【六六《秘めた想い》】:一
【秘めた想い】
とある日、俺は八戸家の夕食に呼ばれて、夕食を終えた後、何故か俺は凛恋、優愛ちゃん、そして凛恋の両親の真向かいに座らされていた。
なんとなく、この状況から面接のことを思い出すが、あの時ほどの緊張はない。ただ、一体何の話をされるのだろうという不安感はある。
「凡人くん、夏休みの予定は何か決まっているかい?」
「夏休みですか? 夏期講習を受けようってことくらいしか決まっていませんが」
「そうか。良かったら、私達と一緒にイギリスへ行かないか?」
「…………えっ? …………ええッ! イギリスですか!?」
一瞬、凛恋のお父さんの話が正しく入って来なかった。でも、いきなりイギリスに行こうなんて言われても困るとしか言いようがない。
「夏休みシーズンの海外旅行は早目にチケットとかホテルの予約を取った方が良いらしくてね。家族で場所を話し合ってたんだけど、凛恋が凡人くんも一緒に連れて行きたいと言うから」
俺が凛恋に視線を向けると、凛恋は身を乗り出す。
「パパもママも凡人なら良いって言ってくれたの! でも、凡人にちゃんと良いって言ってもらわないとダメだって……」
「当たり前よ。せっかくの夏休みを使わせてしまうのだし、家庭の用事もあるかもしれないんだから」
凛恋のお母さんに凛恋がたしなめられ、ソファーに腰を下ろした。
「凡人さん、一緒に行こう! 私も凡人さんが来てくれたら嬉しいし!」
優愛ちゃんがニコニコ笑ってそう言ってくれる。
「もちろん私も家内も凡人くんが来てくれるのは大歓迎だ。旅費も宿泊代も心配しなくて――」
「すみません。せっかくですが、ご遠慮させてもらいます」
俺は凛恋のお父さんに頭を下げてそう言った。
顔を上げると、凛恋のお父さんは複雑そうな顔をしていた。
「凡人さん、どうして!? みんなで旅行に行くの嫌!?」
「もしかして、パパとママが居ると行き辛い?」
「優愛ちゃん、凛恋、嫌じゃないし行き辛くもない」
「じゃあ、どうして?」
「色々と理由はあるけど、一番大きいのはお金かな。俺は海外旅行に行くお金なんて無いし、そのお金を出してもらってまで行くものじゃない」
海外旅行なんて俺は行ったことがない。でも海外だろうが国内だろうが、旅行をすれば金が掛かる。
交通費に宿泊費、それから旅先での食事代。それを俺が出せるわけがない。
ましてやそれを、八戸家に出させるわけにはいかない。
「それと、今回の旅行は家族旅行なんだろ? 家族旅行なんだから家族でゆっくりとしてくるべきだ」
俺が理由を答えると、凛恋は目にいっぱい涙を溜めて口を開いた。
「凡人と一緒じゃないと嫌だ!」
「…………そう言われてもダメなものはダメだ」
まるで子供がわがままを言っているように喚く凛恋に諭すように言う。しかし、凛恋は手の甲で涙を拭って譲ろうとはしない。
「凡人くん、ずっと私は凡人くんにお礼をしたかったんだ。凛恋を凡人くんは何度も助けてくれた。危険から守ってもくれたし、凛恋の心の支えにもなってくれた。恥ずかしいが、父親の私では凡人くんの代わりは出来ない。凡人くんが凛恋にしてくれたことは私には出来なかった」
「凛恋のお父さん。俺はお礼を言ってもらえるようなことは何もしてません」
「それに見ての通り、凡人くんが来てくれないと家族旅行に行けないんだ」
凛恋のお父さんは、困った様子で凛恋の方にチラッと視線を向けた。
その視線の先に居る凛恋は、相変わらず涙を目に溜めながら唇をキュッと結んでいた。
「もう少し考えてみてくれないかい? 来週いっぱいまでに返事をもらえればいいから。保護者の方の了解も必要だろうし」
「いえ、せっかくですが気持ちは変わらないので」
頑として断るのも辛かった。でも、やっぱりどう考えても言葉に甘えるわけにはいかなかった。
凛恋の家から帰ると、居間で新聞を広げた爺ちゃんが座っていた。
「帰ったか」
「ただいま爺ちゃん」
俺が爺ちゃんの前に座ると、爺ちゃんが新聞を捲りながらチラリと俺に目を向ける。
「凛恋さんの様子はどうだ」
「元気にしてるよ」
「そうか」
そう言った爺ちゃんは、また視線を新聞に戻した。
爺ちゃんは俺と凛恋がまた付き合い始めたことを喜んだ。
それも珍しく満面の笑みを見せるくらい喜んだ。でも、ストーカー事件のせいで男の人を怖がるようになったことを聞いて、酷く落ち込んだ。
爺ちゃんは凛恋のことを本当に可愛がっていた。
それこそ、実孫の俺より溺愛していたくらいだ。でも、凛恋の男性恐怖症は実の父親に対してもだ。
うちの爺ちゃんが例外になるわけがない。
それを聞いてから、爺ちゃんは凛恋を連れて来いとは言わない。でも、度々凛恋の様子を俺に確認してくるようになった。
「今日、凛恋のお父さんに、夏休み一緒に海外旅行に行かないかって誘われた」
「何? そんなご迷惑を掛けさせるわけには――」
「もちろん断ったって。そしたら俺と一緒じゃないとダメだって凛恋が泣き出しちゃって」
「ほほう。凡人も惚気るようになったか」
「からかうなよ。それでもちゃんと断ってきた」
「だが、申し訳ないな。せっかく誘って頂いたのに」
「それは俺も思ったよ。海外旅行は金も掛かるだろうし、しかも家族旅行だ。それに旅費は全部出すから来てほしいって言われたのは嬉しかったよ。でも、言葉に甘えるわけにはいかないだろ」
行けるものなら行きたかった。自分の気持ちを正直に表現すればそうだ。
彼女と旅行、しかも彼女の両親が公認なんてまたとないチャンス。でも、海外旅行はハードルが高過ぎる。金銭的にも、精神的にも。
俺はスマートフォンで『イギリス 旅行 費用』と検索し、ザッとウェブページを見て背筋に寒気が走った。
どうやら、六日くらいの滞在で交通費や宿泊費、食事代等を諸々含めて一人三〇万円で足りれば良い方らしい。
つまり、俺が付いて行くと、最低でも三〇万円も遣わせてしまうことになる。
これはいよいよ持って付いて行くなんて言えるわけはなかった。
「風呂入ってくる」
俺は居間を出て部屋から着替えを持って来て脱衣所で服を脱ぎ、風呂場に入って息を吐く。
「今からバイトすれば……無理か」
バイトの時給が八〇〇円として、三〇万を稼ぐには三七五時間強働かなければいけない。そして、一日五時間バイトに入るとしたら、七五日くらい働かなければ三〇万は稼げない。
そして、夏休みまで一ヶ月を切っている今から働いても間に合わない。
体を洗い終えて湯船に浸かりながら大きく息を吐く。
「はぁ~…………凛恋と旅行かぁ~」
口までお湯に浸けてブクブクと泡を立てる。そして、顔をお湯から出して、また大きく息を吐いた。
次の日、凛恋の家から帰る途中、俺はいつものファミレスに立ち寄った。そして、既にそこには栄次が一人で座っていた。
「カズ!」
栄次が俺の姿を見て手を挙げて自分の存在を示す。
そんなにアピールしなくてもめちゃくちゃ目立つ栄次が声を出すものだから、周囲の女性客が栄次に熱視線を向ける。
俺は栄次の真向かいに腰を下ろして、小さく息を吐いた。
「疲れてるな」
ニヤッと笑う栄次から視線を外し、俺はファミレスのメニューを取りながら愚痴をこぼす。
「凛恋に泣かれた」
「旅行の件で凛恋さんと喧嘩してるんだって?」
「喧嘩なんてしてない」
おそらく、凛恋から希さんへ、希さんから栄次へという感じで伝わったのだろうが、そのルートで尾ひれが付いて伝わるとは思えない。
だから、栄次は事情を全て分かっていて俺をからかっているのだ。
「でも、彼女の家族から家族旅行に来てくれって言われるなんて羨ましいな。信頼されてる証拠じゃないか」
「栄次から羨ましがられると優越感があるな。もっと羨ましがれ」
「でも、真面目なカズが首を縦に振るわけないよな」
「そりゃそうだろ? 最低三〇万だぞ、三〇万。そんな大金をお言葉に甘えられるわけないだろ」
「金額を調べたってことは、バイトで稼げるか計算してみたな」
ニヤニヤ笑うクソイケメン野郎に図星を突かれて、俺はやけくそに店員の呼び出しスイッチを押す。
「行きたかったんじゃないのか?」
「行きたかったに決まってるだろ。彼女と旅行だぞ?」
「そりゃそうだよな。しかも彼女の両親公認って言うのもあるしな。俺もそんなこと言われたら嬉しいし行きたいと思う」
俺は注文を取りに来た店員さんにベイクドチーズケーキとアイスコーヒーを頼んでテーブルの上に突っ伏した。
「せめてもう少し余裕があればな……」
「カズ、夏休みシーズンの旅行って大変なんだぞ。飛行機のチケットとホテルの部屋は直前にはまず押さえられない。早くて一年前、遅くて三ヶ月前には取っておかないとダメだろうな」
「遅くて三ヶ月……って、もしかして」
「多分、もうカズの部屋とチケット、押さえてるんじゃないか?」
栄次の言葉に戸惑う。
でも確かに、行楽シーズンは何処もかしこも混むに決まってる。
交通機関も当然混むだろうし、観光地に近い宿泊施設なんて満室御礼だろう。だとしたら、俺の返事を聞いてからじゃまず間に合わない。
「考えたってもう断ったんだ。それで、俺を呼び出したのはその話をするためか?」
「いや、昨日、刻季に刻雨の生徒会長が来た」
「ああ、筑摩さんが行ったのか」
筑摩さんは今年の生徒会役員選挙で当選し生徒会長になった。だから、何か生徒会の用事で刻季に行ったんだろう。
「それで、久しぶりって言われて少し話したんだけどさ。あの人、凄いな」
「凄い?」
「筑摩さんがうちに来た理由、合同宿泊研修を断りに来たらしいんだ」
「合同宿泊研修を断りに?」
「ああ、去年カズと凛恋さんが参加した夏休み初日の宿泊研修。それを断りに来たんだってさ。教師と生徒会メンバーの目の前で言ったんだって。多野凡人くんを中傷して退学させるような学校と合同で行事は行えませんって」
「…………それは」
「希の話では、カズは結構バッサリ告白を断ったみたいだけど、あの人、気を付けた方がいいぞ。悪いことをする、とまでは言い切れないけど、確実に凛恋さんを不安にさせる」
「ああ……」
栄次に釘を刺された。筑摩さんをどうにかしろと。でも断っても拒絶しても筑摩さんは変わらない。
ステラの気持ちと同じように、一〇〇パーセント迷惑とは言えない。でも、迷惑ではある。
やっぱり、凛恋の気持ちを全く考えてくれない行動が多いからだ。
凛恋が傷付いたり心配したりすることは絶対に避けたい。
もうこれ以上、凛恋を傷付けることはしたくない。
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