世界で唯一人工魔石を造れる少女と、魔導具師見習い少女の物作りな日々!【原初の因子継承師カナタは約束を違えない】

緋色の雨@悪逆皇女12月28日発売

プロローグ

 その日、人類は知ることになる。ある少女が人類を救う鍵を造り出したという希望を。その少女がもはや、この世界のどこにもいないという絶望と共に。


     ◆◆◆


 魔導歴320年の7月7日、人類は窮地に立たされていた。どれくらい窮地かというと、この300年と少しで生存領域のおよそ半分を失うくらいの窮地である。

 かくいう私――カナタも、故郷と家族を失った。


 原因は世界各地に現れた迷宮の氾濫だ。

 迷宮からあふれた魔物が、私の故郷を滅ぼしてしまったのだ。


 迷宮の氾濫は、迷宮の魔物を間引くことで未然に防ぐことができる。

 だが、立地条件や国力で間引くのがおろそかになったり、そもそも迷宮への入り口を見逃すといった理由で迷宮の氾濫が起きるケースは後を絶たない。


 また、迷宮が氾濫してしまっても、迷宮の魔物を間引くことで氾濫を止めることはできる。

 だが、迷宮の氾濫が起きた際、周辺の土地は瘴気によって汚染される。そうして汚染された土地では、動植物が魔物に変容してしまう。

 しかも、それは人間も例外ではない。


 魔族と呼ばれる種族に変容することもあれば、エルフや獣人族と名付けられた種族に変容することもある。魔族のように人格まで変容するケースは少ないが、その姿や性質を変えることには違いはない。人々はこぞって、瘴気に汚染された土地から逃げ出した。

 当然、迷宮の氾濫は止まらない。


 そんな訳で、人類は生存領域を減らしながらも、奪われた領域を取り戻すための手段を講じていた。私が所属しているのも、そういった研究所の一つだ。


 内地――ここでいう内地とは、瘴気に晒された土地と隣接していない安全な領地という意味だ。その内地にある町の外れ、森の中にある施設で魔導具の研究をおこなっている。


 魔導具というのは、魔術師が使う魔術を誰にでも扱えるようにした道具のことである。かつては製作不可能と言われていたが、魔物から得られる魔石がそれを可能とした。

 私達は、その魔導具に目を付けたのだ。


 これまでの研究で、瘴気に汚染された土地は聖属性の上級魔術で浄化することが可能だと分かっているのだが、その魔術を扱えるのは極わずかな存在のみ。

 瘴気に侵された土地に対して、聖属性の魔術の使い手は圧倒的に足りていない。だから、聖属性の上級魔術を使える魔導具を造ればいいという結論に至ったのだ。


 その試みは半分成功で、半分は失敗だった。

 魔導具を造るには、その内容にあった因子を含む魔石が必要となる。だが因子の内容は素材元である魔物の種類によるところが大きく、強力な因子は強力な魔物からしか得られない。

 その上、強力な魔物だからといって、強力な因子を必ず持っているとは限らない。


 なのに、瘴気を浄化する魔導具に必要な魔石は、稀少な聖属性で、かつ特定の因子を複数内包していることが要求される。要するに、国宝級の魔石が必要になってしまうのだ。

 それならまだ、対象の魔術を使える魔術師を育成した方が現実的だ。


 だが、それで研究が潰えた訳ではない。ある者は複数の魔石で一つの魔導具を創る研究を始め、またある者は魔石を効率よく得るため、武器防具を魔導具化する研究を始めた。

 そして私は――


「……出来た。出来た……っ!」


 小さな釜の中から取り出した金色に煌めく魔石。鑑定の魔術でその魔石に含まれる因子を調べた私は、そこに示された結果に打ち震えた。


 瘴気を浄化する魔導具に必要な因子は聖属性を含めて八つ。対して、手のひらの上で煌めく魔石は、必要な因子八つを含む――十一の因子を内包している。

 私の研究によって生み出された人工の魔石だ。


 この研究が完成すれば、瘴気を浄化する魔導具に必要な魔石を量産できる。そうなれば、人類が奪われた生存領域を取り戻すことだって出来るだろう。


 私はその人類救済の鍵を金庫にしまう。

 その金庫には、実験の過程で生まれた他の人工魔石がしまわれている。その中から手頃な一つを選び取り、手のひらサイズの宝石箱に移し替えてラッピングをする。


 そこに扉をノックする音が響き、私の返事を待たずに女性が研究室に入ってきた。金髪碧眼の彼女は、魔導具開発の第一人者であるサラ先輩である。

 そんな彼女が、私を見るなり相好を崩した。


「やっほー。カナタちゃん、調子はどう?」

「元気ですが、ちゃん呼ばわりは止めてください」


 私は不満を口にしながら、手に持っていた小箱を背中に隠す。


「あら、いま隠したのはなにかしら」

「なんでもありません」

「ふふん、そんな言葉であたしを誤魔化せると思っているの?」


 サラ先輩が私の背後に回り込もうとする。私も合わせて回り、サラ先輩に背後を取らせない。サラ先輩が更に背後へと回り、私もクルクルと回る。外を回るよりも、その場で回る私の方が圧倒的に有利――と思っていたら正面から抱きつかれた。

 背中に回された彼女の手が私の持つ小箱を探り始める。


「くすぐった――ひゃっ、ちょっと、どこ触って――っ、サラ先輩、怒りますよ!」

「ふっふっふ。逃げても無駄よ。諦めて、なにを隠したか見せない」

「あぁもうっ、くすぐったいっ。分かった、見せます。見せるから離れてください!」


 サラ先輩を引き剥がし、ラッピングされた小箱を突きつけた。


「あら、なにこれ、プレゼント? ――もしかして、カナタにもついに春が!?」

「新婚で脳みそお花畑の先輩と一緒にしないでください」


 苦笑いを浮かべて、その小箱をポケットにしまう。私をからかおうとしていた彼女は、けれど私の言葉に首を傾げ――はっと目を見張った。


「もしかして、あたしへのプレゼント?」

「サラ先輩じゃなくて、生まれてくる赤ちゃんへのプレゼントです」


 彼女のお腹を指差すと、サラ先輩はくしゃりと顔を歪めた。


「もしかして、気に入らなかった――」

「きゃーっ、ありがとう、カナタ! ここに来た頃はあんなに無愛想だったカナタが、あたしにプレゼントをしてくれるようになるなんて感激よ!」


 真正面から彼女の胸に抱き寄せられた。ぎゅうぎゅうと胸に押し付けられる。


「違いますっ。サラ先輩へのプレゼントじゃなくて、先輩のお腹の中にいる赤ちゃんへのプレゼントです、そこのところ、間違えないでください!」

「同じじゃない。まったく、カナタは素直じゃないんだから」

「だーかーらーっ、違うって言ってるじゃないですかっ! っていうか、無駄に大きな脂肪を押し付けるなぁーっ」

「大丈夫、カナタもそのうち大きくなるから」

「喧嘩を売ってますか? 売ってますね! いいでしょう、高く買いましょう!」


 童顔ではあるが、私も今年で二十一歳。これから大きくなるとは思えない。ただし、私は断じて小さい訳ではない。サラ先輩の胸が無駄に大きすぎるだけである。


「ふふ、カナタが怒った」


 私が怒っているというのに、彼女はなにやら嬉しそうだ。なんだか私も怒っているのがバカらしくなってきて溜め息をつく。


「……もう、いいかげんにしてください。というか、お腹の子に障ります?」

「大丈夫よ、これくらいなら」

「先輩の大丈夫はあてになりませんっ」


 お腹の赤ちゃんを本気で案じると、彼女はようやく私を解放した。

 私は溜め息を吐いて先輩に視線を向ける。


「ところで、サラ先輩はいつ家に戻るんですか?」


 森にある研究所から町までは馬車で丸一日程度。決して遠い距離ではないが、身重になればその限りではない。動けるうちに町に戻る方が安全だ。


「ん~、そうねぇ……ギリギリまで研究をしたいし、もうしばらくは残るつもりよ。そういうカナタこそ、町に戻る予定はないの?」

「私に帰る場所はありませんから」


 四年前に発生した迷宮の氾濫で、私は生まれ育った町と両親を失った。

 身寄りをなくした私は、けれど魔力量だけは異常な数値を示していた。それが原因で貴族に攫われそうになったのだが……結果的にはこの研究所に拾われた。

 家族も帰る家もない私にとって、ここが唯一の居場所なのだ。


「馬鹿ね、あたしの家があるじゃない」


 サラ先輩に頭を優しく撫でられた。


「……サラ先輩?」

「あたしのこと、お姉ちゃんと呼んでもいいのよ?」

「呼びません。というか、お姉ちゃんぶらないでください、面倒くさいから」


 頭の上に乗っているサラ先輩の手をはたき落とす。サラ先輩は、私がこの研究所にやって来た時からこうして私に絡んでくる。

 ちょっとウザいけど、家族を失った私を気遣ってくれているのだろう。


 でも、迷宮の氾濫で家族を失うなんて珍しい話じゃないし、家を失うことで苦しい生活を強いられるケースも珍しくない。私はきっと幸せな方だ。

 だから私は、自分が不幸だと思ったことはない。


「カナタがつれない」

「私は元からこうです」

「そんなこと言って、あたしが研究所を離れたら寂しいくせに」

「静かになって、研究に打ち込めそうですよね」

「ひどいっ」


 口では酷いと言いながら、その顔は笑っている。私の発言が本音だとは、これっぽっちも思っていないのだろう。その見透かしたような態度が気に入らなくて私は顔をしかめた。


「……まぁ、寂しくはないですが、研究の相談もあるので少しは気になります」

「そういえば、聞いたわよ。本当は今日の研究発表に参加するはずだったんでしょ?」

「あぁ……はい。どこぞの領主に妨害されましたけど」


 人工魔石の精製技術は世紀の大発明だと胸を張って言える。

 だが、そういう研究を独占しようとする者はいつの時代も後を絶たない。だから、私はそれを避けるため、各地の研究者や貴族達の集まる発表会で公表する予定だった。

 だが、この町の領主に申請を却下されてしまったのだ。


 理由は技術の独占が狙いか、あるいは私が気に入らないから。

 私は魔力量が多いからという理由で、領主に攫われそうになったことがある。それを所長が護ってくれたのだが……おそらく、領主は当時のことを根に持っている。

 だから、なにかと嫌がらせをされることが多い。


「ホント、いまの領主は酷いわね。でも安心して。『おまえの妨害で貴重な研究が失われたらどう責任を取るつもりだ』って、発表会の場で糾弾するって所長が言ってたから」


 うわぁと、思わず声が零れた。

 世界を救うための研究は重要性が非常に高く、研究所には各地から資金や人材の提供が為されている。発表会も定期的にどこかの町でおこなわれ、近隣諸国の研究者や権力者達が毎回出席するほどである。その発表会の場で、主催する町の領主が糾弾されるなんて大問題だ。


「そんなことして、所長は大丈夫なんですか?」

「うちの所長も貴族の端くれだからね。それに、発言の証明として、あなたの研究成果を公表させるつもりみたいよ。うちの所長」

「え、それって……」


 思わず目を見張った。

 皆が注目している状況で私の研究成果を公表する。そうすれば、誰にも独占されることはない。私の研究がちゃんと人類のために使われるはずだ。


「発表の準備、しておきなさいよ。カナタの研究発表を楽しみにしてるんだからね?」

「はい、任せてください!」


 人工魔石の精製理論を発表したらきっと世界が変わる。私を庇ってくれた所長や、先輩として私を育ててくれたサラ先輩への恩に報いることも出来るだろう。

 私は、そのために研究を続けていたのだ。


「ところで、サラ先輩の研究はどれくらい進んでいるんですか?」

「開発は順調――とは言いがたいわね。なんとか二つの魔石を使った魔導具の試作品が出来たけど、安定性にはかなり難あり、よ」


 サラ先輩が研究しているのは、一つの魔導具に複数の魔石を組み込んで、それらの因子を合わせて一つの魔術を使用するというものだ。

 難航しているとは聞いていたが、二つの魔石を使うことには成功しているらしい。


「なら、国宝級の魔石を二つ使えば、いまだかつてない規模の魔術が行使できますか?」

「理論上は、ね。魔術師が使うよりも強力な魔術を行使できるはずよ。もっとも、さすがに国宝級の魔石で実験することは出来ないから、もう少し試行錯誤を繰り返してからね」

「そうですね、楽しみにしています」


 本当に楽しみだ。

 私の人工魔石を使えば、実験はいくらでも出来る。サラ先輩の理論が完成すれば、私の人工魔石と合わせて、いまだかつてないような魔導具を造れるはずだ。


 大陸各地を汚染する瘴気を一気に浄化する魔導具や、人類を脅かしている魔物を纏めて滅ぼすような魔導具だって創れるかもしれない。

 それが出来れば、長きにわたって生存圏を奪われ続けている人類の反撃の狼煙となる。


『カナタとあたし、二人の知識を合わせて最高の魔導具を造りましょう。そうして世界を救うの。迷宮の氾濫で悲しみを背負った人をこれ以上生み出さないためにも』


 両親を失い、ここに連れてこられて、右も左も分からなかった私にサラ先輩が言ってくれた言葉だ。私はその言葉を支えに研究を続けてきた。

 その約束をようやく果たすことが出来る。

 そんな風に考えていると、不意に警報の魔導具が鳴り響いた。


「なに、なんの警報!?」

「サラ先輩はここにいてください! 私は外の様子を見てきます!」


 廊下に飛び出した私が見たのは信じられない光景だった。

 逃げ惑う研究所の職員達。その向こうには褐色の毛並みを持つ狼のような魔物。四年前に故郷で発生した迷宮の氾濫でも見た、ブラウンガルムと呼ばれる機動性の高い魔物だ。

 だけどここは内地。

 瘴気に汚染された領域には隣接していない内地なのだ。


「どうしてブラウンガルムがこんな場所に――っ!?」


 現実を受け入れる暇もなく、ブラックガルムが襲いかかってくる。とっさに横っ飛びで回避。前回り受け身で飛び起きて、反射的に全力で攻撃魔術を放つ。

 無数に放たれた風の刃がブラウンガルムをズタズタに斬り裂いた。


「――っ。はぁ……はぁっ」


 私は学者肌の魔術師だ。攻撃魔術を扱うことも可能だが荒事には慣れていない。魔力量的にはまったく問題ないにもかかわらず、いまの一戦でどっと疲労に襲われた。

 それでも必死に踏みとどまって、窓の外に視線を向ける。


「やっぱり、これは……っ」


 予想通り、ブラウンガルムの群れが押し寄せてくるところだった。


 信じられない。信じたくはない。

 だけど、四年前に経験したのと同じ状況。この内地で迷宮の氾濫が起こっている。いまは機動力のあるブラウンガルムしかいないが、すぐにでも他の魔物も現れるだろう。

 それを理解した私は、急いでサラ先輩の待つ研究室に引き返した。


「カナタ、なにがあったの?」

「迷宮の氾濫です」

「迷宮の氾濫って……そんなっ、嘘でしょ!?」

「信じたくない気持ちは分かりますが、魔物の群れがいるのは事実です。おそらく、森の何処かに、私達の知らないゲートが発生していたんだと思います」


 ゲートは迷宮とこの世界を繋ぐ扉のことだ。

 定期的に周囲の調査はおこなっているが、洞穴の中などに発生することもあり、見つけられずにいるうちに迷宮が氾濫することも珍しくはない。


「そんな。それじゃ……本当に?」

「残念ながら、そう判断するしかありません。いまはブラウンガルムの姿しかありませんが、すぐに他の魔物も押し寄せてくるでしょう」

「すぐに避難しないといけない、という訳ね」


 サラ先輩は一度ぎゅっと目を瞑り、ほどなくして目を開く。その瞳には強い覚悟が秘められていた。その美しい瞳で私をまっすぐに捉える。


「カナタ、いまのあたしは長く走れないの。だから……あなただけでも逃げて」


 お腹に子を宿す彼女は、激しい運動が出来ない。ここから馬車で一日の距離。彼女が自力で町まで逃げることは叶わないだろう。だから私は、サラ先輩の決断を尊重する。


「サラ先輩、こっちへ」


 私は研究室の一角、床の扉を開け放った。


「……え、なにこれ?」

「地下シェルターです」

「いや、それは見れば分かるけど……どうしてこんなものがここに?」

「ここは私の研究室ですから、こんなときのために造りました。瘴気を遮断することは出来ませんが、救出されるまでなら大丈夫なはずです」


 迷宮の氾濫で故郷を追われた私は、もしものときの備えを忘れなかった。だから、こんなこともあろうかと用意しておいたのだ。


「さぁ、中に入ってください」

「え、えぇ、分かったわ」


 サラ先輩が地下へ続く階段を下りていく。

 彼女が階段を下りきったところでその背中に呼びかけた。


「サラ先輩、これを渡しておきます」

「え、これって、どうして……?」


 私が手渡したのは、赤ちゃんのために用意したプレゼント。それを、いま、このタイミングで手渡したことで、彼女の瞳に警戒色が滲む。

 私はイタズラがバレたときのように不器用に笑った。


「そのシェルター、まだ造ったばかりで、食料を一人分しか運び込んでいないんです」


 シェルターに用意してある食料は一週間分。町との定期連絡が三日後なので、救援が来るのは早くて四日か五日後。現実的な数字を見るのなら、一週間は掛かるだろう。

 つまり、どんなに食料を節約しても、二人で食料を分け合えば確実に足りなくなる。


「まさか、あたしだけここに隠れていろなんて言うつもりじゃないでしょうね!?」

「そのまさかです。二人でここに逃げ込む訳にはいきません」

「だったら、残るのはカナタでしょ。どうしてあたしなのよ!?」

「勘違いしないでください。私が助けるのはサラ先輩のお腹の中にいる赤ちゃんです。お腹の子になにかあれば、町にいる旦那さんや、両親だって悲しむじゃないですか」

「……っ。カナタ、あなた……っ」


 自分より、私より、お腹の中の赤ちゃんを護れ。

 そう口にする私に、サラ先輩は泣きそうな顔をした。


「……だからって、カナタを犠牲には出来ないわ」

「私も死ぬつもりはありませんよ。食堂か倉庫で食料の調達してここに戻るか、あるいは町まで救援を呼びに行きます。それが無理そうでも、転移陣を使うことも出来ますから」

「食料のある場所は魔物が群がるし、いまから森を抜けるのは自殺行為よ。それに迷宮の氾濫で大気の魔力素子が不安定な状況で、試作の転移陣がまともに動くはずないでしょ!」

「そうですね。時間が経てば経つほど選べる手段は減っていくと思います」


 自分の命を人質に取って、サラ先輩に隠れる決断を迫る。

 彼女は血が滲むほどに唇を噛んだ。


「……ズルいわ。そんな風に言われたら、引き止められないじゃない」

「私の決断は変わらないので、口論するだけ時間の無駄です。あと、何度も言っていますが、お腹の中の赤ちゃんのためなので、サラ先輩が責任を感じる必要もありません」


 サラ先輩の顔がくしゃりと歪んだ。

 私は素直になれない嘘つきだ。

 彼女にはきっと、私の本音が伝わっているのだろう。


「バカ、カナタのバカっ。死んだら化けて出てやるから!」

「……この場合、死ぬのは私で、サラ先輩は生きてますよね?」

「あたしが幽霊に化けてあの世に乗り込むのよ!」


 あの世にまで説教にくるサラ先輩を思い浮かべて少しだけ笑う。


「大丈夫、私は死にませんよ」

「……絶対よ? 死んだら絶対に許さないからね!?」

「はい、約束します」


 笑ってみせると、サラ先輩が泣きそうな顔をした。彼女はそれでもきゅっと唇を噛んで涙を堪え、自分の首に掛かっていたネックレスを外し、私の首に掛ける。


「……これは、魔導具ですか?」

「ええ、あたしが持ち歩いているお守りの魔導具よ」

「助かります。先輩の作った魔導具はどれも強力ですから」

「言っておくけど貸すだけよ。だから、返すまで死んじゃダメよ。あなたとあたし、二人の知識を合わせて最高の魔導具を造るって約束したでしょ?」

「ええ、分かっています」


 私とサラ先輩で最高の魔導具を造り、人類を救う。もうあと少しのところまで来ているのに、こんなところで死ぬつもりはない。不器用に笑う私を前にサラ先輩はなにか言いたげな顔をして、だけどぐっと堪えて身を引いた。


「さぁ、もう行って! 絶対に生き延びなさいよ、約束だからね!」

「はい、約束は守ります」

「約束よ。破ったら承知しないからね!」

「……また会おうね、サラお姉ちゃん」

「――っ。どうして、どうしてこのタイミングなのよ!」


 サラ先輩が涙を流すが、私は笑顔で地下シェルターへと続く階段の扉を閉めた。

 その上で、簡単には見つからないようにカムフラージュして、私が研究に使っていた机に直接、地下シェルターに研究員が避難している旨を走り書く。

 こうしておけば、救援に駆けつけた者がこのメッセージに気付いてくれるだろう。


 サラ先輩のために出来うる限りのことをした後、私は研究室から飛び出した。廊下は既に地獄絵図。魔物や職員達の遺体が無残にも転がっている。


 四年前の光景がフラッシュバックするが、私は歯を食いしばって前に進む。

 まずは窓の外に視線を向ける。そこにはブラウンガルム以外の魔物も押し寄せていた。いまから、あの群れを突っ切って町まで逃げるのは、戦闘に不慣れな私じゃ不可能だ。


 残された選択は、食糧を確保しての籠城が、あるいは転移陣を使っての脱出。

 食料は、食堂や食料庫にいけばいくらでも確保できる。ただ、魔物も食料を求めるので、食料のある場所は真っ先に襲撃されている可能性が高い。


 そうなると、残された可能性は転移陣による脱出。

 だが、転移陣とはゲートの原理を応用して生み出された設置型の魔導具で、任意の場所に瞬間移動することが出来る――と言われている試作品である。


 動物を使った実験では転移に成功しているが、人間で試したことはない。

 なにより、この状況での使用には大きな問題が存在する。


 瘴気とは、穢れた魔力である。

 魔力が一部のみ汚染されている状況下。つまりは迷宮の氾濫が起きてから当面のあいだは、魔導具を含む魔術の発動が不安定になるという性質がある。

 簡単な術式であれば問題ないが、転移陣はとてもデリケートな術式を使っているので、起動しなかったり、誤作動を起こす可能性が非常に高い。

 この状況で転移陣を使うのは自殺行為でしかない。


 出来れば食料を調達して籠城策を取りたいところだけど――と、食堂を目指した私は、すぐに魔物の群れを見つけて引き返すこととなった。

 続けて倉庫を目指すが、今度は途中で魔物の襲撃を受ける。


 一体一体は私でも勝てる相手だが、なにしろ私には実戦経験が乏しい。連戦で必要以上に消耗した私は、疲労によるミスで大きな負傷をしてしまった。


「これは、ちょっと厳しい、かな」


 困ったことに、私は聖属性に分類される回復系の魔術が使えない。魔物から逃げ惑い、飛び込んだ部屋の先で扉を閉めた私は膝からくずおれた。

 なにか打開策は――と周囲を見回した私の目に飛び込んできたのは試作の転移陣だ。


「いやいや、さすがに……ね?」


 起動するかどうかも分からない。

 起動したとしても、本当に飛べるかどうかも分からない。飛べたとして、五体満足に飛べるかも分からないし、海の中や壁の中、空の上に飛ばされる可能性もゼロじゃない。

 だけど――と、私は扉へと視線を向ける。


 さっき私を襲ったブラウンガルムが扉の前で吠えている。

 ブラウンガルムであれば、扉を開けるような知恵はないはずだ。だが、鍵が掛かっている訳ではない。ゴブリンのような人型の魔物がやってきたら扉を開けられる可能性がある。

 そうなれば私は終わりだろう。

 そうじゃなくても、傷の痛みで意識が遠くなりそうだ。


 だけど、こんなところで終わる訳にはいかない。

 私は意を決して転移陣の上に立ち、ぎゅっと目を瞑って転移陣の魔導具を起動した。


「……なにも、起きない?」


 しばらくして目を開けるが、私は変わらず転移陣の上に立っていた。慌ててもう一度転移陣の魔導具を起動する――が、魔導具は起動しない。

 予想通り、魔導具が既に瘴気の影響を受けているようだ。


 こうなったら、転移陣を自分で構築するしかない。

 魔導具とは本来、魔術師が使用する魔術を誰にでも使えるようにしたものだ。必要な因子さえ持っていれば、その魔導具に刻まれている魔法陣を再現することで魔術は発動する。

 そして私には、必要な因子が揃っている。


 問題は、その魔法陣を写し取るのがぶっつけの本番で、私の意識が既に遠くなり始めている状況下でおこなわなくてはいけないということだ。


 私に出来るだろうか――と不安を抱く私の耳に、ドンッという音が飛び込んできた。何者かが、この部屋の扉に強くぶつかる音だ。それが断続的に響き始めた。

 どうやら、残された時間は少なそうだ。


 やるしかない。

 戦闘は苦手だけど、魔力の制御なら毎日欠かさずに続けてきた。迷宮の氾濫で魔術の制御が不安定になっているのだとしても、それをねじ伏せて制御すれば理論上は問題ない。


 なにより、サラ先輩と約束した。

 彼女は、両親を失って悲嘆に暮れていた私を姉のように優しく導いてくれた先輩だ。私は素直になれずに邪険にしていたけれど、彼女の優しさにはいつも感謝していた。

 私がここで死ねば、彼女は責任を感じるだろう。


 だから、ここでは死ねない。

 私は素直になれないし、嘘だって吐く。

 だけど、約束は違えない。


 覚悟を決めた私は転移陣に刻まれた魔法陣を読み取り、それを自分の魔力を使って再現する。瘴気に変容した魔力と、そうじゃない魔力が干渉して魔法陣にノイズが走る。

 私はそれを力尽くで押さえ込んで、そして――私の視界は真っ白に染まった。

 

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