【二三《断絶の決定打》】:一
【断絶の決定打】
同じ境遇の人同士でしか分かり合えない。その田丸先輩の言葉は重かった。
重くて辛辣で反論出来ないほど現実的だった。でも、それを素直に認める訳にはいかなかった。素直に認めたら、俺は認めてしまうことになる。
俺と凛恋は分かり合えないと。
それは、絶対に嫌だった。
このまま凛恋と遠いままが嫌だから、その距離を決定付けてしまうような田丸先輩の言葉を認める訳にはいかない。
だったら、認めないためには何をしなければいけないのか。
それは分かり合う努力だ。その第一歩として、俺は凛恋と話さなければいけない。
スマートフォンを握り締め、鈍る指を動かして、俺は凛恋に電話を掛けた。
呼び出し音を聞きながら心臓の鼓動が早くなるのが分かった。手に、額に、汗が滲むのも、体が小刻みに震えるのも分かった。
『もしもし……凡人?』
「凛恋か?」
『フッ、私のスマホなんだから私以外あり得ないでしょ』
電話に出た凛恋の声が笑っていた。
良かった、笑った。それを実感しただけで体に発散出来ないくらいの高揚感が湧く。
「最近会えてないから。どうしてるかと思って」
『うん……ごめん、バイトが忙しくってさ。唯一のバイトだった大学生の人が、夏休みだから地元に帰っちゃったみたいで』
「そうか。雰囲気の良い喫茶店だったし、忙しくて当然だよな」
大丈夫、ちゃんと会話が出来ている。凛恋の反応も悪くない。いや、むしろ良い方だと言える。
そう考えて自分に自信を付ける。
今回の電話ですぐに凛恋と家族に対する考え方を分かり合おうとは思っていない。
まずは凛恋と開いてしまった距離感を元に戻すことだ。そして、その元に戻すための策も考えている。
テーブルの上には一枚のチラシがある。
今度の日曜、この地域で一番大きい夏祭りが行われる。それに凛恋を誘うのだ。
キャンプは行ったしキャンプで海水浴もした。だから夏休みの、夏のイベントとして次に凛恋と一緒に夏祭りに行くんだ。
夏祭りで色んな物を食べて見て遊べばきっとまた二人で自然に笑える。それで元通りに戻したら、今度は失敗しないように慎重に凛恋と分かり合うんだ。
「凛恋。今度の日曜、夏祭りがあるだろ? それに一緒に行かないか? 最近一緒に遊べてないし、出掛けても無いから」
タイミングを計る余裕はなかった。すぐに言ってしまった方が楽だった。
俺は何処かに行こうなんて誘ったことはない。出掛けるときは凛恋が全部誘ってくれていた。
デートに誘うことがこんなに緊張することなんて知らなかった。こんなドキドキすることを毎回凛恋にさせてしまったのは本当に申し訳なく思った。
だから、これからは俺もちゃんと凛恋を誘――。
『……ごめん。その日、バイトがあるんだ』
「えっ……」
サッと血の気が引いて、膝から力が抜けて、俺は畳の上に尻餅を突いた。
『ホントごめん。その日入れないかって聞かれて、予定ないからバイト入れちゃって』
「えっ……いや……いや! 気にしないでくれ。余裕を持って誘わなかった俺が悪いんだ! 凛恋が気に病む必要はない!」
『ホント、ごめん』
もう聞いていられなかった。凛恋の声に、楽しさは欠片も残っていないのが分かったから。
楽しい雰囲気を取り戻そうとして電話したのに、却って状況を悪化させてしまった。それがありありと分かってしまった。
「バイトで疲れてるのにごめん。じゃあ、おやすみ」
俺は、凛恋の返事を聞かずに電話を切った。そして、スマートフォンを畳の上に放り投げた。ゴトリという鈍い音がして、スマートフォンがうつ伏せに畳の上で倒れている。
断られた。断られた……。
初めて勇気を出して誘ったデートを断られた。いや、先に予定が入っていたんだ。その予定を優先するのは間違ってはいない。だから凛恋は何も悪くない。
「凛恋は、俺が遊びを断っていた時、こんな気持ちだったのか……」
俺と凛恋が付き合う前、凛恋の誘いを俺はことごとく断っていた。
その度に、俺は凛恋にこんな思いをさせてしまっていたのだ。
途方も無い高さの崖から暗闇に突き落とされたような絶望感。
全身の血の気が引いて体が寒さで小刻みに震える。そして、その震えで心の器に並々と注がれた悲しさや苦しさ辛さが少しずつ溢れだしてくる。
それが嗚咽と涙に変換されて表に出る。こんな辛い思いを、逃げ出したい思いを、心が折れるような思いを、俺は何度も何度も凛恋にさせてしまっていた。
それを実感して、俺は胸を押し潰されそうな気持ちになった。
そんなことをしてしまっていた俺が泣くなんて、悲しむなんて許されない。
だから、必死に涙を抑えるために、頭を掴んで痛みで悲しみを飛ばそうとしたり、手の平の丘で目を目蓋の上から押さえて直接涙を押し込もうとしたりする。
でも、抑えようと思えば思うほど溢れ出て、どうしようもなかった。
凛恋は本当に凄いと思う。
俺に断られて、あんなに辛い思いをして涙して、それでも俺を諦めないで居てくれた。
その心の強さを俺は、本当に凄いと思うし、本当にありがとうとも思うし、本当に申し訳ないと思った。
凛恋に電話した日以降、俺は電話をする勇気が出なかった。本当に自分でも情けないと思う。でも、どうしても手が震えて凛恋へ電話を掛けることが出来なかった。
今日は爺ちゃんも婆ちゃんも温泉に泊まりがけで出掛けていて居ない。
出掛ける前、婆ちゃんが「凛恋ちゃんと遊んでも良いけど、ほどほどにしなさい」っとニコニコしながら俺に言ってきた。
婆ちゃんは今の俺の状況を知るはずもないから、気を遣って言ったのだろう。でも、今の俺にとっては嫌味か皮肉にしか聞こえない。
「……誰だ?」
テーブルの上に置いてあったスマートフォンが震え、俺はスマートフォンを手に取って画面を見る。表示されている名前は『喜川栄次』で、俺は重い体を起こして電話に出た。
「もしもし」
『カズ、なんだか久しぶりだな』
「そうだな」
『今、外だろ? 八戸さんと一緒に合流しないか?』
栄次の声は何時も通り穏やかだ。そして、なんの疑いも無く言う。
当然、俺と凛恋が一緒に夏祭りに来ているだろうと。
「俺は今、家だ。それに凛恋は一緒じゃない」
『え? 今日、夏祭りだぞ!? なんで――』
「凛恋はバイトがあるらしい。週初めに誘ったらそう言われて断られた」
『断られた!? 希。カズ、八戸さんに夏祭りを断られたって』
栄次の隣には当然赤城さんが居るようで、電話の内容を赤城さんに話しているのが聞こえる。自分の恋人が、自分の隣に居ることが当然である栄次が羨ましかった。
『多野くん? 赤城です』
「ああ、赤城さん、こんばんは」
『多野くん、今から出て来られる? 直接話が聞きたいんだけど』
「いや、何も話すようなことは――」
『お願い! 直接話がしたいの!』
何やら必死な様子の、赤城さんの声が聞こえてきて、俺は頭を掻く。
栄次も赤城さんも大切な友達だ。その友達の赤城さんに必死にお願いされて、それを嫌だと断るわけにもいかない。
「分かった。俺は何処に行けば良いんだ?」
『お祭り会場の出入り口に看板があるから、そこで待ってて。私達の方が早く着くと思うけど』
「会場の出入り口だな。分かった」
『じゃあ、私達は何か食べ物を買っていくね。何か食べたい物ある?』
「いや、気を遣わなくても」
『いいからいいから。焼きそばとかでいい?』
「じゃあ、焼きそばを」
『うん、じゃあ後で!』
「ああ」
それで電話が切れるかと思ったら、電話から栄次の声が聞こえた。
『カズ……大丈夫か?』
「大丈夫だ。後でな」
何時も通りじゃ無い栄次の声に、俺は一瞬声が震えそうになった。
栄次が気遣うように、心配する声をしている。
栄次には、俺達に何かがあったことが分かっているのだ。だから、俺を気遣っている。その栄次の優しさに涙が溢れそうだった。
そうだ、栄次と赤城さんに会ったら全部話そう。なんで最初から俺はそうしなかったんだ。
初めから二人に相談すれば良かったんだ。俺に解決出来ないなら、俺一人の力でダメなら二人の力を借りればいい。
俺はもう、たった独りじゃないんだ。俺には友達が居るんだ。
急に体が軽くなった。二人に話せば、二人に協力してもらえれば、きっと上手く行く気がした。二人が居れば、また凛恋と四人で前みたいに遊びに行ける気がした。
急いで身支度をして家を飛び出す。飛び出した外の空気は、まだ昼間の熱気が残っているせいか、むうっとしていた。
家から駅まで走って、丁度駅に到着していた電車に飛び乗る。たった二駅先なのにその二駅先までの時間がもどかしい。
電車の扉が開くとすぐに駅のホームに飛び出す。
そして駅舎の外に出ると、浴衣を着た通行人でごった返していた。でも、いつもなら顔をしかめたくなるその人混みも、今は全く気にならなかった。
自ら人混みの中に飛び込んで人混みを掻き分けて先へ進む。
駅前から会場の多目的広場は近い。でも、そのたった数分の距離が煩わしかった。
会場に近付くと人混みの厚さは増して、掻き分けるのも一苦労だった。日頃、人混みの中を掻き分ける経験のない俺には至難の業だった。でも、この人混みを掻き分けた先に、凛恋と元通りになれる可能性がある。それだけで前へ進めた。
「ハァハァ……着い、た……」
日頃走り慣れない俺が走ったせいで、もう息は絶え絶えだ。それに急いで来過ぎたのか、看板の前に二人はまだ来ていなかった。
流れる人混みの邪魔にならないように端に身を避けて息を整えた。
なんとなく、急いで来たことを二人に悟られるのが恥ずかしくなった。でも、すぐに首を振って、そしてフッと笑って否定する。
そんな恥くらい掻けよ、俺。今からもっと恥を忍んで二人に頼むんだから。
凛恋と元通り話せるように協力してほしいと。
会場内から出てくる人達の中に栄次と赤城さんが居ないかと目を凝らす。でも、二人と待ち合わせはしているのだし、必死になって探す必要も無い。
俺は心を落ち着かせるように、目を閉じ深く息を吸って再び目を開いて息を吐こうと……した。
「り、こ……?」
人混みは、うんざりするほど厚くごみごみとしていた。それこそ、人が数えるのもバカらしいほど一斉に動き回っている。
だから、その人混みの中に偶然知り合いが紛れていても、そう容易く見付けられるものじゃなかった。
でも、俺は見付けてしまった。
見間違えるわけがない、金髪ミディアムのウェービーヘアに、派手ではなくナチュラルメイクの可愛らしい顔。キラキラのラメ装飾が施された半袖のシャツにデニムのミニスカート。そして、明るく眩しい笑顔。でも、その笑顔は俺に向けられていなかった。
隣に立っている男性は若いが高校生ではない、若くても大学生という感じで大人の雰囲気がある。身長は凛恋より高いが俺よりは低い、と思う。
爽やかな笑みを浮かべ、隣に居る凛恋と楽しそうに話している。そして、凛恋も……クスクス笑って楽しそうに話している。
「カズ、ごめんごめん。思ったより焼きそば混んでてさ。……カズ?」
何か男性が言って、凛恋は両手を振って否定しながらまた笑う。
それに男性の方は爽やかな笑顔を向ける。そして、凛恋の耳元で何かを言い、凛恋はそれに少し顔を赤くして俯きながらはにかむ。
それを見て、右手の拳を握り締め、俺は地面を見下ろした。
「カズ、どうしたんだ? なあ、カ――ッ!? カズ!?」
俺は、隣で腕を掴んで揺する栄次の手を、強引に振り解いてしまった。そして、視線を向けた栄次は、俺の目を見て驚いた表情をしている。
「カ、カズ……どうしたんだ? 何があった。向こうに何が……」
栄次が俺がさっきまで見ていた場所に視線を向けて固まる。俺はそれを見て視線を落とした。
俺の見間違いじゃないんだ。俺のバカな妄想じゃ無いんだ。
「多野くん!? 何で泣いて……」
栄次の後ろから赤城さんが駆け付けて、俺を見て驚きそう言う。また、俺は無意識に泣いているらしい。でも、もうそんなことどうでも良かった。
「ごめん、帰る」
「ちょっ、多野くん!」
後ろから赤城さんの声が聞こえた。でも、それに構わず俺は元来た道を走って引き返す。
来なければ良かった。
見なければ良かった。
変な希望を抱かなければ良かった。
もう、最初から決まっていたのだ。
もう、一度崩れたものは元に戻すことは出来ないんだ。
もう、凛恋は、俺を見てないんだ。
日はすっかり落ちて、道路にある明かりは街灯と自動車のヘッドライトだけ。でも、その暗さが今の俺には丁度良かった。
赤城さんが、俺が泣いていると言っていた。そんな状態で、人で混んでいる電車に乗れるわけが無い。だから、出来るだけ暗い道を選んで歩いて帰ることにした。
二駅くらいだったらどうってこと無い距離だと思っていた。だけど、やっと、やっと刻季高校の近くまで来た。
これからまだ歩かなければいけないと思うと気が遠くなる。
ポケットの中では、さっきから何度も何度もスマートフォンが震えている。
栄次だろうか? もしかしたら赤城さんかも知れない。凛恋は、無いだろう。多分、今はあの男性と一緒に夏祭りを楽しんでいる頃だろう。
思わず、笑いが出てくる。自分に対する嘲笑。
間違った結果がこのざまだ。元通りになれると期待した最高のバカが今ここに居る。
凛恋はもう俺のことなんて見ていなかったんだ。電話で明るく話せただけで俺が勘違いしていたのだ。
凛恋は今日、バイトで夏祭りに行けないと言った。でも、実際は夏祭りに来ていた。爽やかな大人の男性と一緒に。それが全てを表している。
でも、当然だ。凛恋は可愛いし社交的、料理も美味いし優しい。だから、凛恋に好意を持つ人は居る。
今までだって何人も居たと聞いているし、実際好意を持っている奴も見た。あいつは最悪のクソ野郎だったが、あの男性は優しそうな、そしてモテそうな爽やかなイケメンだった。
二人並んでいる姿に違和感なんてなかった。お似合いの二人、美男美女……。
もうとっくの昔に終わっていた。希望を抱くことが滑稽なほどとっくの昔に。それを気付かされて、乾いた笑いしか出ない。
たった一つの選択で、たった一つ選択肢を間違えただけで、俺はかけがえのない存在を失った。
いや、本当はもっと早く行動してれば状況は変わったかもしれない。もっと早く凛恋に電話を掛けていれば、もっと早く栄次か赤城さんに相談していれば……。
でも、いくら過去を振り返ってもどうしようもない。全て俺のせいなのだから。俺が優柔不断で意気地無しだったから引き起こしたことだ。
「元々、彼女なんて居なかっただろう。何、落ち込んで……るんだ、よ……」
言葉に出して、自分をバカにして、必死に笑い話に変えようとした。
俺は元々独りだったんだ。小学生時代は栄次が居たが、中学時代は正真正銘独りぼっちだったのだ。でも今は、栄次と赤城さんが居るだろう。
たった一人減っ――。
「くそ……くそっ……」
右手の拳を握り締めて、何度も自分の右ももを殴る。
ふざけるな、たった一人なんかじゃないだろう。
居なくなって、失って平気なわけ無いだろう。
俺の友達になってくれた人なんだ。
初めて、俺が好きになった人なんだ。
凛恋は、俺のかけがえのない人なんだ。
吐き気がする。寒気が走る。体調が最悪なのは分かる。でも、こんな所で倒れ込むわけにはいかない。なんとか家まで保ってくれ。
「凡人くん?」
俺は、俺の名前を呼ぶ誰かの声を聞きながら、足を進めた。今は誰にも会いたくない。
「凡人くん、どう――凡人くん!? どうしたの!? ねえ、凡人くんっ!」
目の前に、田丸先輩が居る。もうそれだけの情報しか頭で処理出来ない。
「すみません、急いでるので」
田丸先輩の体を手で押し退ける。失礼だとかそういうことを考える余裕もなかった。
一刻も早く家まで辿り着いて、早く自分の部屋に座り込みたかった。
「何があったの!?」
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