【二一《顧みれば》】:二
「僕が悪いんだって、みんなと上手く話せなくて、みんなと違うことをしてる僕が悪いから、喜川くんは悪くないよ。そう、カズは俺に言ったんだ。いじめ始めた張本人だって、俺のせいだって言ってるのにさ。一番辛い思いしてるカズが、俺のことを庇うんだよ……」
からかわれる理由は十分にあった。
確かに人と話はしなかったし、昼休みも教室の隅で本を読んでた。
周りは普通に人と話していたし、昼休みもグラウンドでボール遊びをするのが普通だった。
その頃の俺にはまだ、普通でなければいけないという、普通の人の感覚が残っていた。
だから、普通では無い、異常であることが悪いという考えがあったのだ。それで、自分が悪いと思っていた。
今では、人と話そうが昼休みに本を一人で読んでいようが俺の勝手だろうとひねくれられる。でも、その時の俺は悪い意味で素直だった。
「その日から、俺はカズと一緒に居るようになった。何かグループを組むことがあれば真っ先にカズの所に行って、昼休みも本を読んでるカズの隣で本を読んだ。最初は罪滅ぼしだったんだ。誰も責めてくれないし、カズ本人も責めてくれない。だから、せめて俺がカズのことを一人にしないようにしようって。初めはそういう打算的な考えだった。でも、毎日カズに接するうちに、そんな自分勝手な考えなんて変わってた。カズは優しい奴で、そのおかげか、誰かが教室に忘れ物をしてるとか、誰かの体調が悪そうとか、そういう細かいところ良く気が付いてた。でもカズ自身は人と話すのが苦手だし、自分がいじめられている状況を理解してたから、全部俺に言うんだ。そして、俺はカズの代わりにカズが気付いたことをやってた。でも、カズは人と話さないといけないことしか俺には言わないんだよ。ゴミ捨てを忘れてるとか、黒板が綺麗になってないとか、そういう一人でも出来て人と接しないことは、全部一人でいつの間にかやってるんだ」
そりゃあ、嫌いだと思ってるやつから「忘れ物してるぞ」とか「体調が悪いんじゃないのか?」なんて聞かれても素直に聞くわけが無い。
その点、栄次は人から好かれていたから、そういうのをスマートにこなせていた。だから栄次に頼んでいたのだ。黒板やゴミは自分でやった方が楽だったからやっただけの話だ。
「人って周りのことって案外見てないものでさ。カズがやってるのに全部俺がやったことになってて。喜川くんは優しくて気が利いて良い子だねって先生にも褒められた。全く嬉しくなかったけど。なんで人って、人のことを見てないだろうな」
「見てない訳じゃ無い。興味がないから見えないだけだ。栄次は目立つから興味を向けられる。俺は目立たないから興味を向けられない。それだけの――」
「俺が良いって言うまで喋るなって言ったよな?」
俺は栄次に言われて黙る。いつの間にか俺が良い奴みたいに言われてるから、その話の流れに違和感があって口を挟んだんだが……。
「どうやってもカズの良いところを周りは気付いてくれなくて、でもそれも諦めたんだ。気付かれなくてももういい、俺がカズの良いところを知ってるからって思って」
そう言って話を切った栄次は立ち上がり、凛恋の前に頭を下げた。
「八戸さんごめん。八戸さんの彼氏を、八戸さんの大切な人を、自分を責めるようにさせてしまったのは俺なんだ。それを謝っても許してもらえるとは思ってない。でも今の俺は、カズのことを本当に信頼してるし、本当に一番仲の良い親友だと思ってる。今の俺はカズの良さを知ってるから」
「……どう言えばいいか分からないってのが正直な感想。ショックではあるし、喜川くんがやってたことは子どもだから、小学生だったからって許されることじゃ無い。でも、凡人が喜川くんのことを本当に信頼してるのも知ってるし分かるから」
「ありがとう。……俺、八戸さんがカズのことが好きだって初めて聞いた時、めちゃくちゃ嬉しかったんだ」
栄次はフッと笑って、そして自分の胸を手で押さえた。
「やっと、やっとだって思った。やっとカズの良さを分かってくれる人が現れたって、やっと優しいカズを見付けてくれた人が現れたって、本当に嬉しかった。だから、絶対に二人が上手く行くようにって一生懸命頑張った。でも……」
「カズが鈍感でさ」「凡人が鈍感だったよね」
「…………」
「フフッ」
発言をまだ許されてない俺は黙るしか無い。そして、赤城さんは手で口元を押さえて小さく笑った。
「俺が八戸さんのことを良い人だよなって言ったり、八戸さんの印象を聞いたりしても、ああとかうんとかそうだなとかそんな答えしか返さないし」
「それに、私が連絡先を聞こうか迷ってるのを帰ろうとしてるって勘違いするし」
「それに、八戸さんの好きな人を存在しない誰かだと思ってたしね」
「そうそう、マジあれは困った。結構勇気出してアピールもしてるのに、反応が斜め上なのよね。いや、この場合は斜め下か」
気が付けば二人して俺を貶している。更に俺を貶してはいないものの、赤城さんはもう隠すこと無く笑い声を上げて二人の話を聞いている。そして、俺は俺を貶す二人に挟まれボケッと空を見上げた。
「カズのこと、頼むよ」
「任せて。でも、困ったら二人も助けてね」
「もちろん、カズは結構めんどくさいからな」
「うん、私はいつでも凛恋の相談に乗るよ」
静かな波音が砂浜に響き、少し肌寒さを感じる夜風が流れる。そして、見上げた夜空の星は、不思議とさっきよりキラキラと煌めいて見えた。
俺は手の甲で目を擦って、ぼやっとぼやけた光りの粒を見上げながら呟く。
「いったい、何の話だったんだよ。全く……」
栄次達は先に戻り、防波堤に残った俺と凛恋はその場に座り続け、波音を響かせる海の方をボーッと眺めた。
「喜川くんの話を聞いて、ちょっと考えちゃった」
「なにがだ?」
「……私ね、キャンプに凡人を連れてきて、もっと人と関われるようになれればって思ったの。もっと人に関わるようになれば、凡人の良いところをみんなに知ってもらえる機会が増えると思った。でも、途中で言ってた凡人の言葉がめっちゃ胸に痛かった。『見てない訳じゃ無い。興味がないから見えないだけだ』ってさ。……なんか悲しいけど、本当にそう。私だってどうだっていい人のことなんて気にしない。だから、他の人達もそうなんだって。私にとって凡人は世界で一番大切で格好良い人だけど、それはみんなにとってそうじゃないんだって、凄く悲しいけど凡人に分からされた。喜川くんはそれずっと前に気付いたから、凡人のことを分かってもらおうとしなくなったんだ。それに、みんながみんな人と話すことが得意なわけないし、みんながみんな誰とでも仲良く出来るわけがない。そんなの分かってるはずだったのにさ……見えなくなってた。凡人、嫌なら明日帰――」
「嫌だったら来てない」
「でも……凡人が」
「凛恋が居る。栄次も赤城さんも居る。それに凛恋の友達は悪い人達じゃ無い。だけど、凛恋と栄次と赤城さん以外とはまだ仲良くするのは無理だな。でも、溝辺さんとは多分、無難に話せた」
「そっか。凡人はめちゃくちゃ格好良くて優しくて気が遣える最高の彼氏だから、そのうちみんな気付くよね」
「それは無いだろうな」
「あー、でも気付かれたら困る。凡人のことを取られちゃうし」
「それも無いな」
そう言うと、ゴォーっという激しい音を立てて冷たい風が吹き荒れる。俺は凛恋の体を抱き寄せて凛恋の背中を撫でた。
「凛恋、そろそろ戻ろう」
「うん」
防波堤からテントの中に戻ると、俺は入り口を閉めて持ってきていたLEDライトを鞄から取り出して点け、その明かりでテント内を照らす。
テントの床には柔らかいマットを敷いて、薄手の毛布も一つずつ借りて来ている。テントは風を通さない素材だが、海辺の冷たい空気でテント内は満たされている。
「凡人、寒ーい」
凛恋がそう言いながら俺に抱きつき、横になって俺の腰に凛恋の毛布を掛ける。横向きに一つの毛布を使う俺達は、ゆっくりと唇を近付け――。
『んあっ……いやぁん……』
『佳奈子、声抑えて』
『だって、そこ……私、弱いから……』
凛恋の後ろ側から、そんな抑えた男女の声が聞こえてくる。
「佳奈子のバカ。凡人も佳奈子の声聞いて興奮しない!」
「り、凛恋だって顔真っ赤だろうが!」
「しょ、しょうがないでしょ! 他人のあんな声を聞くなんて初めてだし!」
声を抑えながらもそう言い合う俺達をよそに、テントを隔てた向こう側の二人は随分盛り上がっているようだ。
甘えるような声に切ない吐息、その聞こえる音が俺の鼓動を速くさせる。
その時だった。凛恋の唇が俺の唇を塞ぎ、ねっとりと絡む深く熱いキスをされた。一気に体の熱が上がり、ボウっと頭に血が上って、体は浮いたようにふわふわと揺れるような感覚がする。
凛恋は俺の背中に手を回して背中を撫でたり、頭を撫でたり、そして首を抱いたりした。でもそれでも凛恋の手は落ち着かず、俺の腕を、腰を、太ももを、執拗に触れてくる。
その凛恋らしくない手の動きに戸惑いながらも、どんどん体の熱が上がっていくのが分かった。
「ダメだから……」
凛恋が呟く。
「私以外の女の子でドキドキしちゃダメだから。希のキス顔でも、佳奈子のエッチな声も絶対にダメだから。私で、ドキドキして」
凛恋は俺が点けていたLEDライトの明かりを消して、真っ暗なテントの中で俺に言う。
「朝の罰ゲーム、まだ終わってなかったからここで使う。…………エッチ、したくない?」
凛恋の体を一ミリでも離したくなくて、必死になって凛恋の体を抱き寄せる。そして、汗ばんだ凛恋の肌に鼻を近付ける。
「凡人って、いっつも私の匂い嗅ぐけど、匂いフェチ?」
「いや、凛恋の匂いだけだ。凛恋の匂いは落ち着くんだ」
凛恋は手で俺の首を抱き、ニッコリ笑いながら疲れの滲む声を漏らした。
「あーあ、やっちゃったわね。こんなところでエッチしちゃうなんて。……でも私、今晩だけは絶対にエッチしたかった。凡人に私が大好きだって分かってほしかったから」
「ありがとう。ちゃんと分かってる」
「うん、ありがとう。でもね、私が伝えてるって実感が欲しかったの」
凛恋は更に距離を詰めて俺の体を抱き寄せる。柔らかい胸が俺の胸で押し潰され、凛恋はニヤニヤと笑いながら俺の顔を見上げる。わざとやっているようだ。
「凡人、私が水着着てた時、胸ばっかり見てた」
「胸を強調するような水着だっただろう」
「凡人がすぐに私を隠そうとしてて、可笑しかったけどさ、嬉しかったよ。凡人に好かれてるって思ってさ」
凛恋は俺の背中に手を回してニコニコ笑う。
凛恋の体を抱き締めた手に力を込める。背中に腰にお尻に太もも、全部に触れる度に凛恋が小さく声を漏らす。それを恥ずかしそうに手で隠し、真っ赤に顔を赤くして俯く。
「可愛い」
「ありがと」
「凛恋のことを他の男に見せたくない」
「私は凡人にしか私を見せてない」
「絶対に誰にも渡したくない」
「誰にも渡らない」
「俺の側に居てほしい」
「ずっと凡人の隣に居る」
「俺だけを好きで居てほしい」
「凡人を好きになったら、他の人なんて好きになれない」
手に感じる感触じゃ足りなくて、俺は凛恋の感触を、温かさを、存在を求める。確かにそこに凛恋が居ることを認識したくて、凛恋を求める。
人を求めることをして来なかった俺が、今は自然と凛恋を求めることが出来る。それも躊躇うことなく、ストレートに凛恋を求める自分を見せられる。
それが本当に貴重で本当に重要なことなのが痛いほど分かる。そして、それを受け入れてくれる凛恋の存在が本当に掛け替えが無いことも、掛け替えてはいけないことも分かる。
俺をこんな風に受け入れてくれる人は凛恋以外に居ない。何より、凛恋以外の存在に見せたくない、凛恋以外の誰にも受け入れてほしくない。
「かーずとっ!」
凛恋がコツンと額を俺の額に当ててニッコリ微笑む。
この眩しくて温かくて可愛い笑顔も、他の誰にも見せたくない。
閉じた瞳にキュッと結ばれた唇、鼻からは等間隔で漏れ出す小さな息で小さく膨らむ。張りのある頬は柔らかそうだ。
視線を下に下げると、ブラに包まれた柔らかそうな胸が作り出す谷間がチラリと見える。でも、どの部分も直接触れ、感触を知っていることにドキドキと胸が高鳴り、心を高揚させる。
「目の前に寝込みを襲おうとしてる野獣が居るぞー」
「……おはよう凛恋」
「おはよー凡人」
起きた凛恋がニヤッと笑った後に、ツンと唇を突き出して両目を優しく閉じる。
凛恋に魅入られ、俺はただ真っ直ぐ、凛恋の唇に吸い寄せられた。
重なる唇、感じる存在、流れ込む感情。その全てが、愛おしく幸せだった。
本当に、来てよかった。
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