№98・追憶のキネマ・4

 その翌日。雨上がりの朝日が差し込む窓辺を眺めながら、南野ははだかで眠るメルランスの白い素肌に毛布を掛け直した。ほどけた長い金髪が陽光を浴びてきらきらと輝いている。こんな風に彼女を作ってくれた『緑の魔女』に感謝さえした。


「……ん、ん……」


「あ、すみません、起こしてしまいましたか?」


 身じろぎするメルランスは目覚める一歩手前らしい。まだ目が起きていない。


 しばらくの間ぼーっと南野を眺めて、それからようやく昨日のことを思い出したらしい。一気に耳まで真っ赤になると、そのまま毛布をかぶって背中を向けてしまった。


「大丈夫ですか? どこか痛いところは?」


 そんな様子を微笑ましく眺めながら、南野はメルランスの体調を気遣った。


「……ん、だいじょぶ……ちょっとこわかったけど……」


 ごく小さな声で答えるメルランスは、虚勢を張っている様子もない。本当に問題はないのだろう。


 後ろから抱き寄せて頭をなでる。金髪をすくように撫でていると、おずおずと方向転換したメルランスが胸にすり寄ってくる。


 なんだか、なつかない野生生物がなついたような、そんなうれしい気持ちになった。


 頭をなで続けながら、南野は感慨深い思いだった。


 ついに一線を越えてしまったわけだが、後悔はない。むしろ、今までもだもだしていたのがバカらしく感じられた。彼女のことをずっと待たせてしまったわけなので、申し訳ない気持ちさえした。


 最初はただの旅の同伴者だった。しかし仲間としてのきずなを育て、いつしかそれ以上の感情を抱くようになった。嫉妬、独占欲、執着……恋とはきれいごとばかりではないが、少なくともこれは恋だ。


 南野にしてみればほぼほぼ初恋だった。


「……ごめんね、詐欺レーズンパンで……」


 蚊の鳴くような声で言うメルランスのからだを、南野はぎゅっと抱きしめた。


「むしろ好みです」


「……あんた、やっぱ変わってるね」


「そうですか?」


 今度は空っとぼけているのではなく本心だった。


「そうだよ、こんな跳ねっかえりに……その、ええと……好きだ、とか、愛してる、とか……」


 どんどん耳が赤くなっていく。昨日のことを思い出しているのだろう。


「なにもおかしいことはありませんよ。俺はそんなメルランスさんが好きなんですから」


「あー! もう言わないで!!」


 昨夜飽きるほど聞いた言葉に、メルランスはとうとう毛布を奪って立ち上がってしまった。


「ほら! ちゃんと服着て! 早く下に降りないとあいつらに感づかれるでしょ!」


「はいはい」


 南野も立ち上がり、その辺の床に脱ぎ散らしていた服を黙々と着る。


 着替え終わって階段を降りるとき、メルランスが少しよろけているような気がしたので、手を貸してゆっくり下りていった。


「おはようございます、南野さん!……あ」


 キーシャの言葉がそこで止まった。見れば、メンバーは全員集まっている。


 完全に見られてしまった。そしておそらく感づかれてしまった。


 なにか言おうともごもごしているメルランスが口を開く前に、キーシャがささっと近づいてきて、


「な、なにかあったんですか!?」


 興奮気味に聞いてくる。


「……あの、これはね……?」


 顔を真っ赤にするメルランスに、仲間たちはにやりと顔を見合わせた。


「南野よ、『ルブテンの乙女の花冠』の出番だぞ」


「ちょっ! ぶん殴るよジョン!?!?」


 息まくメルランスだったが、この場面では圧倒的にキリトが優勢だった。にやにや笑ってそんなメルランスに視線を向けるキリト。


「ああ、アレですか。必要ないです、もう処女じゃありませんよ。昨日俺が抱かせてもらいましたから」


「南野ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 悲鳴を上げるメルランスに、べちべち頭をはたかれた。南野にしてみれば事実を述べただけで、なぜ叩かれなければならないのか腑に落ちなかった。


「昨日はあんなにかわいかったのに……」


「回想するな!!」


「ど、どんな風にかわいかったんですか!?」


「キーシャも突っ込まないで!!」


 なんにせよ、いつもの彼女だ。


 壊れたこころは元通りになった。


 大切なひとをこの手で癒すことができたのだ。


「……メルランス」


 『緑の魔女』が一歩、前に出てくる。彼女のことを誰よりも案じていた『緑の魔女』だ、元通りになったメルランスを見て、思うところがあるのだろう。


「見たよ、全部」


 端的に言い切ると、メルランスは頭を下げた。。


「なにも知らないで、ごめん。あたしはちゃんと、あたしだったんだね」


「メルランス……すまなかったの……」


「もういいよ……おかあさん」


 その一言で、『緑の魔女』の両目からぶわっと涙が零れ落ちた。涙腺が決壊したかのような勢いで号泣する『緑の魔女』に釣られて、メルランスも笑顔のまま落涙する。


 ふたりして大泣きしながら笑いあい、抱擁を交わす親子。


「バカだなぁ、こんなことでうじうじしちゃってさ」


「バカもん、妾はお主のように大雑把にはできておらんのじゃ!」


「まあ、あたしもバカだけどね、ひとりでふさぎこんじゃってさ」


「親子じゃもの、似た者同士じゃ」


「どうせ作るんならこのひねくれた性格何とかしてほしかったよ。あともうちょっと胸を何とかしてほしかった!」


「妾は普通に作っただけじゃぞ?」


「ええ、あたしのせい!?」


 抱き合って笑いながらそんな言葉を交わす。メルランスの中で、自分がホムンクルスであるという事実は消化できたようだ。『緑の魔女』ももう負い目に感じることはないだろう。


 親子はやっと和解できた。長年のわだかまりはすっかり消え去ってしまった。


 これで、ふたりは親子としてやっていけるだろう。


 『緑の魔女』が望んだ家族として。


 仲間たちに見守られながら他愛のない、しかし大切な会話をしていると、ふと『緑の魔女』の顔が曇った。


「どうしたんですか?」


「……結界が、破られようとしておる」


 もう『ギロチン・オーケストラ』がこの場所を嗅ぎつけたか。二度目の結界破りだ、一度目よりも早くことが運ぶだろう。


 最終決戦が近づいている。


 この街に『終末の赤子』が顕現しようとしているのだ。


「あとどれくらいもちますか?」


 南野が尋ねると、『緑の魔女』が難しい表情をして答えた。


「……昼過ぎには破られるじゃろう」


「そうですか」


 勝負はそのときに決まる。


 すべてに決着をつける時が来た。


 そのときには、必ずあの『赤の魔女』も引きずり出してやる。


「みなさん、なんとしてでも止めますよ!」


『応!!』


 勢いよく返事をした仲間たちの、なんと頼もしいことか。


 南野は最後の戦いに臨み、改めて自分を鼓舞した。

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