


「本当に申し訳ありません!」

「八戸さん、頭を上げてください」


 取調室から出ると、爺ちゃんに深々と頭を下げている凛恋のお父さんとお母さんの姿が見えた。


「いえ、私の父がご迷惑をお掛けしてしまい。本当に申し訳ありません」


 頭を上げたお母さんがそう言ってまた爺ちゃんに頭を下げる。どうやら、今回の件は凛恋のお母さんの方の祖父が関係しているらしい。


 ロンドンで凛恋のお父さんと話した時、お父さんとお母さんの交際と結婚はお母さんの両親に反対されていて、結局納得されないままだと言っていた。そして、お母さんの両親と関わりがあるような話はしていなかった。

 その関わりが薄いお母さんの両親が、何故今になって出てくるのだろう。しかも、俺が凛恋達を傷付けたなんて、事実無根で警察に相談する理由も全く分からない。


「かずと……凡人っ!」


 ベンチに座っていた凛恋が、俺の姿を見て駆け寄って来て思い切り俺を抱き締めた。


「凡人……」

「凛恋……」


 凛恋は俺の胸に顔を埋めてすすり泣く。その凛恋の頭を撫でていると、お母さんが俺の前に歩いて来て頭を下げた。


「凡人くん、本当にごめんなさい。何も罪もない凡人くんに嫌な思いをさせてしまって、どうお詫びをして――」

「無事で良かったです。ストーカーと暴行って聞いて、凛恋とも電話が繋がらなくて心配しました。でも、怪我も何も無くて本当に良かったです」

「凡人くん……本当にごめんなさい……」


 お母さんは顔を歪ませて涙を流して謝る。しかし、お父さんもお母さんも凛恋も悪くないのだ、謝る必要はない。


「頭を上げてください。もう謝らなくて大丈夫です」

「凡人くん、ありがとう」


 また頭を下げたお母さんの行動に困っていると、抱き付いていた凛恋が顔を離して俺を見上げた。


「凡人……今日、うちに来て」

「今日までお泊まり会だろ?」

「みんな、今日帰ったから」


 なんとなく察していた。こんなことになって、家に居座り続けるほど希さん達は厚かましい人達ではない。きっと、迷惑にならないよう自発的に帰ったのだ。


「凡人くんさえ良ければ、来てほしい」

「良いんですか? じゃあお邪魔します」


 俺がそう答えると、お父さんとお母さんがホッと息を吐くのが見えた。

 本当は遠慮するべきだったのかもしれない。でも遠慮して距離を取ったと思われたくはなかった。

 せっかく凛恋とのことを認めてもらって仲良くしてくれているのだ。こんなつまらないことで関係を崩したくはなかった。だから、気を遣わない振りをした。


「すみません、家に寄って荷物を取って来ますね」

「車で送るよ。多野さんも一緒に私の車に乗ってください」

「はい、お世話になります」


 爺ちゃんが笑顔でそう言うのを見て、俺の時と同じように、お父さんとお母さんはホッとため息を吐いた。




 凛恋の家に行くと、すぐにダイニングのソファーを勧められて座った。そして、お父さんとお母さんが話し出す前に俺が口を開いた。


「お父さんお母さん、もう謝らないでくださいね。お父さんもお母さんも悪くないんですから。それと凛恋も謝るなよ」


 隣に座る凛恋に視線を向けると、俺の腕を抱きしめたまま頷いた。


「凡人くん、今回のことは、私達も寝耳に水だったの。今日いきなり警察に事情を聞きたいことがあると言われて、警察に行ったらありもしないことを言われて。それで、警察に誰が相談したのか聞いたら、私の父だったの」


 お母さんが凄く辛そうな顔をする。その顔を見て、俺は微笑んで答える。


「そうですか。でも、皆さんが無事だったら俺はそれで良いです。それに、お母さんが言う通り、警察に相談されたことはありもしないことです。だったら普通に生活するだけです。それに、もし良かったらこのまま夏休みの終わりまで泊まらせてもらってもいいですか?」

「それはもちろん! そう言ってもらえると私達も嬉しいわ」


 やっとお母さんの表情が明るくなってホッと安心する。後は、凛恋だけだ。


「すみません、上で凛恋と話してきます。行こう、凛恋」

「うん」


 凛恋を連れて二階に上がり、俺は凛恋の部屋に行くか自分の使っている部屋に行くかで迷う。しかし、迷っている俺の手を引っ張って、凛恋が自分の部屋に入って行く。


 俺を自分の部屋に引っ張り込んだ凛恋は、すぐにドアの内鍵を閉め、俺の胸を押しながらベッドに倒れ込む。上から覆い被さる凛恋は、ポトポトと涙を流していた。


「凛恋、大丈――」


 俺の言葉を遮るように、泣き顔の凛恋が俺に唇を押し付ける。必死に押し付けられる凛恋の唇と、必死に俺の口に押し込まれる凛恋の舌から、凛恋の悲しさが流れ込んで来た。


「んんっ……んっ……」


 自分の気持ちを俺に押し付け、俺にその気持ちを分からせるように凛恋はキスをする。そして、息が続かなくなるギリギリまでキスをした凛恋は、息が続かなくなって口を離してすぐに俺に抱き付く。


「好き、大好き、愛してる。私が好きなのは凡人だけ。凡人以外とは絶対に付き合わない。凡人とは絶対に別れない。私は凡人のことが好き。凡人のことを嫌いになったことなんて一秒もない!」

「分かってる。分かってるよ、凛恋」


 凛恋の頭を撫でながらそう答えると、凛恋はさっきよりも涙を溢れさせて叫んだ。


「凡人が私達にマインドコントロールなんてするわけないッ! 凡人が私の嫌がることなんてするわけないッ! それなのにっ……それなのにッ!」

「凛恋、落ち着け!」


 凛恋をキツく抱き締め、凛恋を落ち着かせるために大きく声を出す。


「そんなこと無いって一番分かってる。それに、俺が凛恋のことを嫌うこともあり得ないって、凛恋が一番分かってくれてるだろ?」

「うん。でも……怖かった」


 凛恋は涙をまたじんわりと滲ませて、ポトリと俺の頬に落とす。


「私、パパの方のお爺ちゃんお婆ちゃんには毎年会ってるけど、ママの方のお爺ちゃんお婆ちゃんには会ったことないの」

「うん」


 お父さんからは聞いている。でも、俺はあえて何も言わなかった。


「だから、私はお爺ちゃんお婆ちゃんの顔も全然知らない。だから、凡人のことだって絶対お爺ちゃんお婆ちゃんは知らない。でも……それを凡人は知らないから……」

「知らなくたって俺は凛恋を疑わない。もう二度と、絶対に」

「ありがとう。……凡人のこと傷付けた」

「俺は傷付いてないぞ。それに、そもそも凛恋は何もしてないだろ」

「でも……私の親戚が――」

「凛恋の親戚でも凛恋じゃないだろ?」

「そうだけ――んんっ!? ……んんっ」


 いつまでも自分を責めようとする凛恋に、言葉よりも行動で黙らせる。

 それ以上、自分を傷付ける必要なんてない。


 ゆっくりと唇を離すと、凛恋がTシャツの裾を捲り上げて頭から脱ぎ捨てる。淡い紫色のブラが大人っぽくて色っぽい。


「凛恋……ダメだって……」

「夏休みになってからしょっちゅうしたじゃん」

「お父さん達まだ起きてるから……」

「大丈夫、もう寝てる時間だから……」


 レギンスを脱いでベッドから床に放り投げた凛恋は、後ろに手を回してブラのホックを外す。そして布団の中でパンツも脱いだ。


「凛恋……本当にヤバいから……」


 一糸纏わぬ凛恋がぴったり寄り添って、俺のシャツの裾を掴んで捲り上げる。

 凛恋は俺のシャツを脱がせて、すぐに俺のズボンに手を掛けようとする。しかし、流石にその手は掴んで止める。


「凛恋っ、落ち着――」

「凡人……抱いて」


 ぴったりと抱き付いてくる凛恋が、甘く艶やかな声で誘う。その声に、俺は凛恋と体を入れ替えて覆い被さった。

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