第7話 休息と受難

「はぁ……」


 巧はベンチに座り溜息をつく。

 今日はまつりとつばめちゃんとの練習のはずだった。


 はずだったのだ。


「はぁ……」


 ベンチで隣に座る明音は溜息をついた。


 今日はまつりとつばめちゃんとの練習のはずだった。それなのに、何故か明音がここにいた。


「お兄ちゃんー! 明音ちゃんー! そろそろ始めよー!」


 キャッチボールをしていたまつりは手を止めると、元気よく巧たちの方に声をかける。

 そんなまつりに巧は追い払うような仕草を見せると、「ちぇーっ」と言いながらつばめちゃんとキャッチボールを続けた。


「……なんかすまんな」


「いや、大丈夫……」


 元凶の二人は楽しそうにキャッチボールをしているが、巧と明音はテンション低めにそれを眺めていた。

 ……正確にはテンションが低いのは明音で、その気持ちを察して巧も合わせている形だ。


 その理由は、今の明音がスウェット姿ということにあった。




 まつりとつばめちゃんとの練習場所は、以前司が落ち込んだ際に、巧と司と明音の三人でキャッチボールをしながら話した河川敷だった。

 専用予約が入っている時間以外は基本的に誰が使ってもいいため、一番都合の良い場所だった。

 ただ、他の人が来ればその分練習しにくくなることもあり、試合形式で野球をするわけでもない巧たちはあまり人が来ないソフトボール場の方で練習を行っていた。


 午前中、巧はまつりとつばめちゃんにノックをした。最初は軽く状態を確認するものだが、段々と鋭く、捕れるかギリギリのところを狙う。

 そしてしばらくするとちょうど昼時になり、盛り上がっていたノックを中断して昼食を摂っていた。


「巧くん! どうでしたか?」


 つばめちゃんは昼食中、ノックを見て守備がどうだったかを巧に尋ねる。


「シニアの試合見た時から思ってたけど、やっぱり上手いな。際どいところも捕れるし、あとは動き出しがもっと早くなれば守備範囲も広がりそうだ」


 その巧の言葉につばめちゃんは「むむむ……」とやや悔しそうだ。

 上手いことには間違いないが、動き出しがやや物足りない。

 それもそのはず、つばめちゃんはセカンドで、セカンドとなれば比較対象は夜空や鈴里となる。二人の守備は県内トップクラスのため、そこと比較すれば中学生のつばめちゃんが見劣りするのは当然だ。

 ただ、相当上手いのは事実。物足りないところと言えば、動き出しの早さだろう。そう思い巧は正直に話した。


「お兄ちゃん! 私は?」


「まつりはとりあえず球際が弱いからそこだよな」


「ガーン」


 まつりはわざとらしくショックを口に出した。

 妹ということで厳しいことを言ったが、まつりも十分に上手い。球際が弱いとは言ったが、それは守備範囲が広いからこそ普通の選手ではヒットとなるところがエラーとなってしまう。

 その点を修正できれば、県内トップクラスの守備力となるのは夢ではない。


 そして、そのまつりとポジションが被るのが白雪だ。

 白雪は守備は堅実だが、守備範囲はやや物足りない。ただ、それも上を目指すからこその話で、ショートを守る上では十分な守備力を持っている。

 そして、当てる上手さがあるからこそ、打てるショートという期待込みで不動のショートとして起用していた。


 まつりはバッティングも良いため、大会後にまつりが言っていたように明鈴に入学すれば、まつりか白雪のどちらを使うのかは難しい悩みだ。それはつばめちゃんと鈴里のどちらを使うのか悩むのも同じこと。

 二人とも外野を守れるため、打撃の兼ね合いで考えるが、選択肢が多いに越したことはないと考えて、白雪の外野起用も考えていた。


 妹だから、その友達だからと言って贔屓するつもりはなく、近い関係だからこそ厳しい目で見ている。

 それでも悩んでしまうほど、二人は十分なほどの実力を持っていた。



 昼食を摂り終えると、しばらく休憩してから練習に戻ることになっている。

 もう少ししたら練習を再開しようと思っていた頃、まつりは突然「あっ!」と声を上げた。


「飲み物なくなった……」


 まつりが持って来ていた1リットルの水筒は空になっており、それを示すように水筒を逆さに向けている。数滴ポツポツと落ちるが、それだけでもう残っていない。


 午前中とはいえ今日は暑かった。そしてキツめのノックをしたとなれば汗をかくため、予想以上に水分補給をした。


「おいおい……。つばめちゃんは飲み物大丈夫?」


「うーん……、私もあんまり……」


 つばめちゃんは蓋を外して中を確認しているが、あまり残っていないようだ。

 水筒はまつりのものより少し大きめのため恐らく1.5リットルくらいだろうが、それでも足りなかったのだろう。

 巧は2リットルということと、ノックしていたとはいえ二人に比べると汗はかいていないため余裕はある。

 ただ、それをあげてしまえば足りなくなることと、年頃の女の子が男子の飲みかけのものを飲むというのは、まつりはともかくつばめちゃんは嬉しくないだろう。


「じゃあ、俺がコンビニで買ってくるから、今のうちに準備だけしておいて」


 正直こうなることはある程度予想範囲内だった。というよりも、こうなる可能性は考えていた。

 そのため、水で溶かしてスポーツドリンクにする粉末を持って来てある。


 自販機は近くにあるが、大して遠くもないためコンビニで2リットルペットボトルの水を買った方が安上がりだ。

 ついでにアイスでも買って来てあげようと思い、巧は提案した。


「お兄ちゃんごめんね」


「いいよこれくらい」


「巧くん、ありがとう」


 二人は申し訳なさそうにしているが、大したことではない。


 巧はカバンから財布を取り出すと、自転車に乗ってコンビニへと向かった。




 コンビニまでは往復で十分強。

 ただ、店内で少し涼みながら商品を見て周り、飲み物とアイスを手に取った。


 移動と買い物で約二十分程度の時間をかけて河川敷に戻ると、途中で遠目から三人の人影が見えた。

 二人はまつりとつばめちゃんだが、もう一人は遠くてよく見えない。

 河川敷に降りるために坂を下り、自転車を止めてグラウンドに向かう。三人は談笑しているため、恐らく知り合いなのだろう。


 邪魔をしては悪いと思い、巧は声をかけずに荷物が置いてあるベンチ付近に向かう。

 しかし、その様子にまつりが気がついた。


「あ、お兄ちゃんおかえり!」


 そう言いながらまつりは手を振る。

 その声と同時に、もう一人がこちらを向き、巧と目が合った。


 ……明音だ。


 その明音は今まで私服で会った時とは違い、化粧をしておらず、髪は一つにまとめており、服は半袖半ズボンのスウェットとラフな格好をしていた。

 恐らく寝巻きではないと思うが、寝巻きでもおかしくないというような格好。


「お、明音?」


 知り合いだったことに安心をし、巧は声をかけるが、まるで時が止まっているかのように明音は固まっており反応はない。

 そして二、三秒程度動かなかった明音は突然走り出した。それは巧が来た方向へだ。


「つばめちゃん!」


「おうよ!」


 明音が走り出した途端にまつりが声を上げると、つばめちゃんは俊敏な動きで明音を追いかける。

 明音は恐らく自分が乗って来たであろう自転車に跨ろうとするが、その直前でつばめちゃんに捕まった。

 そして、観念したようにそのまま引きずられ、巧の前に立たされた。


「明音ちゃん、どうして逃げるのさ」


 つばめちゃんはわざとらしく怒ったようにそう言う。

 それに対して明音は小さな声で、「同級生の男子にこんな格好見られたいわけないじゃん」と言う。小さな声ではあったが聞き取れてしまった。


 まつりとつばめちゃんは練習用のユニフォーム姿だ。そして巧は比較的ラフではあるが、練習に適したジャージだ。

 恐らく、そのギャップと異性には見られたくない格好をして来たことで、恥ずかしくなって逃げ出したのだ。


「俺は別に気にしないけど……」


「私が気にするの!」


 巧が言いかけた言葉を遮るように、明音は怒り気味でそう言った。やや涙目になっている。

 確かに見られたくないかもしれない。格好自体は軽くキャッチボールをするくらいなら適した格好と言えるが、ちょっと外に出るために寝巻きのまま出てきた格好と言ってもおかしくはない姿だった。


「と、とりあえず落ち着け」


 巧は買ってきたアイスを出す。まつりとつばめちゃんの分は適当にサッパリとした一人で食べるものを買ってきたが、幸い巧が自分用で買ったのは二人で分けられるチョコレートのアイスだ。

 まつりとつばめちゃんには「向こうで食ってこい」と言いながらアイスの入った袋を渡す。

 そして巧は自分の分の半分を渡し、明音を座らせた。


 無言でアイスを食べ、食べ終えてからも無言が続く。

 しばらくするとまつりとつばめちゃんはキャッチボールを始めた。

 そして、まつりは能天気に「お兄ちゃんー! 明音ちゃんー!そろそろ始めよー!」と言ってきたため、巧は手でそれを払い除ける。


「……なんかすまんな」


「いや、大丈夫……」


 そう言った明音の表情と声は大丈夫ではなかった。

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