【一一《緩やかな変化》】:二
凛恋が先頭でドーナツ店の中に入ると、甘い香りに全身が包まれた。
そして店内の雰囲気はファンシーと言えば良いのだろうか。主にピンクや黄色と言った、明るい女の子らしい色の装飾があり、どう見たって俺のような人間が立ち入る場所ではない。
もし凛恋達と来ていなかったら、不審者だと言われて叩き出されるかもしれない。
いや……流石にそこまではないか。
ショーケースに並べられたドーナツ達は、トッピングシュガーで可愛くデコレーションされたものやシンプルなものまで味以外に形も豊富だった。
凛恋に手を引かれてショーケースの前に連れて行かれるが、正直どれが良いのか分からない。
「凡人は甘さが強いケーキとか苦手だし、これとこれにしといたら? 凡人はそんなに沢山食べないし」
「そうか、助かる」
「私も同じのにしよ。すみません、これとこれ一つずつ下さい」
なんとも頼りになる凛恋のおかげで、俺は最初の難関であるドーナツの購入が出来た。
「ホントは間食良くないんだけど、友達と来てるしねー」
「凛恋は十分細いだろ」
俺がドーナツの載ったトレイを受け取っていると、凛恋は苦笑いを浮かべながら呟く。
しかし、俺が言った通り凛恋は十分細い。
前々から、凛恋は体型を気にして間食を減らすダイエットをしているのは知っていた。
俺の家に来ても、婆ちゃんがお菓子を出したら笑顔で食べるが、婆ちゃんが居なければ一切食べない。
意志が強くてしっかりしてはいるが、それ以上細くなってどうするつもりなのかと心配になる。
「維持するのが大変なのよ。ちょっと油断するとすぐ身に付いちゃうんだから」
「そういうものか?」
「そうよ。凡人に可愛いってもっと思われたいし。この前のペアリング作った時、人前で凡人が私のことを可愛って言ってくれると思ってなかったから、チョー嬉しかったの。だから、もっと可愛いって思われたいじゃん?」
「俺のために何かを凛恋がしてくれるのは嬉しいけど、無理はするなよ」
「分かってる」
俺は凛恋に手を引かれながら付いて歩くと、視線の先に凛恋都同じ制服を来た女子高生四人が座っている。
そしてその四人の向かいには、既に赤城さんと栄次が座っていた。
それにしても、男一人だというのに、栄次は気にした様子もなく四人と楽しそうに談笑している。
なんというコミュニケーション能力、なんという適応能力だ。
「おー! 手を繋いで見せつけちゃってー」
早々に、女子の一人から凛恋が茶化される。
凛恋は顔を赤くはしているものの、俺の手をギュッと握ってグイッと引っ張って座席に座らされる。
座らされた俺はとりあえず背筋を伸ばす。
そして思う。ここで俺から何か挨拶しないと「えー凛恋の彼氏って挨拶も出来ないって常識無さ過ぎ。マジ、凛恋って男見る目ないんじゃね?」てなことになりかねない。
「初め――」
「みんなカラオケの時会ってるから覚えてるから別に紹介いいわよねー」
テーブルに隠れて凛恋の肘打ちが脇腹に入る。
危ない、そう言えばこの人達とは初めましてじゃないんだった。
俺個人は初めましての気分だが。
「ちゃんと紹介しなさいよー」
「そーそー、彼氏紹介してくれるって言ったでしょー」
ニヤニヤっと笑いながらそういう女子達に、凛恋は顔を真っ赤にしながら苦々しい顔を向けている。
どうやらからかわれているのが相当悔しいらしい。
「その……私の彼氏の、多野凡人よ」
「どうも多野凡人です。よろしくお願いします」
とりあえず丁寧に聞こえるであろう口調と丁寧に見えるであろう態度で対応してみる。ここは俺が頑張るところだ。
「こちらこそよろしく。タメなんだしそんなに丁寧にしなくていいよ」
「そーそー、多野くんのことはよく知ってるし」
「ちょっ!」
凛恋が慌てた様子で立ち上がろうとする。しかし凛恋が立ち上がる前に女子達から明るい声が湧いた。
「初めて会った日のカラオケ終わりに、男子の話題になってね。喜川くんは見るからにモテそうだねーって話して、その後に多野くんの話になったの。多野くんって凄くうちらに気を遣ってくれてたじゃん? それ見てたからみんなで良い男子が居たねって話した瞬間、凛恋がめっちゃ食い付いてきて」
「ねー、もうみんなその瞬間に気付いたんだよ。凛恋が多野くん好きだって、ホント分かり易かったんだから」
「ちょっ、私の話は――」
多勢に無勢でなす術がないようで、凛恋は控え目な発言しか出来ていない。
もちろん、控え目な発言は簡単に掻き消されている。
「多野くんと付き合ってから、ホントに幸せそうにしちゃってさ。毎日放課後になると多野くんに早く会いたくて、クラスで一番に飛び出して行くの。そして、その凛恋の後を希が慌てて追い掛けるってのが日常になってるし」
「凛恋、六限目の残り一五分くらいから帰る準備してるしね。そんで、今週の月曜にニコニコしながらペアリング見せて来て、あまりに幸せそうだったから盛大に茶化しちゃった。多野くんとあんまり話したことないのにイジっちゃって、ごめんね」
「いや、思う存分やってもらって大丈夫だ」
「か、凡人!」
凛恋の抗議の声が聞こえるが、拒否する理由も無いし、何より凛恋のただの知り合いではなく友達なのだから加減はしてくれるだろう。
正直に言うと、顔も名前も知らない人達だから、信頼関係なんてあるわけない。でも凛恋が友達として信頼しているなら全て凛恋に任せる。
凛恋は俺のために泣いてくれて、俺のために一生懸命になってくれて、そして俺のことを好きになってくれた。その凛恋のことは信じられる。
話題はいつの間にか栄次と赤城さんに移り、栄次は質問攻めに遭っていた。でもやっぱり人と話し慣れてるせいか、俺のように堅さは感じない。
「あー変な汗掻いた」
「俺は胃が捻り潰されるかと思うくらい痛かったぞ」
「……凡人、みんなもこの後彼氏と会うって言ってるから、今日も凡人の家行っていい?」
「ああ」
「あの三面のボスさ、凡人が前に出て引き付けて、私が離れて攻撃すれば勝てると思うのよ」
「それは俺に囮になれってことか」
「だって凡人の方が上手いじゃん。あっ、ありがと」
俺はテーブルにあったナプキンを取って、凛恋に手渡しながら不満を述べる。
そうやって毎回俺が引きつけた敵を倒すのが凛恋のいつものパターンなのだ。まあ、いつも凛恋が楽しそうだからいいが。
「あれってあと何面くらいあるの?」
「全部で八だな」
「えー、まだ半分も行ってないの? 凡人は一回目どうやってクリアしたのよ、あんな強いボス」
「一回目はキャラのレベルが高かったから、攻撃力のごり押しだったかな。二回目からは相手の攻撃パターン分かってるし」
「それってズルくない?」
「何がズルいのか分からん。凛恋、飲み物は?」
「あっ、ヤバ! 忘れてた!」
「買ってくる。何がいい?」
「いや、私が――」
「凛恋の友達だろうが、凛恋が席離れてどうする」
「じゃあアイスティーお願い」
「分かった。栄次と赤城さんは?」
チラッと栄次と赤城さんの方を見ると、二人も飲み物が無かった。
「四つは一人じゃ持てないだろ、俺達の分は俺が買う。希は何が良い?」
「じゃあ、アップルジュースをお願い」
「分かった」
栄次と一緒に席を立つと、栄次がハアっと深いため息を吐いた。
「疲れたのか?」
「いや……希に悪いことしたなって」
「ん? 何か変なことでもしたのか? 楽しく話してたように見えたが」
「飲み物、気が付かなかった」
「それがなんで赤城さんに悪いんだよ」
「俺は気付かなかったけどカズは気付いただろ。八戸さんの彼氏は気が利くけど、希の彼氏は気が利かないって思われたかもな……」
「考え過ぎだろ。そんなことを言ったら、赤城さんの彼氏は人当たりが良いけど、凛恋の彼氏は無愛想だって思われてるぞ」
「……考え過ぎかー」
「考え過ぎだ」
栄次もやっぱりリア充らしい奴だ。
他人の目を気にし過ぎている。俺も凛恋の評判が落ちないように気を遣ってはいたが、栄次程ではなかった。
飲み物を買って凛恋達のところに戻ると、凛恋は真っ赤な顔をして俺の方を見た。
そして俺が差し出したアイスティーを受け取って「ありがと」と呟いた後、黙ってアイスティーをストローで吸い始めた。
いったい何があったのか分からないが、また何かしら女子達のからかいを受けたのだろう。
ゆっくり腰を落とすと、店の外に男子が数名固まってこちらを見ていた。そして、俺と目が合った瞬間、死角に隠れていく。
明らかに、俺と目が合ってマズいと思ったであろう行動だ。
しかし、さっきの制服は……。
「水色のワイシャツに赤のネクタイ、紺色のブレザーとスラックス……刻雨の男子制服か」
「凡人、男子の制服がどうかしたの?」
「いや、あそこに男子がゾロゾロ居たんだ。凛恋の知り合いか?」
俺が凛恋に尋ねると、ハアっと前からため息が聞こえた。
そのため息の主である女子は視線を刻雨男子達の方に向けて、また大きなため息を吐いた。
「覗き見とかマジサイテーね」
「何処から聞き付けたか分かんないけど、喜川くん達を見に来たんでしょ、どうせ」
女子達の話を聞いて俺は栄次に顔を向け、そっと肩に手を置く。
「男子にも人気があるなんて知らなかったぞ」
「違うだろ! 聞いてなかったのかよ。あの人達は俺”達”を見に来たって」
顔をしかめて栄次が疲れた声で言う。
まあ、軽いジョークのつもりだったのだが、栄次はそれをあえてスルーしなかったようだ。
「なんで俺なんか見に来るんだよ。俺は動物園のパンダじゃない」
「希と凛恋に彼氏が出来たからでしょ。二人の彼氏がどんな男か見に来たってところね」
俺はもう一度視線を男子の方に向ける。多分、栄次を見て「イケメンだ」と話し、俺を見て「なんか冴えない奴だな」とか話しているのだろう。
「ああいうのは、見てるだけで行動出来ないヘタレの集まりだから放っておいていいのよ。それにちょうど時間も良いしお開きにしましょ。喜川くんも多野くんも、急だったのに来てくれてありがとう。今度はみんなでカラオケでも行こう」
「ああ、その時はよろしく」
栄次がそうにこやかに返事をする。返事をしたのは栄次だけだから、仮に俺が行かなくても――。
隣から脇腹に衝撃を受けて振り向くと、キッと凛恋が睨んで『断れないから』と口パクで釘を刺してきた。
店を出て刻雨の女子四人、それから栄次と赤城さんと別れて、俺はやっと深い息を吐いて背を伸ばした。
「ありがとね、凡人」
「いやー、日頃大勢の人間と同じ空間に居ることが無いから、変に気を遣って疲れた」
「でも、みんな凡人のことを褒めてた。私がドーナツ食べようとした時に紙ナプキン取ってくれたこととか、飲み物のこととか、やっぱり気が遣える良い人だって」
「そうか?」
「うん、それに凄く仲良くて羨ましいって言われた」
ニコニコ笑って俺の左手を握る凛恋は、俺の薬指にはまった指輪を指先でなぞり、ニーッと嬉しそうに笑う。
「あの男子達のこと、気にしないでよ、絶対。私は凡人の彼女で凡人のことだけが好きなの。あんな奴等視界にも入れてないから」
「凛恋のことは信じてる。あの告白を聞いて、凛恋が俺のことを好きになってくれたってことがよく分かった」
「ばっ――もう……思い出すと恥ずかしいんだけど」
「泣きながらいっぱい話してくれたよな。あれは嬉しかった」
「こら! 茶化すな!」
グイッと腕を引っ張られてニコッと笑う。
「凡人はさ、もっと人と接するべきだと思うのよ。凡人は偏見で嫌な人って思われてるみたいだけど、実際に会って話せばちょっと人付き合いが苦手なだけ。本当は優しくて気が遣える格好良い男子じゃん。女子と仲良くなり過ぎるのは絶対に許さないけど、友達を増やすのは――」
「俺には凛恋と栄次と赤城さんが居ればいい」
「凡人……そっか、彼女としては嬉しい。ありがと」
凛恋は少し残念そうに瞳を伏せた後、明るく笑った。それが、俺のために言ってくれたことだというのは分かる。でも、まだ俺にはそんな力は無い。
一気に友達が二人も増えて、そしてその友達の一人、凛恋が俺の大切な彼女になってくれた。
その変化は劇的過ぎて、今でもやっと追い付けている、追いすがれている状況なのだ。
これに加えて更なる変化が加わったら俺は変化について行けなくなる。
「さーて、じゃあ早く凡人の家行ってボス倒さないと!」
「凛恋の作戦で一回やってダメなら大人しくレベル上げするからな」
「レベル上げって大変なのよねー」
「俺が弱らせた敵に止め刺してるだけだろ」
「まー仕方ないわね。じゃあ一回やってダメだったらレベル上げ! でも今日中に絶対倒すわよ!」
グッと拳を握り締めて気合いを入れる凛恋を見て、思わずフッと笑い、そして体に気合いを入れる。
今日は、休憩無しでやり続けるつもりみたいだし。
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