【七三《鷹と鳥》】:二
夏期講習一日目が終了し、塾の前に出た瞬間、俺は後ろから肩を掴まれる。後ろを振り向くと、神妙な顔をした小鳥が立っていた。
「凡人、ケーキ食べたくない?」
「いや、帰ったら夕飯だし」
「じゃあコーヒーを一杯!」
「…………分かったよ」
歩き出す小鳥に付いて行きながらスマートフォンを取り出し、凛恋に『小鳥が少し話があるって言うから遅くなる』とメールを打つ。するとすぐにメールが返ってきた。
そのメールにはバツマークの絵文字が一〇個書かれた後に『ペケ、一〇』と書かれ、更に怒った顔文字が書かれていた。
内心、俺は悪くないのに、とは思いつつも凛恋に寂しい思いをさせていることは確かだから仕方ない。
帰りに甘い物でも買ってご機嫌取りをするしかない。
小鳥に連れられて入ったのはおしゃれな喫茶店で、その喫茶店のテーブル席に座ってブレンドコーヒーを一杯ずつ注文し、コーヒーが運ばれてくると俺は一口コーヒーを飲んだ。
切山さんのコーヒーより少し酸味が強いが、喫茶店のコーヒーだからかインスタントよりも美味しく感じた。
俺はコーヒーを飲みながら、正面に座る小鳥に視線を向ける。
小鳥は注文したコーヒーに一切手を付けずにずっと俯いている。
呼び出したのは小鳥だが、俺が話し出さないといけないらしい。
「鷹島さんが気になるのか?」
「どどど、どうして!?」
「なんとなくだ」
「…………一目惚れ、しちゃった」
「そうか」
やっぱり、小鳥は鷹島さんのことを好きになったらしい。まあ、雰囲気や性格は堅いが鷹島さんは美人だ。小鳥が一目惚れしたとしても何ら不思議なことじゃない。
「それで?」
「凡人は鷹島さんの連絡先知ってるよね?」
「知ってるが教えないぞ」
「ど、どうして!」
「自分が教えたはずもない相手からいきなり電話やメールが来たら怖いだろ」
「……そうだよね」
シュンとした表情の小鳥を見て、俺はスマートフォンを取り出して電話を掛ける。
「もしもし鷹島さん?」
「えっ!?」
俺が電話に向かってそう言った瞬間、目の前の小鳥が声を上げて両手で口を押さえる。
『もしもし、多野くんどうしたの?』
「今から少し時間ある?」
『今から? 少しなら大丈夫だけれど?』
「全然時間を取らせないから、塾の近くにある喫茶店に来てくれないか?」
『分かったわ。お店の名前を教えてくれる?』
俺は鷹島さんに、今俺が居る喫茶店の名前を教えて電話を切る。そして、目の前でアワアワと口を開いたり閉じたりしている小鳥に視線を向けた。
「鷹島さん呼んだから、鷹島さんの分のコーヒー代はおごれよ。俺の分は自分で出すから」
「な、何で鷹島さんを!?」
「連絡先聞きたいんだろ? だったら直接聞いて教えてもらうしかないだろ」
「だったら明日でも――」
「今日聞けない好きな人の連絡先が、明日になったら聞けるのか?」
「それは……」
「俺が呼び出した理由はない。だから、鷹島さんがここに呼び出されたのは小鳥が連絡先を聞くため。もし、小鳥が聞けなかったら鷹島さんは無駄に時間を過ごすことになる」
「そ、そんな! 何か他の話の流れで聞かないと好きだってバレちゃ――」
「俺はそういう回りくどく手を回すなんて出来ない。正直、恋愛相談されてもためになるアドバイスは何一つ出来ない。でも一つだけ言えることがある。意識してもらわないと好きになんてならないぞ」
俺は、初めて凛恋にあった時、凛恋を凛恋だと認識してなかった。今思えばそれを後悔している。でも、その経験があるからこそ言えるのだ。
意識しなければ、認識しなければ、好きな人に出会えない。
好きだと意識、認識しなければ、相手はただの人なのだ。
だから、小鳥は鷹島さんが好きで鷹島さんと付き合いたいなら、鷹島さんに小鳥を好きだと意識、認識させなければいけない。
「直接連絡先を聞かれれば、女子の鷹島さんなら意識するだろ。そこからが小鳥の勝負なんじゃないか? 不甲斐ないけど、俺は連絡先を聞く機会を作るしか出来ないぞ」
俺は誰かの間を取り持つなんてことは出来ない。
そんなことが出来るのは、凛恋や栄次みたいな、コミュニケーション能力の高い人間くらいだ。
だが、友達の小鳥がどうにかしてほしいというのだから、どうにかしてやりたいと思う。
「多野くん、遅くなってごめんなさい」
「いや、俺の方こそ急に呼び出してごめん。まあ用事があるのは小鳥なんだ。小鳥がおごってくれるから好きな物を頼んでいいぞ」
「小鳥くんが私に?」
椅子に座りながら鷹島さんが視線を向けると、小鳥はぎこちない笑顔を浮かべてメニューを差し出す。
「と、とりあえず好きな物を!」
「小鳥くんと同じ物でいいかしら?」
「は、はい! ブレンドコーヒーですけど大丈夫ですか?」
「ええ」
ニッコリ笑った鷹島さんを見て、小鳥は店員さんにブレンドコーヒーの注文をする。そしてコーヒーが運ばれて来て鷹島さんが一口飲み、視線を小鳥に向けた。
「あ、あの!」
「何?」
遂に小鳥が話を切り出す。しかし、切り出して飛び出した小鳥の言葉は予想も出来ない言葉だった。
「鷹島さんは彼氏とか居ますかっ!?」
そう言った小鳥は、言った直後に思い切り「しまった」という顔をする。それを正面で見ながら、俺は心の中で頭を抱えた。
意識させる認識させるというのは達成出来ただろうがやり過ぎだ。
それは俺レベルの鈍感さがない限り、確実に小鳥の気持ちに気付く。
俺は凛恋に彼女の存在を聞かれた時に気にも止めなかったが、鷹島さんが俺レベルの鈍感さを持っているとは限らない。
「お付き合いしている人は居ないわ」
鷹島さんは笑顔を崩さずに答える。俺はそれを見て、これはどう捉えるべきだろうかと考えた。
鷹島さんは小鳥の質問に答えた。だが、その当たり前過ぎる行動のせいで、全く鷹島さんの心が読めない。
まあ、俺が人の心を読もうとしてる時点で無駄なことなのだが。
「えっと……その……良かったら、僕と連絡先を交換してくれませんか?」
やっと小鳥が本題を切り出した。すると、鷹島さんはポケットからスマートフォンを取り出してタッチして操作をする。
「私が送ればいい?」
「は、はい! よろしくお願いします!」
大慌てて自分のスマートフォンを出す小鳥は、明るい表情で鷹島さんと連絡先の交換をする。
その交換を終えると、鷹島さんが小鳥に視線を向けて首を傾げた。
「小鳥くんが私に用事っていうのは、連絡先のこと?」
「は、はい! 鷹島さんと友達になりたくて……」
肝心なところが随分頼りない語調になったが、さっきまで連絡先を聞くのを尻込みしていた小鳥から考えると、かなり頑張ったと言える。
鷹島さんはコーヒーを飲み終えると席を立った。
「ごめんなさい、私はこれで失礼するわ。遅くなると両親が心配するから」
「う、うん!」
「わざわざ来てもらってありがとう」
「いえ、ではまた明日」
手を振って鷹島さんが帰って行くのを見送ると、目の前に座っている小鳥が椅子の背もたれに体を預けて呆けていた。
「凡人……」
「なんだ」
「鷹島さん、彼氏居ないんだって」
「ああ、俺も聞いてた」
「連絡先聞いたら、教えてくれた」
「良かったな」
「笑顔、凄く可愛かった」
「そうか」
小鳥はすっかり冷めたはずのコーヒーを飲んで息を吐くと、身を乗り出して俺の右手を両手で掴む。そして、激しくブンブンと縦に振った。
「凡人っ! ありがとう! 凡人が友達で良かった!」
「お礼を言われるようなことはしてない。あとは小鳥が頑張るだけだ」
「うん! 頑張って鷹島さんと仲良くなるよ!」
ニコニコ笑う小鳥を見ていると、少しだけ男らしく見えた。
八戸家に帰り着くと、玄関で凛恋が仁王立ちしていた。
「あなた、遅かったわね」
「ごめん、ちょっと小鳥と話してて。お詫びにこれ買って来た」
俺が右手に持っていたケーキ屋の袋を差し出すと、凛恋はパッと明るい笑顔になって両手で受け取る。
「うわーっ! これ駅前の新しく出来たケーキ屋さんのでしょ?」
「凛恋がこの前話してたからさ。小さい箱の方は凛恋に。大きい方はみんなで食べる分だ」
「えっ? 私の分?」
「そりゃあ、大好きな彼女は特別だからな」
「ペケ、マイナス九!」
「一個残ったか」
一〇個あったペケがあと一個まで一気に減った。でも、ペケの数は関係なく、凛恋の嬉しそうな顔が見られて良かった。
「ママ! 凡人がケーキ買って来てくれた!」
「ケーキ!?」
「優愛の分は無いわよー」
「えーっ! 酷いっ!」
ダイニングの方に凛恋が戻って行き、ケーキに反応した優愛ちゃんの声も聞こえてくる。
ダイニングに入ると二人で箱を開けてケーキを見ている凛恋と優愛ちゃんが見えて、キッチンから凛恋のお母さんがニッコリと笑って歩いて来た。
「おかえりなさい、凡人くん」
「お母さん、遅くなってすみません」
「いいのよ。ケーキありがとう」
「いえ、凛恋に遅くなるってメールしたら、ペケ一〇を付けられてしまって」
「あら」
クスッと笑う凛恋のお母さんは、凛恋と優愛ちゃんを見詰めてクスクス笑った。
「凛恋ったら、凡人くんからメールがあった後、ずっと玄関とダイニングを行ったり来たりして落ち着かなかったのよ」
「そうなんですか」
「それで、インターホンが鳴ったら凡人くんが帰って来たって走って玄関まで行っちゃって」
「あはは」
どう反応していいやら困っていると、凛恋のお母さんが俺にニコッと笑い掛けた。
「凡人くん、凛恋のわがままを聞いてくれてありがとう」
「いえ、俺も凛恋と一緒に居られて嬉しいので」
「あっ! 凡人! 荷物持って行くの手伝う!」
凛恋が戻って来て俺の鞄を引ったくる。
「いいよ、荷物一つしかないし」
「いいの! 凡人は勉強して疲れて帰って来てるんだから!」
そう言いながら凛恋が階段を上がり始め、俺も一緒に上がり始める。
二階に上がって荷物を置くと、凛恋が手早く俺のバッグから俺の着替えを引っ張り出し俺に差し出す。
「先にお風呂入って来て。その間に夕飯の準備するから」
「ありがとう」
俺が普通にお礼を言うと、凛恋が振り返ってニコッと笑いながら言った。
「ペケが一つ残ってるの、忘れてないからね?」
風呂も終えて夕飯も食べた後、俺は凛恋の部屋に連れられて、俺が買って来たケーキを食べていた。
「凡人。はい、あーん」
「あ、あーん」
凛恋が俺のケーキをフォークで切って、俺の口に向かって差し出す。それを俺は食べてモグモグと噛んで飲み込む。
「チョー幸せ~」
うっとりした表情で凛恋の分のケーキを食べる凛恋から、俺は自分のケーキに視線を向けて、フォークでケーキを食べる。
そして、俺はケーキを食べ終えると気になっていたことを凛恋に切り出した。
「凛恋、一つ残ったペケのことだけど」
「ん~?」
「だから、一つだけ残ったペケの話。どうやったらゼロになるんだ?」
「そうねー、どーしようかなー」
そう言いながら凛恋がケーキを食べ終え、コップに入ったお茶を一口飲む。
俺は凛恋がコップを置くのを見計らって、距離を詰めた。
「凛恋……」
「んっ……」
凛恋の顎を持って、少し強引に凛恋の唇を奪う。
凛恋が俺と会えなくて寂しかったように、俺だって凛恋と会えなくて寂しかった。
人間というのはどうやら強欲な生き物のようで、普通なら日中ずっと一緒に居ることなんて出来ないのに、それが出来てしまう状態だと、一緒に居られないことにいつも以上に寂しさを感じる。
「凛恋……どうやったらペケ消せる?」
「どうしてそんなにペケ消したいの?」
唇を離して、凛恋の腰に手を回し抱き寄せながら話すと、目の前に居る凛恋が可愛らしく首を傾げる。
「ペケが消えないと、俺が凛恋にお願いし辛いからだ」
「何をお願いするの?」
上目遣いで聞き返す凛恋の頬に触れ、俺は凛恋にお願いする。
「エッチしたい」
俺のお願いを聞いた凛恋はニコッと笑って何だか勝ち誇った顔をする。
「ふぅーん、そっかー」
「頼むよ」
「分かった。じゃあ……エッチしてくれたらペケ、消してあげっ――」
いたずらっぽく笑った凛恋に理性のたがを外されて、俺は凛恋の言葉を聞き終える前に凛恋の体を押し倒していた。
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