【四九《脆弱性》】:一

【脆弱性】


 俺の目の前にあるCDケースに入った一枚のCD。そして、正面には、そのCDと一緒に入っていた紙を手にする栄次が座っている。


「凛恋さんの正体、か……」

「凛恋は凛恋だ。正体なんてあるわけない」

「凛恋さんには?」

「言ってない」

「中身は?」

「まだ見てない」

「データ保存用のDVD‐ROMだな。でも、カズはパソコンを持ってないからこのままじゃ中身を確かめられない。今からうちに来いよ」

「ああ」


 立ち上がって、栄次と一緒に部屋を出る。

 朝、茶封筒を見付けてから、俺はすぐに栄次にメールをした。そして、放課後まで待って家に来てもらった。しかし、どうやらDVD‐ROMの中身は俺では分からないらしい。


 凛恋の正体。そんな物には興味が無い。でも、これにはある感情が含まれているのは分かる。


 凛恋への悪意。それを感じるからこそ、俺はこのDVDの中身を見なきゃいけない。

 こいつの中身を見なきゃ、俺の敵は何なのか分からない。俺が何から凛恋を守らなきゃいけないのか分からない。


「カズ、凛恋さんに恨みを持ってる人って居るか?」

「凛恋が、恨みか……」


 凛恋は誰かに恨まれるような子じゃない。だけど、考えられるとしたら一人しか居ない。


「筑摩さん、かな」


 筑摩さんは歩こう会の日、凛恋と揉めた。

 その原因は俺で、そんなことでこんなことになるとは思えない。でも、凛恋が恨まれるような子じゃないからこそ、そんなことしか思い浮かばない。


「筑摩さんって、俺達と小学校が同じだった、あの筑摩さんか?」

「ああ、歩こう会の途中で揉めたんだ。原因は、筑摩さんが、俺に筑摩さんと一緒に歩こうって誘ったことだった。でも、あんなことで凛恋が恨まれるとは思えない。きっと、他に何かある」

「そうか。とりあえず、中身を見てみないと分からないか」


 家を出て栄次の家に着くと、すぐに栄次の部屋に上げてもらった。栄次がパソコンの電源を入れる。

 俺はパソコンが立ち上がるのを待ちながらポケットに入ったスマートフォンを制服の上から触る。


 今日、凛恋は友達と女子会があるからと言って別々に帰った。それは不幸中の幸いというか、凛恋にこのDVD‐ROMのことが知られずに済んだ。


「カズ、DVDを貸してくれ」

「ああ」


 持っていたDVDが入ったケースを差し出すと、栄次が受け取って本体のDVDドライブへ差し込む。栄次がDVDを差し込むと、モニターにウインドウが表示された。


「栄次、これって」


 ウインドウには大量のフォルダが表示されていて、そのフォルダには丁寧にタイトルが付けられている。


「去年の四月から今月までの日付だな。毎日じゃないが、結構な量あるな」


 マウスホイールを回してページをスクロールさせる栄次の隣で画面を見るが、フォルダだけじゃよく分からない。


「栄次、一番古いやつから全部見るぞ」

「カズ、俺は部屋から出てるから」

「栄次……」

「もしかしたら、凛恋さんが俺に見られたくないものがあるかもしれないだろ」

「……済まん」


 栄次が俺に椅子を譲ってくれて部屋から出て行く。それを見送って俺はモニターに視線を戻した。



 栄次の家で、あのDVDを叩き割った。それであの中のデータ全てが消えて無くなるわけじゃない。でも、あのデータが拡散する可能性を一つでも潰すために叩き割った。


 DVDに保存されていたのは、凛恋の会話の音声データや行動を捉えた画像データ、それからメールのやり取りを記録したテキストデータだった。

 音声データは、気にくわない女子への悪口、俺とのエッチがどんな感じだったか。

 画像データは、俺と付き合う前と付き合った後に男と一緒に歩いているところ。

 テキストデータは、自分達に文句を言ってくる女子を仲間外れにしようという相談、俺という彼氏が居るのをほのめかしながら男と遊ぶ約束をするやり取り。


「絶対に許さない」


 確かに、音声データは会話の内容は聞こえるがノイズが酷く、会話をしているのが凛恋だと判断出来るものではない。

 画像データは撮り方によったら全部ねつ造出来る画像だった。

 それに、テキストデータなんて、自分でパソコン側の日付をいじればデータの作成日は好きに出来る上に自分で書けばいい。

 そもそも、テキストデータに書かれている文章の文体は凛恋じゃなかった。


 テキストデータではメールの文に不自然な小文字や日頃使わないような記号を組み合わせたギャル文字という文字が使われていた。でも、凛恋はギャル文字は一切使わない。

 テキストデータが明らかなねつ造なのだから、他のデータも全てねつ造だ。そして、その全てのデータは凛恋を貶める意図がある。

 そんなものをこの世に残しておくわけにはいかない。


 問題はこのデータを俺に送り付けてきた奴だ。

 これを俺に送り付けてきた意味は分からないが、こいつは凛恋に対する俺の評価を落とそうとしている。

 全く、こんな低レベルな手で俺が凛恋に対して悪い印象を持つわけない。


 栄次の家からの帰り道、俺はそう思って顔を上げた。その顔を上げた先に、溝辺さんが立っていた。いや、居るのは溝辺さんだけじゃない。

 切山さんも居るし希さんも居る、他にもよく集まっている女子が居る。俺をただのぼんじん扱いした女子も居る。そして、溝辺さんの後ろで俯いている凛恋が居た。


「多野くん、ちょっと話あるから」

「話?」


 溝辺さんがそう俺に言った。でも、その溝辺さんの声は低く冷たい声だった。

 まるで、今まで俺に悪口や陰口を言っていた人と同じ声で。



 俺が連れて来られたのは、純喫茶キリヤマ。まあ、要するに切山さんの家だ。でも、いつもの店舗に座っているわけではなく、切山さんの部屋に座らされている。

 正面には、溝辺さんが俺を睨んで座り、その後ろに俺をただのぼんじん扱いした女子と、あと数名の女子、そして凛恋が座っている。


 切山さんが部屋に入って来て、俺の前にカップを置こうとする。しかし、それを溝辺さんが遮った。


「萌夏、こんなのにコーヒーなんて出す必要ない」

「里奈、多野くんは里奈が思ってるような人じゃない。里奈もずっと凛恋と付き合ってきた多野くんのこと知ってるでしょ?」

「あのね、男なんて人前じゃ良い顔すんのよ。萌夏だって男のそういうところ思い知ったでしょ?」

「確かに私の元彼は酷い奴だったわよ。でも、だからって男子が一括りで悪いとは限らないでしょ」

「これだけ証拠あんのにそんな庇うわけ?」


 溝辺さんが鞄から俺の目の前に紙の束を放り投げる。その紙の束は、パソコンでコピーしたもののようで、電話帳ほどではないにしろ、かなり分厚い。


「里奈ちゃん、凡人くんは凛恋を裏切るような人じゃないよっ!」

「希は喜川くんの彼女でしょ。彼氏の親友を庇いたくなる気持ちは分かるけど黙ってて」


 希さんと溝辺さんのやり取りを見終えると、俺は溝辺さんが放り投げた紙の束を拾い上げる。

 ターンクリップで綴じられたその紙を捲って内容を確かめる。紙に書かれている文章は、どうやらメールの内容のようだ。


「あのさ、そういうの最低だと思うんだけど?」

「…………」

「ハァッ……都合が悪くなるとだんまりってわけ……」


 目の前から、冷たい声が聞こえる。

 紙の中では、凡人と名乗る人物が、凜恋という彼女についてメールの相手に話していた。


 今日の下着は何色だった。エッチの時の声がエロい。他には、一緒に住んでいる田丸という人の風呂を覗いた話や、鷹島という女子生徒の方が可愛くて清楚だ、なんてことが書かれていた。


「彼女のこと晒し者にして、しかも他の女がいい? 凛恋のこと甘く見ないでくれる?」


 確かに、こんなものを見れば、溝辺さんが怒るのも無理はない。だって、溝辺さんは凛恋の友達だから、凛恋が傷付くことを許すわけない。

 それに、俺は溝辺さんとそんなに深く関わって来なかった。だから、俺に対する信頼が無くてもしかたがない。


 俺は、溝辺さんや他の友達に守られている凛恋に視線を向けた。凛恋は俯いて俺に視線を向けようとしない。


「みんなは多野くんのこと分かってない! 多野くんは私が独りぼっちにならないように、歩こう会に誘ってくれたんだよ! そんな優しい人が――」

「女に媚び売って気に入られようとしたんじゃないの~? メールでは結構な女好きみたいだし~」

「佳奈子ッ!」

「切山さん、良いから」


 俺を庇ってくれる切山さんを制して、俺は視線を凛恋に向けた。


「凛恋は、どう思うんだ?」


 俺に問われた凛恋は、ゆっくり顔を持ち上げる。その凛恋の二つの瞳には涙が滲んでいた。

 それを見て、俺は誰にもバレないように両手の拳を握り締める。


「多野く――あんたさ、もう凛恋と別れてよ。凛恋にはもっと相応しい男が居るの。言っておくけど、証拠これだけじゃ無いから。あんたが凛恋について友達と話してる音声もあるし、これもあんのよ」


 追加されて投げられたのは画像を印刷した紙で、俺が田丸先輩や鷹島さんと並んで歩いている画像だった。

 その画像の風景には見覚えがある。

 田丸先輩の方は婆ちゃんに頼まれて買い物に行った時、鷹島さんの方は俺が刻季へ最後に行った時の画像だ。

 買い物の件は凛恋にも話しているし、鷹島さんの方はこの後に凛恋と会っている。だから、俺が二人と浮気しているわけじゃないのは分かっているはずだ。


 そして、他の画像は、顔も名前も知らない女子と俺が並んでラブホテルに入る画像。

 よく分からないが、どう見たって合成にしか見えない。そもそも、俺はラブホテルになんて行ったことはない。


「凛恋は……どう思うんだ」


 俺は目の前にある画像から視線を外し、もう一度、凛恋に尋ねる。

 尋ねても意味がないのは分かっている。でも、最後に尋ねておきたかった。


 凛恋は目に涙をいっぱい溜めて悲しそうな表情をして押し黙っている。凛恋は何も言わない。それで、答えは出た。


「そうか……分かった」

「ちょっと、凛恋と別れんの? 別れないの?」


 俺が分かったと言うと、目の前に座っている溝辺さんが、鋭い目つきと強い口調で言う。


 正直、俺と凛恋の話にこの人が入ってくる意味が分からない。

 さっきから、この人が間に入っているせいで何も話が出来ない。でももう、その必要はなくなった。

 凛恋が俺をどう思っているか分かったから。


「別れるよ」


 そう口にすると、凛恋は顔を上げて俺の目を見る。涙目を見開いて驚いた表情をしている。


「凡人くんッ! 凡人くんじゃないんでしょ! 凡人くんがこんなことするわけ無いよ!」

「そうよ! 凛恋のことを多野くんが裏切るわけないじゃん! 認めるようなことしちゃダメだって!」


 希さんが腕を掴んで引き留めてくれる。切山さんも俺を庇ってくれる。

 でも……その、俺を庇ってくれる側に、俺が一番居てほしい人は居ない。


「希、萌夏、二人ともそいつのこと庇うわけ?」


 溝辺さんが二人を睨む。希さんは溝辺さんの睨みから視線を外し、キッとした視線を凛恋に向ける。


「……凛恋、もう凛恋とは絶こ――」

「帰る!」


 希さんが立ち上がって言い終える前に、俺は立ち上がって切山さんの部屋を出る。そして、出来るだけ速度の速い早歩きで切山さんの家を出る。


 外はもうすっかり暗くなって、空には星が出てキラキラと煌めいている。冬の夜は空気が冷たく、流れる風はヒリヒリと肌を切り裂くように吹く。


「凡人くんッ!」

「希さん……」


 追い掛けて来た希さんが後ろから俺の腕を掴んで引き留める。

 俺のことを心配して追い掛けてくれた希さんには申し訳ない。でも、そこに居るのが希さんではない人が良かった、そう思ってしまった。


「どうして……」

「希さんが味方してやらないと、凛恋が可哀想だろ?」

「凡人くん……」

「希さん……俺ってさ、凛恋と中途半端な気持ちで付き合ってたつもりはなかった。いつも凛恋のことを真剣に考えてたし」

「うん、ちゃんと分かってる。凡人くんは凛恋のことを、誰よりも真剣に考えてた」

「でもさ、俺って凛恋に信頼されてなかったみたいだ」

「凡人くん! 凛恋は気が動転してて――」

「気が動転してたら! 彼氏のことあんな簡単に疑うのかよッ! …………ごめん、希さん」


 希さんに怒鳴ってしまって、すぐに謝る。希さんは最初からずっと俺のことを庇ってくれていた。俺が凛恋を裏切るわけがないって信じてくれた。

 それに、最近友達になったばかりの切山さんも俺のことを信じてくれた。


 でも……凛恋は、信じてくれなかった。


「多野くんッ! あれはキレた里奈が先導してやったことで、凛恋はただ付いてきただけだから! 凛恋は多野くんのこと疑ったりなんて――」

「俺を疑わなかったのは希さんと切山さんだけだよ。凛恋は何も言わなかった。俺があんなことをするわけないって、言ってくれなかった」

「凛恋、混乱してるだけだから! 私だって自分の彼氏が居て、あんなの出てきたらビックリする! だからっ! 今は混乱してるだけだから!」

「切山さんも凛恋の味方で居てくれ」

「多野くんっ!」

「ごめん……帰る。それと二人は凛恋の友達で居てくれよ……」


 必死に我慢していたつもりだった。我慢出来ていたつもりだった。でも、遂に、その我慢も限界になって、俺は涙を流してしまった。


「たの……くん……」

「信頼してる人が、自分の味方してくれないと……辛いからさ」

「凡人くん……じゃあ、凡人くんの味方は、誰がするの?」

「俺の味方か……俺の味方は俺が居る」


 希さんにそう言って、俺は歩き出す。凛恋の居る方向に背を向けて。

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