【七五《壇上の独創者》】:一

【壇上の独創者】


 試着室から出て来た凛恋が、俺に体の正面を向けながら首を傾げる。


「どう?」


 凛恋は腕が肩の近くまで出たスカイブルーのトップスに、ふわりとプリーツの入ったフレアスカートという姿で出てくる。しかし、それはただの服ではなく、フォーマルドレスだ。


 何故、凛恋がフォーマルドレスを試着して俺に見せているのか。

 それは今朝まで時間を遡る必要がある。


 俺は今朝、凛恋に叩き起こされた。大変だと言われて。

 その凛恋の焦った様子に何事かと思ったら、凛恋は俺に今日行われる、インターナショナルミュージックコンクールのガラコンサートを鑑賞するためのチケットの裏を指さして見せたのだ。


 凛恋が指さすチケットの裏には『本コンサートは正装でご来場下さい』と書かれていた。それで、今に戻る。


 俺達が居るのはフォーマル服を扱う店で、そこで凛恋と優愛ちゃんのフォーマル服を選んでいる。

 俺はレンタルでも良いような気もしたが、凛恋のお父さんが「買いに行こう」と言って家族総出で来たのだ。


 凛恋のお父さんは凛恋と優愛ちゃんに相当甘いらしく、二人の甘えながらの「パパ、買ってー」という台詞に瞬殺されていた。


 今は、お父さんとお母さんは優愛ちゃんの方に行っていて、俺は凛恋と一緒に凛恋のフォーマルドレスを選んでいる。

 しかし、凛恋はあれでもないこれでもないと試着を繰り返し、既に一〇着は着たはずだが、まだ決まっていない。


「可愛い」

「もー、凡人は全部その感想じゃん!」

「だって、凛恋は何着ても可愛いんだから仕方ないんだよ」

「も、もう……それじゃ決まらないじゃん! チョー嬉しいけど」


 凛恋は試着室にある姿見でドレスの見た目を確かめている。

 その姿を後ろから見ているのが幸せだった。


 凛恋はドレスを楽しそうに選んでいて、本当に自然に笑ってくれるようになった。

 やっぱり、凛恋の笑顔を見るのが嬉しかった。


「こらー、ボーッとしない!」

「ごめんごめん。それで? それにするのか?」

「うーん、もう少し大人っぽい方が良いかも」


 ドレスを脱いだ凛恋は丁寧にハンガーに掛けると、元に戻して腕を組む。

 俺はラックに掛けられた黒いワンピースを手に取り、凛恋の体に合わせてみる。


 凛恋はハンガーを持って俺が合わせるのを手伝ってくれて、俺は腕を組んで首を傾げる。

 ファッションに関して一ミリも分からない俺だが、俺の好みだけで考えると惜しい。


「うーん、これを羽織ったらどうなる?」

「黒のワンピースにピンクベージュの七分袖ボレロね。ちょっと着てみるから待ってて」

「俺も一緒に入る」

「えっ!?」


 俺が冗談で言うと、凛恋が嬉しそうに声を弾ませて聞き返す。


「ほら、試着するんだろ」

「あっ! ちょっと!」


 俺はその凛恋の反応に困りながら、凛恋を試着室に押し込んでカーテンをピシャリと閉める。そして、小さく息を吐いた。

 凛恋からしたら、クラシックコンサートに行くことは大人っぽいデートという感覚らしい。

 俺としては、優愛ちゃんと一緒だし、そもそもステラを見に行くのだから、デートというより応援に行くイメージだ。


「凡人、どう?」

「…………」


 カーテンが開いて見えた凛恋は、凄く……大人っぽくて綺麗だった。


「凡人?」

「めちゃくちゃ……綺麗だ」

「これにする!」

「えっ? そんな簡単に決めていいのか?」

「だって凡人がめちゃくちゃ綺麗って言ったし! ねえねえ凡人ぉー、どう?」

「めちゃくちゃ大人っぽくて綺麗だ」

「やっぱりこれにする!」


 嬉しそうに微笑む凛恋は、カーテンをさっと閉めて試着していたドレスを脱ぐ。


 凛恋と優愛ちゃんはドレスを買うが、俺は当然レンタル。将来スーツの一着や二着は必要にはなるだろうが、今無理をして買う必要もないし、買う金もない。

 でも、凛恋のドレス姿を見られるのはかなり嬉しい。このまま今日で見納めにするのは勿体無い。


 すらっと体が細く身長の高い凛恋に、黒く細めのワンピースはかなり似合っていた。

 ピンクベージュのボレロを羽織ることでフォーマルさがましたが、ジャケットを脱げば肩近くまで露出された腕と、鎖骨が見える開いた襟元のおかげでセクシーさが増し、大人の色気が出るに決まっている。


 凛恋はセクシーな服でもフェミニンな服でもフォーマルな服でも、着れば絶対に似合う。

 それは俺の凛恋の彼氏という立場だからかもしれないが、本当にどれを着ても綺麗だし可愛い。


「よし! 優愛のところに行こ」


 凛恋が持っていたドレスを受け取ると、脱ぎたてだからかほんのり温かかった。

 優愛ちゃんが居る試着室のところへ行くと、凛恋のお父さんが腕を組んで立っていて、その隣では前に手を合わせた凛恋のお母さんが立っていた。


「パパ、私これにする!」

「おお、大人っぽいドレスだな。帰ったら着てるところを写真に撮ろう!」


 凛恋のお父さんが嬉しそうにそう言うのを聞いて、凛恋は少し困った笑顔を浮かべる。

 多分写真を撮られるのは恥ずかしいのだろう。しかし、ドレスをねだった手前、拒否し辛いというところかもしれない。

 まあ、写真を撮らせるくらいのことはしてあげても俺は良いとは思う。凛恋のお父さんに便乗して俺も撮れるし。


「優愛のは決まった?」

「まだよ。結構迷ってるわ」


 凛恋のお母さんが困った表情をしながらも、温かい微笑みを浮かべる。


「じゃーん!」


 試着室のカーテンが勢い良く開くと、光沢のあるダークグリーン色のワンピースドレスを着た優愛ちゃんが現れた。

 優愛ちゃんの着ているドレスは、お腹の部分にある大きなリボンが印象的で、リボンが可愛らしさを作っているが、スカート部分のプリーツがゆったりと大人しめで色も落ち着いていることもあり大人っぽさもある。


「優愛可愛い!」

「そーかなー?」


 凛恋が優愛ちゃんに駆け寄り、優愛ちゃんは照れながら自分の着ているドレスを見る。


「優愛もボレロ羽織ってみたら? レース生地のやつとか」


 凛恋が近くからレース生地の白いボレロを持って来て優愛ちゃんに羽織らせる。

 凛恋がボレロを羽織らせたことで、全体的に可愛らしさが増した。それは大人っぽさは弱くなったが、優愛ちゃん本人の可愛らしさを引き立てさせる。


「おお、可愛い」

「こら凡人、優愛に見とれない」

「お兄ちゃん、どーお?」

「優愛も出来もしないのに凡人を誘惑しない」

「出来もしないってどういうことよ! お姉ちゃん!」

「そりゃあ、体つきとか?」

「はあぁー?」

「二人とも、やめなさい」


 口喧嘩が本格化する前に、凛恋のお母さんがピシャリとそう言って場を収める。流石母親だ。


「優愛は気に入ったのか?」

「うん! 私はこれにする!」


 ニコニコ笑って自分の姿を見る優愛ちゃんは可愛らしい。やっぱり、女の子はドレスというものにときめくものがあるらしく、凛恋と同じように嬉しそうだ。


 ドレスなんてパーティーや、今日の俺達のように正装指定されたクラシックコンサートに頻繁に参加する人でない限り着ることなんてない。

 そう考えると、凛恋がコンサートに行くのを大人のデートだとワクワクしている気持ちも当然かもしれない。


「よし、じゃあ会計を済ませてどこかでお昼を食べよう」


 凛恋と優愛ちゃんが悩んでいるうちに、もう時間はお昼になっていたようだ。

 凛恋のお父さんを先頭に凛恋と優愛ちゃんが付いて行くのを眺めていると、後ろから肩を叩かれる。


「凡人くんごめんなさい。凛恋と優愛が長い時間付き合わせてしまって」

「大丈夫です。凛恋が楽しそうに笑っているのも見られましたし」

「ありがとう。本当に良かったわ。凛恋がまた自然に笑えるようになって」

「はい」

「全部、凡人くんのおかげ。本当にありがとう」


 凛恋のお母さんが頭を下げてそう言う。それを聞いて、俺は両手を振りながら首も横に振って否定する。


「そんな、お礼を言われることなんて。お礼を言うなら俺の方です。色々とご迷惑をお掛けして」

「迷惑なんてとんでもないわ」


 クスッと笑った凛恋のお母さんは、会計カウンターに居る凛恋の後ろ姿を見詰めて微笑む。


「凛恋が高校生になって髪を明るく染めてコンタクトにした時、お父さんが落ち込んだの」

「まあ、黒髪から派手な金髪はビックリしますよね」

「でも、そこで怒らずに落ち込んでしまうのがあの人らしいというか」


 クスクス笑う凛恋のお母さんは、少しだけ悲しそうな表情を見せた。


「私はその時に、凛恋が好きな男の子に振り向いてもらうために外見を変えたのは知っていたの。もちろん、私は反対したわ。見た目でしか人を見ないような人はダメよって。確かに、第一印象は見た目で判断するしかないけれど、それで実っても後になってから色々嫌なものが見えてきた時、すぐに終わってしまうから」


 凛恋の好きだった男、入江のことは知っている。

 凛恋の話を聞く限り、軽いノリで人と付き合えるような性格らしい。極端に悪い性格ではないが、真摯さが感じられない点では悪いと思う。


「結局その恋は実らなかったみたいだけど、その代わりに友達がいっぱい出来て楽しそうにしていたわ。しょっちゅう、女子会があるから遅くなるって電話が来て」


 女子会という言葉を言った時、クスッと凛恋のお母さんが笑う。


「高校一年生で女子会なんて、凛恋も大人になったのね。なんて思っていたら、凛恋から彼氏が出来たって聞いて、どうやって知り合ったの? って聞いたら合コンなんて言われてビックリしたわ」


 ビックリしたと言いながら、凛恋のお母さんは面白そうにクスクスと笑う。

 まあ、子供だと思っていた自分の娘から合コンなんて聞いたらビックリしただろう。でも、結局はただのカラオケだったと知って、それで可笑しかったんだろう。


「家に連れて来るって聞いた時は、どんな男の子か見定めてあげましょうか。なんて構えてたわ」

「そ、そうですか」


 凛恋のお母さんの言葉を聞いてゾッとする。初対面の時、細心の注意を払っていたから大丈夫だったろうが、凛恋のお母さんの評価は気になる。


「凡人くんはとても礼儀正しくて真面目な子で、見定める必要もなかったわ。凛恋が良い子を彼氏に持って良かったと思った」

「ありがとうございます」


 心の中でホッと安堵の息を吐く。凛恋のお母さんは初対面の時から穏やかで優しい印象だった。


「凡人くんは凛恋のおかげで凡人くんが変われたと言っていたけど、凛恋もそうなのよ。凡人くんと出会って凛恋も変わった」

「凛恋もですか?」

「そう。凛恋は凡人くんと出会ってから、綺麗になったわ」

「綺麗に?」

「そう。凛恋は凡人くんと出会えてやっと本物の恋をすることが出来たの。だから、ありがとう。凛恋と出会ってくれて」


 俺はその言葉に胸が詰まり、目から涙が溢れそうになるくらい嬉しかった。

 出会ってくれてありがとう。その言葉が凄く凄く嬉しくて、胸を震わせて、何度も何度も心に響く。

 凛恋のお母さんの言葉は、最上の褒め言葉だった。


「ありがとうございます。絶対に大切にします」

「凡人くんは約束しなくても凛恋を大切にしてくれるから大丈夫。私は凡人くんを信頼しているから」

「はい」


 さり気なく、俺は右手の甲で目を拭う。そして、凛恋が戻って来る前に必死に目に溜まった熱を逃がそうとした。

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