「第7章 大人達はすぐに騙される」(5)
(5)
互いに冗談を言い合って沈んでいた空気が柔らかくなる。酒の力はそれだけ大きい。またそれから、しばらく話は世間話が中心となった。
主に二人の結婚についてだ。
立林は、結婚願望はあるが、この仕事を続けると家庭を持つのに苦労するのは目に見えているから、中々難しいと主張する。倉澤もそれは同意見だった。彼女とは意味が少々異なってくるが、家庭を持つのは難しいのは同じである。
現に一度、結婚まで考えて交際していた女性がいたのだが、疎遠になってしまった。それ以来、仕事に追われてその類には縁がない。
「似た者同士だね、私達」
「そうだな、相性はいいな」
二人は笑いながらワインを飲む。ボトルは既に空になっており、残ったのは、二人でグラスに一杯ずつだけだった。互いに酔いが回っており、ここから先のアルコールは望んでいない。水を飲んで終わりである。
その時、倉澤は酒の力を借りてある事を立林に尋ねた。
「一つだけ聞きたい事があるんだ」
「何かしら?」
立林は既に中身がないアヒージョに、バケット付けて食べていた。
「ココに君と来るきっかけになった内田透君。彼、最近どんな感じ?」
「あー、正直な話。殆ど知らないのよ。確かに佐野さんが内田君と森野さんが付き合っているって言い出したから、話は大きくなったけど。そもそも彼は違うクラスだし。今まで私と会話した事ってほんの数回しかなかったから」
立林が内田とクラスが違うのは知っているが、学校側が森野詩織について調査している。その際、彼とは会話をしているはずだ。酒の効力で彼女のバリアの膜が弱くなっている隙に聞き出す必要がある。
「君は森野さんと内田君の関係について以前から知っていた?」
「知ってる訳ないでしょ。ウチの学校って不純異性交遊って言うの? ああいうのにとっても厳しいのよ。進学校だからね、バレたら即停学、酷い時には退学だってあり得る。だから、生徒はまず教師に隠すわね」
「厳しいんだな」
立林は「ええ」っと言って首を縦に振る。
「そりゃ。年齢が年齢だし、興味が出てくるのも理解出来る。でも、やっぱり未成年だから。責任能力がない内は自重しなさいって事」
今までの情報は特に有益とはならない。立林は、学校側が行っている森野詩織についての調査で、間違いなく内田についての情報を持っているはずなのだ。
まだ、簡単に引き下がる訳にはいかない。倉澤は尚も追及する。
「他には?」
「他? うーんっと……」
困ったように唸る立林。それは話のネタがないのではなく、どのラインまで話して良いのかを選別しているのだろうと倉澤は思った。
立林が唸っている間にグラスに残っている赤ワインを飲む。やがて彼女は「ああ、そう言えば……」っと口を開いた。
「そう言えば?」
「あの事件以降、内田君。成績が凄く落ちてるんだって」
「そこは普通に考えたらそうなるんじゃないか? 彼女が亡くなったら誰でもショックだろう」
「落ち方が凄いのよ、テストは軒並み平均点以下。酷い時は一桁の時だってある。前までは、森野さんまでとはいかなくても、それなりに成績上位の子だったのに」
「重症だな」
倉澤の中にある内田のイメージは、生意気ではあるが自己管理はしっかりとする。であった。なので、彼の成績がそこまで落ちた話を聞くと、やはりまだ十代。繊細な年頃なのだと印象を抱く。
「でもね、そこまでだったらまだ理解出来る。あんな事があったんだから、成績が下がるのも当然。授業だって身になるはずがないって。なのに、普段の授業態度は前よりも向上しているの。先生の話を一生懸命聞いて、ノートに書き写す。前は授業終わりで質問に来た事なんてなかったのに、今は毎回、聞きに来るって」
「そうか。そこまで頑張っているなら、成績の回復は早いんじゃないか?」
今が苦しい時なのだろうが、乗り切れたらまた元に戻るだろう。それは、のちに大きな財産となる。倉澤がそう言うと、立林は首を横に振った。
「違うの。内田君が質問に来る内容って、その日にやった事じゃないのよ。もの凄く昔の内容なのよ」
「昔の?」
「そう。一年生の時の内容、それどころか下手したら中学レベルの内容を質問に来るらしいのよ。いくらなんでもそんな事はあり得ないから、最初は先生も不審に思ってたんだけどね。だけど、彼は真剣に分からないみたいで。学校に昔の教科書を持って来ているみたいなの」
「彼の当時の成績は悪くないよな?」
森野詩織が自殺してしまう前なら、成績低下に影響はないはずだ。
まして、それが中学程の昔の内容なら、尚更である。なのに、彼はそこを質問に来る。教科書まで持って来ているのだったら、決して冷やかしではない。
「だから先生達も皆心配しちゃって。記憶喪失にでもなったのかって職員室で話題になったの。でも、昔の内容も教えたら、ちゃんと学習するみたいだから。そこはやっぱり内田君なんだけどね」
「んっ? どうやって確認したんだ?」
「一人、内田君にとても熱心に教えてくれる数学の先生がいてね。彼用に小テストを作ったんだ。教えた範囲で解けるヤツを。そしたら、満点だった。そして次の小テストはまだ教えてないけども、その少し先の範囲を入れた。そしたら、やっぱりそこだけは出来なかった」
「そうか……」
立林の話を聞いて腕を組んで考える。話が進む内に互いのグラスに残っていた分もなくなった。そこで店員に二人分の水を注文する。冷たい水を胃に入れて、アルコールを薄めると、空転していた脳の歯車がかっちりと噛み合うようになってきた。
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