「第11章 エゴイスティックな手記が語るあの日」(10)

(10)

「ったく、彩子が謝る必要はないって。さっきも言っただろう? まだ読み切ってないから、今後の展開次第では……、ってのはあるが、少なくとも現段階では彩子はどこも悪くない」


 そう言って安心させる為に笑顔を作った。


その笑顔の意味を彩子は、すぐに理解して微笑む。


「ところで先輩、今はどの辺りを読んでいるんです?」


「湊先生が詩織を殺そうとして、失敗して司書室にいる辺り」


「そこですか~。私、最初その部分を読んでて、凄く腹が立ったのを覚えています。先輩もそうじゃありません?」


 彩子の言葉に透は強く頷く。


「確かに。イライラしながらページを捲っているよ」


「そこを共感し合える人が、やっと現れてくれて嬉しいです。私はそれを一人で読んでましたからねぇ」


「俺もイライラし合える人間に出会えたのは、嬉しい」


 彩子が笑ったのを確認してから透は手記の世界へと戻っていく。


 手記の世界では、場面はトントン拍子に進んでいた。


 コーヒーはいつの間にか出来上がり、(その間に親指の腫れを流水で冷やした)パソコンでインターネットをしている内に飲んでいると空になっっていた。時間は当初の予測の三十分を超えている。


 湊はようやく、事態がおかしい事に気付いた。


 先程まで観念して余裕があった心情が曇っていく。だが、それは焦りとは違う曇りの色。湊は自分を捕まえに誰もココに突入していない事におかしさを感じているのだ。


 司書室の前を通る足音はない。聞こえてくるのは、いつもの吹奏楽部の練習音とグランドで練習する運動部の掛け声。そして、図書室で自習をする生徒の足音。


 大勢の大人達が乱暴にこちらを目指す足音など、依然として聞こえない。


 湊は腕を組んで原因を考え始めた。 


 まさか、詩織が大人達に事情を話していないのか?


 真っ先にその可能性が浮かんだが、すぐに首を左右に振って否定する。


あり得ない。詩織の行動原理には、奇妙な部分があるのは確かだが、一般常識は持っている。普通に考えて彼女が周囲の事情を話さない訳がない。


 湊は考えを巡らせるが、どれだけ巡らせても納得出来るだけの答えは出て来なかった。そこで彼はもう一度、出納準備室へ行こうと腰を上げる。


 司書室を出て、今度は用心深く職員用階段を使って出納準備室の前に来た。


約三十分ぶりに見るドアは、出て行く時と気味が悪い程変化がない。一分後に訪れたのかと混乱してしまう。ドアに掛った使用中の札。先程、自分が出た時の衝撃で少々傾いている。それすらも変わっていない。


 詩織はまだこの部屋から出ていない?


 一つの結論が導き出された湊は、出納準備室のドアノブに手を掛けて、慎重にドアを開けた。鍵は開いている。この部屋の鍵はまだ室内にはあるはずだ。自分は持っていない。いつも行為中に鍵の音が邪魔になるので、ポケットには入れず、適当に机に置いていた。そして部屋を出る際、一緒に出ないよう時間差を付けて出る。最初は自分、そして最後は詩織。


 最終的に詩織が司書室に鍵を返却しに来るのが、いつもの決まり。


 だから、彼女は鍵がいつもどこにあるのか知っている。


 今日もその癖が抜けず、いつもと同じ場所に置いているはずだ。ドアを開けると部屋の電気は消えており、廊下の明るさの下、とある光景が目に浮かんだ。


 部屋に入らずドアだけを開けた状態で、湊はストンっと電池切れのオモチャのようにその場で腰を抜かす。


 息苦しかった。


 廊下の酸素が誰かの手によって薄くされたのかと、本気で考えた。


 口を開けて大きく息を吸い空気を補充する。


 どれだけ息を吸い込んでも足りなかった。


 息を大きく吸って、時折そのせいで咽ながらも彼は立ち上がる。


 出納準備室には入れなかった。とても一歩を踏み出す足が存在しない。


 廊下からの光のみで映る部屋の様子を湊は荒い息で見ていた。




 森野詩織が首を吊って死んでいる。




 湊の口から乾いた笑い声が出た。これは彼が目指した光景だったからだ。


この瞬間を自分の手で作り出そうとしていた。道具を揃え時間を考えて、手順を計画した。ところが直前になって、その全ては瓦解してしまう。


 それなのに今、こうして目の前にあるのは自分が用意したクレモナロープで首を吊って死亡している森野詩織の姿。


 成功したのだ。


 それも自分が用意した計画より、遥かに純度が高い手段。


 詩織自身の手で死ぬ事によって。


 されど、湊がそれを目指したのは、この部屋を出る前の自分だった。今はもう目指していない。その気持ちは完膚なきまでに萎えている。よって、こうして目の前に詩織が死んでいる姿を見ると、喜びよりも放心状態となる。


 周囲が今の詩織を調べても自分が殺した、なんて結論は出ない。


 それはそうだ。詩織は最後、本当に自分の手で死んだのだから。


 とは言っても、捜査が進めば火の粉は飛んでくるのは必至。詩織の自殺において原因がゼロではない。出納準備室の鍵を追えば、必ず自分までぶつかる。


 最終的には、自殺をしたのは詩織の意思。


 その意思を尊重するのなら、わざわざ疑いの目を向けられてはならない。


 手記にはその後も自身を正当化する文章で溢れていた。

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