【三一《権利》】:一

【権利】


 正座して座る俺は、左斜め前に座るお婆さんを見た。


「栞ちゃんと清子(きよこ)ちゃんのお孫さんがお知り合いだなんて」

「世の中狭いわね、美代(みよ)ちゃん」


 婆ちゃんの友達の野本美代(のもとみよ)さんは笑顔でそう話し、婆ちゃんも笑顔で返事を返す。しかし、俺には到底笑えるような状況じゃなかった。


 野本さんの隣に正座して居る田丸先輩は、ニコニコと笑って婆ちゃんと野本さんの話を聞いている。

 その田丸先輩は刻季の先輩で、俺が告白されて断った人だ。

 そして、その田丸先輩が、俺の家に住むかもしれない人として来ている。しかし、頭が混乱しているわけじゃない。でも、落ち着けているわけでもない。


 田丸先輩を見て、正直な話、勘弁してほしいと思った。年の近い女子と一緒に住むというだけでも抵抗があるのに、告白を断った相手だ。

 そう思って当然だと俺は思う。それに男ならまだしも、女子なんて凛恋のことを考えれば受け入れられる話じゃない。


「凡人、田丸さんとは知り合いだったのか」

「学校の行事で一度会ったことがあるんだ」


 隣に居る爺ちゃんが俺に視線を向けて尋ねる。俺はそれに、そうぶっきらぼうに答えるしかなかった。


「凡人くんにはアルバイト先で困ったことが会った時も助けてもらって。私の方が年上なのにお世話になっています」

「あら! あの怖い人から助けてもらったっていう話?」

「はい」


 田丸先輩の言葉に、野本さんが驚いた表情をして両手を合わせて俺を見る。


「栞ちゃんって可愛いでしょう? だから、下手な施設に預けるのは不安だったの。その点、清子ちゃんと清子ちゃんの旦那さんはしっかりしているし、お孫さんも頼りになる。もし清子ちゃん達が預かってくれたら、私は安心して任せられるわ」


 野本さんの言葉を聞きたくない。

 もう、野本さんはうちに田丸先輩を任せる気でいる。野本さんの頭には断られるという考えはない。

 優しくてしっかり者の多野家の三人は、行く当てのない田丸先輩を拒むなんて非情なことはしない。そう野本さんは考えている。

 だけど、相手が田丸先輩である以上、簡単に頷けない。でも、簡単に首を横に振れる訳でもなかった。


 俺が首を横に振れば、人生を左右してしまう。それは、相手が田丸先輩でも変わらない。だから、今すぐに答えを出すなんて出来なくなった。安全策に逃げることが出来なくなった。


「…………すぐに答えを出すことは出来ません」


 和やかな雰囲気を断ち切るように、俺はそう口を開いた。その言葉にすぐに言葉を返したのは野本さんだった。


「凡人くんだったかしら? 凡人くん、栞ちゃんはとても頑張っているの。アルバイトをやりながら一生懸命勉強して、良い大学に入ろうと毎日頑張ってる。でも、環境が大きく変わってしまったら、その環境に慣れる時間が必要になるわ」

「分かってます。でも、だからと言って今すぐに、はい良いです、とは言えないんです。田丸先輩は女性で俺は男です。……それに、俺には付き合っている彼女が居るんです」

「その彼女は他人でしょう。これは凡人くんの家族の問題よ」

「田丸先輩だって俺にとっては他人です」


 野本さんは俺の言葉を聞いて眉をひそめる。まるで、俺が悪い人間かのように、俺を非難した目で見てくる。


「野本さん、私……凡人くんに告白して断られたことがあるんです。だから、そんな人と一緒に住むのを受け入れられない気持ちは分かります」

「栞ちゃん、でもそれは個人的な感情よ。自分が嫌だからと言って――」

「野本さん、私は多野さんの家庭にお願いしている立場なんです」


 熱くなった野本さんをたしなめるように、田丸先輩は口にする。


「たとえ多野さんのお爺さんお婆さんが認めてくれても、凡人くんが認めてくれないとダメなんです。野本さんは私のことを可愛がってくれてとても感謝しています。でも、このお家は野本さんのお家じゃないんです。多野さんのお爺さんお婆さん、そして凡人くんの家です。だから、みんなに認めてもらわないとダメなんです」

「栞ちゃん……」


 野本さんは少し浮かせた腰を座布団の上に下ろす。俺はそれを見届けて、立ち上がった。


「すみません。今日はこれで失礼します。俺に……考える時間を下さい」


 俺は頭を下げて居間を出て、玄関から外に出た。飛び石を抜けて家の敷地から出た俺は、歩き出しながらスマートフォンを取り出して電話を掛ける。


『もしもし凡人? 今日は家の用事があったんでしょ?』

「凛恋……今から会えないか?」

『大丈夫。それよりも、何かあったの? 声に元気がない』

「……今から迎えに行く。栄次と希さんにも一緒に聞いてもらいたい話なんだ」

『分かった。希には私が電話しておく。場所はいつものファミレスでいい?』

「ああ、よろしく頼む」

『じゃあ、家で待ってるから』


 電話を切って、俺は左手の拳を握り締め、右手で栄次に電話を掛けた。



 土曜の昼過ぎでも、ファミレスの中は客でごった返していた。そのごった返すファミレスのいつもの席で、俺はアイスのブラックコーヒーをストローで吸う。

 ファミレスに来てこの場所に座ってから、もう何分も話し出せずにいる。隣では、凛恋がずっと右手を握ってくれているが、それでも話し出す勇気はまだ出ない。


「……カズ、何があったんだ?」


 沈黙を破って、栄次が話し出すきっかけを作ってくれる。俺はその栄次の気持ちに、やっと口を開けた。


「婆ちゃんの知り合いが児童養護施設でボランティアをしてて、その施設が近々閉鎖になるらしいんだ。それで、その施設で生活してる人を一人、家で引き取ることになるかもしれない」

「……それで、カズが俺達に話したいことはまだあるんだろ?」

「ああ……その、引き取ることになるかもしれない人が……田丸先輩なんだ」

「なっ!」


 栄次は目を見開いて驚いた声を上げ、凛恋は俺の手を握る左手に力を込めた。


「田丸先輩って?」

「凡人と一緒に居た刻季の二年。夏休み、凡人に告白して振られてる」


 俯いた凛恋がそう言うと、希さんは立ち上がって両手をテーブルの上に突く。


「私は反対! そんな人と凡人くんが一緒に住むなんてダメ! 私だったら、栄次とあのブルドーザー女子が一緒に住むなんて知ったら絶対に嫌!」

「希、落ち着け」


 栄次が希さんの腕を引っ張り座らせる。しかし、座らされた希さんの興奮は収まっていない。


「男の子じゃなくて女の子なんだよ!? それに凡人くんに告白した人なんて! 振られたって言っても諦めたとは限らないよ! そんな人と一緒に住むなんて――」

「希、カズの話が終わってない」


 栄次の言葉で希さんは小さく「ごめんなさい」と謝って押し黙る。


「……俺も凛恋が居るから、田丸先輩と一緒に住めないと思った。絶対に凛恋を不安にさせてしまう。でも……俺が反対すれば田丸先輩を引き取る話は無くなる」

「じゃあ、反対すれば――」

「でも、凡人が賛成すれば、凡人の家で暮らせる。私は凡人のお爺さんとお婆さんをよく知ってるから分かる。良い所か悪い所かも分からない場所に行くより、凡人の家に引き取られた方が絶対に幸せに生活出来る。お爺さんとお婆さんは、田丸さんを不幸になんて絶対にさせない人よ」

「なるほど、それでカズの優しさが悩ませてるのか」


 凛恋と栄次は俺の考えが手に取るように分かるようで、二人は息を吐いて俺に視線を向けた。


「カズ、俺は反対だ。希の言ってたこともある。それに、カズは誰かが反対しないと絶対に賛成する。カズの性格じゃ反対出来ない。カズは田丸先輩じゃなくて凛恋さんと付き合ってるんだ。大切にするのは田丸先輩じゃない。凛恋さんの方だろう」

「凛恋は? 凛恋も反対でしょ!?」


 栄次の言葉に続いて、希さんが凛恋に問い掛ける。その言葉に、凛恋は俯いたまま首を横に振った。


「反対、出来ない」

「何で! 凡人くんにちょっかい出されても良いの!? 彼女が居る人に告白する人だよ!? 私は絶対にまだ諦めてないと思う! そんな人と凡人くんを一緒になんて――」

「反対出来ない。でも賛成も出来ないの」


 凛恋は俺の手を握り締めたまま、絞り出すようにそう言った。


「凡人は凄く優しい。だから、田丸先輩を見捨てるようなことは出来ないと思う。そういう優しい凡人が私は大好き。でも、希が言ったみたいに田丸さんは凡人のことを諦めてないと思う。だってこんなに優しくて格好良いんだもん。一回振られたくらいじゃ諦められない。私だって、もし凡人に振られても諦められなかったと思うし」

「凛恋……でも……」

「だって……こんなに誰かのために悩んで苦しめるんだよ。他人のためにこんなに辛い顔して悩めるんだよ。そんな凡人の気持ち、簡単に決められないよ……。嫌だけど……ただそれだけで田丸さんの人生を決める女なんて、凡人に相応しくない!」


 凛恋は右手の甲で目を擦り唇を噛む。


「でもさ……不安だよ。もし田丸さんが凡人の家に住んだら、私より凡人と一緒に居る時間が長くなっちゃう。学校も一緒に行くだろうし、家で顔を合わせて当然だし、ご飯も一緒に食べる。私が家に居る間も、田丸さんは凡人と一緒に居られる。それはめちゃくちゃ不安だよ。でもさ……それで不安になるのも悔しいのよ……。凡人のことを信じてないみたいで、凡人が私以外の人を好きになっちゃうって思ってるみたいで……」

「凛恋、それは仕方ないよ。私が凛恋の立場でも同じだもん。栄次を取られちゃうって不安になる。彼氏に告白した人と彼氏が一緒に暮らすなんて不安にならないなんて無理だよ」


 俯く凛恋と希さんを見て、俺は話さなければ良かったのかもしれないと思った。話しても話さなくても、決めるのは俺なのだ。だから余計な心配を――。


「でも、凡人が話してくれてめちゃくちゃ嬉しい。私のこと、ちゃんと考えてくれて、一番に私に電話してくれて。めちゃくちゃ嬉しい」


 凛恋が俺の右手と指を組んで手を繋いで言う。すると、希さんはニッコリと笑って俺の顔を見た。


「私も嬉しかったかな。凡人くんがちゃんと相談してくれて。凛恋から私と栄次にも話したいって言ってたって聞いて、嬉しかった。ちゃんと友達だと思われてるって分かるから」


 二人の言葉は嬉しかった。その言葉だけで、話したことが間違いではなかったという証明になる。それだけで、それが確信出来ただけで、心の揺れが弱まった。


「でも、どうするかは決めないといけないんだろ? それに、最終的にはカズが決めなきゃいけない」


 安心して緩んだ俺の心を引き締めるように言った栄次の言葉。その言葉の直後、ポケットのスマートフォンが震える。


「爺ちゃん?」


 爺ちゃんから掛かってきた電話を受けると、電話の向こうから若い女性の声が聞こえた。


『凡人くん? 田丸栞です』

「……田丸先輩」


 俺がそう言うと、三人の視線が俺のスマートフォンに集まる。


『今、八戸さんと一緒?』

「はい。凛恋と、友達二人も居ます」

『じゃあ、今からお話し出来ないかな? 八戸さんとお友達二人も一緒に』


 落ち着いた声でそう言われ、俺はスマートフォンを耳から離してマイクを左手の平で押さえる。そして、三人を見渡して、田丸先輩の提案を伝えた。


「田丸先輩が、今から俺達と話が出来ないかって」


 向かいに座る栄次と希さんは驚いた表情をした後、困ったように眉をひそめる。しかし、隣に居る凛恋はキッと目を開いて、一度深く頷いた。


「呼んで。ちゃんと話が出来る良い機会だから」


 その凛恋のしっかりとした言葉を聞いた希さんと栄次は黙って頷く。三人の承諾を得て、俺はスマートフォンを耳に戻してマイクに話し掛けた。


「駅前のファミレスに居ます。そこへ来て下さい」

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