【七五《壇上の独創者》】:二
昼食を食べた後、一旦家に帰って俺達は正装に着替える。そして、凛恋のお父さんが運転する車に乗ってコンサート会場のホールへ向かった。
「終わったら迎えに来るから電話しなさい」
「ありがとうパパ」
「ありがとうございます」
走り去る車のお尻を見送ると、凛恋がこれみよがしに俺の腕に自分の腕を絡ませる。
「ヤバ、何度見ても凡人のスーツ姿、チョー格好良い!」
「制服と変わらないだろ?」
「全然違うし!」
「うん、今の凡人さん凄く大人っぽい。二〇歳って言われても分からないかも」
「ありがとう二人とも」
優愛ちゃんも凛恋と一緒に褒めてくれた。
正直、凛恋と優愛ちゃんという美少女姉妹を連れて歩くのは、俺の見た目と差があり過ぎて違和感があるような気がしていた。
「どうしよう。凡人と並んだら不釣り合いに見えちゃうかも」
「いや、それはないから安心していい」
隣に居る凛恋が俺と同じような心配をする。しかし、凛恋の見た目で俺と不釣り合いに見えるわけがない。
「あっ、多野くんに八戸さんに八戸さんの妹さんも」
「露木先生!」
「わぁ!」
露木先生はチャコールグレーのフォーマルスーツ姿で、学校でもスーツ姿の時があるせいか、着慣れている感じがする。
「二人は凄く綺麗ね」
「パパにおねだりしちゃいました」
優愛ちゃんがその場でクルリと回って露木先生にドレスを見せる。
それを見た露木先生はニッコリ笑った後に俺を見てニコッと笑った。
「多野くんも似合ってるね。やっぱり背が高い人がスーツを着ると映えるね」
「ありがとうございます。まあ、明日になったら返しますけど」
「そっか。まあレンタルが一番安上がりだよね」
「露木先生は買ったんですか?」
「ううん、私はコンサートとか友達に誘われるし、正装用のスーツは持ってるの」
「なるほど」
露木先生は俺に、ガラコンサートのチケット手配を頼むくらいクラシック音楽が好きな人だ。だから、日頃からこういうコンサートに参加しているのだろう。
そう考えると、正装用のスーツを持っていても頷ける。
「やっぱり、神之木さんは辞退しきれなかったみたいだね」
「まあ金賞受賞者の居ないコンサートというのは無理がありますよね」
「神之木さんの演奏するベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲楽しみだなー。今日のオケはジャパンフィルだし」
「ジャパンフィル?」
「ジャパンフィルハーモニー交響楽団、オーケストラのことだよ。ジャパンフィルは世界でも公演しているトップクラスのオーケストラなの。だから、あの神之木さんとジャパンフィルが演奏するベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が聴けるなんて嬉しくて」
露木先生から思いの熱量をかなり感じる。
ここまで喜んでくれたらステラもチケットを用意したかいがあっただろう。
露木先生と一緒にコンサート会場の正面玄関から中に入ると、周囲は大人ばかりでかなりの場違い感があった。
もちろん、高齢の人ばかりではないが、それでも一〇代そこそこの人は見当たらない。
凛恋は俺の腕に絡めた手でギュッと握り締める。
俺達はコンサートが開かれるホールの中に入り、チケットに書かれた番号を見て優愛ちゃん、凛恋、俺の並びで座席に座る。
その座席は前から五列目のど真ん中。そして、優愛ちゃんの隣は偶然か露木先生だった。
「本当に神之木さんに感謝しないと。こんな良い席絶対に個人じゃ取れない」
「良い席なんですか?」
良い席と言われると、一番はやっぱり最前列の真ん中という気がする。
「今回はピアノ、ヴァイオリンとオーケストラの協奏だから、中央の席は音のバランスも良いし生の音が聞こえるから良いよ。それに、最前列だとステージを見上げないといけないけど、この列だったら目線の高さにステージがピッタリ合うから」
確かに、露木先生の言う通り、俺達が座っている位置からだと自然にステージに目を向けられる。
「生音じゃなくて、程よく楽器の音がブレンドされた音を聴きたい人は、もう少し後ろの席を好むかな。二階席の最前列はかなり人気が高いよ」
「そうなんですか。コンサートって奥が深いですね」
「コンサートの席はピアノリサイタルだと、右寄りか左寄りで好みが分かれるんだよ」
「右寄りと左寄りですか?」
俺が首を傾げると、露木先生はステージを指さした。
「まず、ステージ中央にピアノがあって、ピアノの左側に演奏者が座るって考えて」
言われた通りの光景を頭の中で思い描いてみるが、それだけではピンと来ない。
「まずは左寄りを好む人は、ピアニストの手元が見えることを好む理由にしているの。指の動きがよく見えるから、ピアニストの演奏技術がよく分かるから。音大時代は私も左寄りだったんだ」
「なるほど」
「次は右寄りを好む人だけど、グランドピアノの屋根を開くと、その奥にはピアノの音を豊かに響かせるための響板っていう部品があるの。だから、ピアノリサイタルで右側に座る人は単純に良い音を聴きたい人が多いかな。私も今は右寄りが好き」
「クラシックコンサートって難しいですね」
「でも、一番は楽しむことだよ。ここならステージに近くて首も疲れないし、リラックスして楽しめると思う」
そう言って露木先生がステージに視線を向ける。
既にステージ上には大きな楽器や指揮台が置かれていて、客席の方を見渡しても広いホールの客席が既に満席になっている。
会場にアナウンスが流れてコンサートの開始を告げると、会場がシンと静まり返る。
ガラコンサートは銅賞、銀賞、金賞の三名がそれぞれ演奏するらしい。
ステラは当然最後だが、銅賞、銀賞の人は海外の有名な音楽学校を卒業している人らしく、プロフィールに書かれている経歴もびっしりあった。
そういう人達より優れていると評価されたステラは、他の二人より経歴はびっしり書かれていなかったし、何よりプロフィールの写真が仏頂面で面白かった。
思い出し笑いをして声を出すのを我慢しながら、俺はステージの方に目を向けた。
銅賞と銀賞の人が演奏を終えると休憩が挟まれ、俺はお手洗いを済ませるために外へ出た。そしてお手洗いを終えて出て来た俺の目の前に、ステージ衣装の真っ白いドレスを着たステラが立っていた。
不機嫌そうな顔で。
「凡人、何で始まる前に来なかったの」
「ステラ、何でこんなところに居るんだ?」
ステラに聞かれたこととは違うが、ステラの登場が予想外過ぎて思わずそう尋ねてしまう。
ステラはガラコンサートの出演者で、これから最後の演奏者としてステージに立つ。だから、こんな男子トイレの目の前で油を売っている暇はないはずだ。
「凡人、私の質問に答えて」
「いや、コンサート前は忙しいんじゃないかと思って」
「凡人のためならコンサートの準備は後回しでいい」
「良くないだろ」
相変わらずステラはズレている、でも、それを見るとコンサート前でも平常運転のようで安心した。
「凡人、私はコンサート前でとても緊張している」
「……いや、いつも通りに見えるけど」
「その緊張を解くために凡人に協力してほしい」
どうやら俺の話を聞く気はないらしく、俺はとりあえずステラの話を聞いてみることにする。
「凡人にキスをしても――」
「こらステラ。全く、油断も隙も無いわね」
「凛恋、まだ言い終わってなかった」
「言い終えててもダメよ。凡人のチューは私だけのものなんだから」
ニッと笑って凛恋が胸を張りながら言う。すると、凛恋の後ろから優愛ちゃんが現れて、すぐにステラの手を握る。
「ステラ! こんなところでどうしたの?」
「凡人に会いに来た」
「そっか! 次、ステラの番だけど緊張してない?」
「全く」
ステラは真顔で優愛ちゃんに答える。さっきは俺に緊張しているって言っていたのに、随分都合の良い緊張だ。
ステラは優愛ちゃんにドレスを三六〇度あらゆる方向から見られ、落ち着かない様子で優愛ちゃんの動きを追っている。
多分、ステラは控え室に居るのが退屈で出てきたのだろう。
ステラは反応からは分かりにくいが人見知りをするタイプだ。
露木先生に対してはかなり人見知りをしていた。だから、歳の離れた人は苦手にしているように見える。
当然、コンサートの控え室は年上の人が大勢居るだろうし、ステラにはあまり居心地の良い場所じゃないだろう。
「凡人」
「どうした?」
「今日も凡人のために弾く」
真っ直ぐ俺の目を見つめて言うステラは、一切視線を泳がさず一ミリも俺の目から視線を逸らさない。
「分かった」
「それならいい」
ステラはそう言って一度だけ頷いた。
「私は戻る」
「ああ、リラックスな」
ステラにリラックスなんて言葉が必要だったかは分からないが、俺はそう声を掛ける。ステラはまた小さく頷いて通路を歩いて行った。
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