【一五《暫時の不安》】:二

「髪染めて化粧してコンタクトにもして、服装も派手なのにして……そしたらさ、そいつ他校の地味な女と付き合ってんの。やっぱ清楚な女子は良いよな、とか言っちゃってさ。もうそれで完全に気持ち冷めちゃった。黒髪に戻そうって思ったんだけど、この格好してるお陰でさ、友達いっぱい出来たのよ。中学時代も友達は居たけど、結構狭い世界だったし。それに、今は派手になって正解だったと思ってる。何でだと思う?」

「そりゃあ、友達が前より増えたなら正解だったんだろう。自分でさっき言ったば――」

「ブッブー。正解は……凡人に会えたから」


 優しく俺の腕を抱き寄せて凛恋が微笑む。


「凡人は地味な私でも派手な私でも、私は私って言ってくれた。それは、どんな私でも好きになってくれたって勝手に脳内変換したけどいい?」

「凛恋の言う通りだから、変換する必要はないぞ」

「えへへ、ありがとね。凡人」


 凛恋はクシャッと笑って俺の顔を下から見上げる。綺麗な瞳が俺の目を真っ直ぐ見詰め、艶やかな唇が上品に動く。


「でもね、絶対に地味な私じゃ凡人に出会えなかった。派手で友達が増えたからあの合コンに誘われた。もし私が地味だったら、あそこの、凡人の正面の席は私じゃなかった」

「あの場所に凛恋が居なかったら、俺は今も栄次しか友達が居なかっただろうな」

「いや、絶対誰か他の女子と付き合ってる。言ったでしょ? 合コンの後みんなで話したら、凡人のことをみんな褒めてたって。だから、絶対に私の代わりに居た女子に猛烈アタックされて、それで凡人は他の子と――」

「俺はその女子を拒絶して女子の気持ちが冷めて終わりだ」


 もし仮に、あり得ないが、あの時あの場所に居たのが凛恋じゃなかったら。

 そして、もし俺に凛恋の代わりに居た女子が興味を持ったら。

 多分、徹底的に拒絶する俺に興味を失い、別の男を好きになっただろう。


「俺が拒絶しても、俺と関わろうとしてくれるのは凛恋くらいだ」

「凡人……」

「凛恋の言う通り、俺はもし凛恋が好きだった男に告白されたら、そいつに取られる気がした。凛恋の気持ちを疑ったわけじゃない。ただ、凛恋の気持ちを繋ぎ留める何かが俺には無――」

「凡人が私のことを好きで居てくれたら、私それで十分お腹いっぱいよ。他の男のことなんて入り切らない。凡人が私のことを好きで居てくれるみたいに、私も凡人が好きなの。凡人が持ってる何か、じゃなくて、凡人自身のことがさ」


 凛恋は指を組んで手を繋ぎ、俺の体を自分の方に引っ張る。


「心配しないで。私は凡人のことが大好きだから。凡人のことを好きになってから、凡人以外の男に全く興味なんて湧かないし。毎日凡人に何しようとか凡人に何してもらおうとか、凡人と何しようって、凡人のことばかり考えてる。実際、その好きだった男のこともすっかり忘れてたくらいよ」

「そうか、心配かけてごめん」

「うん、凡人が心配になるくらい私のこと好きとかチョー嬉しいけど、やっぱ嫌。凡人の寂しそうな顔なんて見たくないし」


 凛恋に腕を引かれて、洋服の陳列されたラックの前に連れて行かれる。


「さーて、凡人。凡人はどんな服を私に着てほしい?」

「凛恋が着ればどれでも――」

「だぁーめっ! この機会に凡人の好みをちゃんと調べとかないと!」


 ニコニコ笑いながらあれやこれやと洋服を手にして見せてくる凛恋を見ていたら、いつの間にか、心の中にあった影が綺麗に消え去っていた。



 ウィンドウショッピングは何も洋服屋だけじゃない。

 おしゃれな雑貨屋や本屋はもちろん、全く俺達に関係無い店にも入ったりする。

 そして俺は今、俺から最も程遠い店の中に居る。


 店内には軽快な音楽が鳴り響き、商品紹介の映像が流れる小型モニターからもアップテンポのBGMが鳴っていて、店内は全体的に騒々しい。


「うへぇー、野球のグローブって六万もすんの!?」

「メーカー品だからかな?」


 凛恋と赤城さんが、野球のグローブを手に嵌めてそんな話をしている。


「このキップレザーって言うのが高いのかもね。こっちの安い奴には人工革って書いてあるから」

「でもキップレザーってなんだろね?」

「キップレザーは生後六ヶ月から二年の牛革。きめ細かく柔らかい上質な革。だそうだ」


 グローブの陳列棚に付いた革に関する説明文を読み上げていると、凛恋が後ろからひょこっと顔を出して説明文を見る。


「あっ、そういえば財布とかバッグで見たことある。確かにちょっと私じゃ買えないような値段だったかなー。……あっ!」


 凛恋が突然俺の手を取って急に引っ張る。そして、スポーツウェアがラックの前に立ち、スポーツウェアのシャツとパンツを手に取って、凛恋は自分に合わせる。


「ねーねー凡人。どう?」


 凛恋が選んだのはピンクというよりも少し色が鮮やかなローズレッドっぽいシャツに白いパンツ。

 それを自分の体に合わせて俺に視線を向ける。


「凛恋は細いし、着ると似合うだろうな」


 凛恋が持っているスポーツウェアは、シャツの方は結構タイトめで体のラインがハッキリ出るように見える。

 パンツはショートパンツで、凛恋が穿けば綺麗な太ももがさらけ出されるのは間違いない。

 そんな格好をすれば、当然凛恋は男の視線を集めるだろう。それを考えると、正直な気持ちとしては着てほしくはない。


 学校で聞く男の話で聞こえてくる話題は女子のことが多い。

 誰の胸が大きい。誰のパンツの色が派手だった。あそこの階段は良い風が吹いてスカートが捲れる。

 そんな話があるのを知っているから、凛恋にはそういう目で見られるような格好を出来ればしてほしくないと思う。

 でも、それは凛恋の意思を俺が制限しているようなものだし、凛恋が着たいなら着るべきだ。


「凡人、凄く真剣に見てるけど、そんなに好き?」

「え? いや……それを着ると、男の視線を集めるだろうなと」

「あー、確かにこれ着たら体のラインが出るし、パンツの丈も短いわね。男子はそういう目で見るのかー…………凡人の前だけで着ようかなー」

「……どんな使い道だ。それは運動する時に着る物だろ」

「ジョーダンよ。それにブランド物で以外と高いし。そもそも私、運動しないしねー」


 手に取ったシャツとパンツを戻して、また凛恋が俺の手を引いて歩き出す。


 いつの間にか栄次と赤城さんは見えなくなって、凛恋が気を遣って二人きりにしたのだと気付く。

 やっぱり、凛恋は俺に出来ないことが出来る。


 凛恋に連れて来られたのはアウトドア用品のコーナーで、キャンプ用のテントが組み立てて置かれている。

 テントの周囲にはテーブルやベンチ等がキャンプを想定して、それらしくレイアウトされていた。


「テントって狭いイメージがあったけど結構広いわね! 凡人! 中がふかふかしてる!」


 制服のまま四つん這いでテントの中に顔を突っ込む凛恋の後ろをさりげなくカバーする。

 見えてはいないが、かなり際どい。

 手でスカートを押さえる仕草も、見えないようにしているのだろうが、可愛い凛恋がやったら当然、男の視線を集めてしまう要因になる。


「中にマットを敷いてるんだな」

「寝袋も置いてる! なんか寝袋見るとさ、キャンプって感じするね!」

「寝袋か。確かに、キャンプといえばって感じはするな」


 キャンプなんて行ったことがない。小四の頃、宿泊学習や修学旅行とは別に、学校でテントを張って一泊する学校キャンプなる行事があった。

 でも、その学校キャンプに俺は参加しなかった。それは夏休みに行われる自由参加の行事だったからだ。

 だから、人生唯一のキャンプをする機会を経験しなかった俺には、今までキャンプの経験はない。

 それでも漫画やアニメ、ドラマの中でキャンプといえば必ずと言っていいほど、寝袋に入って寝るという場面が出てくるから、キャンプと言えば寝袋というイメージがある。


「凛恋はキャンプに行ったことはあるのか?」

「小学生の頃に一回だけ。でもその時は枕とタオルケットだったから寝袋は使わなかったの。でも今年は凡人と行けるし!」

「それ本当に行く気か? 泊まりがけなんて良くないだろう」

「大丈夫よ。お母さんはもちろん、お父さんの許可ももらってるし」

「お父さんにはなんて言ったんだ?」

「友達とみんなでキャンプに行くって」


 ペロッと舌を出してそう言う凛恋は小悪魔チックな凄く悪い顔をしている。

 俺も時々使う、嘘は言っていないという言い訳が聞こえてくるような顔だ。


「だって凡人と行くって言ったらお父さんが絶対反対するだろうし。みんなで行くってのも妥協案よ。本当は二人きり、せめて希達と四人がよかったんだから」

「もしそうなったら俺が断る」

「だろーね。凡人は真面目だし」


 テントから凛恋が出て来て、また俺の手を引き歩き出す。

 凛恋は飯盒(はんごう)等のキャンプで使う調理器具が置かれている陳列棚の間を通り抜けた先で足を止める。

 そこは、陳列棚の端にあったミニコーナーで、緊急時に使用するホイッスルが置かれていた。


 ホイッスルというと、中に球体が入っているタイプの物を想像しやすい。しかし、陳列されてるのは鉄の短い管で、作りは簡単に見える。

 そして、見た目も気にする人のためか、メタリックではあるものの色の種類が多い。


「これ、あの凡人が好きなゲームにも出てくるよね?」

「主人公がヒロインにあげて、ヒロインが敵に追い詰められた時に吹くやつか? あれは貝殻のホイッスルだったけど」


 まあ緊急時に吹くホイッスルという意味では同じではある。


「明日登山するじゃん! 何があるか分かんないし、買お買お! 意外と安いし」

「縁起でもないことを……まあ、備えあれば何とかとは言うが」


 明日の宿泊研修では登山はやらない。しかし、宿泊施設の近くにあるハイキングコースをダラダラと歩くハイキングがあるのだ。

 山というか森の高低差が少ないコースを歩くようだから、登山とは言えるものではない。

 しかし、森の中に入るのだから万が一ということもあり得る。


「私ピンクにする! 凡人は?」

「俺はシルバーでいいかな」

「凡人はシルバーね」


 ラックに陳列されたキーホンダになったホイッスルをそれぞれ手に取る。


「お揃いだね」


 凛恋が左手の薬指にはめた指輪を見せながらニッと笑う。

 その笑顔を見れば、心配や不安は吹き飛んで、ただただ今が幸せであることしか考えられなかった。

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