【四七《歩き抜く理由》】:七

 みんなで話していればすぐ。そう切山さんが元気よく話していたことが懐かしい。


 山を登り始めてから、右手に吹付工で補強された山肌を見ながら、左手は急な斜面になった森を見続けている。

 海岸線で感じた景色が一定現象を再び感じて、体にずっしりとした疲労がのし掛かる。


 視線を坂道の上に向けた後、振り返って坂道の下を見る。

 俺が見える範囲に他の刻雨生は居ない。

 しかし、俺達が最後尾というわけではなく、丁度俺達の周囲に人が途切れているだけだ。だが、俺達以外が見えないというのは不安感を煽るし、なにより山の中は景色が一定な上に静かだ。

 だから、気を紛らわせるものが何もない。


 ただひたすら坂道を登り続ける。しかも先が見えないから山頂までの距離も推し測れない。

 山道を登り始めた時、俺は四人の中で最後尾に居た。でも今は先頭を歩いている。

 俺のすぐ後ろには凛恋が居て、その後ろに切山さん、そして今の最後尾は希さんだ。


 息を吐いて視線を向けると、緩いカーブの先に待避所が見えた。大型トラックが停車出来るスペースがあり、何人かの刻雨生の姿も見える。


「あの待避所で休憩しよう」

「そうね……」

「オッケ~……」

「うん……」


 三人の声に元気がない。でも、丁度良いタイミングで待避所があってよかった。このまま歩き続けるのは辛かった。

 やっとの思いで待避所に着くと、そこに居た刻雨生が集まって塊を作っていた。俺達はその塊から少し離れた場所に腰を下ろす。


「今どれくらい登ったんだろ……」

「時間的には二時間くらい?」

「まだそんだけしか経ってないの~」

「先は長いわね……」


 水分補給をしながら、凛恋と切山さんが会話をして、その結果更に元気を無くしてうな垂れる。

 俺が足を伸ばしてふくらはぎの筋肉を揉んでほぐしていると、山の下からマイクロバスが登ってきて、俺達が休憩している待避所に入ってくる。


 バスの中からジャージ姿の刻雨高校の男性教師が出てきて、刻雨生の塊に駆け寄っていく。

 そして、人の塊に近付いて行き、塊を作っていた生徒と一言二言話してしゃがみ込んだ。


「あれって……」

「リタイア者ね」


 男性教師に背負われている男子の顔を見て、俺は何処かで見覚えがある気がした。


「あれ、バスケ部のやつじゃない? 名前はなんて言ったっけ?」

「え~っと、確か福見(ふくみ)くんだったはず」


 男性教師に背負われている男子生徒を見ながら、凛恋と切山さんがそんな話をする。背負われている男子が俺達の方を見て、すぐに視線を逸らした。

 その時、俺はその男子について思い出した。そう言えば、昨日筑摩さんと一緒に居た男子があんな感じのスポーツマンだった気がする。


「チッ……嫌な奴と出くわしちゃったわ……」


 人の塊に視線を向けた凛恋がそう小さく呟く。その人の塊から一人、女子生徒が歩いて来た。


「あ! 凡人くん! また会っ――」


 手を振って駆け寄って来た筑摩さんは、俺に近付く前に足と言葉を止める。真正面に凛恋が立ちはだかったからだ。


「あんたも懲りないわね」

「おはよう八戸さん」


 冷たい対応の凛恋とは対照的に、筑摩さんはニコニコ笑っている。筑摩さんの後ろからは、二人の女子が歩いてくるのが見えた。

 すると、疲れて座っていた切山さんと希さんが立ち上がり、凛恋の隣に立つ。

 相対する二つの陣営。その間には、一触即発のピリピリとした空気が流れる。


「あれって筑摩の新しい彼氏?」


 切山さんがマイクロバスの方に視線を向けて訪ねる。しかし、筑摩さんは笑顔のまま首を振って否定する。


「ううん、ただの友達。脱水症状で動けなくて、先生達に来てもらったの」

「で? 筑摩は私達に何の用があるわけ?」

「うん、そっちは女子三人に男子一人で凡人くんが寂しいかなって思って。こっちは男子が二人居るし」

「何が言いたいわけ?」


 凛恋が一歩前に出てドスの利いた声を返す。その凛恋から視線を外して、筑摩さんが俺に手を振った。


「私達と一緒に来ない?」

「あんた、あんまふざけ――」

「生憎、俺は友達以外とこんなクソつまらん山道を歩く気はないです」


 立ち上がり、今にも掴み掛かりそうな凛恋の腕を引っ張って前へ出る。

 筑摩さんはこの山道を登っても俺の方にニコニコと笑顔を向ける。

 どうやったらここまで笑っていられるのか分からない。その点はかなり羨ましい。


「そっか。私はまだ凡人くんの友達にはなれてないんだね~、残念。じゃあ、今度は友達になってもらえるように頑張るね!」


 そう言って、筑摩さんはニコニコ笑ったまま手を振って歩いて行き、一緒に居た男子達と合流する。それを見た凛恋は俺達を振り返る。


「出発するわよ。絶対筑摩達に負けられない」

「そうね。あんな奴等より遅いとか絶対嫌だわ」

「うん。行こう」


 そう言って歩き出す三人。その三人に、俺は付いて行かず再びその場に座り込んだ。

 凛恋は俺が付いて来ていないことに気付いて振り返る。その凛恋の顔はムッとした表情をしていた。


「凡人! 行くよ!」

「凛恋、ちょっと来い」

「えっ? もう! 早く出発しないとあいつ等に負けちゃうでしょ。一体どうしたのよ」


 俺の目の前にしゃがみ込んだ凛恋の手を引っ張って無理矢理座らせる。


「凛恋、冷静になれ。今休憩し始めたばかりだろ。ろくな休憩もせずに歩き出したら、さっきの男子と同じになるぞ」


 バスケ部ということは体力に相当自信があったのだろう。ということは、その自信が過信になって体調を崩した可能性は高い。

 それに、恐らく筑摩さんに良いところを見せようと無理でもしたのだろう。毎日部活で鍛えている運動部の男子が無理をしたら体調を崩すのだ。

 運動を日頃していない凛恋達が無理をしたら、ちょっと体調が悪くなるだけで済むとは思えない。


「俺はみんなとゴールしたいのもあるが、大切な友達が倒れるのは絶対に嫌だ。大切な彼女なら尚更だ。俺は、凛恋が脱水症状になったり、もっと悪い状態になったりなんて絶対にさせたくない。だから、俺のために休んでくれ」

「凡人……」

「希~、凛恋と多野くんがイチャイチャしてるよ~」

「あはは」


 凛恋が俺の隣に体育座りすると、切山さんと希さんが戻ってきて腰を下ろす。


「ごめんね、多野くん。私達、カッとなって冷静じゃなくなってた」

「うん。無理してリタイアしたら、ここまで頑張った意味ないよね」

「まあ、一番は俺が休憩したかったんだけどな」


 二人にそう言葉を返すと、凛恋は俺の手を握って、横から俺の顔を覗き込むように様子を窺う。そして、凛恋は小さく口を動かした。


「やっぱ、凡人は格好いい」



 待避所を出発してから、どれだけの時間が経っただろうか。やっと、俺達の目の前に赤い鳥居が見えた。


 今日の昼休憩を行うのは、山の山頂にある神社。その神社に遂に辿り着いた。

 鳥居を抜けて短い石段を上がると、境内の中にテントが張られていて、そこで昼飯が配られていた。


「みんなは座ってて。俺がみんなの分もらってくるから」

「ごめん、凡人」

「凡人くん、ありがとう」

「多野くん、ありがと」


 三人は近くの木陰に腰を下ろして息を吐いていた。


「すみません。四人分下さい」

「はい。おにぎりとお茶。それからバナナです」

「ありがとうございます」


 とりあえずもらった昼食を鞄の中に入れてから三人の所に戻る。すると、休憩している三人の前に男子が三人立っているのが見えた。


「な、なあ、八戸。三人で歩いてるなら一緒に」

「……石川、あんた多野くんにあんなことしといてまだ諦めてないわけ? 無駄な体力使いたくないからさっさと消えてくれる?」

「あのことは謝るって」


 切山さんが男子の一人を見上げて冷たい視線と言葉を返す。

 切山さんが話しているのは、凛恋達と同じクラスの石川という男子だ。そして、その石川は、俺が文化祭のモニターとして刻雨に来た時に揉めた男子でもある。


「謝るって言いながら、本当に謝らないといけない人に謝ってない」


 切山さんに続いて希さんも冷たい視線で石川を見上げる。

 正直、待避所に続いてこの手のトラブルがまたあるのは精神的に辛い。

 しかし、待避所と違って今回は凛恋が石川に誘われている状況だ。このまま見過ごすわけにはいかない。


「あのさ。私、言ったよね? あんた嫌いだって」

「これは八戸のためなんだって。八戸はあいつに騙されてるんだ」

「……もう、疲れるから消えてくれる?」


 凛恋は背中を木の幹に預けて、シッシッと追い払うように手を振る。しかし、石川はその凛恋の前にしゃがみ込んで引き下がる様子は見せなかった。


「あいつは詐欺師の息子なんだぞ! 絶対八戸も騙されて利用――」


 神社の境内に、甲高い殴打音が響き、他の刻雨生が発していた話し声が一斉に止む。

 その話し声を止ませた殴打音は、凛恋が平手で石川の頬を打った音だった。そして、凛恋がもう一度手を振り上げた瞬間、俺は凛恋の手首を掴んで止める。


「凛恋、昼飯持ってきたぞ」

「凡人、離して!」


 凛恋は目に涙をいっぱい溜めて俺に叫ぶ。しかし、これ以上凛恋に手を汚させるわけにはいかない。


「希さんも切山さんも座って」


 動き出そうとしていた他の二人を制し、俺は凛恋の手首から手を離して振り返る。

 石川は俺の顔を見て視線を逸らす。それを見て俺は小さくため息を吐いた。


「とりあえず、向こうで聞いてやる。その前に少し待ってろ」


 俺は石川から視線を外し、鞄の中から昼飯のおにぎりとお茶、そしてバナナを取り出して三人に配る。

 全員に昼飯を配り終えると、俺はまた立ち上がって石川の方を見る。


「じゃあ、行くか」


 そう言って歩き出すと、後ろから砂利が踏まれてぶつかり合うジャリッという音が聞こえ、俺の腕が温かさに包まれる。


「私も行く」

「凛恋は休憩してろ。これは男と男の問題だ」

「違うわよ。これは私と石川の問題よ」


 頑として聞かない態度の凛恋に、諦めて俺はため息を吐く。


「分かった」


 俺は凛恋を連れて、石川達と一緒に鳥居の近くに行く。そこで、再び俺は石川を真正面に見て口を開いた。


「俺の彼女を泣かせてどういうつもりだ」

「お前に騙されてる八戸を助けようとしてんだ」


 石川のそのはっきりとした言葉に、俺の腕を抱く凛恋の腕に力がこもる。


「俺の母親が詐欺師だからか?」

「そうだ。親が親なら子も子だからな。八戸はお前みたいな犯罪者と一緒に居るべきじゃない。絶対に八戸が騙されて泣かされるに決まってる」

「石川。はっきり言うが、俺を排除したって凛恋はお前のことは好きにならないぞ?」

「は、はあ? 俺はそんなつもりで言ってるわけじゃない。八戸のためを思って――」

「凛恋が好きなら、まともな方法で奪いにくればいいだろ。石川の良いところを見せて凛恋を惚れさせればいいだろ。もしそれで、凛恋が俺じゃなくて石川を選んだら、石川の勝ちだ。でもな、いくら凛恋が持ってる俺の評価を落としたってお前の評価が上がるわけじゃないだろ。もしそれで、凛恋が仮に俺のことを嫌いになったとしても、凛恋はお前を好きになるわけじゃない。言っておくが、そんな甘い考えでものに出来るほど、凛恋は価値の低い人間じゃないぞ。それに――」

「ヒィッ!」


 俺は右手で石川の胸ぐらを掴み、上へ吊り上げながら睨み付ける。


「凛恋を泣かせるような人間に、俺は絶対凛恋を渡さない。今後また凛恋に関わってみろ。お前、どんな目に遭うか分からないぞ? 親も親なら子も子、なんだろ?」


 これ見よがしに左手で拳を作って、石川の視界でチラつかせる。

 それを見た石川は萎縮して真っ青な顔をしている。

 俺が突き飛ばすように石川の胸ぐらから手を離すと、石川は石畳の上に尻餅を突いて視線を俺達から逸らした。


「さて、希さんと切山さんが待ってる」


 無言で頷いた凛恋を見て、俺は石川に背中を向けて希さん達の居る場所まで歩き出す。


「凡人……辛くない?」

「辛くない」

「本当に?」

「ああ。俺が入院してる時、凛恋が言ってくれただろ。凛恋がずっと側に居てくれるって、凛恋がずっと俺のことを必要としてくれるって。だから、凛恋が側に居てくれれば、必要としてくれれば辛くない。俺には凛恋っていう世界最大の味方が居るんだから。あんな小者が一人二人居たってどうってことない。それより……」


 俺は凛恋の右手を取って両手で包み込む。


「あんなやつのために凛恋の手が痛んだのが許せない。俺の大切な凛恋に何してくれてんだあいつ」

「凡人……」

「また石川が絡んできたらすぐに俺に言えよ。今度は俺がグーで殴る」


 脅しだけにしか使わなかった拳だったが、今度はまたあいつが凛恋を泣かせたら躊躇わずに殴る。

 今回は凛恋が平手打ちをしたことで少しは我慢出来たが、これ以上はもう無理だ。

 凛恋を泣かせるどころか、次に顔を合わせたら殴ってしまいそうなくらいムカついている。


 せっかく、四人で楽しい思い出を作ろうって時に水を差してきたのも許せない要因だ。

 あいつのせいでせっかくの明るい雰囲気が台無しになった。


「凡人……チューしたい」

「我慢しろ。ここのどこでする気だよ」

「……うん」


 凛恋の要望には応えたいし、俺だって凛恋とキスをして安心したい気分だ。だが、ここには石川以外にも沢山の男子が居る。

 そんな男子の前で、凛恋のキス顔を見世物にしたくはない。

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