「第7章 大人達はすぐに騙される」(2)
(2)
こうして今、沈黙が続いた状態でも、目の前にいる内田は何も聞いてこない。聞きたい事の一つはあっても良さそうなものを。まるでないと言ったように、呑気に外の景色を楽しんでいる。
これ以上、内田に対して、変な質問をしても無意味だと悟った倉澤は、後々使う予定だった切り札を使う事にした。
「ココからの話は、他言無用でお願いします」
「分かりました。一体、何でしょう?」
しばらく続いた沈黙の後だと言うのに、驚く気配すら見せない内田。
「実は、亡くなった森野詩織さんの遺書についてなんです」
「遺書?」
依然として、内田に動揺はない。運転中の菱田はどう思っているのか。聞こえているはずだが、運転を始めてからずっと、決められた事しか出来ないブリキ人形を徹底している。
遺書という言葉を出しても内田の城は崩れる事はなかった。
「その内容の意味がまだ我々には分からないのです。そこで、彼女と仲の良かった内田さんなら分かるのではと思いまして、ぜひ聞いていただきたい」
「ちょっと待ってください。それって本当に話していいんですか?」
「貴方が誰かに漏らさなければ大丈夫です。内容を知っているのは、現在一部の者だけですから」
「当然、僕が誰かに話す事はあり得ませんよ。でもこういうのってモラルの問題だと思うんです。えっと菱田さん? 倉澤さんの行為を止めないんですか」
運転中の菱田に話を振る。まだ一度も会話らしい会話をしておらず、最初に会った時に名前を言っただけなのに、もう内田はそれ使いこなしていた。
菱田は前を向いたまま返事をした。
「倉澤さんが話すと言うのでしたら止めません」
「へぇ~。信頼されてるんですね」
冷静な口調で答える菱田に内田は感心したようにそう言った。その言葉に返事をする事なく菱田は、運転手に戻ってしまう。
「あらら。怒らせちゃったかな? 少し調子に乗り過ぎてしまったかも」
「いえ、気にしないでください。どうでしょう? 内容について聞いていただいて、何か気付いた事があったら教えてもらえませんか? どんな些細な事でも構いません」
「うーん」
内田は腕を組んで悩んでいた。この話を聞かせて反応を見る事がココまで来た目的なので、倉澤としては彼に聞かせる必要がある。しかし、これ以上しつこく頼むと、内田に勘付かれる可能性がある。
大人しく彼の決断を待つ事しか倉澤には出来なかった。
やがて、鼻息を漏らしてから内田は決断を言う。
「しょうがない、分かりました。聞きましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、僕も一つ聞きたい事があるんですけどいいですか?」
「答えられない事があるのを承知していただけるのならば、聞きますが?」
内田から何を聞かれるか分からないので、予め最低限の予防線は張っておく。
彼は軽く微笑んで、首を左右に振った。
「嫌だなぁ。そんな厄介な質問はしませんよ。ただ、誰から僕と詩織の仲を聞いたのか。それが知りたいだけなんです」
「特定の人物名を言う事は出来ません。ぼかして話すなら、そうですね。森野詩織さんと親しい友人と言ったところでしょうか?」
「充分です。ワガママに答えていただきありがとうございました。それでは、倉澤さんの話をどうぞ」
手で促されて倉澤は自分のターンが回って来た事を自覚する。そして同時に、今や車内のペースは完全に内田が握っているのも重ねて自覚した。こんなはずではなかったのに、気付けば彼の一言一言に頭を使わされている。
「ありがとうございます。彼女の遺書に書かれていた内容は、ほんの少しです。“ノートは、いつも貴方の傍にある。だから私はもう大丈夫。”加えて日付が二つ書かれておりまして、2008.10.22 2008.11.18です。内容的には遺書と呼ぶには奇妙なのですが、日付は彼女が亡くなった日。また、手書きで書かれており筆跡も本人と一致した事から、我々も暫定的に遺書という形で扱っています。ただ、先程も言った通り、意味がさっぱりでして……。どうでしょうか? 何か心当たりはありませんか?」
内田は顎に手を置いて、深く考え込んでいた。その表情からはついさっきまで、倉澤と菱田を手玉に取っていた雰囲気はなく、瞳が震えている。
倉澤の問いに内田は返事をしないまま、数十秒が過ぎた。
車は駅のロータリーを一周して、来た道を戻っている。
赤信号で止まった時、まだ沈黙を守ったままの内田に倉澤は声をかけた。
「内田さん?」
「あっ。ああ、すいません。少し考えて込んでしまって……」
「いえいえ、存分に考えてくださって結構ですよ。それでどうですか?」
初めて焦りを見せる内田に倉澤は間違いなく彼が何かを知っているのを確信する。奪われたペースが少しずつ返っていく。
「そうですねぇ」
目線を上にして何を言おうか迷っている様子の内田。上を向いている彼の瞳の震えは徐々に収まっていった。彼が目線をこちらに合わせた時には、相当に回復させていた。凄い胆力である。
「すみません。待たせておいて恥ずかしいのですが、僕には分かりません。ノートは学生ならば誰しも当たり前に使う物です。それに現在、彼女とノートの貸し借りはしていません」
「本当に?」
「疑うんですか?」
挑発的な目を見せる内田。彼の余裕はもう九割方回復している。話を続けるのならば、倉澤は残り一割で戦うしかない。しかし、この後の彼はおそらく残り一割を全力で防御する。今回はココまでだろう。突破するには時間も場所も悪い。
倉澤は作り笑顔100%で応対した。
「そんな滅相もない。こういうのは職業上、自然に言ってしまうんです。不快な思いをさせてしまったなら、申し訳ありません」
「そんな。僕の方こそ、生意気な事を言ってすみませんでした」
生意気な事を言っていると認識している内田に倉澤は強い嫌悪感を抱く。
この仕事は人をすぐ嫌いになる仕事だ。だが、仮に別の仕事をしたとしても、内田を嫌いになっていたに違いない。
そう考えつつ、尚も作り笑顔百%を維持したまま続ける。
「そんな事ありませんよ。気にしないでください。さて、それではそろそろお話は終わりにしましょう。このまま御自宅まで送りますよ」
「ありがとうございます」
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