サセコの佐世保さん

飛鳥休暇

「なぁなぁ、佐世保させぼさんってさ、ヤリマンなんだって」


 バイト先の更衣室の中から、そんな声が聞こえてきた。


「えー、マジかよ。あの子ってなんか真面目そうってかオタクっぽいから全然そんな風には見えないけどな」


 おれは更衣室のドアノブに手をかけたまま、彫刻のように固まってしまっている。


「でしょ? おれもそう思ったんだけどさ、なんか友達が言ってたんだよ。酒飲ませたら淫乱になるんだって」


「マジかよ。じゃあ今度ワンチャン誘ってみるかな」


 ギャハハと示し合わせたかのように二人の下品な笑い声が響く。


 おれはいつもより力を込めてドアノブを回した。


「……あ」


 おれの姿を確認すると、中にいた二人は誤魔化すようにわざとらしく咳払いなんかをしていた。


「……お疲れ様です」


「おお、お疲れっすー」


 おれの挨拶に軽い感じで返してくる二人。

 おれと同い年のはずの二人があえてチャラい言葉で返してくるのは、どこかおれよりも立場が上であることを暗に表しているようで不快な気持ちになる。


 分かっている。君たちよりもおれのほうが下だっていうことは。


 一人は髪を明るく染めてちりちりパーマをかけている。どういう神経をしていればそんな乾麺かんめんみたいな髪を頭に乗せられるのかおれには到底理解が出来ない。

 もう一人は両サイドを刈り上げて、それを伸ばした髪で隠しているような髪型をしている。

 隠すくらいなら初めから刈り上げなければいいのにと思ってしまうのは、おれがオシャレにうといからなのか。


 それでも、世間からすれば彼らのほうがイケているという評価になるのだろう。


 ロッカーを開けると、内側に備えつけられている鏡が目に入る。


 機能性だけで選んだ黒縁眼鏡の上に、伸ばしっぱなしにした清潔感のない髪が被さっている。


 我ながらカッコイイとは思えない。思ったことなど一度もない。


 そもそもおれみたいな顔の奴が見た目に多少気を使ったところで、イケメンに対抗できるはずもないのだ。


 背後では乾麺と刈り上げの二人が、先ほどの話の続きだろうか、ひそひそと声を落として何かを言い合っている。


 普段であれば対して気にもならないその行動が、今日はやけに心をざわつかせた。


 理由は分かっている。――佐世保さんの名前が出たからだ。




 佐世保さんはおれと同じくこの回転ずし店でバイトしている女の子だ。


 おれと同じく眼鏡をかけていて、いつも髪の毛を丁寧に後ろでまとめている、イメージ的には図書委員のような子だ。


 物静かではあるが、おれが好きなアニメの話をしても馬鹿にせず静かに話を聞いてくれるような女の子だ。


 そんな彼女がヤリマンだって?


 ふざけるな。


 お前たちの勝手な妄想を、佐世保さんに塗り付けるな。


 心の中で悪態を吐きながら、着替えを終えたおれは未だにひそひそ話をしている二人を背に更衣室を後にした。



 家に帰る道中も、先ほどの二人への怒りが収まらなかった。


 お前らみたいなチャラい奴は、同じく頭が空っぽなケバい女とよろしくやっとけばいいだろ。


 佐世保さんのような純な人に下卑げびた目を向けるなよ。


 心の中で何度も悪態を吐いた。


 そんなことを思うのは、万が一にも彼らが佐世保さんに声を掛けて、万が一にも佐世保さんがその誘いに乗った時のことを想像してしまうからだ。


 万が一にもその場が盛り上がって、万が一にも佐世保さんがあいつらのどちらかに――。



 いいや、やめておこう。


 おれは最悪の想像をかき消すように、大きくその場でかぶりを振った。




 ******



 次々と出てくる成形された酢飯の上にネタを乗せては皿に移す。


 ガラス越しに店内を見れば、ランチタイムを過ぎたせいかまばらにしか客はいなかった。


「落ち着きましたね」


 隣を見ると、佐世保さんが同じように店内を眺めていた。

 おれより頭一つ背の低い佐世保さんは、少しだけ背伸びをしているような格好だ。


「落ち着いたね」


 言葉を返しながらも、酢飯の上にネタを乗せていく。


「あ、河合さんにこの前教えてもらったアニメ、観ました。面白かったです」


 佐世保さんの声は小さいが、隣にいるおれに届かせるには足りていた。


「あ、ホント? あれはシリーズものがまだ続いてるから、気になったらまだ続編も追ってみてよ。いまちょうど劇場版もやっているよ」


 言ってから、少し早口になっていたことに気付き、誤魔化すようにズレた眼鏡を少し上げた。


「いいですね。機会があったら劇場版も観てみたいですね」


 そう言うと、佐世保さんは後ろにある冷蔵庫へと歩いていった。


 おれはその背中に視線を向け、制服の帽子の下で揺れるポニーテールと、産毛が跳ねたうなじを見る。


 エプロンのヒモが巻き付いた腰は、驚くほど細かった。



 ――佐世保さんってさ、ヤリマンなんだって。



 やめろ。ふざけるな。


 あの日の言葉が脳内で響く。


 お前らみたいな奴らが、彼女を性的な目で見るんじゃない。


 思ってから、自分はどうなんだと自問して、おれは違うと結論付けた。


 おれは違う。だっておれは本気で――。



 そんなことを考えていると、佐世保さんが戻ってきた。


 心臓が高鳴っている。口の中はカラカラだ。


 今から吐き出そうとしている言葉を、何度も脳内で繰り返す。


「あ、あのざっ」


 途中で痰がからんでしまって、おれは慌てて咳ばらいをする。

 佐世保さんがこちらを見ている。


「良かったら、その。予定が合えばでいいんだけど、あの、劇場版一緒に観に行かない?」


 言えた。


「あ、さっきのアニメのですか?」


 佐世保さんがまっすぐこちらを見て言ってくる。


「そ、そう。おれもちょうど観たかったんだけど、ひ、ひとりではちょっとなぁなんて思ってたから」


 動揺を隠せずに早口で言う。マスクの下の自分の息がとても臭かった。


「いいですよ。あとでLINEしますね」


「いいの!?」


 あまりにも簡単に佐世保さんが返事をするものだから、思わずネタを一つ床に落としてしまった。


「はい。私も観たかったですし」


 どうかしたのか、と言いたげな様子で佐世保さんが小首をかしげながら言ってくる。


「じ、じゃあ、また予定決めてひゃめらる……」


 動揺しすぎて、最後の方は何を言っているかわからないほどもにょもにょとフェードアウトするようにそう告げると、ネタ置きマシーンであるおれはいつもの倍の速さでネタを置いては皿をレーンに流していった。



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