「第7章 大人達はすぐに騙される」(3)

(3)

 それから車内は、内田の自宅に到着するまで無音だった。もう車内にいる誰もが口を開く気にならなかったのである。さながら、教習所の教材ビデオのように、丁寧な運転の下、再び内田家の前まで戻って来た。


 今度は、空だった駐車場に銀色のカローラが駐車している。内田家母が帰宅したのだろう。


 倉澤は車から降りて、内田が座っている方まで回ってドアを開けた。


 開けられたドアをそのまま降りた内田は、頭を下げる。


「わざわざすみません」


「こちらこそ。勉強で大変だというのに、お時間を取らせて申し訳ありません。これ、私の名刺です。何か思い出された際には、御一報ください」


 名刺を内田に渡す。正直、連絡はまずないだろうが、渡しておく事が一つの牽制になる。彼は卒業証書を受け取るように丁寧に両手で受け取った。


「分かりました。何か、そちらに有益な事を思い出したら連絡します」


「はい。お待ちしています」


 内田はそのまま自宅の門を開けて、家の中に帰っていった。玄関がしまり、ガチャっと鍵をかける音がするまで、倉澤はその場に立ったままだった。


 やがて、助手席のドアを開けて乱雑に腰を落とす。


「お疲れ様でした」


「あー、疲れた。出してくれ」


「はい」


 二人を乗せた車はゆっくりと発進する。車内に内田がいないだけで、空気が清浄された錯覚がした。だが、それは単に助手席に座った事でヒーターの温情を受けやすいだけだと知る。


「どうでしたか?」


「菱田こそどう思う? 彼、自己紹介しかしてないお前の名前を覚えてたぞ?」


「生意気な高校生でした。話を聞きながら運転して、何度僕が聞き役じゃなくて良かったかと思ったか……」


 苦笑しながらそう話す菱田。倉澤だってあんな役はしたくない。運転手を交代したいと思った事が何度もあった。


「確かに生意気だった。だけど、馬鹿じゃなかったな。佐野さんみたいに簡単にペースを掴ませてくれない。その辺りは流石、森野詩織の彼氏と言うべきなのか」


 実際に会った事がないので、人づてからしか彼女の情報はない。だが、今まで組み立てた人物像から、シルエットは浮かんでいる。


「菱田の意見を聞きたい。彼は何か知ってると思うか?」


 前を見ながら菱田に尋ねる。彼もまた、視線は正面のみを向けて口を開く。


それは右折する時だった。


「ええ。何か隠してますね」


 終始、内田のペースで進んでいった今回の話も一部分のみ、こちら側のペースに持ち込みかけた時があった。それはまさに今回のメインといえる時。


「……隠す、か」


 菱田に向かってではなく、空中に向かって倉澤はそう呟く。


 警察に隠し事をするのは、そう簡単な事ではない。それこそフィクションの世界では、あちこちに嘘が蔓延しているが、実際の人間はまず嘘はつかない。あれらは作者の都合で操られているに過ぎないのだ。


 そもそも普通に生活していたら、警察に遭遇しない。


 慣れてない事に加えて、我々が多少味を加えて質問したら、大抵の人間は正直に話してくれる。中には、本当に嘘をつく者が少数存在する。それでも、そういう連中は長くは持たない。すぐに話し出すか、その前にこちら側が気付くか。


 結局のところ、人は墓場まで秘密を抱え込むのが出来ないように、神様にプログラムされているのだ。


 稀にいる神様のプログラムに従わない者。そういう連中が我々警察の厄介になる。そしてどうやら、内田にもプログラムは正しく適用されないらしい。


「本気でいきますか?」


 思考の海に浸かっていると、不意に菱田がそう聞いてきた。


 菱田が言っている意味は簡単だ。こんなまどろっこしい事はせず、警察式の方法で内田に聞けば良いと言っている。


 軽く微笑んでから、倉澤は首を左右に振った。


「今回動けるのは応接室まで。それ以上はない」


「どうしてですか?」


 珍しく菱田は納得せずに噛みついてくる。声色にも納得出来ないという気持ちが入っていた。それがどうしてか、倉澤には面白く感じる。


「どうしてだと思う?」


 なのでつい、意地悪な聞き方をしてしまった。


「大学時代の友人がいるからですか? あの立林先生っていう……」


「……本気で言ってるのか?」


 途端、車内の空気が一変する。口の中に砂が混ざっているような息苦しさがヒーターから吐き出されていく。先程までとは正反対の感情になる倉澤。


「申し訳ありません。失言でした」


 砂の異様さに気付いた菱田はすぐに謝罪する。


「分かったならいい。以後気を付けるように」


「はい。肝に銘じます」


 倉澤は短く鼻息を出して、少しだけパワーウインドーを下げた。車内に漂う見えない砂を換気する為だ。本来は季節のせいもあって、窓を開けると外の風がナイフのように冷たく感じるのだが、今はそれが綺麗な流水を浴びていると思わせる清潔さを持っていた。


 およそ、信号一回分の距離だけパワーウインドーを下げて、また上げた。代わりにヒーターのメモリを一から二にする。少し声が大きくなったヒーターを背景に倉澤は口を開く。


「俺も内田は怪しいと思っている。あれは何かを隠している目だった。だけど、あの様子だと素直に教えてくれそうにもない」


「そうでしょうね」


「一応、森野詩織の死亡推定時刻に彼が何をやっていたか調べておこう。まあ、無駄足だとは思うが」


「了解しました」


 まだ菱田の口調は若干固い。砂が思ったより重いようだ。


 倉澤は腕を組んで、目を閉じる。


「悪いが本部に着くまで眠らせてくれ。昨日、あんまり寝てないんだ」


 無論、本当に眠い訳ではない。菱田に砂を消化させる時間を作らせたのだ。


 だがしかし、当初の目的を逸れて、段々と倉澤の意識は落ちて行ってしまう。


 二人を乗せた車は夜の住宅街を抜けて、本部へと戻っていく。


 落ちてしまう最後、考えていたのは、自分が今回の事件に関わる動機だった。


 一度、自殺と結論付けられた今回の事件。


 現時点で、怪しい部分は屁理屈レベルでしかない。


 森野詩織の遺体は間違いなく、彼女が自殺したと告げている。


 謎めいた遺書も思春期の女子高生が死の直前に書いた興奮から来る暴走。


 それで充分に説明出来る。


 そろそろ騙し騙し捜査するのも難しくなってくる。


 いつ他の事件で忙しくなるか分からない。もしかしたら、菱田と行動出来なくなる場合もあるだろう。


 つまり、残された時間はそうない。


 なのに、菱田が言うような手段は理由を付けて使おうとしない。


 それはどうしてか?


 菱田の言う通り、立林の為に? いや違う。そんな個人的な感情で動くような事をもうやらない。無論、ゼロとは言わないが。


 惹かれ始めているのだ。自殺した森野詩織という人間に。


 そこまで考えた時、倉澤の思考は完全に夢へと落ちていった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る