【一八《知らないこと、知られたくないこと》】:一

【知らないこと、知られたくないこと】


 炎天下の中、俺は駅の前で人を待っている。今日は凛恋が用事があって会えないと言うので、家で凛恋と一緒にファンフューをする時のための準備をしようと思っていた。しかし、突然俺は呼び出しを食らった。


 俺を呼び出したのは栄次、ではなく赤城さん。赤城さんが俺を呼び出すことなんて無いから、若干どころか相当不安である。

 何か凛恋が傷付くようなことをしてしまって、それを凛恋が赤城さんに相談したのかもしれない。


 赤城さんは怒るともの凄く怖い。

 一度、田丸先輩の件で怒られた時があったが、声を荒げて怒る凛恋のような怒り方ではなく、赤城さんは静かに怒るもんだから余計恐ろしくてかなり肝を冷やした。

 あの怒りをまた受けると思うと胃が痛い。


 だがしかし、昨日と会った時、凛恋はニコニコと笑って話していたし、傷付いたり怒ったりしている様子は見えなかった。だから、凛恋に関連して怒られるということでは無いはずだ。


 だとしたら、いったい俺はなんで赤城さんのお呼び出しを食らったのだろう。


 栄次のことで何か相談があるのだろうか。いやでも、彼氏である栄次とのことを直接俺に相談してくるだろうか?

 まずは凛恋というワンクッションを入れてから相談してくるものではないのだろうか?

 俺としてもその方がありがたい。


 結局、俺が赤城さんに呼ばれた理由はよく分からない。しかし、友達に呼ばれて断るという選択肢は俺には無かったし、あれこれ考えても仕方がない。


「多野くんごめん!」


 ボーッと空を見上げていると、爽やかな水色のワンピースを着た赤城さんが手を挙げて俺の方に走ってくる。


「ごめん、待たせちゃって」

「いや、大丈夫だけど栄次は?」


 赤城さんの後ろに視線を向けても栄次の姿は無い。ということはやっぱり栄次のことについての相談なんだろうか。


「ううん、今日は私だけだよ」

「そ、そうか。それで、今日はいったい何を――」

「それはまだ秘密! 付いてきて」


 ニッコリ笑って赤城さんが歩き出す。俺は赤城さんに付いていくため歩き出した。

 笑った表情を見ただけではネガティブな呼び出し理由では無い気がする。だが、あの静かに落ち着いて怒った時の赤城さんが頭をよぎり、まだ安心出来ないと心に訴える。


 あの赤城さんの怒りは、栄次と一緒だから受け切れたのだ。あれを一人で受けろなんて言われたら、精神が保たない。


 赤城さんは刻雨の方向に向かって歩いていて、駅前からどんどん離れて行く。そして、駅前の賑やかな雰囲気から落ち着いた雰囲気の街に来ると、一軒のお店の前で立ち止まった。


「喫茶店?」


 モダン調の外観は落ち着いた雰囲気の周辺にマッチしているし、喫茶店らしいたたずまいだ。


「多野くん、スマホ出して」

「えっ? ああ」


 赤城さんに指示された通りスマートフォンを取り出すと、赤城さんもスマートフォンを取り出す。そして、俺の画面をタッチしてカメラのアプリケーションを起動した。


「多野くんは入る直前に動画の撮影を始めてね。写真は私に任せて」

「あ、ああ」


 グッと拳を握って微笑む赤城さんには申し訳ないが、全く意味が分からん。

 なんで呼び出しを受けて連れて来られた先のおしゃれな喫茶店の前で、俺はスマートフォンを構えているんだろう。


「じゃあ、多野くんから入ってね。ちゃんと撮影を始めてからね」

「分かった」


 全く状況を理解させてもらえないまま促される。俺はスマートフォンの画面をタッチし、動画の撮影を始める。そして、言われた通り扉を開けて店内に入った。


「いらっしゃいませ!」


 店の中に入った瞬間、香ばしいコーヒーの香りが漂ってきて、その直後にそんな明るい声が聞こえてきた。


 目の前にはコーヒーブラウンのエプロンをした凛恋が明るい笑顔で立っていた。その服装は喫茶店のウエイトレスというよりも、バリスタを連想させる。


 バリスタというのは、コーヒーを淹れる職業のことやその職業に就いている人のことを指す。しかし、凛恋がコーヒーを淹れられるとは始めて知った。


「…………そういえば、なんで凛恋こんな所に居るんだ?」


 ふと疑問に思ったことを凛恋に聞いてみる。しかし、凛恋はニッコリと明るい笑顔を浮かべたまま固まっていて、全く反応を示さない。


「ここ、学校の友達のお家がやってる喫茶店なの。それで、人手がこの日だけ足りないからって、凛恋はアルバイトを頼まれたんだよ」

「そうなのか」


 赤城さんの説明を聞いて凛恋に視線を戻すと、ちょっとの間だったのに、凛恋の顔は笑顔のまま真っ赤になっていた。

 そして、口元がヒクヒクと動いたと思ったら、両手で頭を抱えしゃがみ込んだ。


「イヤァー! 見ないでーッ!!」



 目の前ではニコニコしながら俺にスマートフォンの画面を向ける赤城さんが座っている。

 赤城さんのスマートフォンには、エプロン姿の凛恋が完璧な営業スマイルを浮かべている様子が写っていた。


「多野くん、後で送ってあげるね」

「お客様、ご注文は何になさいますか? 希、絶対に送っちゃダメだからね! 凡人も動画を今すぐ消しなさい」


 赤城さんって意外とエグいことをする。

 凛恋は俺と希さんという親しい人にやり慣れない営業スマイルを見られたのだ、そりゃあ恥ずかしいだろう。


「でもバイトするならバイトするって言ってくれればいいじゃないか」

「言ったら来るでしょーが!」

「多分凛恋は恥ずかしがって多野くんに教えないだろうなって思ったから、私が連れて来てあげたの」


 ニコニコ笑う赤城さんがスマートフォンの画面を向けると、凛恋は真っ赤な顔で俯いた。


「俺はオリジナルブレンドとスフレチーズケーキ。赤城さんは何にする?」

「私はカフェオレとアップルパイをお願いします」

「ご注文を繰り返します。オリジナルブレンドをお一つ、カフェオレをお一つ、スフレチーズケーキをお一つ、そしてアップルパイをお一つでお間違いなかったでしょうか?」

「はい」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 そう言って注文を伝えに行った凛恋を見送り、赤城さんがニコッと笑う。


「来て良かったでしょ?」

「ああ、ありがとう赤城さん」


 凛恋のウエイトレス姿を見られるとは思わなかった。

 落ち着いた雰囲気に合った制服で、派手さは全くない。でも、それを凛恋が着ているだけで新鮮で華やかで、そして魅力的に見える。


 凛恋が働いている喫茶店は、外観の雰囲気通り中もモダン調のインテリアで統一されて、落ち着いたサックスの音色が特徴的なジャズが流れて心地良い雰囲気がある。


「お友達のお父さんが料理を担当してお母さんが紅茶で、お兄さんがコーヒーを担当してるの」

「そうなのか。ということは、凛恋と赤城さんの友達も将来はこの店に?」

「うん、パティシエを目指してるんだって。ここで自分の作ったケーキを出したいって言ってた」


 店を見渡す赤城さんの言葉を聞きながら、俺は仕事をこなす凛恋の姿を見る。

 そして、中年男性と青年男性から、それぞれケーキの載った皿とコーヒーカップを受け取りトレイに載せてこっちに向かって歩いてくる。


「お待たせしました。オリジナルブレンドとカフェオレ、それからスフレチーズケーキとアップルパイになります」


 そう言って俺と赤城さんの前に注文した物を置く。


「凛恋、オリジナルブレンドとスフレチーズケーキ、一つずつ多いぞ」

「おじさんが、彼氏と友達が来てるなら一緒に休憩して来なさいって言ってくれたの」

「いいのか?」

「今は混まない時間なんだって。まあ、お客さんが来たら注文取りに行くけど」


 隣に座った凛恋はハアッと息を吐いた後、前に座る赤城さんをキッと睨む。


「なんで凡人を連れてきたのよ」

「だって、凛恋のウエイトレス姿、多野くんが見たいと思って」


 ニッコリ笑って答える赤城さんに、凛恋はまた大きくため息を吐く。でも、何故こんなにも嫌そうなのだろう。


 凛恋のやっているバイトは喫茶店のウエイトレス。特に恥ずかしがるようなバイトではない。

 それに何か失敗した所を見られたというわけでもない。むしろ、常に接客業をやってきるかのような感じにさえ見える。


「そんなに恥ずかしがる理由は無いだろ。ちゃんと仕事もしてるし、その格好だって変じゃない。むしろ体が細い凛恋には似合ってるぞ」

「制服は格好良いんだけどさー、営業スマイル見られるのが恥ずかしいのよ。それに、声も自然と変わっちゃうし」

「あー、まあ確かに俺達と話してる時の凛恋では無かったな」


 人というのは必ず複数の顔を持っている。プライベート用とパブリック用は必ずと言っていいほど分けるものだ。それのパブリック用の顔を見られたのが恥ずかしいということだろう。


「見る奴から見れば、媚売ってやな感じに見えるしさ」

「接客業は媚売ってなんぼのものだろう。むしろ、媚売らない店員は接客業として失格じゃないのか?」

「凡人は嫌じゃないの? キモいとか思わない?」

「彼女にキモいなんて思うわけないだろう」

「ごめん、そだよね。なんか、余計なこと気にしてた」


 そんな話をしていると、スマートフォンが震えて俺はポケットからスマートフォンを取り出す。画面には『八戸優愛』と表示されていた。


「優愛ちゃんから電話なんて珍しいな」

「ちょっと凡人、それ、どーゆーことよ」


 隣に居る凛恋が発する声の温度が下がった。


「いや、凛恋の妹の優愛ちゃんだよ」

「だから、いつの間に優愛と連絡取り合う仲になったのよ」

「いや、この前来た時に聞かれてだな……」


 先日、凛恋に付いてきた優愛ちゃんを交えてファンフューで一頻り遊んだ日に、ファンフューの情報交換をするためと言われて聞かれたのだ。

 それが、全く知らない女子だったら何かと理由を付けて断ったが、凛恋の妹である優愛ちゃんにそんな扱いは出来ない。


「ちょっと貸して」


 凛恋はスマートフォンを俺から取り上げ、テーブルの上に置いて画面をタッチした。


『もしもし凡人さん? 今日お姉ちゃんと用事で会えないでしょ? でも、私は暇だから凡人さんの家でファンフューを――』

「優愛、私がバイトで会えない間に凡人の家に上がり込もうなんて良い度胸してるじゃない」


 スピーカーフォンから聞こえてきた優愛ちゃんの明るい声に、ドスの利いた凛恋の低い声が答える。


『お、お姉ちゃん!? なんでお姉ちゃんが!?』

「今、凡人が私に会いに来てんのよ」

『そうなんだ! じゃあ凡人さんに代わって――』

「凡人は今電話に出られません」

『お姉ちゃん、凡人さんに意地でも繋がない気でしょ!』

「繋がないに決まってるでしょ。どーせ、スカルウォーリアー三体討伐クエストを抜けがけしてクリアする気だろうし」

『だって、お姉ちゃん下手くそだし』

「はあっ? 昨日クリア出来なかったのは優愛がマジックポイント肝心な場面で切らしたからでしょ! マジックポイントの回復薬常備してない魔法使いなんて聞いたことがないわ」

『それはお姉ちゃんが攻撃当たり過ぎて、お姉ちゃんの回復にマジックポイントを使い過ぎたからじゃん!』


 俺の電話で姉妹喧嘩をしている。その状況を赤城さんはニコニコと、俺は苦笑いを浮かべて見守る。


『凡人さんなら全然敵の攻撃に当たらないし、私のフォローもしてくれるから絶対にクリア出来るし!』

「凡人とやったらクリア出来るに決まってるでしょ! 凡人はチョー上手いし!」


 ボケーッと眺めている俺の肩を赤城さんがトントンと叩く。それに反応して振り向くと、赤城さんはニコニコと笑った笑顔のまま口を開いた。


「多野くんモテモテだね」

「いや、姉妹のゲーム進行度競争に巻き込まれてるだけだ」


 凛恋は当然、優愛ちゃんと違い俺とほぼ毎日会う。だから、早く優愛ちゃんに追い付きたいとずっと俺とファンフューをやっていた。

 そして、つい最近、凛恋と優愛ちゃんの進行度が並んだ。そしたら優愛ちゃんが大激怒して、凛恋だけズルいという話になり、凛恋が進行度を進める時は必ず優愛ちゃんと一緒に進める。ということで落ち着いたらしい。

 そして、その協定を優愛ちゃんが破ろうとしたらしい。まあ、何とも年下らしい行動と言える。


「優愛がそのつもりなら、私も凡人と二人で先に進めることにするわ」

『あっ! ズルい!』

「ズルくないわよ。彼女の特権よ」


 彼女の特権が、ゲームを優先的に進められる特権というのもどうなのだろう。


「今バイト中だから、この話は家に帰ってからじっくり聞くわ。とりあえず、昨日使い切ったマジックポイントの回復薬補充しときなさいよ」

『分かったー。あーもう、次凡人さんと出来るまで骸骨ばっかりかー』

「今日クリアすればいいでしょーが! じゃあね」


 凛恋は電話を切ってスマートフォンを俺へ差し出す。それを受け取ってポケットに仕舞うと、凛恋は不満そうな顔を俺に向けた。


「私が苦労して聞いた凡人の連絡先、優愛には簡単に教えちゃうのね」

「優愛ちゃんは凛恋の妹だろ。よく知らん女子なら断ってる。まあ、そもそも女子に聞かれることはないけどな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る