一夜の思い出

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一夜の思い出

眠くなる瞬間を待ちながらスマホを触っているのは、本当は眠りたくないサインなのかもしれなかった。

時計を見れば午後10時過ぎ。バイトが終わって帰宅後、ずっとこんな調子だ。

これで疲れていればすぐに布団に潜り込んで、あっという間に朝を迎えられるのだが、そういう時に限って客はまばらだった。立っているだけと手を動かしている時、どちらが長かったのか、今日は明白だ。

明日は日曜日。特に予定は無し。であれば早く寝る義務もない。

一人暮らしの決まりきった家事をローテーションの如く淡々と終え、いまはベッドの側面に背中を預けている。

目の前のテレビはすぐに消してしまった。退屈を紛らわせるほどの素晴らしい番組は、この時間にはもうやっていない。


SNSに拡がる真偽混じりのネットニュースを目で流していた時、その通知はやってきた。

「今から新宿きて」

「たのむ」

それは友達の、ミナコからのメッセージだった。アプリを開かなくても、通知だけで読み終えられる短い言葉。

相変わらずだ。彼女は唐突にこういう連絡を入れてくる。

彼女が遊びたい時は大体こうだ。脈絡なく、突然に。

しかしこっちとしては迷惑でもない。暇なときは「イイよ」と言って楽しめるし、バイトの時間と被っていて断りの返事を入れた時は「そっか、ごめんね!」とすぐに流してくれる。

そして今日は、いまこの瞬間は、彼女からのメッセージを私は待ち望んでいたのかもしれない。

「りょりょりょ」

「あり」

合言葉のようなやり取りに思わず口角が崩れる。

外は寒いが、乗り切れそうだ。


人の少ない電車に揺られて、歩いて、約30分。

乗ってる間に彼女から来た追加の連絡。待ち合わせの場所は駅から少し離れた映画館だった。

まさか、こんな時間から何か観たいのか? レイトショーはそりゃ安いけども。

近づくにつれて恐る恐るになってた私の心を晴らしたのは、映画館の前で手を犬の尻尾のように振るミナコの姿だった。

手を振って、踵を浮かせて、小刻みに上下する。なんだお前は、本当に。

「突然すまん」

「どしたの」

「いやー、ちょっと、見張りをね、見張りをして欲しくて……」

急に頭が重くなったと錯覚してしまうほど、私は首を傾げていたかもしれない。

敵の襲撃にでもあっているのか、という妄想まで湧き出てきた。思わず「どゆことよ」と口から出てしまう。

「来ればわかるよ」

と言って彼女は映画館の入り口の自動ドアを通ってゆく。そう言われた以上、ついていくしかない。

何かの戦いの予感を抱きながら後に続くと、彼女はすぐに立ち止まった。

それで私も理解した。


映画館の1階は広いロビーになっている。

ここから更にエスカレーターに乗って2階へ行くと、チケットカウンターが待っている。

ミナコの目的は、1階ロビーに設置された巨大POPだった。

公開前の新作映画の宣伝用に作られた、記念撮影用のブース。

建てられた大きな紙には、コートを着込んだ若い男性が印刷されている。

紅葉に染まる樹の下、ベンチに座って本を読んでいる姿を捉えていた。

その彼を、ミナコはスマホで撮りまくっていた。様々な角度で。

私は周囲を気にしながら、彼女のアグレッシブな撮影風景を横目で見ていた。

そういえば彼は、ミナコが前から好きだと言っていた俳優だった。

ネットニュースで初主演作の映画が公開するとかなんとか、流し目で見かけた記憶が私の中で急に甦る。

これを撮りたかったのだ、彼女は。


私は一応、質問することにした。

「それ夜じゃないと出来ないの?」

「昼は人多くて、恥ずかしいし」

その自覚はあるのか。ミナコの答えには心の中で突っ込むしかない。言うと拗ねそうだ。

これの見張りを頼まれた時に気持ちが腐っていたら、さすがに私も怒っていたかもしれない。

しかしいまは、別にそんな心境にはならなかった。

映画館のロビーは温かいから苦行ではないし、ミナコの思惑通り、他のお客もいないから見張りの仕事は楽だし。

何より決して読み終わらない本を読んでいる彼を前に、一人で激しく動くミナコを見るのは退屈しない。

「なんでそんな、色んな方向から撮るの?」

「いや、少しでもさ、三次元化しないかなと」

「立体視狙ってんの、それ」

実際にこの人が紙から飛び出して来たら、卒倒するんじゃないだろうか。卒倒したいのかもしれない。


「よし、じゃあ、仕上げで……頼んます」

と言ってミナコが渡してきたスマホを受け取りつつ、またも私に疑問が襲いかかる。

「……何してほしいの?」

ミナコは答えないまま写真の男性に近づき、彼の隣でピースをした。なんてこった。

私はミナコと彼から少し距離を取りつつ向かい合った。そしてスマホを構える。画面はすでにカメラモードだ。

画面の中で、ベンチに座って本を読む彼。その左隣、空いた場所に立つミナコ。

なぜか、二人の心がすれ違っている印象を私は抱いた。

おい、お前、こっち向けよ。本読むの止めて一緒に撮ったれや。

しかしあいつは顔を上げない。そんなに面白いのか、その本。全然読んでないじゃんかよ。


「どうかした?」

ミナコの疑問符が健気だった。それに報いたい、と思った時に、妙案がひらめく。

「ピースよりさ、読んでる本、のぞき込む感じにしたら」

「え?」

「実在感、実在感。実在感は大事だし」

最初は首を傾げたミナコは、次第に考えている表情になり、ゆっくりと首を動かした。

少し首を伸ばし、ちょっと斜めにして、隣の彼が読む本を読もうとする姿になる。

それで私は満足した。

「じゃ、撮るよ」

「待って!」

撮影を制止したミナコが、思ってもみない行動に出た。

ゆっくりと、腰を、落としたのだ。

彼女はジーンズを履いていたが、その青色の両脚が小刻みに震えた。

まるで本当にベンチがあり、そこに座っているかの状態を作ろうとしている。

そしてその態勢を維持したまま、彼女は本をのぞき込む。

更に、カメラに向かって、ピースを向けた。

全てが、彼女を中心とした全てが、静かに震えていた。

「は、はやく……」

必死そうな彼女の一言に、ようやく私は我に返る。

そして、そういうつもりは無かったのに思わず、私は彼女と彼の日常風景を連写した。

もう二度と訪れないこの瞬間を、逃さないために。


「こりゃ流出したら、とんでもないね」

嬉々とした表情でミナコはスマホの画面を見ている。

もう片方の手でスプーンを持ち、目の前のパフェを食べている。

こんな夜中にそんな甘いものを食べることに驚愕したが、新しい一面を見て得した気分もあった。


撮影直後と上映終了が被ったのか、映画館を出ようとする客が見え始め、私たちはその場から逃走した。

冷たい風を突っ切って逃げ込んだファミレスの、テーブル席の固いソファに背中を預け、ほっとする。

私はドリンクバーだけを頼んで温かいコーヒーを啜っていた。


今日は、これで終わりか。あっという間で、また帰宅。すぐに寝れるだろうか。

「今日は、本当にありがとね」

いつの間にかボーっとしてたところ、その言葉で私はハッとした。

ミナコはこっちを見て笑っていた。喜びが滲み出ていた。

「……次は、目的を言ってよ、頼むから」

「了解です!」



引っ越して三年経てば、部屋が自分に馴染んだ気がした。

そうなると、仕事終わりに帰宅してもそれほど寂しい気持ちは襲ってこない。

なんだか自分の感覚が身体以上に広くなったような感じがするからかもしれない。

風呂に入って着替え終わってテレビをつけたら、見覚えのある男性が登場した。

夜のニュースでやることか? という印象に歯向かうように、彼の結婚報道は続いている。


そんな時、ミナコのことを思い出した。

もうどれくらい経っただろう。いつの間にか連絡しなくなっていた。

お互いに就職して、しばらくやり取りはしてて、どこで縁が切れたのか。

自分が原因なのかどうかすら覚えていない。向こうから来ないってことは、そうなのかも。

彼女はこのニュースを知っているんだろうか。どう感じたのだろうか。

そう思ったって、タイミング良く連絡は、来ない。


あの時のあいつ、冷たかったな。本ばっか読んでさ。

何読んでるのか、気になって中を覗き込んだよね。え、違う?

あれ、結局何をそんなに大事に読んでたの。

頭の中で久しぶりの会話劇を繰り広げたところで、時間は何も進んじゃいなかった。


「結婚したね、あいつ」

向こうがアプリを開かなくてもいいぐらいの短い言葉を、私は送信する。

こんな夜中に迷惑だと気付いて、すぐにアプリを閉じてスマホを机に置く。

静寂を保った機械をしばらく見つめ、私は背中を向けた。


明日も早い。そろそろ寝よう。

テレビを消そう。――私はスマホを手に取った。

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