【一五《暫時の不安》】:一

【暫時の不安】


 ブスッとした表情で頬杖を突く凛恋は、目の前にあるアイスパフェにスプーンを刺してアイスをすくい口に運ぶ。


 冷房の効いたファミレスの一角で、俺と凛恋、栄次と赤城さんといういつも通りの面々が顔を合わせている。

 今日は刻季も刻雨も終業式があり、午前中で学校が終わった。

 そして連絡を取り合って待ち合わせたのはいいのだが……凛恋がかなり不機嫌だ。


 隣で同じパフェを食べている赤城さんに視線を向けるが、肩をすくめてしまう。

 どうやら赤城さんも理由を知らないらしい。


「凛恋、何かあっ――」

「聞いてよ凡人! 宿泊研修の説明があるって言われて会議室に言ったら、いっつもネチネチ言ってくる女子に、宿泊研修は遊びじゃないとか、不純異性交遊がどうとかって難癖付けられてさー。マジウザかったし! しかも、一人だけバスに乗らないのは協調性に問題があるとか言われて! もー、チョー腹立ってさ! 私が一緒じゃなくて清々してるに決まってんのにさ! せっかく明日から夏休みで凡人とも毎日いっぱい会えるってのに、めちゃくちゃ気分最悪だし!」

「それは、酷いな」

「でしょ!? もーッ! ホンット、なんであいつ等、毎回毎回私達に絡んでくるのよッ! めんどくさいッ!」


 よっぽど腹に据えかねたのか、凛恋は久しぶりに大激怒モードになっている。

 でも、パフェはちゃんとパクパク食べているあたりが可愛い。


「入学仕立ての頃に、その女子とちょっと揉めたことがあって、そこからちょっと仲が悪いんだ」

「ちょっと所じゃないわよ! チョー仲悪い。あいつ等とは仲良くなれる気がしない。そもそも仲良くなんてならないけどッ!」


 赤城さんがやっと口を開いた直後に、怒りの治まらない凛恋が話し出す。


「入学したばかりの頃はさ。希の悪口をコソコソ裏で言ってたくせに、希が頭良いって知った途端に、赤城さん、あんな男子に媚売って生きてるような人達と居るのは悪影響よ。とか言い出すの! そんで頭に来て言い返してやったのよ。そしたらことある毎にネチネチグチャグチャ言い出してさー」


 なんとなく、凛恋がその女子に何と言ったかは聞かないようにした方がいいような気がした。後でまた、凛恋が自己嫌悪で落ち込みそうだし。


「そういえば、二人は高校の頃からの友達なんだよね?」


 そこで栄次が穏やかな声で話し、それに赤城さんが笑顔で答える。


「ううん、友達になったのは中三の夏。刻雨のオープンキャンパスの時だよ」


 オープンキャンパスはいわゆる学校見学会で、公立私立問わず大抵何処の高校もやっている。

 ちなみに俺はオープンキャンパスなんて行かなかった。

 もちろん刻季にもオープンキャンパスはあっただろうが。


「初めてあった時、凛恋は黒縁の眼鏡掛けて黒髪だったんだよ」

「「えっ!? 黒縁眼鏡で黒髪!?」」


 俺と栄次が同時にそう口にすると、凛恋がちょっと顔を赤くして唇を尖らせる。


「二人とも、その反応はちょっと酷くない?」

「いや、八戸さんって明るくて華やかなイメージだから。大人しくて落ち着いたイメージの黒縁眼鏡と黒髪のイメージが無くて」


 ものは言いようとはこのことだ。まあこういうのがすぐ出てくるのは栄次の長所だ。


「でも、性格はこんな感じだったよ。オープンキャンパスの時に隣の席だったんだけど、凄く明るくて優しくて。見た目とのギャップはあったけどね」


 それを凛恋は隣で聞きながら、罰が悪そうに体を縮こませる。

 まあ大人しそうな容姿で、今の凛恋みたいに話し掛けられたら面食らうだろう。


「そういえば、なんで凛恋って雰囲気を変えたの?」


 チラッと俺の方を見た凛恋が視線を逸らす。そして、その視線を落としてボソリと呟いた。


「中三の頃に好きだった男子が、派手な女子が好きだったの」

「そ、そうなんだ」

「まあ、恋の一つや二つは誰でもするし」


 赤城さんが焦った表情をする。そして、栄次も苦笑いを浮かべて声を出す。

 そんな二人を見ていると、凛恋が黙って俺に視線を向ける。

 さっきまでの大激怒モードは消えてなくなり、なんだか不安そうな表情をしている。


「凡人は、地味で大人しそうな私が良かった?」

「見た目は違っても凛恋は凛恋だろ? まあ、凛恋なら大人しそうな雰囲気も似合――」

「喜川くん! 場所替わって!」

「どうぞ」


 俺の話を遮った凛恋が栄次と入れ替わって俺の隣に座る。そして、ファミレスの端の席ではあるが、店内でギュッと腕を抱いた。


「凡人大好き!」

「あ、ありがとう」


 言ったことは嘘じゃない。

 地味だろうが派手だろうが、凛恋は凛恋だ。だから、どんな凛恋でも好きになった。俺はそう言い切れる。


 元々、俺は凛恋に苦手意識を持っていたのだ。

 そうだからこそ、見た目だけで凛恋を好きになったんじゃないと言い切れる。

 でも、凛恋の好きだった男に関しては……正直、悔しいと思った。


 栄次が言ったように、一六にもなれば恋愛経験の一つや二つはあってもおかしくない。

 むしろ俺のように、凛恋と会うまで他人との間に壁を作って関わらないようにしていた人間が稀有なのだ。だから、凛恋に好きな人が一人二人居たとして当然だ。


 だけど、胸の中をギュッと掴まれたような、息が詰まる痛みはなんだろう。

 そして、背中を駆け巡るゾワゾワとした寒気と寂しさはなんだろう。


 凛恋の外見を、凛恋の趣味を、凛恋の心を一八〇度変えた男。それほど凛恋を惚れさせた男。

 その見えない存在が、影となって俺を後ろから追い駆けてくる。


 俺は心の中で「凛恋がその男と再会しないように」そう何度も願った。その男に出会った瞬間、凛恋がいとも簡単に奪い取られそうな気がしてならなかった。

 俺には、凛恋が自分を変えるほど好きになった男ほどの魅力は無い。


 ……ああ、だから人は自分を着飾るのかもしれない。


 ゲームで自分のキャラを強くするために強力な武器や防具、アクセサリーを身に着ける。それと同じように、現実の人は着飾って、魅力というパラメーターを上げているのだ。

 自分より強く魅力的な誰かに負けるのが怖くて、自分の大切なものを奪い去られるのが怖くて。



 ファミレスを出た後は、久しぶりに街を適当に歩き回る。

 今風の言葉で言うところのウィンドウショッピングというやつらしい。でも、栄次と赤城さんが一緒の時は楽だ。

 凛恋と赤城さんが楽しそうに話しながら洋服を見ているから、俺は黙っていても問題じゃない。


「さっきの話、気にしてるのか?」

「……何の話だ」


 隣に立っている栄次がそう俺に話し掛ける。

 さっきの話という言葉が何を指しているのか大体予想は出来る。でも、あえてそれから目を逸らした。


「八戸さんも女の子だ。恋愛経験があって当然だ。むしろ、今まで彼氏が居なかったことがおかしいくらいだぞ」

「分かってる」

「分かってるけど、割り切れないって感じか?」

「いや、割り切れないってわけじゃない。凛恋が俺以外の誰かを好きだったことは、栄次の言う通り当然だ。俺みたいな人間は特殊な例だしな」


 今日やっと終業式があって、まだ夏休みも始まっていないというのに、店のポップには『夏物売り尽くしセール』と書かれている。

 どうやら、洋服の世界ではもう夏は終わりに近付いているらしい。


 そんな店内で、凛恋と赤城さんは楽しそうに洋服を見比べお互いに合わせて話している。


「もし、その凛恋を変えるような男と凛恋が再会したら、俺のことを見なくなってしまう気がした」

「カズが、好かれてるか悩むくらい人を好きになってくれて良かった」


 栄次の何気ない言葉に、俺は視線を栄次に向け、栄次の真意を探る。しかし、すぐに諦めた。

 俺にそんなことが出来るはずもない。


「カズは大丈夫だって」

「なんでそう言い切れるんだ」


 爽やかな笑顔を浮かべていた栄次が、今度はククッと人の悪い笑みを浮かべる。


「カズは八戸さんのことが好きだろ? だから、カズが八戸さんのことを好きなうちは大丈夫だ」


 栄次に背中を叩かれて、俺は歩いて赤城さんと凛恋に近付いて行く栄次の背中を眺める。

 栄次は凛恋と二言三言話して俺を指さす。余計なことを言ってないか不安になるが、空気が読める栄次ならトラブルになるようなことは言わないだろうと信じたい。


 栄次と話していた凛恋は、一人離れて俺の所まで歩いて来る。そして、ジッと俺の目を見て唇を尖らせる。


「なんで一人だけ離れてるのよ」

「女子の服は見ても分からないからな。それに赤城さんと凛恋が楽しそうに話してたし」

「…………気にしてる?」

「何が?」


 聞き返さなくても分かっている。


「さっきのさ、私が地味から派手になった理由」

「何で?」


 理由なんて分かり切っている。


「やっぱ、言わなきゃよかった」

「だから何が――」

「凡人の元気がないし」


 凛恋がそっと俺の手を握る。そして、力強くギュッと握った。


「私、凡人が過去に好きだった人の話を聞いたら、絶対にその子のことを気にしちゃう。凡人に好かれるなんて羨ましい思いしてたのどんな子だろうって。それで、もしその子が現れて、凡人のことを好きなんて言い出したら、凡人のことを取られちゃうかもって思っちゃう。私がそう思うからさ……凡人にも同じ気持ちになるかもって思った。でもさ……凡人に嘘吐いて隠したら、浮気してるみたいで嫌だったの」


 凛恋の声が震えている。凛恋はちゃんと俺の気持ちを考えてくれていた。

 そして、俺に対する気持ちに影を付けたくなくて、正直に話してくれた。

 もちろん俺は凛恋の気持ちなんて疑ってはいない。でも、凛恋の言う通りの結果になった。

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