【一八《知らないこと、知られたくないこと》】:二

 コーヒーを飲んで驚く。

 俺はコーヒーに全く詳しくないし、味の違いも分からない。でも、このコーヒーは美味しかった。


 缶コーヒーなんかとは比べ物にならない芳ばしい香りがして、味も濃い感じがする。そしてその味を残したままスフレチーズケーキを食べると、コーヒーの苦味と、ケーキの甘みと酸味がよく合っていてもの凄く二つが引き立っていた。


「ここのケーキは全部美味しいけど、スフレチーズケーキは格別よねー」

「よく来るのか?」

「友達の家だしね。女子会でちょくちょく」


 友達の家だと言っても、凛恋がこんなおしゃれな喫茶店の常連だとは知らなかった。やっぱり、俺にはまだまだ凛恋について知らないことが沢山ある。


 凛恋がバイトのことを秘密にしていたと知った時、少しだけ、ほんの少しだけ寂しかった。

 別に凛恋に悪気があったわけではないのは分かっている。でも、なんとなく寂しかった。


 俺が凛恋の全てを知ろうなんて出来ないし、知りたいと思うのも傲慢だと思う。でも、俺の知らない凛恋、俺に隠した凛恋というものは、新しく見つけたキラキラの宝石であると同時に、俺に暗い影を落とす。


「じゃあそろそろ私は戻るわね。凡人、優愛と先に倒しちゃダメだからね」

「分かった分かった。凛恋もバイト、あんまり気を張らないようにな」

「ありがと」


 手を振って戻って行く凛恋を見送ると、俺の方をボーッと見ている赤城さんが視界に映った。そして、ハッとした表情をして俯く。


「どうしたんだ?」

「ううん、なんか凛恋に追い抜かれちゃったなって」

「何が?」

「彼氏との仲良し度、かな?」


 ニコッとはにかむ赤城さんは、カフェオレを一口飲む。そして、ちょっと困ったような眉を歪ませた顔をしてアップルパイに視線を落とす。


「私と栄次が付き合い始めるよりも、二人が付き合い始めたのは後でしょ? でも、仲良し度は二人の方が進んでるなって」

「仲が良い悪いは比べられないだろう」

「そうなんだけどね。……私、まだ栄次に遠慮しちゃうんだ。凛恋みたいに、素顔の自分を見せられない。まだ、良い子振った私しか見せられてない」

「遠慮するってことは、赤城さんがそれだけ栄次のことを好きだってことだろ?」


 俺はふとそんな言葉が口から出ていた。


「えっ?」


 驚いた様子で聞き返す。もう引っ込みが付かなくなった俺は、思うままに話すしかなかった。


「遠慮するってことは、栄次に悪い印象を与えないように尻込みしてしまうってことだろう。そこには全く悪い感情なんて無い。栄次が好きで栄次に悪く思われたくなくて、栄次に好きで居てもらいたくてそうするんだろ? だったら悪いことじゃ無いとは思う。ただ、赤城さんは疲れるだろうけどな。だからちょっとずつ素の自分を増やしてみたらどうだ? たとえばそうだな、凛恋はよくわがままを言うんだ。真夏の真っ昼間に外に出ようとかな。そういうちょっとしたわがままを言ってみるとか。まあ、わがままの加減は赤城さんが考えてくれ」

「多野くん……うん! ありがとう! 私、やってみる!」

「栄次も赤城さんのわがままなら、多少無理っぽいと思うものでも大抵聞いてはくれると思うぞ」


 自分で言いながら思う。まさか、俺が女子の恋愛相談に乗るなんて思わなかったと。そもそも恋愛相談以前に、俺は人から相談事をされるような人間ではない。

 そんな俺が赤城さんの相談に乗るなんて、とんでもない珍事件だ。


「多野くん、本当に良い人だよね」

「面と向かって言われても反応に困るな」

「私、男の人ってちょっと苦手だったんだけど、なんか多野くんは苦手じゃない。もちろん栄次も苦手じゃないんだけど」


 赤城さんは首を傾げて俺を見る。そして「うーん」と唸った。


「なんでかなー。多野くんの前だと、全然無理しないんだよね」

「男として見てないからじゃないのか?」

「あっ! それはあるかも!」

「満面の笑みで言われるのも、どうなんだろう……」


 男として見てないのはそりゃあ当然だろう。

 赤城さんは栄次の彼女なのだし、俺も凛恋という彼女が居るから、もしそう見られていたとしても困るとしか言いようがない。しかし、こうもあっさりと「男として見てない」と認められると、正直男として俺はどうなんだろうという疑問が浮かんでくる。


 凛恋と出会う前は、自分の魅力なんてどうだっていいと思っていた。

 興味を持たれる一因になるから、無くてよかったとも思っていた。

 でも、凛恋という彼女が居る今では、凛恋を失いたくないという想いの影響で、多少、男としての自分を気にしてしまうようになった。


「いや! 多野くんに男の人としての魅力が無いってことじゃなくて! 多野くんは凛恋の彼氏だし、凛恋ととっても仲良しでしょ? だから、多野くんは凛恋以外の人には絶対になびかないって思うの。だから、変な気を遣わなくて良いし!」

「慌てながら言うと、フォローの効力も弱くなるな」

「フォローとかじゃなくて!」


 焦る赤城さんを見て口元を歪ませると、赤城さんが目を細めて俺をジッと見る。


「多野くん、私をからかったんだ」

「いや、からかってはないぞ」

「凛恋に言い付けてやる! 多野くんは真面目な顔して女の子を弄ぶ人だよーって」

「すみませんごめんなさい。ちょっとからかいました」


 頭を下げて素直に謝ると、赤城さんのクスクスと笑う声が聞こえる。


「よろしい! 凛恋の大事な彼氏だから大目に見てあげます!」

「それは助かる。凛恋に感謝しないとな」


 穏やかなジャズの流れる店内に、ベルの音を鳴らしてお客が入ってくる。それに対応する凛恋のいつもより一段と明るい声が聞こえ、俺と赤城さんはニッと口を歪ませる。そして一緒に身を屈めた。

 こんな所を凛恋に見られたら、また何を言われるか分からない。



 凛恋のバイト先に行った次の日、雨が降った。その雨の中、今日は凛恋の家にお邪魔している。その大きな理由は、俺の右隣に居る彼女だ。


「昨日お姉ちゃんとやったんですけど、やっぱりクリア出来なくてー。ちゃんと、闇の弱点の光属性武器を使ったんですけど」


 自分のゲーム機を持つ優愛ちゃんは、俺のゲーム機の画面を覗き込む。


「凡人さん、その装備、なんか支援装備ばっかりじゃないですか?」

「ああ、優愛ちゃんのお姉ちゃんは、他人にクリアさせてもらうってのが好きじゃないからな。俺が武器防具揃えてガツガツやったら怒られる」

「あったり前でしょ! 装備もレベルも強い人にクリアさせてもらっても、私がクリアしたことにはならないじゃない!」


 左隣で準備を整えた凛恋がフンっと鼻を鳴らして言う。

 凛恋は協力して倒すのは好きなのだが、自分が何も活躍出来ずに終わるのは好きじゃない。まあ、ゲームの楽しみ方としては真っ当な考えだ。


「てことは、お姉ちゃんと私しか期待出来ないってことか……」

「随分不満そうな顔ね。私の彼氏が手伝ってくれるんだから感謝しなさい」


 睨み合う二人に挟まれながら、俺は準備を終えて二人の準備が終わるのを待つ。


「よーし、私は準備出来たわよ」

「私も出来た!」

「んじゃ、とりあえず行ってみるか」


 クエストを受けて、スカルウォーリアーという巨大な骸骨剣士三体の討伐を始める。だが、俺はこの一回目でクリアする気は全くない。とりあえず、二人の動き方を見るのが主だ。


 凛恋の使うキャラクターが動きの俊敏さを活かし、ザコ敵をどんどん倒して先行して行く。なんとなく凛恋の性格が出ているような気もする。

 しかし、優愛ちゃんの使うキャラクターが魔法使いだし、魔法を使うために必要なマジックポイントの温存を考えれば理に適ってはいる。


 しばらく進んで、スカルウォーリアー三体と戦うフィールドに到着し、ムービーが入った後に戦闘が開始すると、凛恋のキャラクターが一気に前に飛び出した。


「凛恋ー、強化魔法も何にも貰わないで前に出るなよ」

「だって、先制攻撃して動き止めないと、三体いっぺんに来るじゃん」

「一体止めるために、ヒットポイント八割消し飛んでるぞ」

「うげっ! 回復しないと!」


 俺はキャラクターを操作して、凛恋のキャラクターに銃を数発撃つ。すると凛恋のキャラクターのヒットポイントが七割程度まで回復した。


「回復弾使うの初めて見た」

「まあ、普通はあんまり使わないだろうな。回復薬よりも回復量が少ないし」


 三体のスカルウォーリアーに狙われて、回避行動を繰り返し斬撃を躱す。


「ちょっ! なんでそれ避けられんのよ!」

「慣れだ慣れ」


 凛恋が時々悲鳴を上げながら攻撃を避けたり食らったりしている。しかし、凛恋はほとんど攻撃出来ていないから、ほぼダメージは与えられてない。

 俺のキャラクターを追い回すスカルウォーリアーの後ろを、光の球が通り過ぎる。それは、優愛ちゃんのキャラクターが放った魔法だった。


「あー! また外れた!」

「優愛ちゃん、落ち着いて敵の動き見て。こっちを追い回して猛攻撃した後は、スカルウォーリアーの動きが止まるから、その時に攻撃ね。動き回ってる敵相手に当てるのは慣れないと難しい」

「りょーかいです!」

「凛恋はとりあえず落ち着け。スカルウォーリアーは前にもやっただろ。攻撃の避け方はその時に分かってるはずだ」

「えっと、回避は攻撃に向かってする感じでやればいいのよね?」

「そう、回避行動中には無敵時間があるから、その無敵時間を利用して攻撃をすり抜ける感じな。フューチャー側のキャラクターは回避行動の無敵時間がファンタジー側のキャラクターより長めに設定されてるから、落ち着いてやれば大丈夫だ」


 それぞれアドバイスをしてしばらくやっていると、優愛ちゃんは魔法が当たるようになっているし、凛恋は落ち着いて回避出来るようになっている。


「よし! 一体倒した!」

「優愛、まだ安心出来ないわよ!」

「分かってる!」


 俺は遠くから、凛恋の防御力強化と優愛ちゃんの魔法強化を切らさないように動きながら、ゲームをやっている二人の表情を見る。二人とも真剣にゲームの画面を睨み付ける顔が本当に似ている。


「よしよしよしっ! 残り一体!」

「ヤバッ! チョー緊張してきた!」


 一緒にゲームを楽しむ二人。その二人を見ていて、本当に羨ましいと思う。

 もし俺にも兄弟姉妹が居たら、こんな感じで仲良くゲームとか出来たのだろうか。


 俺はそんな物悲しさを感じてすぐに否定する。いや、こうやって二人とゲームが出来ているだけで十分だ。


 大切な彼女とその彼女の妹。凛恋が居てくれて、妹の優愛ちゃんと一緒に遊べているだけで十分過ぎる。寂しさを感じるのが失礼なくらいだ。


「あっ! ヤバッ」


 スカルウォーリアーの剣から発せられた黒い光の球が、凛恋のキャラクターに迫る。

 俺はゲーム機を操作して凛恋のキャラクターに急接近し、凛恋のキャラクターと黒い光の球の間に、自分のキャラクターを割り込ませた。


 俺のキャラクターは黒い光の球を受けてヒットポイントを全部失う。

 黒い光の球は無条件で受けたキャラクターのヒットポイントを全損させる即死攻撃だからだ。こればっかりは、どんなに防具を強くしてキャラクターのレベルを上げてもどうにもならない。


「攻撃!」

「は、はい!」


 俺がそう短く言うと、ボーッとしていた凛恋がハッと我に返って返事をして、ゲーム機を操作する。


 俺のキャラクターが戦闘不能になって倒れている画面の奥で、最後の一体だったスカルウォーリアーが光の粒になって消し飛ぶ。

 そして、討伐後のムービーが挿入され、クエストクリアの文字が表示された。


「やっ、やったー!」

「凡人、最後、私の身代わりに……」

「俺のキャラクターは支援特化にしてたからな。攻撃出来る凛恋のキャラクターが戦闘不能になるよりマシだった。いやー、一回目捨ててたんだけどクリアするとは凄いな」


 ニヤッと笑って視線を向けると、凛恋が俺の左手の薬指にはめた指輪を触る。そして、口パクで「大好き」と言うのが見えた。

 流石に、妹の前で言うのは躊躇われたのかもしれない。それでもちゃんと俺には伝わった。


「いやー、やっぱり凡人さんが居ると全然違う!」

「ほとんど二人でやってたようなものだぞ?」

「いやいや、それでもなんか凡人さんが居ると安心感あるし! フギャッ!」


 凛恋が優愛ちゃんの頬を手のひらで押して俺から遠退ける。


「どさくさに紛れて私の彼氏に抱き付こうとすんな!」

「勝利の喜びを分かち合おうとしただけなのにー。お姉ちゃんのケチ!」

「こればっかりは私以外の誰にも許さない!」


 その後、凛恋と優愛ちゃんはクリア報酬のアイテムを見比べてズルいだと羨ましいだの言ったり、それから次のクエストを見て難しそうと嘆いたりしていた。


 ゲームも一段落してお茶を飲んでゆっくりしていると、俺と凛恋のスマートフォンが同時に鳴った。

 俺は凛恋の部屋から出て、改めてスマートフォンの画面を確認する。そこには栄次の名前が表示されている。


「栄次? どうした?」

『……カズ』


 俺は電話越しに聞こえる栄次の声に疑問を抱く。いつになく声に元気がない。


「どうした? なんかあったのか?」


 俺がそう栄次に尋ねると、栄次は大分間を置いてボソリと口にした。


『希に嫌われた……』

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