「第7章 大人達はすぐに騙される」(9)

(9)

 森野詩織の首に今回とは別にロープの後があり、まるで自殺の練習でも行ったような事は話さない。あの日の事情聴取での疑問点も同様だ。


 内田に話せるのはこれが限界である。


 気になる点を敢えて話した理由は、内田の張っているバリアを緩める事。


 それさえすれば、目的は達成されるのだから、わざわざ有益な情報を湯水のように与える必要はない。


「彼女が掃除した可能性自体が不自然ではない。問題はそこが出納準備室という事ですね?」


 倉澤は息を飲んだ。


 少量の情報しか与えなかったのに、そこから内田は結論を導き出してしまった。驚いた倉澤は小さな拍手を彼に送る。


「流石だ。良く分かったね」


「分かりますよ。そもそも出納準備室は、生徒が気軽に入れる部屋じゃない。勝手に鍵を司書室から盗み出しても、いつ気付かれるか分からない。大学図書館から本のやり取りをしている以上、鍵を持っていても他人が入ろうとする可能性だってある。そんな状況下で、掃除用具を運んでまで呑気に掃除をしている暇はない。つまり、彼女は殺されたかも知れない。そうでしょう?」


 内田の考えは見事。まるで倉澤の心に置いてある解答を読んでいるかのようだった。隣から息を飲む音が聞こえる。菱田も同様に驚いているらしい。


「凄いなぁ。内田君、将来は刑事になるといい。君みたいな人が入ってくれると安心だ」


「ありがとうございます。でも、今の成績じゃとても無理ですね」


「どうかな? それは君次第さ」


 内田の成績が落ちた事は前もって承知している。だから少しは思考力が落ちているのかも知れないと考えたが、それは全くない。それどころか、より研ぎ澄まされたような感触さえ覚える。成績が落ちた方を疑いたいくらいだ。


 そう倉澤が考えていると内田は手を上げた。


「一ついいですか。さっきは教えないと言ったのに、どうしていきなり教えてくれたんです?」


「君は賢いからね。話した内容を不用意に漏らすような子じゃない。それに森野詩織に近い人間だった。だから、知る権利がゼロではなかったからかな。……っと言うのは建前で、本音は君が隠している事を暴き出す為には、多少こちらのカードも見せる必要があった」


 倉澤は正直に作戦をバラす。内田は驚いた顔見せたが、すぐに首を横に振る。


「そこまで評価していただけるのは嬉しいです。でも、僕が話せる事は何もありませんよ」


「そうかな?」


 内田に向かって目を細めて、そう質問する。これが最後の攻撃。


 内田は困ったように首を傾けた。そして、力なく微笑む。




「大人ってそうやって何もかも解明しないと、気が済まないんですか?」




 これまでの内田の言葉とは、明らかに毛色が違う言葉だった。


「そうだな。歳を取ると嫌でも仕訳を覚えていくから、その中で大事だと思った事には一生懸命になるかも知れない」


 歳を重ねる毎に人間は妥協を覚えて好奇心や向上心を失っていく。


そんな事を倉澤はまだ、大学生だった頃心理学の授業で聞いた事がある。日々溢れる情報から適切なモノだけを抜粋して、処理する能力。


 それを手抜きと言うか仕訳と言うかは本人次第。


 ただ、はっきりしているのは解明しようと決めた問題に関しては手を抜かないという事。そう言った特徴が内田の質問を引き出した原因だろう。


「僕はそんな大人にはなりたくないなぁ」


「誰でもそんな事を考えるモノさ。私も昔、内田君のような事を考えた事がある」


「本当ですか? とてもそうは見えません」


「本当だとも。嫌なものさ、いつの間にか物事に一々優先順位を付けて、楽を覚えていく。色々な事に興味があった子供時代には、もう戻れない」


 二人は一切の駆け引きを抜きにして、本音を言い合う。


 隣で静かに話を聞いている菱田がどう考えているか、倉澤は聞きたかった。いっそ聞いてしまおうか。三人でディスカッション出来ればさぞ楽しいだろう。


 しかし、それをしない。もとい出来ないのはまだ打算的な思考が、内田から有益な情報を奪おうとしているからに他ならない。


「そっか。厳しいなぁ……。僕はそんな大人にはなりたくないけど、倉澤さんがそうなってしまったくらいですから、きっとなってしまうんでしょうね」


 諦めたようにため息を吐いた内田はそう言った。


 内田がこうはなりたくないと言った大人像。それに自分はなってしまっている。だから彼には、それを回避するアドバイスは出来なかった。


 その方法を知っているなら、とっくに自分でしている。


「私からは、どういうアドバイスをすればいいのか分からない。申し訳ない」


「そうですか……、難しいですね。大人になるのって」


 倉澤は内田の言葉に微笑んで返す。


 まるで、一瞬入った内田の心の洞窟を引き返すようだった。それは避けなければいけない。それでは、目的は達成出来ない。思考を休めるな、嘘でも構わないから相手が望むアドバイスを投げかけろ。


 自分の中にある冷静なもう一人の自分は、そう言ってくる。


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