三遍

 二十一時、アーネストと尊は柳音に指示された場所に着いた。

 そこはバーだった。

 間違いなのかと二人は不思議がったが、メモの住所とスマートフォンのマップで確認するも、正しく記載された住所だった。

 柳音は何故ここに指定したのか。


「おう、着いたね。早速入るぞ。

 店には話を通していて今日は貸し切りにしている。

 料金は俺がもっとくから気にせんとね」


 急く柳音に促され、二人はバーに入った。

 柳音は一応店にはある程度話をしたそうだが、余りにも急を要する事態の為、準備に時間がかかりアーネストがどんな人間なのか、名前すら相手に教えていないという。


 柳音の言った通り、確かにバーは開店中の佇まいではなかった。

 ところどころにオカルトグッズが並べられており、オカルトバーなのが見て取れるが、マスターと思しき人物は仕事着ではなく真っ黒な和服に身を包んでいた。

 落ち着いた雰囲気ではあったが、柳音に事前に話は聞かされていたのだろう、少しピリついた雰囲気を放っている。


「高野さんから伺いました、私はこのバーを経営している山根と申します」


 マスターの山根が挨拶する。


「事前にはある程度伺っていますが高野さん、えらいのが来ましたね・・・」


 山根はピリついた雰囲気を保ったまま、困惑していた。


「俺では手に負えんのがわかるだろ?」


 柳音が答える。


「蜃の毒気とも似てるが、ここまで人の夢に直接干渉してくるタイプが初めてでな。

 背中に直接取り憑いていたヤツは叩き落せたんだが、奥底にまだ何かいそうなんだ。こんなの見た事がない」


 柳音は引き続き答えるが、アーネストはどんどん不安になっていた。

 ただ謎の悪夢を見ていただけでこんな事態になるとは露にも思わなかった。

 故郷でもこんな怖い目に遭った事はもちろんないし、日本に来てからすぐにもこんな事はなかった。

 自分の人生とは無縁と思っていた。


「最近こういうタイプのものが増えて来ていて、私も困ってますよ・・・。

 悪霊とか妖とかそんな次元じゃない」


 山根のこの一言に、その場の空気が一斉に凍り付いた。


「妖ですらないって、じゃあこれは何なんだ!」


 柳音は取り乱して聞いた。昼間の落ち着いた雰囲気はもはや欠片も感じられない。


「コレは悪意とか悪戯とかそういう感情、そもそも意思すらもないんです。

 凄く理不尽な存在ですよ。この数百年は神干渉に徹しているようですが、どうも人間を調べているようなんですよね・・・」


 山根はどんどん、柳音すらも想定していなかった回答を繰り出していた。


「もちろん対処法がないわけではありません。無は有を嫌うので、相応の方法を取ればいいだけです」


 ここで山根はアーネストに向き直る。


「アーネストさん、私の手に触れて下さい」


 山根の問いかけに、アーネストは驚いた。

 まだ自己紹介すらしておらず、柳音が名前すら教えていなかったのに、さも既に知り合いのように自然に名前を言って来た。この男は何者なのか。


「手に触れた後、その夢を思い出すだけで良いです」


 そう促され、アーネストは山根の手を触れた。柳音と尊は言葉を発さず見守っている。

 アーネストは山根の掌に触れ、目を閉じ、夢を思い返した。

 すると、アーネストは夢の中にいた。狼の皮を被った男が狂女から拷問を受けているシーン。

 夢の通り、アーネストは無我夢中で部屋を飛び出し、螺旋階段を駆け下りる。

 そしてあの回転が始まる。同時に頭が痛くなってくる。寝起きよりも随分とはっきりした頭痛だった。


 始まってどれぐらい経ったかわからないが、回転が突然収まった。

 アーネストはよろめきながら何とか立ち上がった。

 ここで、回転していた場所が改めて見る事が出来た。


 螺旋階段を下りた先は、教会の長椅子が並べられた礼拝堂のような場所だった。

 しかし、長椅子があって、天井に鈍く蛍光色で照らされたオレンジのステンドグラスがあって初めて礼拝堂のような場所と初めて認識出来たのであって、長椅子周辺が真っ暗な影になっており、自分の目線はほぼ闇だった。

 ここからは未知の領域だった。

 遠くで何かが聞こえた。

 アーネストは声と思ったが、同じ発音が繰り返されていただけで何と言ったのか全く聞き取れない。

 だが、しっかり思い返す必要もなかった。

 声が闇から近づいてきた。



 ふぇっふぇっふぇっふぇっふぇっ



 声は笑っていた。

 異様に甲高く、意思が感じられず冷え切っている、絶対零度の音声。

 耳元にまで大音量で聞こえて自身が叫んだところで、アーネストは瞼を開いた。


 いる場所は礼拝堂ではなく、バーだった。

 目の前には掌を上に向けた山根が対面に座っていて、傍らに柳音と尊が見守っている。

「よおくわかりました」


 山根がそう言い、アーネストの手から自身の手を離した。


「あんたですらも震えるか」


 柳音が山根に問う。

 山根は表情では何てないようにしていたが、手が小刻みに震えていた。


「夢の記憶を通してここまで接触して来たのは初めてですね。

 これは骨が折れる・・・」


 山根は震えを押さえるように手を握る。


「アーネストさん、対処法をお教えします。

 簡単な事ですが、何があっても絶対に守って下さい」


 山根はアーネストに向き直り、静かに問う。表情に反して異様に怒気が籠っている。


「は、はい・・・」


 アーネストは力なく答えた。


「一度自分の国に帰って、あなたの故郷で昔訪れた、礼拝堂がある古城に行って下さい。それだけで解決します。だが急いで行って下さい」


 何をしなければいけないのかアーネストは身構えていたが、山根の言ったすべき事に、アーネストは少し拍子抜けした。だが思い返してみて、礼拝堂がある古城、という言葉に引っかかった。


「わかりました」


 アーネストはただそう答えた。そう答えるしかなかった。

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