第37話 白坂伊奈梨 合宿一回戦

 幸先よく先頭打者から三振を奪った後、続く二番打者は鳳凰の成長株の夜狐だ。


 鳳凰の監督に琉華が就任したのは夏直前、そして琉華は今の二年生や一年生でも内部進学した一部とは面識があるだろうが、附属の中学出身でもなければ中学時代に野球をしていなかった夜狐とは監督就任時が初対面だろう。

 それでも上位打線に食い込み、夏の大会では実質的にエースを担っていた夜狐はそれだけ信頼されている証拠だった。


 初球、夜狐は期待に応えるように鋭い打球を放つ。


「レフト!」


 打球はサード……陽依の頭を越え、レフト前へのクリーンヒットだ。低めへと鋭い投球に苦戦することなく、夜狐は難なくヒットを放った。


「やっぱりセンスは抜群、か」


 今のヒットは技術で打ったと言うよりも、天性の感覚で打ったと言うようなものだった。狙って打ったと言うよりも来た球を打ったような打ち方だ。

 基礎を疎かにしているわけでもないだろうが、センスだけで打っているうちは付け入る隙はある。ただ、今回のようにヒットを打たれれば、それは鳳凰の起爆剤ともなるものだった。


 三番の楓が打席に入る。

 楓は夜狐とは正反対で、技術で打つ選手だ。どれほどの練習を重ねたのだろう、そのスイングは澱みなかった。

 二球見た後のツーボールの状況、楓はバットを振り切った。


「セカンド!」


 打球は瑞歩の頭上への強い当たりだ。この打席に瑞歩は反応できない。

 ライトの司が打球を処理しに行くと、ファーストランナーの夜狐は二塁を蹴った。


「ボールサード!」


 当たりは弱い。司は不慣れな守備位置だが、普通に打球を処理できている。ただ、もたついたわけではないが素早いわけでもない。普通の守備だった。


「くそっ!」


 チャンスを広げられる。そう直感した直後だった。

 司は矢のような送球を繰り出した。

 ライト定位置の少し前。そこから繰り出された送球は一直線でサードの陽依のグラブに収まる。

 夜狐はスライディングする暇もなかった。


「あ……、アウト!」


 並の選手……例えメインポジションが外野の選手でも無理だろう。守備も上手く肩の強い煌や、肩の強さが圧倒的な黒絵であればあるいは刺せたかもしれない。それでも守備に定評のある由真や陽依でも恐らく難しい打球だった。


 司はそれをアウトにしたのだ。


「ワンナウトー!」


 アウトカウントを確認する声を張りながら、司は平然としている。

 明鈴で唯一のキャッチャーということもあり出場を続けている司。いやらしいリードも持ち味で、今はバッティングも成長しているため起用することに躊躇はない。

 ただ、キャッチング、スローイングも成長を続けているとはいえ、まだまだ未熟……言ってしまえば普通だ。

 それでも強豪・皇桜学園の切り込み隊長……盗塁の上手い一番の早瀬と渡り合っていた。

 純粋な肩の強さは強豪にも勝るとも劣らないということなのだ。


 夜狐も決して足が遅いわけではない。むしろ初心者ながら信頼を勝ち得るほどの運動神経を考えれば十分に速い方だ。そして今の打球で三塁に向かうほどの走塁センスもある。

 これだけ条件が揃っていてもなお、司の肩は圧倒的だったのだ。


 いきなりチャンスという場面のはずが一転、ツーアウトランナー一塁となった鳳凰打線。

 しかし、現状……引退した三年生を除けば、この合宿で恐らく一番厄介な選手がそこにいた。


 四番に入る白坂伊奈梨だ。


 伊奈梨は中学時代、硬式とはいえ中学校の野球部に所属しながらも日本代表に選ばれた唯一の選手だ。

 通常であれば代表に選ばれるのはシニア出身かガールズ出身の選手が多い。それはそれだけレベルの高い野球をしているからだ。

 そして伊奈梨の中学校は無名も無名。全国出場すら果たしていない。

 それでも代表選考の目に留まったのは、地区予選で放った伊奈梨のフォークにある。

 伊奈梨のフォークはキャッチャーが捕れないほど鋭く落ちる。地区予選でも三振を奪いたい場面で数度投げたくらいだが、いずれもキャッチャーは後逸し、振り逃げとなっていた。

 つまり、三年間共にした部員すら捕れないほどの球だということだ。

 巧は噂程度にしか聞いたことがなかったが、それが代表選出された理由らしい。


 ただ、野手としても頭ひとつ抜けているのが、この伊奈梨だ。

 代表候補として選出された当初はピッチャーとしての期待が大きかった伊奈梨だが、紅白戦では九番ピッチャー、もしくはライトとして登場すると、四試合で十二打数八安打二本塁打と上々の成績を残して日本代表に選出された。

 そして始まった代表戦では、七番打者としてピッチャーやライトに入り、最終的には三番を打つまでに評価を集めた。

 ピッチャーとしては二試合に登板して計八イニングを一失点。二十四個のアウト中、十個が三振だった。

 バッターとしては八試合中、七試合に出場した二十三打数十一安打二本塁打と活躍した。

 その年は奇しくも二位に終わったが、順当に注目を選手とは違い、想像以上の結果を残したのだ。

 控えピッチャーの予定だったはずが、大会が終わる頃にはエース格、そしてチームの中核となるバッターともなっていた。


 ゴールデンウィークでの合宿、その時に鳳凰から参加したのは楓と夜狐だけだったが、合宿が始まる前は『二、三人が参加する』と曖昧に伝えられていた。その来なかった一人は恐らく伊奈梨であり、神代先生が鳳凰を合宿に誘った理由だろう。


 そんな注目すべき選手……伊奈梨は一振りで決めた。


 外角低めいっぱい。ピッチャーの煌がコースギリギリに決めた会心の一球は、無常にもバックスクリーンへと運ばれていった。

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