前のエピソード――第30話　対戦と再燃　選抜vs光陵

　三者凡退に終わった七回表。

　巧は三振に終わったが、その反面さらに熱が盛り上がっていた。

　そして最後、七回裏の光陵の攻撃は、八番の松永春海から始まる攻撃だ。

　光陵にとっては悪くない打順。五対二と三点差が開いている場面で足の速く出塁に期待できる春海が先頭打者というのは選抜メンバーにとっては戦いにくいとも言えた。

　その後の打者も、九番に護と強打の二番と考えるとありえない打順でもなく、一番の咲良は三番を打つこともあるバッターだ。二番の奏は長打はあまり期待できないものの、県大会でも二番を多く打っていた巧打者で、三番の流と四番の琥珀はもちろん強打者だ。

　同点のツーアウト満塁という場面まで考えれば七番の魁まで回り、そこまでは回らないにしても六番の沙織も長打に期待ができる。五番の未奈胡も巧打者のため、ランナーを返すという点においては十分な力を持っていた。

　つまり、どのバッターを置いたとしてもこわい打線と言えた。

　そしてその打線に対するのは、この回マウンドに上がる夜空だった。

　セカンドを守っていた夜空が登板することで、守備位置は代わり、サードだった琉華がセカンドに入り、ピッチャーだった晴がサードに入った。

　琉華はこの試合のほとんどでサードに入っていたが、メインポジションはセカンドだ。そのため、夜空を優先してセカンドに入れていたが、夜空がマウンドに上がったこのタイミングでセカンドに回った。

　どうあがいてもこの光陵の攻撃が終われば試合が終わる。三点差という大きそうで小さな差は、決して油断のできない点差だ。一つのミスが大きな失点に繋がることもあるため、最後の一つのアウトを奪い切るまでは一切気を抜いてはいけない。

「あと三つ、しっかり守っていきましょう」

　アウトをあと三つ奪えば試合はそこで終わる。

　高揚する気持ちを抑え、巧は冷静を装いながら守備陣の全員に声をかけていた。

　七回裏の光陵の攻撃。先頭打者は春海だ。

　その春海に対しての初球、夜空はまず食い込むような内角を投じた。

「ストライク！」

　初球から変化球。しかとボールゾーンからストライクゾーンへと変化するシュートだ。

　余裕を持たせたコースだが、流石に最終回に点を追いかける場面での先頭打者ということもあり、春海は手を出してこなかった。

　しかし二球目、今度は手を出してくる。

「ストライク！」

　外角への伸びのあるストレートに春海のバットは空を切る。

　春海のスイングは『狙っていた』というスイングだったが、目測を誤った故の空振りだ。

　淡々と追い込んでツーストライク。夜空はじっくりと攻める……ということはせず、積極的に打ち取りにいった。

「ファウルボール！」

　三球目は縦に割れるスライダーを外角へ。追い込まれている春海としては、とにかく当てにいったというバッティングだ。

　四球目、今度も外角への球を夜空は投じる。

　力強いストレートだが、その球を春海のバットは捉えた。

「サード！」

　強い打球はサードの晴の正面。晴は難なく打球を捌き、一塁へと送球する。

「アウト！」

　余裕も持たせた送球だが、バッターランナーの春海は一塁のかなり手前でアウトの宣告をされていた。

　春海は足が速いとはいえ、サード正面への強い当たりにサードの晴は肩が強いため、内野安打となる余地はなく終わる。

　トントン拍子で一つのアウトを奪い、次のバッターを打席に迎える。九番に入る護は強打が持ち味で、単打を狙う足の速い春海とは全く違うタイプのバッターだ。

　春海が出塁してジワジワとピッチャーを追い詰めるバッターと言うならば、護は一撃でピッチャーを崩すバッターだ。

　どちらも厄介と言え、ノーアウトであれば春海が出塁することが当然嫌で、ワンアウトとなった今は大きい一発の方が嫌だ。ただの出塁であればゲッツーだって狙えるからだ。

　夜空は護へと初球を投じる。その球は外角に構えたキャッチャーの榛名さんのミットへと突き進み、護はその球に合わせるようにしてバットを振る。

　しかし、護のバットは空を切った。

「ストライク！」

　初球から応戦した護だったが、スイングの直前に球は滑らかに縦に大きく変化し、バットは空を切る。

　お互いに初球から真っ向勝負。アウトカウントが増えて選抜メンバー側が有利となったことで、護はプレッシャーをかけてきた。それでも夜空は一歩も引く様子はない。

　二球目も夜空は勝負を仕掛けた。

　今度は内側の球だが、バッターの手元で僅かに変化する。しかし、護のバットはその球を捉える。

「ショート！」

　三遊間への強い打球に、構えていた巧は素早く飛びついた。同時にサードの晴も飛びつくが、二人のグラブは打球へと追い付かない。内野を抜けた打球は、レフトの秀の足元へと転がった。

　強く綺麗なレフト前ヒット。打ったのはカットボールだが、護はその球を読んでいたようなスイングだった。

　ただ、読んでいたとはいえ強打の護が強く低い打球ということは、目測を見誤ったということ。ランナーは一塁と出塁を許したが、長打とならなかっただけ幾分かマシだ。

　そして、ランナーが一塁ということはゲッツーが狙える。しかし、ゲッツーを狙う守備陣系となったことによって、一二塁間、三遊間がともに開いた。ショートの巧とセカンドの琉華が二塁に入りやすいようにするためだが、そこに隙を与えてしまった。

　ここで打席を迎えるのは、一番に戻って咲良だ。三番に入ることもある咲良は、ワンアウト一塁という状況は何度も経験しているだろう。そうでなくとも、一発の可能性が否定できない上に長打も秘めている咲良は脅威だ。

　ゴロとなればゲッツーとはいえ、内野を抜ければチャンスが確実に作れる場面。ゲッツーの次に欲しい打球というのはフライだ。そうすればファーストランナーの護は動くことができない。

　それを理解している夜空と榛名さんは初球から高めの球で咲良に投げ込んだ。

　しかし……、

「ボール」

　際どい外角高めのコースへのストレートは僅かに外れる。

　二球目も高め……今度は内角の球だが、その球も僅かに高く外れ、ボールとなった。

　フライが欲しいとはいえ、長打となりやすい高め。そのためにいつも以上に際どいコースを攻めたが故に外れてしまった。悔しい結果ではあるが、勝負した上での球のため仕方がないとも言える。

　ツーボールと余裕のなくなった夜空と榛名さんのバッテリーは方針を切り替える。

　三球目には低めのシュートが決まり、ワンストライクを確保した。

　ただ、ツーボールワンストライクと咲良が打ちに行きやすい状況は変わらない。

　榛名さんは引っ掛けさせるつもりで内角低めへとミットを構え、夜空はそのコースへと思い切り腕を振り、投げ切った。

　しかし、その球は榛名さんのミットに収まらなかった。

「デッドボール！」

　夜空は内角を意識するあまり、内角に投げすぎる失投となった。

　それでも、速い球ではあったが、咲良は持ち前の反射神経を活かして比較的痛みの少ないお尻に当てた。……それでも十分痛いだろうが。

　咲良はそのまま一塁へと向かうが、足取りはやや重い。重大な怪我というわけでもなさそうだが、デッドボール直後は当然痛みもある。

　そして、咲良が一塁へと到達した後に、この回ほ先頭打者でアウトとなった春海がベンチから繰り出してきた。

「……臨時代走か」

　巧は臨時代走を見るのは、監督を始めてからは初めてだ。ただ、中学時代は多くの試合をこなしてきたこともあり、数は少ないとはいえ臨時代走の場面は何度か見てきており、知識としては確かにあった。

　臨時代走はデッドボールなどで、治療を目的として一時的に代走が送られるアマチュア野球のルールだ。今回のように回復が見込まれる場合に適用され、普通の代走とは違い、あくまでも交代していない扱いだ。春海がファーストランナーだが、咲良がファーストランナーという扱いとなるため、影武者という表現がわかりやすいだろう。

　そして、臨時代走は誰でも良いというわけではなく、直前の打順に入っている選手が送られる。今回は護が出塁しているため、その前の春海が出てきたということだ。

　この試合は延長もなく、光陵が逆転した場合も咲良が打席に立つことはないため普通に代走を送ってもチーム状況として問題はないが、他の選手が打席中に怪我をして、残っている冴島琴乃が代打として送られる可能性もる。臨時代打というものはないため、選手を残しておくに越したことはない。

　それに加えて、ルールに則った上でより足の速い選手を塁に置きたかったという神代先生の策だ。咲良も走れないことはないだろうから出す必要もないが、念のためということもあり、そして春海を塁に出したいという理由もある。

　同じ状況であれば、ほとんどのチームが同じ策を取る。巧だってそうする。

　ただ、打ち取ったはずの春海がファーストランナーとはいえ、出塁を許したというのは選抜メンバーにとって脅威だ。

　そして、打席には二番の奏を迎える。

　ピンチのこの場面、この奏の打席で試合が振り出しに戻る可能性も秘めていた。