【三三《干渉》】:三
「凛恋~? よく凡人に、なになに~?」
賑やかな溝辺さんが楽しそうに凛恋を追い詰める。
周りの女子もニコニコしていて、希さんも微笑んでいるだけで助ける気は無さそうだ。
「よく……凡人に……。よく凡人にオムライスを作ってるから慣れてるのよッ!」
開き直ったようにそう溝辺さんに怒鳴った凛恋は、フンッとそっぽを向く。
その凛恋の反応にも相変わらずニコニコしている溝辺さんは、凛恋から俺に視線を向けた。
「多野くんはよく凛恋にオムライスを作ってもらってるんだー」
「凛恋のオムライスは美味しいから人気が出るかもな」
「やっぱ、凡人大好き、ハート! とかケチャップで書いてたりするの?」
「いや、流石にそれは無いかな」
一度か二度、ふざけてケチャップがハートの形で掛けられていたこともあったが、それをあえて言う必要もないだろう。
凛恋も相当からかわれて参っているようだし。
「さて、それで本題なんだけど、今から家庭科室で試作品を作るんだけど、味見してくれない? 作るのは主に凛恋と萌夏」
切山さんがニッコリ笑って手を振る。そして凛恋は隣で不貞腐れていた。まだからかわれたダメージが引かないらしい。
「でも、味見ならクラスの人でやればいいんじゃないか?」
「まあそうなんだけど、凛恋の頼みなの」
「凛恋の?」
溝辺さんから隣の凛恋に視線を向けると、凛恋がビクンッと体を跳ね上げて俺にぎこちない笑みを浮かべる。
「まあ、とにかく少し経ったら呼びに来るから!」
そう言って、凛恋と切山さん、他数名の女子を連れて行った溝辺さんを俺は見送る。
そして残された俺は、このクラスの唯一の知り合いである希さんに顔を向けた。
「凛恋はモテるから、彼氏の凡人くんが来て男子は興味があるのかもね」
男子の方をチラリと見た希さんがクスクスと笑う。いや……笑い事じゃない。
「それにしても、よく家庭科室なんて使えるな」
「うちのクラス、家庭科室の使用権を決める抽選に当たったの。だからみんな気合いが入ってる」
「凄いな。うちは見事に抽選外して揉めたって言うのに」
俺と希さんがいつも通り話していると、突然、希さんが俯いて黙ってしまう。
その急な態度の変化に首を傾げていると、後ろから肩を叩かれた。
「俺、刻季に知り合い居るんだけど、八戸と付き合ってるのに二年の女を家に連れ込んでるってマジ?」
「そんな噂が立ってるのか。初耳だな」
凛恋と仲の良いグループの主要メンバーが居なくなったのを見計らって来たのは分かる。
何処にでも人によって態度が激変する奴は居る。
希さんは大人しいし、凛恋達に告げ口するような性格でもない。だから、この男子は動いたのだ。
男子の言葉にとりあえずとぼけてみたが、俺に直接話し掛けて来たということを考えると、全く意味はないだろう。
正直、出方に迷う。
いつもの俺なら無視をして帰るのだが、待てと言われているから帰るわけにはいかない。
それにここは凛恋の学校だ。下手なことをすれば凛恋の立場が悪くなる。
「とぼけても無駄だぞ。それに赤城さんにも良い顔して。そういうことして男として恥ずかしくないわけ? 八戸に二年の女に、今度は彼氏持ちの赤城さんって」
「凡人くんは――」
俺は言葉を発しようとした希さんを手で制し、名前も知らない男子に言葉を返す。
「凛恋のクラスメイトと揉めたくないんだ。せめて陰口か鼻で笑うくらいで止めといてくれないか?」
「すかした態度取るなよ」
正直、何で俺が見ず知らずの、しかも他校の男子にいちゃもんを付けられなきゃいけないのか分からん。
いや、俺よりも希さんがとんだとばっちりだ。今、希さんはもの凄く辛い立場に立たされている。
何か言い返してトラブルにするという選択肢はない。どうにか穏便に済ませる方法はないものか。
栄次だったらこういうこともすんなり躱せるのだろうか。いや……そもそも栄次ならこんないちゃもんは付けられない。
これは、凛恋の彼氏が俺だからいちゃもんを付けられているのだ。
栄次だったら、この男子は黙って見ていただけだろう。
「希さん、ごめん。凛恋に急用が出来たから帰るって伝えて来てくれ」
「凡人くん……」
立ち上がって希さんを振り返り、ニッと笑う。
本当は帰るわけにはいかないのだが、この男子が居る以上、帰った方が丸く収まりそうだ。
「逃げんのかよ」
帰ろうと立ち上がった俺に、さっきから突っ掛かってくる男子が更に突っ掛かる。
居たらグチグチ文句を言われて、帰ろうとしたらネチネチ文句を言われる。もう何が正解なのか分からなくなってきた。
「…………結局、何が言いたいんだ?」
我慢出来なかったわけじゃない。
もうどうやってもダメだったから、俺にどうしてほしいのか聞くしかなかったのだ。
俺が辟易しながら尋ねると、その男子は嬉しそうにニヤリと笑った。
「お前は八戸に相応しくない。分相応の相手と付き合えよ」
「……確かに俺は凛恋に相応しくないな」
「だったら、今すぐ――」
「でも不思議だが、凛恋が俺を好きで居てくれる。そればっかりは凛恋に聞いてくれ。それと、気分を害して済まないが、俺をこのまま帰してくれ。ここでトラブルを起こしたら凛恋に迷惑が掛かる。それは絶対に嫌なんだ。頼む」
俺は男子に深々と頭を下げる。
多分、この男子は凛恋のことが好きなのかもしれない。
それで自分の好きな凛恋の彼氏がどんな奴だろうと思っていたら、俺みたいなのがのこのこ現れた。
それにムカついたんだろう。そのムカついた理由に正当性はない。
ただの逆恨みか八つ当たりだ。
だけど、こっちが正しいからと言って声を上げられる状況じゃない。
「簡単に頭を下げて悔しくないのかよ、情けね――」
頭を下げていた俺は、耳に激しく高いバシンッという殴打音を聞いた。
ゆっくり頭を上げると、俺よりも小さな体の希さんが右手を振り抜いていた。
「凡人くんに謝って!」
「あ、赤城さん? はっ? えっ? ビンタ?」
「早く謝って!」
「希さん、いいから」
男子を平手打ちした希さんが怒って男子に食って掛かる。考えられる中でも最悪な状況だ。
俺と男子が揉めた訳じゃないが、揉め事に希さんを巻き込んでしまった。
「良くない! 凡人くんが我慢出来ても私は我慢出来ない! 石川(いしかわ)くん! 早く凡人くんに謝って。私、絶対に許さないから。早く私の親友に謝って!」
日頃、希さんはクラスでも大人しいのか、激怒する希さんを見て、クラスの男子は目を丸くしている。
その中でも人一倍驚いているのは、今まさに希さんに激怒されている男子だ。
「石川くん、何様のつもりなの? 石川くんは凛恋の何なの? 凛恋の何を知ってるの? 凛恋達が居なくなった途端、凡人くんに失礼なことばっかり言って。凡人くんのことも何も知らないのに勝手なこと言わないで! それに凡人くんが男らしくない? 謝る必要なんかないのに、凛恋のために頭を下げて謝れる凡人くんの何処が男らしくないの? 凛恋達が居なくなった途端、凡人くんに酷いこと言う石川くんの方が男らしくない!」
俺は手の甲で石川の右頬を打とうとした希さんの右手を掴んで止める。
「凡人くん止めないで! 私、この人絶対に許せない!」
「希さん、落ち着いて! もし希さんが手を怪我したら栄次に申し訳ない。だから止めてくれ、希さんが怪我したら栄次が絶対に悲しむ」
「でも……凡人くんが……凡人くんが!」
「希さん……」
希さんはその場にしゃがみ込んで泣き出してしまう。それを見て、俺は希さんの側にしゃがみ込んだ。
「ごめん希さん。俺のせいでこんなことになって」
「凡人くんは悪くない……」
「お待たせ多野く――希!?」
教室に戻ってきた溝辺さんが、しゃがみ込んで居る俺達を見て慌てて駆け寄って来る。そして、希さんの前に両膝をついて下から希さんの顔を覗き込んだ。
「希!? 何があったの!? どうして泣いてるの!?」
「石川くんが……凡人くんに酷いこと言って……許せなくて……」
希さんの息が詰まりながら吐き出された言葉を聞いて、溝辺さんが立ち上がって石川の方を見る。
「石川。これ、どういうことよ」
「い、いや……これは……」
「はっきり言いなさいよ! 希に何した! 多野くんに何言った!」
「そいつが八戸に相応しくな――」
「はぁ? あんた何様のつもりよ」
溝辺さんの声は冷たかった。そして、石川を睨み付けたまま溝辺さんはスマートフォンを取り出して電話を掛ける。
「萌夏、今すぐ凛恋連れて戻ってきて。試食会は中止」
それだけ言って溝辺さんは電話を切る。しかし、その口調から、ただ事ではないのは伝わったはずだ。
「希、とりあえず座ろう」
溝辺さんは再び希さんの方を振り返り、希さんの両肩を掴んで立たせて椅子に座らせる。
希さんは両手で顔を覆ったまま俯き小刻みに体を震わせている。
「里奈!? 何があっ――希!?」
教室に駆け込んで来た凛恋が、椅子に座って泣いている希さんに駆け寄る。そして、希さんを抱き締めて、優しく希さんの頭を撫でる。
「大丈夫? 何があったの!?」
「凛恋……凡人くんが……凡人くんが……」
泣いて興奮し上手く話せていない希さんから目を離し、凛恋は隣に居る溝辺さんに向ける。
「ちょっと、凛恋! 速いって! えっ!? ちょっ、何がどうなってるの!?」
遅れて戻って来た切山さんが、他の女子達を引き連れて教室に入って来る。
それを見た石川はゆっくり後退りを始めようとした。しかし、その石川の胸倉を掴んで溝辺さんが捕まえる。
「凛恋。石川が何か多野くんに言ったらしいわ。それで希が泣いたみたい」
溝辺さんに視線と言葉をもらった凛恋は、視線を石川に真っ直ぐ向けて口を開く。
「希と凡人に何したのよ」
「や、八戸! ちょっと八戸の彼氏とふざけてたら赤城さんが本気にしちゃっただけだって、なあ!?」
石川は焦った様子で俺に視線を向けて同意を求める。……いや、もうどうやっても取り繕える状況ではないだろう。
「嘘つきッ! 凡人くんが家に刻季の二年生の女子を連れ込んでるとか、凛恋に相応しくないとか言ったじゃん! 男らしくないとも言った! そうやって、都合が悪くなったら逃げるなんて最低!」
椅子に座った希さんが顔を上げ、泣き腫らした真っ赤な目で石川を睨む。
「マジ最低」
「気持ち悪っ」
溝辺さんと切山さんがそう口にして蔑視を向ける。周囲に居る他の女子も、石川に視線を向けていた。
「…………里奈、萌夏。私、今日は帰らせて」
「凛恋、私達も今日は帰る。今日は無理だわ、石川の顔を見たら楽しく文化祭の準備とか出来ないし」
「凛恋は多野くんと帰って。希は私達が送るから」
「ありがと。凡人、帰ろう」
凛恋に手を引かれ、俺は一緒に教室を出る。
凛恋は俯いて早歩きで廊下をズンズン進んでいく。そして靴箱まで来ると、俺は来客用のスリッパ入れに履いていたスリッパを返して、自分の靴を履いた。
その間も凛恋は絶対に俺の手を放さず、ずっと握ったままだった。
まだ薄明るい校舎の外に出ても凛恋の早歩きは収まらず、一気に刻雨の正門を抜けた。
校門を抜けても、凛恋は足を緩めることはなかった。
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