四遍

ドイツ連邦共和国 ケルン

 アーネストは故郷に二年ぶりに帰って来た。

 しかし手放しでは喜べなかった。

 自分が助かる為の帰郷という、聞いた事もない除霊法で、ケルンに着いてからどうにも終始落ち着けなかった。

 何かあっては良くないと、尊と柳音も同行してくれた。

 日本の教会は事情が事情だからと、尊の休暇まで認めてくれた。

 柳音に至っては寺を若い住職に任せてまで着いて来てくれた。

 二人には感謝しかなかった。


 帰郷してすぐに、三人は山根に言われた、礼拝堂のある古城に向かった。

 ケルン自体は中々都会だったが、目的地の古城は幾分か郊外に存在した。車を手配でもしないと行けない距離でもあり、中心部から軽く二時間は超え、もはや隣国のフランス、ルクセンブルクと国境に近い位置まで到達していた。


「日本じゃ全く感じないが、地続きで国境があるって変な感じだなあ。しかもこの歳になってドイツに来るとは」


 柳音は険しい顔を崩していなかったが、初めての外国だったようでどこか浮足立った発言もしていた。

 本来なら別の形で来たかっただろうが、目的が目的なので心底楽しめていないだろう。申し訳ないと思いつつ、アーネストは全てが終わったらケルンの観光案内をしようと思った。


「この辺りで古城って、プロイセンか神聖ローマ帝国の時代のものかな?

 この一帯の歴史は複雑だからどうにも想像出来ない」


 尊はケルン周辺の地図を広げて唸っている。

 慣れないドイツ語の地図でも読めているのに感心だったが、話を聞いただけでおおよその歴史を話し出すものだから、アーネストはこの人間性に感銘を受けていた。


「ここはどの時代の遺跡かわかっていないんだよ。

 ドイツに限らずヨーロッパの国にはそういう遺跡が多いよ」


 アーネストは運転しながら答える。


「まあ日本は島国でよその国に占領されたなんて一度だけだから、日本みたいに文献残ってる事が少ないんだろうな」


 柳音は後部座席で何か用意している。古城に着いたら何かを始める為のようだ。


「日本みたいに昔の事が色々わかる場所だったら良かったんですが、さあ着きましたよ」

 アーネストは車を停める。古城に到着した。


 古城と言いつつ、意外にも原型をほぼ留めており、観光地化していてもおかしくなさそうな佇まいである。

 蔦はある程度外壁を覆っているが、まだ建物としての機能を残している風である。


「日本ではこんな場所の情報とか流れてこないなあ」


 尊は呑気に建物の外観を眺める。


「この国でも余り知られていないから、日本では知られていなくて当然だね」


 アーネストは答えるが、思い出すかのように古城を睨み付ける。


「ここってアーネストにとっては何かあったとこなのか?」


 尊の質問に、アーネストは答えようか迷った。

 心の奥底に仕舞った過去の記憶。

 忘れられないが、思い出したくもないトラウマ。

 夢に出て来た場所がまさかここだったとは。


「若い頃に少しあったね」


 アーネストはそれだけ答えた。




 城門を開くと、中庭とか広場ではなく屋内ホールに通じている。

 高さ二十メートルはあろうかというキープと、隣接するキープより高い尖塔が目につく。

 苔むした石造りに、かつてガラスがはめられていたであろう窓枠に蔦がカーテン状に連なり、内部は完全に廃墟状態だった。

 一体どれぐらいの歴史を刻んだものなのだろうか、専門家でない限りわからない。専門家ですらもまだ憶測の域を抜けていない場所なのだから、想像するしかない。


「これが欧州の城か。日本とは随分趣が違うなあ」


 柳音はそう言いながら、進路方向に塩を蒔き始めた。


「住職さん、ドイツでも塩は効くんですか?」


 尊は呆気に取られる。


「お国柄は違うだろうが、清めた場所はどんな悪い輩も寄って来れないもんだ」


 構わず柳音は塩を蒔き続け、塩の後を辿る。

 二人はそれに続いた。




 幾ばくか内部を歩き、三人は玄関ホールより開けた部屋に出た。

 天井がここだけ突出して高く、外観と同じ高さだけはある。

 壁の窓枠はここもガラスがなくなっているが、もしここにステンドグラスがあるなら、礼拝堂と言っても遜色ない規模である。

 ゆうに百人以上は収容出来るだろう。

 しかし違っていたのは、もちろん廃墟然としているのはもちろんだが、礼拝堂ならあってもおかしくない長椅子が一つもない事だった。


「昔はここ、礼拝堂だった。私がここに来た時はほぼ誰も来ていなかった」


 アーネストが独白する。思い出すように。


「もし夢の通りなら、礼拝堂の奥の左側に、私が降りて来た螺旋階段がある」


 そう言うとアーネストは柳音に塩を渡して欲しいと頼んだ。

 柳音はここから任せる方がいいと判断したのか、麻袋に入れた塩をアーネストに手渡した。

 礼拝堂奥の左手に向かい、塩を蒔きながらアーネストは歩き始めた。

 遅れて尊と柳音が続く。

 礼拝堂奥左手に、縦長の空間があった。

 螺旋階段の手すりも見える。ここだ。


「夢はいつもここで終わってた」


 アーネストは一人呟き、塩を蒔き続ける。

 麻袋に手を入れる度、何故か嫌な空気が指先だけ紛れ一抹の安心感を得ている。

 階段ホールに入ると、異様に高い石造りの螺旋階段が続いている。

 礼拝堂の高さ以上はありそうで、礼拝堂がかつてのキープ、日本の城で云うところの天守なら、この螺旋階段は尖塔、物見櫓になるのだろう。

 三人は螺旋階段を登り始めた。

 意外と崩壊は進んでいないのか、しっかり踏んで登れる。


 何段登っただろうか、下を見ると一階の床に散らばる瓦礫が小さく点に見える。

 外壁から時折見える景色に、キープの屋根が見え始めていたので、もう屋根裏と同じ高さまで登ってきていた。

 そして三人の眼前に、それは現れた。木の梁が天井を覆い、階段の終点に木扉が半開きになっている。

 アーネストはおそるおそる、外れかかった閂をそのままに扉を押した。


 そのまま夢に見た、部屋がそこにあった。

 壁に蠟燭台があるものの、当然ながら蝋の欠片も残っていない。

 まだ蔦の浸食はないのか、植物は全く生えておらず、木製の窓枠だったろうか、木片が部屋中に散らばっていた。

 そして夢に出た、狼の皮を被せられた男が座っていたものと同じ椅子があった。

 どうやらこれだけが金属製のようで、錆び始めていたものの部屋の中で唯一まともに原型を留めている物だった。


「そういや、何でここに来たんだ?

 全く教えてくれないし、そろそろ説明してくれよ」


 尊は苛立ちはじめ、アーネストに詰め寄った。


「完全に思い出すまで確信が持てなかったけど。

 ここはね・・・、昔の私の、最悪の記憶だよ。

 十七年前に私の弟がここで殺された」

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