【二八《空の華をきっと》】:二
凛恋の提案で服屋に寄って、それから駅に戻って電車に乗った俺達は、隣町の駅に着いた。
改札を抜けて外に出ると、以前顔の赤さが取れない希さんがシュンとして謝る。
「みんなごめん」
「謝る必要はないわよ。希のお婆ちゃんくらいの人だと下着は着けないって考えの人も居るらしいし」
下着を購入して穿いた希さんにチラリと視線を向けると、白い浴衣からも下着の柄やラインは透けてはいない。これなら変に意識することも無くて良さそうだ。
「凡人」
隣から短い凛恋の声が聞こえ、俺は背筋を伸ばして視線を前に向ける。心なしか、俺の手を握る凛恋の手に力が入った気がする。
気を取り直して、駅から花火大会の会場である河川敷へ向かう。河川敷へ向かう道も、やはり浴衣を着た人達が沢山歩いていた。
夏休み最後の大きなイベントだし人が集まるのも仕方がない。しかし、人混みというのは何度経験しても慣れない。
昔から人目を避けて生きてきた俺みたいな人間にとっては、ただ人が居るだけでも落ち着かない。
別に俺のことなんて全く気にしていないどころか、存在自体も認識されていない。それが分かっていても、やっぱり体に染み付いた経験は消し去れないものだ。
「ついに夏休みも終わりか」
「あー、栄次くんそれ言っちゃダメだって。せっかく忘れてたのにー」
「ごめんごめん」
栄次が笑いながら凛恋にそう言うと、栄次は俺を見る。その目は何だか生温かった。
「カズが花火大会か。ただカラオケに行くのでも渋い顔してたことを考えると、物凄い成長だな」
「凛恋が居なかったら来てない」
「俺とも行かないのか?」
「誰が男と二人で好き好んで花火大会なんて行くんだよ」
「確かに男二人は嫌だな」
ニッと笑う栄次の後、凛恋と希さんがクスクスと笑う。
人の流れに乗って歩いていると、遠くから和太鼓の音が聞こえてきて、歩くに連れてその音がどんどん大きくなっている。そして、人混みの向こう側に真っ赤な提灯がいくつも吊されているのが見えた。
「美味しそうな匂いがする!」
「お祭りに来たって感じするね」
凛恋と希さんの会話を聞きながら、人混みの中で俺は凛恋の横顔をチラリと見る。やっぱり何度見ても可愛い。
隣を凛恋が歩くのは日常でも、浴衣姿の凛恋が隣を歩くのは非日常だ。浴衣の良さなんて分からない人間だったが、凛恋の着る浴衣は良い。いや……凛恋が着ると何だって可愛い。
日頃見られない凛恋の姿を見られることは特別で、その特別を見られている自分が、そんな特別な凛恋の彼氏で居られる自分が誇らしかった。
今、中学一年の俺に会えたら「あと三年頑張れ。そしたら、人生で一番の幸せを経験出来る」と背中を叩いてやれる。
中学一年の春。栄次が引っ越した時は、そりゃあ絶望したものだ。
小学校六年間、ずっと俺の味方で居てくれた人が居なくなる。それは、そこそこ人に対して諦めていたり、ひねくれた性格が出来上がってたりした俺でもキツかったのを覚えている。でも、居ない人を頼っても仕方がない。だから、一人であることを受け入れて耐えるしかなかった。
あの中学三年間の経験があったから今の幸せがあるとしたら、今の幸せな俺から振り返れば、大したことはなかったかもしれない。
それだけ、今の幸せは、凛恋という存在は俺にとって大きい。
凛恋が居るだけで幸せ。それは、月並みな言葉だと思う。でも、その言葉が一番今の俺にしっくりくる。
「凡人! イカ焼き食べよう!」
「おう。でも意外と渋いチョイスだな」
「こういう時にしか食べられないしね!」
凛恋に手を引っ張られイカ焼きの出店でイカ焼きを四本買う。そして、二本を希さんと栄次に渡し、四人で人混みから外れイカ焼きを食べながら今後の予定を話し合う。
「じゃあ、花火の時にまた集合ね。それまでは自由行動で」
「うん」「分かった」
凛恋の言葉に笑顔で栄次と希さんが頷くと、二人は両手を繋いで歩いて行く。その二人の後ろ姿を眺めていると、隣から凛恋の声が聞こえた。
「希、お泊まり会めちゃくちゃ楽しかったって」
「そうか」
「凡人のおかげでみんな仲良くなれたから、ありがとうって言われたわ」
「そっか」
「凡人に直接言いなさいよって言ったんだけど、希は結構恥ずかしがりだからね。彼氏の栄次くんはさて置き、男の凡人と話してるだけでも凄いのよ」
まあ随分と前に、男子が苦手みたいな話は聞いた覚えがある。でも友達としては俺も嬉しい。
「じゃあ、とりあえずフランクフルト食べに行こ!」
「さっきイカ焼き食べたばかりだけど大丈夫か?」
歩き出す凛恋に話し掛けると、凛恋は立ち止まって俺の方を見る。そしてうーんと考えた後、チラッと視線を合わせてはにかむ。
「太ったら嫌だから半分ずつにしよう」
凛恋はフランクフルト、焼きそば、たこ焼きを食べ、お腹いっぱいと言いながらも、チョコバナナを見付けて美味しそうに食べている。
しかし、フランクフルトの時にも思ったが、よくお腹の中に入っていくものだ。
「ねえ凡人」
「なんだ?」
「なんでそんなに必死に私のことを隠してるの? 今もフランクフルト食べてた時も」
「えっ?」
何気なくやっていたつもりだったが、どうやら凛恋にはバレていたらしい。しかし、世の男なら分かってくれるはずだ。
彼女がフランクフルトとチョコバナナを食べている姿を他の男に見られたくないという気持ちは。
「……凡人のエッチ」
ニヤッと笑いながら言う凛恋は、完全に俺をからかっている様子だ。だが、俺もからかわれるだけの男ではない。
「人にぶつかったら危ないだろ? だから隠してたんだ。でもそれがなんでエッチになるんだ?」
「えっ? ちょっ、聞き返さないでよ!」
「いや、聞かないと分からないだろ? 何が――」
「からかってごめんなさい」
凛恋が素直に謝るのを見て俺は腕を組んで勝ち誇って頷いた。
「正直に謝ったから許してやろう」
ウエットティッシュを取り出して口の周りを拭く凛恋を眺めていると、俺の後ろから声が聞こえた。
「あれ? 八戸じゃん」
「えっ? あっ……入江(いりえ)くん」
俺の真正面に居る凛恋が驚いた顔でそう言うのを見て、凛恋の見ている方向へ体を向ける。
そこには男子数人のグループがあり、その先頭に立つ長身の金髪イケメンが爽やかな笑顔で手を振っていた。
「八戸も来てたんだ! うおっ! こっちのデカイ人誰!?」
その金髪イケメンは俺を見てギョッとした顔を見て指さす。その金髪イケメンに凛恋は俺の腕を引き寄せて笑顔を返した。
「私の彼氏」
「おお! そう言えば、八戸に彼氏が出来たってクラスの奴が騒いでたな。へえー、めちゃくちゃデカイ! 身長いくつあんの?」
尋ねられた凛恋が俺に視線を向ける。それを受けた俺は、乏しい対人スキルを駆使して答えた。
「一八七だ」
「一八七!? 俺も一八〇でデカイ方だけど負けた!」
後ろの仲間からからかわれるように小突かれた金髪イケメンは、からかわれ終わると凛恋に手を振って歩き去って行く。
「デートの邪魔して悪かった。また学校でな!」
「うん、またね」
金髪イケメンが見えなくなった後、凛恋に視線を向けると、凛恋は俯いて俺の手を引いた。
黙って手を引いて歩き出す凛恋に付いて行くと、屋台と屋台の間から外へ出る。
丁度、屋台の影になっているその場所は、提灯の明かりも届かず薄暗い。そんな場所になんの用があるのかと戸惑っていると、凛恋が突然前から俺を抱き締めた。
「凛恋?」
「さっきの男子……前に話した好きだった男子」
「えっ? あっ……」
そう言われて思い出す。凛恋が今の派手な格好になるきっかけになった男。俺の前に好きだった男。
…………なるほど、あんだけイケメンなら凛恋が好きになる気持ちも分かる。そりゃ――。
俺はそこで思考が止まった。俺を抱き締めていた凛恋が、背伸びをして俺の唇を塞いでいた。そして、ただ塞いでいただけではなく、熱いキスだった。
凛恋の腰を支えたまま腰を曲げて、ゆっくり唇を重ねたまま凛恋の足を地に着けさせる。そして、凛恋の体勢が安定した瞬間、俺は思いっ切り凛恋を抱き寄せた。
凛恋と長いキスをした後に、唇を離した凛恋が真っ赤になった顔を手でパタパタと扇ぐ。そして、俺の胸にストンとチョップを当てた。
「バカ、本気チューはダメだって言ったじゃん」
「ごめん。来る途中にお預けを食らったからつい」
「でも……私もしたくなっちゃったし」
凛恋が俺の両手を握って凛恋が俺の方を見た。
「実はさ、私、凡人に出会う前に入江くんに告られてるの」
「……はっ? えっ? なっ? エエェッ!?」
突然の言葉に驚く。そして、頭の中が一気にパニックになった。
凛恋はさっきの金髪イケメンのことが好きで、あの金髪イケメンの好みに合わせたが結局その恋は叶わなかった。
それで、俺と凛恋が出会って凛恋が俺のことを好きになってくれて、俺も凛恋のことが好きだったから付き合うようになった。というのが、俺と凛恋が付き合うまでのことの流れだ。
しかし、俺と出会う前に『好きだった金髪イケメンから告白される』という出来事があったことが判明すると、その話の流れにはおかしな点がある。
凛恋は好きな男に告白されているのに、その好きな男と付き合っていないということだ。
「…………入江くんが告白してきた時、入江くんは付き合ってた彼女と別れたばっかりだったの。そんでさ、佳奈子が喋っちゃったのよ、私が入江くんのことが好きだったって」
凛恋は頭を抱えて辟易とした表情で語り出す。それにしても『佳奈子』という名前はあまり良いことでは聞かない名前だ。
いや……世の中の佳奈子さんが悪いわけではなくて、凛恋の友達である佳奈子さんの間が悪いだけだろうが……。
「んで、あのニコニコ笑顔で入江くんが私に言ったのよ。俺のこと好きなの? じゃあ付き合わないって。入江くんの性格だから全く悪気はなかったと思う。でもさ……私、それ聞いてカチンと来ちゃって……」
「……カチンと来ちゃって?」
「思いっ切りビンタして振ったの」
「…………ま、まあ気持ちは分かる」
たとえ好きだった人だとしても、恋人と別れてすぐに「俺のこと好きなの?」なんて言われながら告白されれば怒りたくもなる。
「ほんっと、なんでこんな軽薄な男を好きだったんだろうって思ってさ。私は男を見る目ないなって思った。好きな気持ちなんて一気に冷めちゃって、そしたらムカつく気持ちが湧いてきて……ついバシンッてビンタして、思いっ切り振ったの。だからちょっと話すの気不味くて……」
凛恋がアハハと笑ってハアっと息を吐く。確かに、いつもの凛恋にしては、言葉数が少なかったように思える。しかし、凛恋の話したことを考えれば誰だって気不味い。
「でも、それを考えると、あの金髪イケメンは凄いな。そんな振られ方した凛恋に話し掛けられるなんて」
「……あんな性格なのよ。でもいい勉強になった。顔が格好良いだけじゃダメだって。中学の頃の私は見た目でしか人を判断してなかったんだって」
笑う凛恋は、俺の体を抱き締めて俺の顔を見上げる。
「でもさ、世の中には顔も性格も良い人って居るんだね」
「ああ、栄次みたいな完璧超人も少数だけど居るもんだ」
「違う違う、私の目の前」
凛恋が俺の鼻先を指でツンツンと突いて笑う。どうやら、凛恋から見たら俺は完璧超人らしい。
いったい、凛恋の目に映る俺には、どんな補正が掛かっているのだろう?
「それで、あのいやーな出来事を思い出したらさ、凡人に気分を綺麗にしてほしくなって」
「……なんか俺、空気清浄機みたいだな」
「だって、凡人とチューするのが一番良いんだもん! 彼女の特権特権! ……それに、見比べたら凡人の方が断然格好良かった」
抱き締めながら凛恋はそう言う。しかし、俺とあの金髪イケメンを比べて、俺の方が格好良いと言うのは凛恋くらいのものだろう。
「ヤバ! そろそろ希達と合流しないと!」
スマートフォンを確認した凛恋が慌てて歩き出す。俺はその凛恋の隣に並び、凛恋に聞こえないように呟く。
「凛恋の方が完璧超人だ」
見上げる夜空に打ち上がる花火。夜空に咲く花火達は赤、黄、緑、青、橙と色様々でそれぞれの組み合わせも多種多様。
それが途切れなく打ち上がる姿は圧巻だった。日頃、趣とか情緒とか、そんな言葉を口にさえしない俺でも口にしたくなる。
「風流だ」
栄次と希さんと集合して、川の上に架かる橋の上から打ち上がる花火を眺める。
周囲には沢山の人が居るが、それが気にならないほど花火に夢中だった。
「綺麗」
隣から凛恋の声が聞こえ、視線を凛恋に向ける。凛恋の二つの綺麗な瞳に夜空の花火が映って煌めく。それは俺の知識にあるどんな宝石よりも綺麗だった。
「来年も、また四人で来よう」
「ああ、絶対に来よう」
反対側で希さんと栄次がそんなことを言う。それに凛恋は夜空を見上げながら頷く。
「うん、絶対に来年も四人で来る」
そう口にした凛恋から視線を離し、俺は夜空を見上げて空に咲く花を目に映す。
「来年も再来年も来よう。恒例になるまで何回も」
この夏に経験したことを、これっきりになんてする気はない。絶対に来年も再来年も同じことを、もっと凄いことを経験する。
そしたらきっと、俺達はもっともっと当たり前になれる。
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