第9話 夏合宿開始!

 合宿初日。

 何が大変かというのは、一番は交通面だった。

 約六時間ほどバスに揺られ、乗り物酔いと戦いながら移動する。正確にはバスに乗っている時間は四時間にも満たないのだが、運転手の美雪先生の負担や、乗っている選手たちの負担も考えてこまめに休憩を入れたため、六時間ほどの時間をかけて移動した。


 移動の途中で、「あと誰か一人と交代で運転するか、次は電車がいい……」と美雪先生は嘆いていた。車を運転しない巧にはわからないが、長時間の運転はきついというのが伝わった。

 ただ、今回は予算の都合もあって学校のバスを借りて移動するのが安上がりだったのだ。


 以前の合宿では、明鈴は三重で水色は愛知と近いため電車移動でも問題がなく、光陵は鳳凰の二人とともに電車移動だ。光陵は甲子園に出場するために女子野球部に力を入れていることもあり、実際に甲子園に出場をしているため資金も潤沢だ。

 ただ、明鈴と水色はそうではない。

 明鈴も水色も今年は甲子園を狙える位置にいたとはいえ、学校自体が女子野球部に力を入れているわけでもなく、資金も多くはない。そのため、両校はバス移動となっている。

 また、鳳凰も今年の成績が悪かったとはいえ、強豪の記憶も新しく、比較的女子野球部は優遇されている。ただ、今後のことを考えてバス移動らしいが、こちらは四時間程度ということと、監督とは別に顧問も付いているようで、二人体制となれば運転の負担も比較的少ないためバス移動にしているようだ。


 選手であれば部内にかかるお金というものはあまり気にしてこないが、巧は美雪先生から多少なりとも聞かされている。

 一生徒である巧では把握しきれないことではあるため、流石に管理は美雪先生だが、部内の設備を充実させるためには美雪先生よりも巧の方が知識が豊富ということもあり、ざっくりとした予算や残金なども聞かされていた。


 遠征というのはお金がかかる。ただ、その分選手の力にもなる。

 シニアで長時間移動に慣れているとはいえ、やはり六時間もバスに乗っているのはしんどい。それでも、部員のためにしてくれている美雪先生のことを考え、巧は黙ってバスに揺られていた。


 そして光陵に着くと、すでに水色も鳳凰も到着していた。

 水色は遠いため、明鈴よりも余裕を持って出発しており、鳳凰は三校の中でも一番近いため、その分遅めに出ても早く着いたのだ。


「とりあえず案内してもらって、荷物下ろすぞ。それから光陵の人の指示に従ってくれ」


 今回の合宿の主導も神代先生だ。

 遠征の負担を考えて初日は軽めの練習、二日目に練習試合だ。

 具体的な練習内容については神代先生が決めていることと、そもそも光陵での勝手はわからないため、光陵の人の指示に従うしかなかった。


 そして、その光陵の中で案内してくれるのが……、


「長旅お疲れ様です。案内するので、こちらにどうぞ」


 琥珀だった。


「巧くんは私が案内するね」


 光陵では明鈴での合宿と同じように、学校の宿泊施設を使わせてもらう。そして明鈴の女子野球部一行を案内するのは琥珀だが、巧だけは男子のためまた別室だ。

 その巧を案内するのは、光陵で唯一の三年生である柳瀬実里だ。


「お願いします」


 巧は実里に着いていき、荷物を下ろす。

 その間は多少会話をし、県大会での試合がどうだったか、チームの調子がどうだとかそんな話だ。

 ただ、それも長い時間ではないため、簡単な話だけとなった。


 準備を済ませてグラウンドに向かうと、すでに他の三校は準備を整えており、雑談をしている最中だ。

 鳳凰に関しては楓と夜狐以外は初めて見る顔だが、それでも合宿メンバーとの会話している様子が見えるため、すでに馴染み始めているのだろう。


 巧は一人だったため、すぐに準備を整えられたが、部員たちはもう少し時間がかかりそうだ。

 そのため、美雪先生を含めて監督たちが雑談する輪に入っていった。


「神代さん、お久しぶりです。今回の合宿はお呼びいただいてありがとうございます」


「おー、巧、久しぶり。……って言っても電話で話してるけど。まあ、そんなに堅くならなくてもいいよ」


 巧以外は全員大人で、年上だ。

 それでも神代先生は、あくまでも監督として接してくれていた。


「巧、こっちが鳳凰の監督、久世琉華だ。……琉華は知ってると思うけど、こっちが明鈴の監督の藤崎巧」


「藤崎巧です。よろしくお願いします」


「あの有名な藤崎くんかー。久世琉華です、よろしく」


 監督の中でも一人初対面の女性、鳳凰寺院学園の監督は久世琉華という人だ。

 その琉華は巧のことを知っている様子だ。


「俺のこと、知っているんですか?」


「そりゃねー。野球やってたら大半の人は知ってるよ。私、鳳凰のOGで、去年まで鳳凰で野球してた十八歳だから、監督の中だと藤崎くんと年齢近いね」


 水色の佐伯先生も初対面から巧のことを知っていたため、巧は自分が思っている以上に有名なようだ。


 十八歳ということは、巧はすでに誕生日を迎えており十六歳のため二つ、学年で言えば三つ年上だ。

 琉華は去年まで鳳凰にいたと言ったが、それは甲子園も経験しているということ。年齢は近くとも、高校野球の経験は琉華の方が三年も長い。


 そして琉華は監督になった経緯を話し始める。


「独立リーグで野球してたんだけど、元々指導者に興味があって、ちょうど声かけてもらったから監督をさせてもらってるんだ。まあ、鳳凰の事情は多少知ってると思うけど、去年まで監督してたのが私の姉さんだったから、私に真っ先に白羽の矢が立ったって感じ。……ってごめん、聞かれてないのに色々話して」


「いえ、俺も気になっていたので」


 この場で琉華に教えてもらわなければ、どこかのタイミングで楓にでも聞いていたかもしれない。

 無理に聞くことはしないが、やはり気になるところではあったため、話してくれたことはありがたい。


 それにしても、琉華の姉が元々の鳳凰の監督だったということは、姉の監督の元で琉華は選手としてプレーしていたことになる。来年にまつりが入部すれば、明鈴も似た状態になるだろう。

 そして、姉の話を聞いているのであれば、監督という立場においても巧よりも知識がありそうだ。一番若輩者は巧となるため、勉強させてもらうことも多く、この合宿は選手だけでなく巧も監督たちの考えを吸収できる場だ。


 巧と琉華で話をしていると、もう一人初対面の若い女性がこの会話に割って入る。


「ちょっと、琉華。私の紹介がまだなんだけど」


「あ、奈緒ちゃん、ごめん。……藤崎くん、この人は桜井奈緒先生。私は一応外部の人間になるし、責任教諭……まあざっくりと言うと、顧問をしてくれてる人」


 琉華はそう言った後、その桜井先生に、「この人は藤崎巧くん。前教えたすごい人」とざっくりとした説明をした。一応以前に話はしていたようで、桜井先生はそれで納得していた。


「奈緒ちゃんは私が三年生の時に新任で来たから……今年で二十四歳だっけ?」


「うん、そうなるね」


 桜井先生は若く見えたが、生徒目線で言うとかなり年齢の近い先生になる。ただ、それでも八歳も違うため、巧は自分がまだ子供なのだと言うことを実感する。


「いやぁ、私たちもまだ若いつもりだったけど、もうおばさんだなぁ」


「そうですね。ただ、若い世代が頑張ってくれるのも、楽しみな限りですよ」


 神代先生と佐伯先生はしみじみとそう言った。


「私なんか、来年には三十歳ですよ。それでも教員の中ではまだ若造ですが」


 佐伯先生は続けてそう言う。来年が三十歳ということは、今年は二十九歳。若くは見えたが、落ち着いた雰囲気からもう少し年上だと思っていた。

 以前の合宿から気になっていた佐伯先生の年齢を、今ここで知ることとなった。


「……っと。そろそろ私たちも準備しないと」


 神代先生がそう言いながら視線を向けた先には、準備を終えた明鈴の選手たちがグラウンドにゾロゾロと向かってくる途中だった。




 明鈴の選手たちが集合し、各校の全選手が集まると合宿が始まる。


 鳳凰は戻ってきた選手を含めて十二人と少なめだ。本来であれば少なくても二、三十人はいてもおかしくないほどの強豪だったが、そもそも去年の秋に監督が変わったことで入学しなかった人がいたため例年よりも少なく、新監督に耐えきれずに転校した人やクラブチームに入った人もいたらしい。

 クラブチームに入った人も、先輩でOGに当たる琉華がまだ若いこともあって、監督として信用し切れていない部分もあって戻ってこなかった人もいるらしい。

 強豪校という記憶が新しいのにも関わらずに部員数が少ない。琉華にとっては前途多難だ。

 ただ、それでも強豪校に来るような連中ということもあり、個人個人の能力が低いわけもないだろう。


 鳳凰を含め、選手だけでも六十名以上が集まっている。

 そんな全員が集まる中、監督たちは挨拶を済ませる。鳳凰は楓と夜狐以外は初対面ということもあり、改めて名乗り直した。


 そして、神代先生は改めて円陣の中心に立つと、話し始めた。


「改めて、長旅お疲れ様。今日の練習は各校監督から聞いていたと思うけど、軽めの練習になります。アップとキャッチボールをしてから、ティーバッティングとノックで分かれます。……ただ、これは夕方くらいに始めます」


 現在は十二時過ぎ。夕方から練習を始めるとなると、だいぶ時間がある。

 神代先生に言われたため、あらかじめ昼食は移動中にサービスエリアで摂ってあった。てっきりすぐに練習を始めるためかと思っていたが、そうでもないらしい。


 そして、次に神代先生の口から聞かされたのは、思いもよらぬことだった。


「今から、光陵対選抜メンバーで試合をします」

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