【一一《緩やかな変化》】:一

【緩やかな変化】


 目の前でブスッとした表情の栄次は、弁当を箸で突きながら俺に視線を向ける。俺は、俺を睨む栄次に視線を合わせながら、購買で買った焼きそばパンに齧り付く。


 梅雨の晴れ間で、珍しく太陽が顔を出した今日は、朝から気温が高くそのせいで湿度も高くて蒸し暑い。

 その蒸し暑い中なのに、栄次の視線はむさ苦しい。


「なんだよ、さっきから」


 睨むだけで一向に話そうとしない栄次に俺がそう尋ねると、栄次は俺の手を見た。

 そして視線を俺の目に戻すと、ボソリと口にする。


「ペアリング」

「……ペアリングがどうした」

「二人って凄く仲良しだよね。って希に毎日言われる」

「ほう」

「ペアリングとかされたら、俺の方は期待値上がってキツイんだけど」


 なるほど、凛恋が俺と作ったペアリングをこれみよがしに自慢したら、赤城さんがそれを羨ましがって、栄次に「二人で身に着ける物が欲しい」とでも言ったのだろう。

 それで、俺達と同じペアリングを買うわけにもいかず、困っている、と。そういうことだろう。


「ペアリングは俺じゃなくて凛恋が欲しいって言ったんだよ。栄次も赤城さんに何が欲しいか聞けばいいだろ」

「そうなんだけどさ……。どう足掻いても手作りのペアリング以上の物は無いだろ。しかも左手の薬指」

「それも凛恋の希望で、だからな」


 栄次はハアっと息を吐いてうなだれる。


「やっぱり、ペアのペンダントかネックレスが一番かな。ペアリングをしてる人は結構居るらしいんだけど、手作りってところが、希の乙女心に響いたみたいなんだ」

「俺と凛恋が行った工房にはペンダントもあったぞ、手作り出来るやつが」

「そっか、今日、希に聞いてみる」

「そうしろそうしろ」


 全く俺には落ち度が無いことだったが、付き合い始めの時期が同じくらいだから、やっぱり比べてしまうのかもしれない。


 俺は他人に執着が無いからか、特に気になったりはしない。しかし、クラスの男子女子は彼氏彼女とどこまで進展したかとかを話している。

 俺はそういう話をしているのを見て、自分はあの輪に居なければいけないような人間でなくて良かったと心から思う。


 キスしただのエッチしただのと自慢げに話しているが、そういうのは自分が、自分の恋人を晒し者にしているのと同じだ。

 もしその話を聞いた奴が彼女と対面したら、必ず聞いた話を思い出す。そして、そういう目で彼女は見られるのだ。


 多分、大抵の人間はそれを理解していない。

 だから、その中に理解している人間が居たとしても、圧倒的多数のバカのせいで言わざるを得なくなる。

 言わなければ、ハブられるからだ。

 その点、俺はそんな集まりとは無縁だから気楽なものだ。


 栄次にもそういうことはキツく言ってある。栄次みたいなのが一番、そういう集まりに参加させられる人間だからだ。


 倫理観は自分の周りの影響で変化する。

 それこそ、周りの人間が何の嫌悪感も見せずに彼女や彼氏とのことを話す人ばかりだったら、それが普通なのだと思ってしまう。

 それが当たり前だと、倫理観が書き換えられる。

 もしそうなって傷付くのは栄次じゃない、赤城さんだ。


「あっ、希からメールだ。カズ、今日は刻雨に行こう」

「栄次、頭が良いんだから脈絡って言葉くらい知ってるだろう。刻雨に行くのは良いが、何かあったのか?」

「いや、希達が女子会することになったらしいんだけど、俺達も――」

「やっぱり行くのは断――。ん?」


 栄次の話を遮り、栄次の提案に改めて拒否する意向を伝えようとしていると、ポケットに入れたスマートフォンが震える。


「凛恋から電話だ。もしもし凛――」

『凡人、断っちゃダメだからね』

「…………今日は腹痛がある予定なんだ」

『腹痛の予定って何よ』


 電話の向こうから呆れた声が聞こえてくる。


『友達が彼氏紹介しなさいよってうるさいの』


 電話の向こうから、女子の声で『うるさいとは何よ』という声が聞こえる。

 なるほど、どうやら俺は凛恋の友達に品評されるらしい。そのために俺は呼び出されるようだ。


『カラオケの時のメンツだから安心して』

「ああ、あの時の」


 あの時の、とは言ったものの、どんな人が居たのか全く覚えていない。

 あの時はとりあえず空気に徹する気で居たから、栄次が可愛いと言った赤城さんくらいしか見てなかった。


『とにかく、場所は希から喜川くんに伝わるから、学校が終わったら二人で来てよ』

「分かった」


 凛恋に頼まれたら行かないわけにはいかない。あまり気乗りはしないが、凛恋のためと思って我慢するしかない。


『ほら、大好きだよダーリン、くらい言いなさいよ』

『ちょっ、何でそんなこと言わなきゃいけないのよ!』

『いーじゃんいーじゃん!』

『あーもう! じゃ、凡人、切るからね』

「おっ、おう」


 何だか電話の向こうが騒がしかった。でもなんだか和気あいあいとしている感じで、別に心配することも無さそうだ。


「八戸さん、今みんなにイジられて顔が真っ赤だってさ」


 スマートフォンの画面を見ながら栄次がニヤリと笑う。

「大変だな、凛恋も」


 まあ、凛恋は凛恋の友達と楽しくやっているのだろうから良いことではある。凛恋も大変だろうが、楽しんでいるだろうし。


「カズは良いよな。向こうの子達に評判良いから」

「……栄次」

「何だよ」

「それを本気で言ってるなら、俺は栄次にバカにされたと見なすぞ」

「バカにしてないって。八戸さんも希もカズが褒められてたって言ってたし」


 そう言う栄次に、俺はあえて何も言い返しはしなかった。

 いくらこのアホに「栄次は好印象を受けて当然だから言及されなかったんだ」と言っても理解されないだろうし。



 指定された場所は、ドーナツのチェーン店。なんとも女子らしい場所だ。


 チェーン店のドーナツを食べた最後の記憶は…………あれ? 俺ってそういえばドーナツ食べたことあったっけ?

 ……いや、ドーナツは食べたことはある。スーパーで売ってるほとんどパンに近いというか、パンを輪っかにしたドーナツモドキなら何度もある。

 しかし、本物のドーナツはこれが初になるのかもしれない。そう思うと、何だか不安になってきた。


 そもそもドーナツってファストフードだから、よく行くハンバーガーのファストフード店と同じノリで買えるものなのだろうか?

 もし、それが通用しない特別な注文の仕方があったら困る。


「それにしても、女子複数に男二人って、なんか恐怖を感じるな」

「恐怖を感じるのはカズくらいだろ」


 目的のドーナツ店まで歩く途中、隣に居る栄次に不安を吐露する。

 しかし栄次は冷たかった。


「考えてもみろ。明らかに男として査定されるに決まってるだろ。栄次は見た目も良いし女子受けは完璧だ。天地がひっくり返るようなアホをやらかさない限り、一〇〇点満点に決まってる。でも俺の場合は一問何かを間違えた瞬間に赤点決定だぞ。それで凛恋の評判が落ちると思うと……」


 ダメだ、本格的に胃が痛くなって帰りたくなってきた。どうすれば帰る理由になる。本当に体調不良になればもしかしたら……。


「凡人! お疲れ!」

「栄次!」


 通りの先から制服姿の凛恋と赤城さんが駆け寄ってくる。

 どうしよう、退路が断たれてしまった。


「凡人、そんなに緊張しなくて大丈夫よ」

「そう言われてもな……人と話すのは苦手なんだ」

「私が適当にやってるから凡人はニコニコして座ってればオッケーよ」


 そのニコニコ笑うというのもかなり難易度が高い。そもそも空気に合わせて笑顔が作れたら、俺はコミュ障の称号は得ていない。

 そんな何処かのスーパーマルチイケメンみたいなことを要求されても困る。


「わー、ペアリング良いね」


 赤城さんが俺と凛恋の左手を交互に見て顔を近付ける。


「週明けに凛恋がすっごい嬉しそうにしてるから、どうしたの? って聞いたの、そしたらペアリングを作ったって聞いて。キラキラしてて綺麗」

「そうか、じゃあ赤城さんも栄次と何かお揃いのもの持ってみたらどうだ?」


 そうやって俺が栄次に話を振ると、赤城さんは少し甘えた声で栄次に話し掛ける。今からおねだり作戦が始まるのだろう。

 まあ、栄次の方も手作りペンダントを提案するだろうが。


「凡人ごめん。無理言っちゃって」

「まあ凛恋の立場もあるからな。とりあえず粗相をしないように細心の注意を払う」

「変に緊張しなくていいって。いつも通りの凡人なら、みんなも絶対に悪い印象持つわけないし」


 物凄く信頼されているのは嬉しいが、それは凛恋だからであって、万人に適応されるものじゃない。

 だから、とりあえず余計なことは言わないようにしなければいけない。


「じゃ、行くわよ。みんな待ってるし」

「みんなって何人居るんだよ」

「えーっと、この前のカラオケに居た子で、佳奈子以外全員」


 この前は凛恋と赤城さん含めて七人だったから、凛恋と赤城さんともう一人を抜くと四人になる。

 四人の審査員に見られると思うと、胃がまたキリキリと痛む。

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