「第7章 大人達はすぐに騙される」(6)

(6)

 立林も水を飲んで心地良さそうな吐息を吐く。


「まあ、内田君に関してはそんなところね。他に何か聞きたい事はある?」


「いいや、充分だ。ありがとう。そろそろ出ようか」


「ええ、そうね」


 二人は水を飲み干して、掛けてあった上着を取る。


 会計は倉澤が払った。立林を誘ったのは自分であるし、彼女を元気付けるのも目的なので、当初から払う気でいた。上着を着る前、彼女がお手洗いに行っている間、クレジットカードで会計を済ませておく。


 帰って来た立林は申し訳ないと言って、半分払うと言ってきたが、レシートをすぐに財布にしまい、彼女に値段を教えなかった。


 スペインバルを出て、外を歩く。待ち合わせをして会った頃よりも大分風が冷たい。酒と料理で火照った体が急速に冷まされていく。


「この後はどうする? どこか他のお店に行く?」


 外を出てすぐに立林が尋ねてきた。心なしか彼女の頬はまだ少し赤い。


 倉澤自身のアルコール許容量は、まだ限界まで余裕はある。しかし、立林にはその余裕はないだろう。それはふらつく足元を見れば一目瞭然だった。


「今日はこの辺りで帰ろう。無理したら明日に響く」


「え~。もう一軒くらいいいじゃない~」


 年甲斐もなく甘えた口調で抗議する立林。その表情は教師ではなく、久しぶりに見る学生時代の彼女だった。思わず微笑んでから、指でバツを作る。


「ダメ。大人しく今日は帰りましょう。ほらっ、駅まで歩く」


「は~い」


 二人は夜風に身を任せて、阪急三ノ宮駅まで取り留めもない話をしながら向かった。改札に到着し磁気定期券を取り出して、そこを抜ける。


 立林とは方向は同じだが、降りる駅が違うので、普通と急行で別れる。だが、流石に今の彼女を一人にはしておけない。


 倉澤はホームの自動販売機でミニサイズのポカリスウェットを二本購入して、立林に渡した。


 普通で帰る立林に合わせて、既にホームに待機している普通電車に乗る。電車内にまだ乗客は居らずガラガラだった。急行で帰っていたら、座れる事はなかったので、むしろ助かったと思った。


 深緑のシートに二人並んで腰を落ち着かせる。


 シートに座ってからは、自然と会話は減っていく。立林の瞳がトロンとし始めたからだ。両手で大事そうにポカリスウェットを持ち、肩に掛けていたカバンに紐がズレて、太腿の上に乗っていた。


 立林がこのまま寝てしまっても、駅に着いたら起こしてやろう。彼女が降りる駅は知っているので何ら問題はない。


 そう考えて立林に肩を枕として提供しつつ、今回得た情報を頭の中で整理する作業に入った。


 事件があってもう半年。積極的に関われなくなってから、情報は入ってこなくなり、菱田ともその話はしない。彼とは今、別の事件を追っている。


 今回、倉澤が立林と会った目的は二つあった。


 一つは事件の情報収集。その後の学校の様子や内田透について知りたかった。


 そして、もう一つは立林のケアである。


 スペインバルでも考えたが、担任である立林の精神的苦痛は、相当大きかったはずだ。こちらに入っている情報だと、自宅療養していた時期もあるという。勿論、そんな事を直接彼女に言う程、無神経ではない。


 だからこそ、赤ワインを沢山飲んで酔った立林に倉澤は心から安心した。


 そんな事を考えていると、いつの間にか車内には乗客で一杯になっていた。


 車掌のアナウンスが流れて、ゆっくりとドアが閉まる。


 ガコンっと言う音と共に電車はゆっくりと大阪梅田方面に走り出した。


「あれ、私寝てた?」


 電車が発車した時の衝撃でどうやら立林は目が覚めてしまったらしい。肩から頭を外して、薄目を擦っている。


「寝てていいよ。駅に着いたら起こすから。確か、芦屋川だったよな?」


「うん、そう。じゃあお言葉に甘えてもう少し寝るね」


「ああ」


 そう言って倉澤はポケットから携帯電話を取り出す。特にやる事はないが、眠気覚ましにインターネットでもする事にした。


 再び立林の頭が肩に乗り、寝る態勢に入る。


 その時、彼女が顔をこちらに向かずに口を開いた。


「今日はありがとう。私を元気付ける為に会ってくれたんでしょ?」


「……バレてたか」


「分かるよ。いつもは仕事が忙しいってロクに会ってくれない癖に、急に会おうって言い出すんだから」


「いつかの約束があったからな」


「私が担任だから、しっかりしなきゃって思ってて。でもそう考えれば考える程、息苦しくなって……」


「大丈夫だから。取り敢えずもう寝なさい」


 立林の頭を撫でてそう言った。


「うん、本当にありがとう」


 そう言って立林は再び眠りの世界に入る。


 肩に乗せている彼女の頭が規則正しく上下運動をするのを感じつつ、倉澤は小さくため息を吐いた。




 立林と飲んでから、二週間が経過した。


 倉澤は相変わらず仕事に追われる日々で、中々捜査が出来ないでいた。


 季節も当時からすっかり色を変えている。時間の経過は、その分真実を形骸化させてしまう。既に警察としての処理は完全に終了しており、世間の関心もない。


 毎日顔を合わせている菱田とすら、話題に出なくなっている。今は別の事件にかかりきりになってしまい、他県に行く事すらある始末である。


 

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