【一二《至要たる存在》】:二

 よく行くコンビニが、何やら改装工事中で営業しておらず、仕方なくちょっと離れた場所にある別のコンビニまで足を伸ばした。

 そして、そのコンビニの中に入った瞬間に不穏な声が聞こえてきた。


「ねーちゃん。俺はここの常連なの。タバコとコーヒーって言ったら、タバコはレッドスクエアでコーヒーはブラック。客ナメてんのか!」


 狼みたいなオールバックをして、くすんだ金髪に両耳に金のピアス。服装は背中に金の龍が描かれた真っ赤なスウェットにビーチサンダル。絵に描いたような強面のお兄さんだ。

 その強面のお兄さんは、レジのカウンターを挟んで女性の店員さんを怒鳴り散らしていた。


 店内には他にも買い物客が数名居るが、みんな見て見ぬ振りをしている。そして、店内に女性店員さん以外の店員は見当たらない。


「客は神様なの。客商売ナメてんのか? ああ? とりあえずタバコとコーヒー、タダにしろや」

「も、申し訳ありません。ですが……代金は――」

「じゃ、土下座しろや土下座」


 強面のお兄さんは床を指さして女性店員さんにそう命令する。俯いた女性店員さんは、レジカウンターから強面のお兄さんの前に出て来て、ゆっくりと膝を折り始めた。


「こんな人間に頭下げる必要無いですよ」


 しゃがみかけていた女性店員さんの腕を掴んで引っ張り上げる。すると、前から低い声が響いてきた。


「てめえ、今なんつった」

「こんな人間に頭下げる必要は無いと」

「お前、俺よりどう見たって年下だろうが、目上の人間に対する――」

「あなた、この店員さんが居なかったらどうするつもりだったんですか?」


 俺がそう尋ねると、強面のお兄さんは眉を吊り上げた状態で不機嫌な声を出す。


「はぁ? てめえ、意味分かんねーこと言ってっと――」

「そのレッドなんとかってタバコとブラックコーヒー。この店員さんが居なかったら、どうするつもりだったんですか? まさか、黙って取って行くつもりだったんですか?」

「んなことするわけねーだろうが」

「じゃあ、店員さん居なかったら、あなたは一生タバコとコーヒー買えませんね。良かったですね、店員さんが居てくれて」

「だから、意味分から――」

「店員さんが居ないと買い物一つ出来ないんだから、買い物させてくれてる店員さんに感謝しましょうって言ってるんですよ。それにお客様は神様って言葉は客じゃなくて、店員が使う言葉ですよ。後は、タバコには番号が振ってあるんだから番号で言えば解決するでしょ。それとブラックコーヒーも、ブラックコーヒーって言えばいいでしょ。四文字くらい面倒くさがらずに言ってあげましょうよ」


 俺は言いながら頭を押さえたくなる。どうして俺は、明らかに俺より年上のお兄さんに買い物の仕方を教えてるんだろう。


「はい、そのレッドなんとかってタバコは何番のタバコですか?」

「ああ? 六八だけど――」

「一つでいいんですか?」

「あ、ああ」

「コーヒーも一つですか?」

「あ、ああ」

「店員さん、六八番のタバコ一つとブラックコーヒー一つらしいです」

「はっ、はい! 少々お待ちください」


 店員さんがカウンターの向こう側に入って行くのを見送ってから、俺はコンビニの弁当コーナーへ歩いていく。


「ん? メール?」


 スマートフォンがポケットの中で短く震えるのを感じて取り出すと凛恋から『ちゃんと野菜も食べてね』というメールがきていた。

 婆ちゃんと同じことを言うが、ハートの絵文字が添えられているのを見ると、素直に従ってしまう。


 ミックスサラダと牛焼肉弁当を手に取ってレジの方に歩いて行くと、丁度さっきのお兄さんが店を出て行くところだった。


「ありがとうございました。またお越し下さいませ」


 女性店員さんが頭を下げてお兄さんを見送るのが見えた。


「すみません、これお願いします」


 カウンターにミックスサラダと牛焼肉弁当を置いて、財布を手に取る。


「あっ、あの! さっきはありがとうございました」

「俺がムカついてやっただけですから」


 凛恋と会えないことのフラストレーションが溜まっているところでの、あのお兄さんの言動。正直、知り得るだけの罵詈雑言を浴びせて徹底的に糾弾したかった。だが、見るからに怖そうな人だったし若干日和った。

 だから、買い物の仕方を教えるだけで精一杯だったのだ。

 いやあ、殴られなくて本当によかった……。


「本当に助かりました」

「い、いえ」


 ニッコリ笑ってお礼を言われ、困ってしまう。そもそも、俺は人と会話するのが苦手だから、さっさと帰ってしまいたい。


「お弁当は温めますか?」

「いえ、大丈夫です」

「では合計で六七〇円になります」

「一〇〇〇円からお願いします」

「はい。お返しが三三〇円になります」

「ありがとうございます」


 袋に入れた弁当とサラダを差し出され、俺はそれを受け取ると頭を下げた。

 店から出て、スマートフォンで凛恋に『今日は牛焼肉弁当とミックスサラダだ。彼女の言い付けを守って野菜を食べるようにした』とメールを送ってポケットにスマートフォンをしまって歩き出した。


「カズ!」


 歩き出してまだほんの数歩の時、後から声を掛けられる。振り向くと、栄次が手を挙げてこっちへ走って来ていた。その隣には赤城さんも居る。


「こんなところで会うなんて奇遇だな」

「多野くん、こんにちは」

「赤城さん、こんにちは。いつも行くコンビニが工事中だったから足を伸ばしたんだ」

「そうか。何食べるんだ? 牛焼肉弁当とミックスサラダか。意外と健康に気を遣ってるんだな」

「そうだろ? 俺だって健康に気を――」

「八戸さんだな」

「なんで分かるんだよ」


 ニヤッと笑う栄次に聞き返すと、赤城さんが横でクスッと笑った。


「多野くん、私と栄次も何か買ってお昼を食べるから多野くんの家にお邪魔しても大丈夫?」

「来るのはいいが、赤城さんと栄次は二人でデート中だろう。俺に気を遣わなくても」

「ううん、いつも凛恋にからかわれてばかりだから、多野くんに私が居ない時の凛恋の話を聞きたいの」

「なるほどな。そういうことなら協力しよう」

「ありがとう。栄次、お昼何にする?」


 楽しそうに話す栄次と赤城さんを見て、俺は二人が羨ましくなった。そして、自分の隣に凛恋が居ないことを寂しく思う。

 左手の薬指にはめた指輪に触れると、何処かで同じ指輪をはめている凛恋のことで、すぐに頭の中がいっぱいになった。

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